第五話 そばかすの通報者
とにもかくにも、足跡を見ないことにははじまらない。
私は閣下と連れ立って、工房の前へと向かう。
既に地面は乾きつつあったが、現場には保全魔術が何重にも重ねてかけられており、靴跡は明確に残っていた。
子細に観察してみるが、やはりハーフサイズ。
いわゆるハーフフッドの足跡だと、私でも解る。
「一方通行分だけですね。工房から……シェレンさんのお店へ向かってのみ、足跡があります」
「雨が上がった直前に、出入りした人物はひとりということか」
どうだろうか。
あくまで現存する痕跡がこれだけ、と言い換えることも出来る。
「そもそも、靴跡をずぼらにも残していく犯人などいるでしょうか」
「……世の中の人間は、お前が思うよりもよほど単純に生きている」
「では、これを本気で証拠として、シェレンさんを疑うものが衛兵団にいるのですか?」
「あくまで物的証拠の一つ、ということだ。被害者と接点のあった人物は皆疑われる。不可思議な証言をすれば、なおさらにな」
それは、もちろん理解しているけれども。
「ですが、違和感があります」
「口ぶりからすると……靴の横合いか」
閣下の指摘は正しい。
どの靴跡にも、普通の靴では見られない一条の線が両脇に刻まれている。
誤差と言っても問題ないような、本当に微細な形跡だが、どうにも気になって仕方が無い。
「それから、これも明瞭ではないのですが……」
「他に読み取れることがあると?」
私は曖昧に頷いた。
衛兵団は、やはりこの足跡を強く問題視している気がする。
ならば、何かあるはずなのだ。
これほどズブリと残った見事な足跡。
見逃している点は……
「いえ、一端脇に置きましょう。思考が袋小路に入っている気がします。なので、次は一転して」
「通報者の話を聞く、か。犯行現場は未だ鑑識魔術の対象だ」
であるならば是非もなく。
そういうわけで、私たちは靴屋の斜向かいにある工房。
そのさらに隣にある民家を訪れた。
「失礼します」
「……どなたで?」
ノックをすると、くせっ毛でそばかすの多いトールマンの成人女性が、怪訝そうな様子で顔を覗かせた。
さて、どう説明するのが早いかと思っていると、閣下が一歩踏み出し、ドアとドアの間に靴を突き入れる。
ぎょっとする女性。
構わずに、閣下は告げた。
「我々は衛兵団の上位組織に所属している。この剣を見れば解るな? 独自の調査中だ。隣家の一軒について、語ってみせよ、女」
「……いやいや」
さすがに他の言い方があるだろうと見遣れば、なぜかウインクをしてくる閣下。
本気ですか。
そうですか。
しかし、どうやらこの高圧的な態度は効果覿面だったらしい。
彼女は鉄扉切りに刻印された紋章を一目見ると、眠たげな目を開眼。
速やかに扉を開け放ち、直立不動の姿勢を取ったのち、敬礼を行った。
「はっ! 自分は、衛兵団警邏第二分隊所属アンナ・カリソン衛士であります!」
なんと。
どうやら彼女は、閣下の懐刀さんと同僚……とまではいかないが近しい職場の人間だったらしい。
軍隊というのは規律を重んじる。
それは辺境の衛兵であっても同じことだ。
叩き込まれた教育が、上官へ無自覚に滅私奉公の精神を発露させる。
「ではアンナ、この黒きものの質問に答えよ。素性の詮索は許さん。ただ、是か非かを述べるのだ」
「はっ!」
……なんとも奇妙な心持ちになるが、こうなってしまったものは仕方がない。
存分に利用させていただこう。
「では、よろしくお願いします。アンナさん」
「どうか、アンナと呼び捨てで! そのほうが〝きっちり〟いたしますので!」
……うーん、若干ついていけないノリである。
コホンと咳払い。
気を取り直して、質問を投げる。
「隣の方のことなのですが」
「ディビットは、不幸なことでありました……」
不幸?
確かに襲われたのは不幸か。
「その件なのですが、詳しく聞かせていただいてもよろしいですか?」
「もちろんであります。しかし、自分は既に聴取を終えており、きっちりとした手続きを」
「許可は後日、降りていたことになる。よって改めてだ、女。語り漏らしがあるかもしれぬだろう? しかと話せ」
「はっ!」
あまりに彼女が大声を張り上げるので、周囲の視線が集まってきた。
これは、あまり時間をかけられないぞ?
「では……まず、どのようにして異常にお気づきに?」
「はっ! 当日、自分は非番であり、きっちり自宅待機状態でした。夜半、突如として隣家が騒がしくなり、ついで口論が聞こえたのであります」
「具体的な会話の内容はお解りですか?」
「恥ずかしながら、眠気に負けてきっちりしておらず、判然としませんでした。しかし、女性がいたことは間違いありません。声がきっちり女のものでした」
女性の声。
なんらかの魔術、風を操るもので再現するということは可能だろうから、そこまで重要視出来ない。
が、聞き及んでいる限り被害者は後頭部を殴られているので、隙を晒すという意味でも、非力でも一撃を与えられるという意味でも、犯人が女性である可能性は充分にあり得る。
また、この口論に出てくる女性と犯人が別人ということもあるだろう。
そうであれば、シェレンさんの証言との矛盾もなくなる。
「それから、何がありましたか?」
「はっ! もみあうような音が聞こえ、その後、ドン、と大きな音が」
「なるほど。それで詰め所へと向かわれた。自分で確認されようとは?」
「非番でしたので、当直のものに通達するのがきっちり先であると考えました。いまは規律を無視してでも飛び込んでいれば、ディビッドを救えたはずだと後悔しております。きっちりできませんでした……」
「……そのとき、霧は出ていましたか?」
「霧?」
そう、重要なことだ。
昨晩は雨が降り、早朝にかけて濃霧が生じた。
シェレンさんの供述でも、大男は霧のなかに消えている。
アンナさんはしばらく考えて。
それから、微かに首肯された。
「霧は出ていたと思います。かなり濃いものでした」
「人影はありましたか?」
「なにぶん早朝でしたので、なかったと記憶しております」
「では、靴跡を見ましたか」
「はっ! この目で、きっちりと」
そこで。
彼女はやけにキッパリと答えた。
衛兵としての職務だけでなく、強い感情が、その双眸には宿っていて。
「あれは靴屋のものに間違いありません」
「なぜ、そう言いきれるのです?」
「……以前、巡回で靴屋を訪ね、自分は採寸をさせたことがあります。そのとき店内や店主について詳らかに観察しました。間違いなく、その際に見た足のサイズ、靴の形状と一致しています!」
ずいぶんな力説だ。
そこで私は、アンナさんの足下を見た。
サイズは当然、トールマンのもの。ハーフサイズではない。
種族差がある靴は、見間違えるような代物ではないはずだ。
けれど、ハーフフッドだと断定することは出来ても、それがシェレンさんだと決めつけるのは何かがおかしい。
うーん……なにかまだ、隠している証言があるのかもしれない。
けれど、これ以上のことを聞き出せそうな取っかかりもない。
訊ねさえすれば、職責の範囲では間違いなく答えてくれるのだろうけれど……。
致し方ない、質問を切り上げよう。
「ご協力感謝します。何か思い出しましたら、詰め所を経由してご連絡を」
「委細承知であります! ディビットを殺した相手です、絶対にきっちり検挙いたします」
殺し――ね。
「失礼ですが、最後に一つだけよろしいでしょうか」
「はっ」
「アンナさんとディビットさんは、どのような御関係で?」
この問い掛けに、そばかすの衛士は。
「事実上の婚約者でありました!」
生真面目に。
しかし沈鬱な表情で、そう答えた。
§§
「アンナさんの職場や街での評判が知りたいですね」
彼女の住まいを後にして、ぽつりとそう呟けば、閣下が無言で指を鳴らされた。
すると、にゅっと私の横に影が射す。
まさかと思いながら顔を上げれば、そこには〝衛兵さん〟が居られて。
「アンナのことでしたら、勤務態度は生真面目と評価されています、奥方様」
……いやはや、いままでどこにいたのだろうこのひと。
さすがに彼――彼でない可能性もあるのか――まで転移魔術の使い手ということはないだろうが、その神出鬼没っぷりは、さすが閣下の懐刀と呼ばれるだけのことはある。
まあ、それはそれとして。
「同じご職業だったのですね。なぜ最初の時に教えてくださらなかったのですか?」
「…………」
普段から余裕たっぷりといった様子の彼が、その表情のまま凍り付いた。
閣下が愉快そうに笑っているので、珍しい様子だというのは解る。
「……奥方様に、無用な先入観を植え付けるべきではないと考えまして」
先入観ときたか。
なるほど、つまり衛兵さんは、最初からその可能性を考慮していた、ということだ。
「わかりました。納得します。では改めて……アンナさんの普段の振る舞いを教えてください」
「同じ部署ではありませんので伝聞になりますが……常に街中を歩き回り、犯罪の目を見逃さないように振る舞う健気な娘。衛兵という職業に全てを捧げ、治安維持に努める守り手の鏡。自分の担当区画のことは知り尽くしている事情通、あたりでしょうか」
ちなみに、その担当区画というのは?
「この辺り一帯です」
「もうひとつ、よろしいですか。ディビット氏との関係は解ります?」
「忙しい中で逢い引きをするほど蜜月だったと」
「それは、ディビット氏の工房周辺の治安を維持するため、彼女が全力を尽くしていたと言い換えられますか?」
「可能かと」
なるほど、だいたいわかった。
であるなら、やはり。
「行きましょう、閣下」
「工房へか」
「はい」
おそらくそこに、この事件を解決するためのピースが眠っているから。




