第八話 犯罪王の継承者事件(答え合わせ)
「ゴドーの命を奪ったのはゾッド・ヴァーン、つまりこの儂に相違ないとも、クレエアの末裔よ」
犯罪王の自室。
無名都市でも最も厳重なセキュリティーが知られたその場所で。
ゾッド翁は、水煙草をゆっくりと燻らせ。
そんな、自白をされた。
この場に同席したのは私とエドガーさまのみ。
……だが、驚くものはいなかった。
犯罪王を含めて、全員が当然のこととして受け止めていたからだ。
なぜならば――
犯罪都市の関係者全てが、脳裏から無意識に除外している容疑者など、この老人しか有り得ないのだ。
そうでなければ、初めから司祭を誰もが疑ったはずだ。
殺人事件が起きた密室から消えた人物を、疑わないわけがないのだ。
全員がうすうす真実を感じ取っていながら、それでも存在しない光明を探し続けたのが、先ほどの推理劇――壮大な茶番で。
つまり、最初の事件で煙龍会の人々が身内をかばい合ったように、彼の存在はずっと黙認されていたのである。
……いや、違う。
皆信じていたかったのだろう。
自分たちの親にも等しきこの人物が、そんなことをするわけがないと。
だからこそ解らない。
いったいなぜ、ゴドーさんは死ななければならなかったのか。
「それはお主の嘘であろう、クレエアの」
「…………」
「とっくに答えなど明瞭で、己の中で解決を見ているから放置を決め込める。他人のことなど究極的にどうでもよくて、自身のことにさえ興味がない。未知を既知に変える対悪意の総決算、超攻勢自滅因子、真実追究装置。そんなお主にとって、解決済みの謎とは些事でしかない。違うかな?」
「ご老体。それ以上無駄口を叩くのなら、地下迷宮での宣言は実行に移されるだろう。即ち――小鳥のさえずりを阻むものに、刃の鉄槌を、だ」
答えられないでいると、エドガーさまが両眼を険しくされた。
彼の瞳には強い憤怒が渦巻き、刃鋼の色を呈している。
ゾッド老はしばらく私たちのことを観察し、沈黙し、やがて――破顔した。
犯罪王とは思えない、無邪気な笑み。
だからこそ、それはとても怖ろしく。
「はっはっは、そう老体を邪険にするものではない。だが……辺境伯の言葉ももっとも。ここは儂が腹を割ることで場を収めるとしよう。なぜゴドーは死んだか。簡単なことだとも、あやつは〝結社〟の女狐に唆されおったのよ」
……やはり、そういうことだったらしい。
今回もまた、彼女が動いたのだ。
「さすがはもうひとりのクレエアの末裔。見事ゴドーを籠絡して魅せたわい」
ゾッド翁によれば、ゴドーさんはとんでもない契約を結んでしまっていたのだという。
〝結社〟はゴドーさんが犯罪王になるため全面的なバックアップを行う。
代わりに、ことが成就した暁には、無名都市での活動権が欲しいと。
「いうなれば、内部からの乗っ取りですか」
「その通りだ、クレエアの。また、地下迷宮にて儂の影武者に語らせたことも事実」
つまり、煙龍会の内部分裂を誘い、完全に無名都市を掌握しようとしていたと。
だが、それが〝結社〟にとって。
あるいはリーゼにとって、何の得になるのか。
無論、全ての犯罪者を統括する称号というのは、魅力的に映るだろう。
けれども、いまゾッド翁が持つものは、実績と過去の血筋、長年にわたって積み上げられてきたものがあってこそだ。
一朝一夕で手に入るものではない。
「――ああ、だからゴドーさんを、あなたは殺さなければならなかったのですね?」
「然り」
老人が、今度ばかりは疲れた表情で頷く。
「傀儡に成り果てるぐらいならば、せめて父の手でと考えたまでのこと。己が畜生にも劣る外道であると、その自覚はある」
配下を守るため。
町の在り方を維持し、大陸中の犯罪者を守護するため。
彼は実子を殺めた。
身内を救うため、家族を手にかけた。
その矛盾を、私は。
「それで、どうするね、クレエアの。この事実を、白日の下にさらすかね?」
出来るわけがなかった。
そんなことをすれば、この都市のシステムは瓦解する。
多くの寄る辺なき弱者が流出し、掟というたがの外れた犯罪者たちは野坊主に他者を害するだろう。
結果、辺境伯領だけでなく、大陸は先の混乱と同規模の状態に叩き戻される。
……それが解っていたから、私は茶番劇に乗るしかなかった。
確かに私は、本質的に他所の死を悼むことが出来ない。
悲劇を未然に防ぐことに興味はないし、解き明かしてしまった後の謎がどうなろうと知ったことではない。
少なくとも、かつてのラーベ・クレエアはそうだった。
だが、いまの私は、閣下の伴侶であり。
「ラーベ」
「エドガーさま……」
そっと、エドガーさまに肩を抱き寄せられる。
穏やかなぬくもりが、伝わってきて。
彼の瞳は、もう刃鋼の色ではなくなっていた。
「咎人は俺だけでよい。鳥は籠の中で、安寧に歌え」
「いいえ、いいえ。私は既に言葉を弄しました。さえずり、その歌で人々を惑わせました。ならば」
「ならば……せめてともに背負わせてくれ。ラーベ、お前の小さな肩に、この重い罪を押しつけることが、俺には我慢ならないのだ」
「……はい」
私は彼の胸に、自分の体重を預けた。
こんなこと、初めてだ。
誰かと罪を分かち合うことも、それに心が揺さぶられることも。
閣下が、犯罪王を真っ直ぐに見据えながら、宣言する。
「このものはクレエアの末裔という名ではない。俺の伴侶、俺の妻、ラーベだ。彼女へ枷を与えた貴様には、きっと報いが訪れる」
「ほう、それはどんなものかな、辺境伯」
「天下万民のため、全てを差し出すことだ。犯罪王よ、その日まで、悔い改めながら待つがよい。俺は必ず、無名都市を平定してみせよう」
「……確とこの魂に刻もう。煙龍と同じく、語り継ぐと約束しよう。もっともそれは、儂の次の世代が成し遂げる事業かもしれないがね」
微笑み、暗に自らの寿命が尽きようとしていることを伝えて。
そして犯罪王との謁見は幕を閉じた。
§§
翌日、私たちは無名都市を発つことになる。
だというのに、なぜかエドガーさまはなかなか姿を現さず、カレンと二人首をかしげていた。
しばらく経って、やっと現れた彼は、突然私の前で跪いて。
「小鳥よ、お前は気に入らぬかもしれぬが……どうか受け取ってくれ」
小さな箱をこちらへと差し出してきた。
ゆっくりと開かれる上蓋。
収められていたのは、彼の瞳と同じ色をした蛍石が輝く、繊細な装飾の指輪で。
無数の魔術文字が刻まれ、魔導陣を形成するそれ。
彼は語る、これはお守りであると。
「防御術式を十重に二十重に織り込んだ。本来この都市には、これを作るために訪れたのだ。ラーベ、どうか飾って欲しい、お前の指に、我が祈りを」
祈り?
「これがあるところ、きっと俺は駆け付けよう。この指輪を身につける限り、お前の声は、必ず俺に届く。俺は万難を排すると誓った。ゆえに祈り、我が妻を守ることこそ我が決意」
それは、なんというか、まったく。
「大げさで、過保護です」
私は苦笑しながら。
左手を、そっと彼へと差し出した。
「はめてくださいますか、エドガーさま。私の……共犯者さま?」
「……歓喜とともに。俺の共犯者よ」
たったひとつ。
私の左手の薬指に、虹色の輝きを灯して。
こうして今度こそ、無名都市で起きた事件は幕を閉じたのだった――




