第一話 名探偵令嬢、無名都市へ行く
肌を焼く陽光、乾ききった大気、一面の熱砂と、その果てを彩る蜃気楼。
ここは無名都市。
砂漠の中に忽然と姿を現す、迷宮への入り口。
別名を、犯罪温床都市と言った――
「なんて謳い文句には、さすがにたじろいでいたのですが」
実際に訪れてみると、無名都市は活気に満ちた砂上の町だった。
行き交う人々は雑種多様。
地下のダンジョンを目当てにしてきた冒険者、彼らを相手にする露天商や宿屋の客引き、強い日差しを避けるために全身を白い布で覆った現地の人々、本当に様々だ。
無名都市は物流の中継点でもあり、ゆえに珍しいものがいくつもあった。
樹上から落ちる頃にはドライフルーツになっている、という触れ込みの珍しい果実、デーツ。
暑気払いを兼ねたスパイスたっぷりのお茶や、ハーブたっぷりのお酒。
食べ物に限らず、骨董品と思わしき魔導具、大量の書物、馬や駱駝。
そしてなにより、貴金属の加工品が多く販売されていた。
無名都市は、ドワーフが造った巨大地下迷宮の上に建っているらしい。
その関係から、いまだに金細工士や宝石商が多く在籍しており、辺境伯領だけでなく、大陸でも有数のアクセサリーや魔導具の見本市として機能している。
だからという訳でもないのだろうが、同伴者である閣下が、先ほどから酷く熱心に指輪のサンプルを御覧になっていた。
「お買い求めになるのですか?」
「否だ。既製品に興味は無い。小鳥、左手の薬指を出せ」
「はい?」
言われるがままに手を出すと、装身具屋さんは慣れた様子で私の指に測定帯を巻き、次に閣下の指にも同じことをした。
あれ? これは、ひょっとして、オーダーメイドで何かを作らせている……?
「好きな色、金属、宝石はあるか」
「とくに宝飾品に興味はありませんが……ですが、色ならば」
まっすぐに、私は目前の彼を見詰める。
くるくると万華鏡のように色合いを変える、美しい虹の瞳を。
「閣下のお目々が、一番綺麗だと思います」
「……黒鳥め」
「なぜに!?」
急に懐かしい渾名が出てきてアワアワしてしまう。
おかしい、最近は悪癖をできるだけ押さえ込んでいたはずなのに。
そんな私の様子がおかしかったのか、閣下は喉の奥だけで笑い、店主へと注文を付けた。
値段の交渉に入ろうとしたところで、
「買い物か、レディー・ラーベ? だったらオレが、値引きさせてやろうか、運命の再会を祝してな」
聞き覚えのある、とても胡散臭い声が飛び込んできた。
閣下が、ため息を吐きながらそちらを向く。
「呼びつけたのは貴様だ、ならば運命ではなく作為だろう。そして俺も、小鳥も、貴様に借りを作るつもりはない」
「釣れないな、辺境伯殿は」
カラカラと笑ったのは、龍の入れ墨の男性。
民族衣装に身を包んだ、糸のように細い目の彼、シャオリィ・ヴァーンは。
気取った様子で礼を取ると、こう告げる。
「ようこそ、犯罪王の庭へ。宴席の会場は、こっちだぞ?」
§§
砂漠の建築様式といえば、いつでも解体と移動が可能なテントを想像するが、こと無名都市に限っては事情が違う。
間違いなくこの街は寄り合い所帯――様々な理由で国を追われた人間が集まっている場所――ではあるが、本質的に古代ドワーフ迷宮の上に根ざしているからだ。
地盤がしっかりしており、迷宮からの富で潤っているため、移動の必要がなく定住者が多い。
だから、案内された宴席も、見事な石造建築物の中で催された。
巨岩を切り出して作られた一枚壁。
格子模様になるよう敷き詰められた床材。
窓には透けるように薄い紗幕が幾重にも張り巡らされ、床の上には意匠が見事な絨毯が敷き詰められている。
これは、空へと向かって跳ぶ龍と雲、それから巨大な塔だろうか……?
そんな模様の絨毯の上には、皿に盛られた高級料理がいくつも並んでおり。
これを囲むようにして、六名の人物が席に着いていた。
このうちの二人は、下座へと通された私とエドガーさま。
残りはといえば――
「よくぞおいでになった、御客人。我ら砂塵の民、古の盟約に則り貴公らを歓迎しよう」
しわがれた声の中に通る、一本の芯。
上座に腰掛けた小柄な老人は、威厳たっぷりに言い放つ。
この老爺こそ犯罪王。
辺境伯領が犯罪温床都市と呼ばれるようになった由縁にして、それ以上をさせなかった傑物。
国内の悪事を取り仕切り、あらゆる犯罪者を庇護し、同時に掟を破ったもの全てを処断する犯罪互助組織――煙龍会の頭目。
ゾッド・ヴァーン、その人だった。
さて、ゾッド翁の右隣には、シャオリィさんの姿がある。
左隣には、筋肉も脂肪も多い禿頭の男性。
その横に、やけに露出の多い服を着た蠱惑的な女性。
座に着いているのは、この六名だ。
「長、客人に我らが紹介をしても?」
「ああ、シャオリィ。罪深く愛しい我が養子よ。今宵はおぬしが幹事であったか。ならば存分に取り仕切るがいい。煙龍の加護は汝に満ちる」
「では」
シャオリィさんが老人へ伺いを立て。
承認を得てから、自己紹介をはじめる。
「皆、既に知っていると思うが、オレはシャオリィ・ヴァーン。煙龍会の第三席で、おもに事務方を請け負っている。お客人を呼び立てた理由は、とある謎と問題の解決に力を貸してもらうためだ」
同じタイミングで、私と閣下は反応してしまう。
謎と問題とは、まったく餌を垂らすのが上手い。
これに気を良くしたのだろう、糸目の彼は、陽気な調子で残りの二名を指し示した。
「こちらの巨漢が、煙龍会第二席、事実上の取締役であり、オレの兄貴分でもあるゴドー・ヴァーン。長の直系血族だ」
「……ふん。出来損ないの養子如きが招いた腑抜けに、なにができるものかよ。まあ、女の方は、後で味を見てやってもいいがな。がはははは!」
大笑いをしながら、ぺちゃぺちゃと料理を貪るゴドーさん。
おっと……どうやら歓迎されていないらしい。
「ゴドー兄貴の女好きと男嫌いは今に始まったことじゃない、スルーしてくれ。それで、こっちが第四席、タルバ・ヴァーン。主な仕事は犯罪銀行の頭取――金銭管理だ。ヴァーン姓だが、オレと同じ養子だ」
「しっつれいなご紹介どーも。あたしはタルバ。金銭だけでなくて、備品や人員の手配もしているわ。そうね……辺境伯さまとは、ぜひ仲良くさせていただきたいわ」
真っ赤な舌で、ペロリとした唇を舐め、閣下へ色目を向けるタルバさん。
「小鳥」
「なんですか」
「…………」
なにか弁解めいた眼差しをするエドガーさま。
えっと……一旦無視で。
「あー、こちらの厳めしい旦那がエドガー・ハイネマン辺境伯殿。その横が、オレたちにとっては恐怖すら感じる黒衣の纏い手、レディー・ラーベだ」
頭を下げるつもりもない閣下と、どうぞよしなにと貴族礼典に則って挨拶をする私。
自己紹介が終わると、全員の前に杯が運ばれてきた。
「では、祈りを」
長ある犯罪王さまの声に合わせて、煙龍会の幹部さんたちが杯を掲げる。
戸惑っていると、エドガーさまも杯を目線まで持ち上げられたので、私も同じようにした。
「これはオアシスの一滴、枯れ果てた砂漠に注がれる、龍と人の盟約の血である」
立ち上がった老爺が、全員の杯に小さな瓶から水を注ぐ。
すると、不可思議なことが起きた。
透明だったアルコールが、突如、煙ったように白濁したのだ。
「この地を守るもの、煙龍ディブロムジカの加護があらんことを。乾杯」
唱えられる祈りの言葉。
一同が――私もそれに倣い――杯を飲み干す。
ブワリと口腔に広がる、むせかえるようなアルコール臭。
喉を滑り落ちて、食道と胃の腑を焼く酒精。
そして甘い痛みにも似た、清涼な香気が鼻腔から抜ける。
本来は透明だが、加水することで白濁する。
この地方で〝龍の煙〟と呼ばれる蒸留酒に違いない。
低品質なものは濁りが弱く、穏やかな酒であるとされているが、酒精が強く、乳のように真っ白になるこれは、最高級の逸品だろう。
その後はただただ宴会だった。
料理はひっきりなしに持ち込まれ、酒杯は幾度も重ねられた。
最上級のもてなし。
では、その見返りに彼らは私たちへ何を求めるのか。
クレエア家の人間として、煙龍会のことは耳にしている。
〝結社〟とは異なるベクトルで大陸の犯罪者たちを統制下に置く組織。
最も古い、犯罪者の互助集団。
その始まりは、辺境が開拓される以前、流刑に処された一族が、たまさか古代ドワーフの遺跡に辿り着き、定住。
ここに大陸のあちこちから犯罪者たちが雪崩れ込み、やがて町を作っていったらしい。
始まりの一族の血を未だに引くものこそが、ゾッド・ヴァーン。
シャオリィさんの養父。
本来なら敵対関係にも近い私たちを彼らが呼び寄せた動機は……いや、これについては決まっている。
大陸騒乱を決着させるために閣下が持ち出した文言、犯罪温床都市の名を払拭するという声明への反応。
即ち。
「一週間後、煙龍会の第一席を継承する祭祀が行われるんだ。選定方法は、第一席から第四席までの投票による。ただ、困ったことにこの儀式で使う魔導具が盗まれていてな。ここまで言えば、察しのいいレディーはもう解るんじゃないか?」
糸目の彼が、じつに胡散臭そうに笑って。
こう、続けた。
「レディーたちには、次の犯罪王を選ぶ儀式が始まるまでに、この魔導具を見つけて欲しいのさ」




