第一話 名探偵令嬢、料理をはじめる
「エドガーさまの好物を知りませんか?」
漠然と投げた問いかけは、館中の使用人さんたちを巻き込んだ大がかりな謎解きになってしまった。
事の発端は、私が料理に魅了されたことにある。
調理工程や味付け、産地、逸話など。
それらはとびきりの謎であり、ここしばらくの私は完全に料理の虜だった。
平たく言えば、はまっていたわけである。
そこでふと気になったことがひとつ。
エドガーさまの好物についてだ。
辺境伯領へ嫁いできてから、幾度となく食事の席を同じくしてきたものの、彼が目の色を変えて食べた品物となるととんと覚えがない。
もちろん貴族として礼儀を失わないよう己を律しているのだろうけれども、しかし献立に偏りすらなく、嗜好品のお酒ですら贈り物として届いたものを端から開けているだけというのはいささか不自然だった。
不明であり、自然ではなかった。
これまでの私であれば、直接エドガーさまに尋ねていたことだろう。
何がお好きなのですか、と。
だが、既にしてお付き合いの期間は三ヶ月ほどになる。
さすがに彼の人となりというものも解ってきた。
彼の隣にいたのだから、見えてきた。
エドガー・ハイネマンという人物は、自分の好悪を直接的な言葉では語らない。
もう少し踏み込んで言えば、それが自分の弱みになると。
辺境伯として外敵から国を守護する際付けいられる隙であると確信しているようなのだ。
であるならば、真正面から堂々と、一切奇をてらうことなく高潔に、或いは心中に土足で踏み込むが如く、ずけずけと質問をするのは、あまりに憚られる。
彼の心情を慮ってもそうであるし、立場を思い遣ってもまさしくそうだ。
だから私は、閣下の使用人さんたちに質問したのである。
エドガー・ハイネマンの人生を、私よりもよほど長く身近で見詰めてきただろう皆さんに。
ところがその返答は、
「確かに坊ちゃまは好き嫌いをしたことがないですな!?」
という驚愕の声だった。
どうやら、閣下というのは幼少期から完璧な人間として振る舞ってきたらしい。
勉学から教養、武術から乗馬術、ひいては食事に芸事まで。
全てそつなくこなしつつ、何の偏りも見せなかったという。
傾倒することも、熱情にとらわれることもなかったのだと。
……そんな人間が存在するのかと問われれば、他ならない私の夫として実在するのだからいかんともしがたい。
重要なのは、誰にも彼の好悪が解らなかった、というところだ。
厳密には、何もかもが不明であったわけではない。
河の魚よりも取り寄せた海の魚の方が食が進んでいるように見えたとか。
野菜全般を嫌っている様子はないが、食べやすい大きさであればより積極的に口にされたとか。
肉の中では羊を多く食べているがそれは産地が近い都合によるとか。
穀物よりは果物を好んだとか。
パズルめいた情報自体は手にすることが出来たのだ。
だが、どう組み合わせたところで、まったく彼の好物というのは想像がつかない。
優先順位を付けること自体は可能であったが、それも季節のもの……つまりよく獲れるものを食べている、ぐらいの誤差でしかなかった。
……無論、それで納得など出来ない。
一応、私も花嫁修業を受けてきた身である。
おじいさまの計らいに限定されるが、料理の差配の一つや二つ出来る。
……手作り出来るとは言っていない。それは貴族の仕事ではなかったから。
というわけで、数日にわたって使用人さんたちと結託し、閣下に様々な食事を提供してみた。
そうして一つの事実が明らかになる。
私の夫は、食事を残さないのだ。
顔色一つ変えず何でも食べてしまう。
庶民が口にするようなものでも、貴族らしい食事でも変わらずにだ。
こうなってくると、もはや解らない。
解らない謎が目前にあるというのは、大変健全ではない。
どうしようもないフラストレーションは、とりあえずクリエイティブな活動にぶつけることにした。
満を持して、私も料理を造ることにしたのだ。
……解っている、本末転倒ではある。
本来ならば、彼の好物を知り、それを自作して提供し、採点してもらうのがよかっただろう。
けれども到達点が見えない以上、まずははじめるしかない。
それが迷走や見切り発車と呼ばれるものであったとしても、はじめないことには終わらせることなど出来ないのだから。
「可も無く不可も無く。別の言い方をすれば、拍子抜けするほど半端でございます、お嬢様」
というわけで、早速手がけた料理の味見をカレンに任せたところ、上述の返答が無表情で返ってきた。
さすがの直言に面食らうものの、彼女が半端だというのなら半端なのだろう。
では、どういった部分が?
「お嬢様にとって、料理とは如何なるものでございましょうか」
「それは、美しい関係式の構築。謎とその解法で」
「であるならば、当然目指すべき味、食感、色味というものがありましょう。しかし、これらにはそれが見受けられません。なぜか」
答えはあまりに明瞭、エドガーさまの好物というゴールがどこにもないから。
「お解りのようで結構。であるなら、お嬢様の考える最良の料理を目指すべきかと」
「最良の料理……」
「料理が謎解きであるのなら、塩分はどの程度用いればよいか、煮る時間はどの程度か、この材料にはどの調理器具が適切かなど、お嬢様なら即座に判断がつくはず」
「確かに」
その通りだ。
これが出来ていなかったと言うことは、つまり謎だと感じていなかったと言うこと。
つまり?
……いや、つまり?
「じ、自分の心にここまで無自覚とは!? このわたくしの目をしてもまったく見抜けず……カレン、甘酸っぱい」
いったいなにを言っているのだ、この親友は。
まるで私が、恋人に手料理を食べさせてやりたいというベタな展開をやっておきながら、そこに恋愛感情や思いやりが介在していることにすら無自覚な、人の心の機微をなにひとつ理解出来ない朴念仁であるように冤罪をかけるなど、いくら親友でも許されないことだ。
そんな意志を込めてジト目で見詰めてやれば、彼女はコホンと咳払いをして。
「心を強くもって、よく聞いてくださいませ、お嬢様」
「なんですか、そんなにあらたまって」
「いま、お嬢様が申し上げたことが、謎の答えでございます」
「――!?」
は? え? なにを言って。
「まさか自覚症状がないまま謎を解いてしまわれるとは、カレン感服の極みにて」
「~~~~っ」
急激に頬が熱くなる。
ボッと顔から火が出たかと思った。
え、なに? 私は、要するに、閣下に、懸想を!?
「お嬢様、純情にもほどがございますれば。悪徳の大家の名が泣きます」
「そんなこといったって!」
辛辣なカレンの言葉に身もだえしていると、自室のドアがノックされた。
顔を出されたのは褐色の肌をした、無骨な美丈夫。
ノックの返事を待つ必要がない、この館の主。
「え、エドガー、さま」
「……なにを身もだえている、小鳥。スライムの真似か?」
「違いますぅ!」
「ならば、支度をしろ」
いったいなんのですかっ?
「お前の美を際立たせる必要がある。まずは足下から、即ち――靴を買いにゆくぞ」




