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第二話 素晴らしき靴の世界 前編

 辺境伯領を揶揄(やゆ)する言葉として、犯罪温床都市というものがある。

 これは文字通り、国境線を接する他国との政争、小競り合いの解決を含めて治安がよろしくないというものだが。

 一方で、極めて田舎である、という(あなど)りの意味を込めるひともいた。


 純粋にハイネマン家が力を持つことを気に食わない、例えば我が実家とかがその筆頭だったわけだけれども。

 はたして田舎という言葉が事実に即しているかといえば、そんなことはない。


 ハイネマン邸のお膝元にある城下町は、私の知る限りという但し書きがつくものの、大陸でも十指に入る栄華を極めていた。

 道路の舗装の行き届いていない部分、建造途中の家屋や商業施設、そういったものは確かに多い。

 だがこれは、常に発展を続け、区画拡張に余念がない辺境伯領の貪欲(どんよく)さ、懐の深さを表しているとも言える。


 そんな城下町の目抜き通り……から三つ四つ裏に入った場所。

 そこに、目的とする靴屋さんはあった。

 周囲の(みち)はやはり舗装されていない。

 だが、店舗の前にだけは〝飛び石〟が置かれており、それは途中で途切れるものの表通りへと向かっていた。

 ああ、なんて如何(いか)にもで楽しげな謎。

 そうしてこんなものがあるのか、その答えを考えながら入り口を開ける。


「いらっしゃいませ」


 ウェルカムベルの音とともに出迎えてくれたのは、ハーフフッドの壮年女性。

 短めの髪をさらにうなじの部分でくくっており、作業の邪魔にならないようにしている。

 それは服装にも徹底されており、清潔な白いシャツの袖はアームバンドで固定され、作業用のズボンもサスペンダーで吊り上げられていた。


 私は我慢が出来ず、先ほどの疑問をぶつける。


「お店の前の飛び石ですが、あれはひょっとして、ここが靴屋さんゆえのお気遣いですか?」


 彼女が、目をぱちくりとした。

 しまった、まだ挨拶すらしていない。

 謝罪の言葉を探していると、閣下が口を開かれた。


「許せ、店主。この小鳥は好奇心旺盛で、問い掛け(さえずり)が多いのだ」

「これはハイネマン様。なるほど、では、そちらの方がお噂の」


 何やら私へと注がれる、ニマニマとした眼差し。

 どうやら、私の噂はそれなりに城下町へ届いているらしい。

 カレンがいたら、悪名ではないかと皮肉を口にするだろう。

 別段、なんであっても構いはしないのだけれど。

 それよりも、いまは答えが欲しくて。


「かしこまりました、お客様。ご明察です。あれは当店で靴をお買い求めになった方が、帰り際に御足を汚さずにすむよう設置したもの。せっかく買った靴、履いて帰りたいのが人情でしょうから」


 やはりそういうことだったのか。

 よいお店だと、私は満足感一杯に頷く。

 すると店主さんは「お気づきになっていただけて、とてもうれしいです」と品のよい笑顔を浮かべ、閣下へと向き直り。


「それで、本日はどのような品がご入り用でしょうか?」


 と、商売人の顔で訊ねられた。


「無論、靴だ」


 店内を見渡したのち、エドガーさまは、店主さんの足下へ視線を移す。

 彼女の足下は、とても気品に満ちていた。

 見事なレース装飾が施された、シックな色合いの靴がそこにあって。

 けれど、私はその靴をけっして身につけることは出来なかっただろう。

 何せ彼女はハーフフッド。

 私たち(トールマン)と比べた足のサイズが半分、背丈も半分の種族なのだから。


「店主よ、俺が望むのは無明を照らす光だ」


 エドガーさまが、いつも通り難解な言葉を吐き出される。


「灯台の明かりも根元にまでは届かぬ。だが、漆黒をより美しく際立たせる色彩を、俺は求める」

「具体的には、どのような?」

「妻の足下を飾りたい。頼めるか」

「なるほど、そういうことでしたか! ええ、ええ、お任せ下さい」


 要領を得るやいなや、水を得た魚のようにパッと表情を輝かせ、何度も頷いてみせる店主。

 仕事に対して相当の誇りと、何よりも喜びを持って携わっていることがよく解る。


「改めまして奥方様。わたしはシェレンと申します。しがない靴屋でございますが、きっと奥方様のお眼鏡に適うものをご用意させていただきますよ」

「ご丁寧にありがとうございます。ラーベです。ただ、私には具体的に欲しい靴というのがなくて……」

「そうなのですか?」


 そうなのだ。

 そも、物欲というものがさほどない。

 ドレスやアクセサリーの類いは、花嫁道具ということで実家から持ってきたものだし、それはお父様の最後の良心――ではなく、おじいさまが用意して下さったものだ。


 つまるところ、自分で買い求めた日用品というものがない。

 閣下から頂いた蝶の髪留めは、身代わりの術式が怖ろしすぎてほとんどしまったままになっている。

 先日頂戴した指輪に関しては、大変うれしかったので身につけているものの、こちらにもなにか仕込まれている気がしてならない。

 そう、閣下は何かしら、そう言ったギミックを贈り物へ組み込むことに喜びを感じているらしい。


 ……伴侶の意外な一面に気がつけたのはいいが、当然この場でもそのサプライズが起こるのではないかという危惧を抱くことになる。

 なので、せっかくの買い物だが辞退しようか……などと考えていたのだが。


「このじゃじゃ馬はあちこちと駆けずり回る。普段使い用とドレスに合わせるものを数点、見繕ってくれ」


 閣下のお言葉で、気が変わった。

 確かに、普段履くための靴はいい加減に履きつぶす寸前だ。

 そんなものを、辺境伯の妻ともあろうものが身につけているとなれば、閣下の名誉にも関わる。

 さすがに迷惑がかかるとなれば、私とて靴を買い求めるのはやぶさかではない。

 ということで、色々とお願いしてみることにした。


「かしこまりました。まずは採寸を行います。足の長さ、足囲り、くるぶしの高さに、土踏まず」

「そんなに細かくですか?」

「ええ、なぜなら足の形は、顔と同じで皆違うのですから」

「えっ」


 私は、思わず開けてしまった口を、慌てて押さえる。

 これは盲点だった。

 確かに人体というのは、どこも千差万別だ。

 指紋や声、髪の質だって皆違う。


 けれど足については、これまでさほど意識してこなかったのが実情だ。

 ほとんど誰とも会わず、書物と口伝の知識だけで生きてきた反動がもろに出た。

 自分が世間知らずなことはよくよく理解していたが……そうか、足の大きさや形も、人それぞれなのか。


「それは種族によっても違うのですか? それとも偏りが?」

「興味を持っていただけたようでうれしく思います、奥方様」

「……非礼はお詫びします」

「いえいえ。いま奥方様が浮かべておられる眩しい表情で、充分すぎるほどおつりが来ます」


 シェレンさんがそう言えば、閣下が喉の奥で笑った。

 そんなにおかしいことだろうか?


「良好なご夫婦関係、まことに羨ましく存じ上げます。では、お話を戻しましょう」


 店主たる彼女が、誇りに裏打ちされた職人の表情で告げる。


「まずは、種族による違いについてです」

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