第六話 煙龍の逸話
「一番得をするのはシャオリィちゃんなんかじゃないの。どう考えたって、あたしでしょ……」
この短期間で、ひとはここまでやつれ果てるのか。
そんな驚きが先につくほど、タルバさんは弱り切っていた。
男女問わず虜にする美貌はなりを潜め、露出の多い普段着も、いまは喪服染みた黒い装束に取って代わられている。
彼女の主張は、飲み込める点も多い。
ゴドーさんが亡くなり、その殺害の嫌疑が向く相手は、当然次の犯罪王候補であるシャオリィさんだ。
そんな簡単な図式の解らない人間はいない。
であるなら、これを逆に利用しようとするものもいる。
つまり、第四席――
「おこぼれに与れるのは、あたしって訳」
自嘲する彼女だが、現実はそうなっていない。
関係者は一様にシャオリィさんを追い落とすか、祟りの実在に怯えているだけなのだ。
理性的に見えるタルバさんですら、司祭の行方について考えを巡らせている様子はない。
……いや、最初に祟りだと言い始めたのは彼女だ。
その意図は、いったい何だ?
ひょっとして彼女は、前回の事件と同じだと考えているのか?
だとしたら……。
確かめるべく、私は言葉を選ぶ。
「今回の一件について、なにか気になるところはありますか」
「あなたって、意地悪で不吉……解ってて言ってるでしょ? あたしが龍血杯を壊さなければ、こんな事件起きなかった」
「タルバさん、それは本心ではありませんね? あなたは本気で、煙龍ディブロムジカが実在すると思っているのですか」
私の問いかけを受けて。
彼女は、口元をいびつに歪めた。
自嘲ではない。
嘲笑でもない。
笑うしかなくて、笑えるような事態ではなくて、なにもかもに失敗して出来上がったひび割れたような表情だった。
「うちには当然、煙龍の逸話が残ってるわ。ヴァーン家の祖先がこの地に辿り着いて、そこで出逢ったドラゴンに雨乞いを願う」
そうして未来永劫語り継ぐことを条件に、自らの血と杯を与え、雲のように消え去った。
「ひとは多くのことを忘れる生き物。だからね、あたしたちは犯罪王の後継者に選ばれたとき……ええ、ずっと幼い時よ、タトゥーを入れるの」
龍を模した入れ墨。
逸話を再現した紋様。
「丁度この辺りかしら」
タルバさんは上着を脱ぎ、背中をこちらへと露出した。
カレンが閣下を外へ突き出そうとするが、どうでもいい。
そこに記されていた図案は、人を咥え空へと飛び上がる龍、塔から放たれる光と、逃げ惑う人々。そして、血の滴。
この地を訪れた日に、宴の席で見た絨毯の図案と同じで。
「どうしようもない悪事に手を染めたら、煙龍がやってきて空の果てに連れ去ってしまう……こんなの、御伽噺に決まってるのに……」
いまは、最悪の事態を避けるために、それに縋り付くことしか出来ないのだと。
兄貴分を殺されながら、犯人が雲隠れする助力をしてしまう自分が許せないと。
彼女は、血の涙を流すほど悔しがって、告白してくれた。
そう、タルバさんの思惑とは、これまでの状況を全て読み切ってのもの。
本来ならば弟分であるシャオリィさんへと向くはずだった嫌疑の矛先を、自らが祟りだと指摘することで逸らしたのだ。
だが、結果として発生したのは、第三席を担ぎ上げるか追及するかという対立構造であり、それは彼女の本意ではなく。
「解決手段はあるわ……財力を使うか、それで殺し屋でも雇って粛正すればいい。あたしにはそれが実行可能な立場がある。けど……」
顔を覆って、力なくぐったりとする彼女。
これ以上血を流したくないと、タルバさんは呻き。
ゆえに私は、目の前でゆっくりと両手を合わせる。
一種のルーティン、思考を最高速度まで高めるためのおまじない。
状況を整理しよう。
被害者はゴドー・ヴァーン。
魔術でも到達困難な高所で、窒息死していた。
事件当時、現場は密室状態にあり、ゴドーさんともう一名、〝結社〟の司祭がいた。
現場である祭壇に隠し扉の類いはなく、人がギリギリ通れるが登攀も降下も困難な通気口が一つ。
現在の容疑者はシャオリィ・ヴァーン。
順当に言えば、次の犯罪王になる人物。
そして、煙龍の伝説――
「……もうひとつだけ、伺ってもよろしいですか?」
ルーティーンを解き、打ちひしがれたままのタルバさんへと訊ねる。
追い打ちのような言葉を投げかけることは、はっきり言って人道に悖るのだろう。
それでも、彼女の苦悩を断ち切るためには。
なによりも謎を解き明かすためには、ある事実を確かめる必要があった。
「〝結社の司祭〟は、どのような人物でしたか?」
のろのろと顔を上げ。
彼女は、こう語った。
「全身を豪奢な祭服で覆っていて、肌の露出がない小柄な人物だったわ。それは徹底していて、顔もすっぽりと隠れるような覆面で……」
「ありがとうございます」
私は、タルバさんへと向かって告げる。
関係者を動かしうる権力者、煙龍会の第四席に。
「皆さんを集めてください。この事件――すべて明瞭となりました」




