第五話 迷宮カメのスープ事件(答え合わせ)
「わたくしが料理いたしましたのは、罪のない、いたいけなスライムでございました」
ベスさんが滔々と当時の状況を語る。
迷宮探索に連れて行かれたスライムはいくつもいた。
なかには、人間さえいれば生き延びられる種もまた存在したのだ。
大昔ならともかく、現代のダンジョンではもよおした場合の対処法が確立されている。
ひとつは原始的な、躊躇なくその場で排出すること。
次に、魔術で糞尿を焼却、或いは消滅させる方法。
そしてモンスターテイマーの間で一般的なのが、
「掃除屋スライム」
らしい。
これは、排泄物や老廃物、不要になったアイテムなどを消化してくれるスライムで、テイマー職の間では必ず一匹は欲しいとされる便利品らしい。
当然、当時のザイさんも、この掃除屋スライムを連れていた。
「あの絶望の果て、紛い物の希望たるエスケープゾーンでも、掃除屋スライムはゴミを漁って生存しておりました。当然ながら、そう言った役割のスライムを食べる、などという発想をわたくしたちは持ち得ません」
ですがと、ベスさんは付け足す。
いま健康体でいるザイさんを、愛おしげに見詰めながら。
「……ですが、飢餓に追い詰められ、起き上がることすら出来なくなった仲間を見たとき、わたくしの脳裏へ、天啓のようにある考えが降りてきたのです。そう、いまさら衛生観念がどうとか重要ではありません。空腹なのだから、食べるのです」
だから彼女は、エスケープゾーンを出た。
危険を承知で。
それでもザイさんが手塩に育てたスライムを殺す瞬間、これを見せたくなくて。
「だって、あのときわたくしの凶行を見たら、きっとザイは心に重篤なショックを負っていたに違いないのですもの」
「ベス……そこまで僕のことを考えて……」
「もちのろんです。なにせザイは、わたくしを拾って下さった恩人なのですから」
嫋やかな笑みとともに放たれた言葉を受けて、ザイさんは顔をくしゃくしゃにして。
そうして、よたよたとベスさんヘ歩み寄り、ぎゅっと抱きしめる。
「きゃっ。ザイったら、ここは人前だゾっと」
「ありがとう、ベス。ありがとう……」
「……おっと、これはひょっとして真面目なやつでした? わたくし、おセンチな話にはいささか弱く」
「愛している」
「――みゅ!?」
突然の告白に、耳まで真っ赤になるベスさん。
よかった。
何にせよ誤解は解けたらしい。
「だが、小鳥。なぜベスが事件の当事者だと解った?」
イチャイチャする冒険者二人を横目に、心底不思議だといった様子で閣下が訊ねてくる。
そうか、彼は知らないのだ。
先日起きた、トマス男爵パーティー会場盗人事件を。
「とある一件で、盗み食いをした武闘家の冒険者さんと知り合ったのですが」
「待て、異常な人脈を突然発揮するな」
「その方が、スライムテイマーの女性冒険者さんを探しておられたのです」
「……特定に至る情報ではない」
閣下の仰るとおりだ。
これ単体では、決してベスさんと結びつくことはない。
だが、かつて彼女は、スライムテイマーの男性とコンビを組んでいたと私は知っていた。
「カレンが、ベスさんへインタビューしていたからです」
「なに?」
じろりと視線を向けられたメイドが、静とお辞儀をする。
これについて語るつもりはない、ということだろう。
もっとも、すべては実家の裏を掻き私を助けるためだったので、不問ということにしておく。
さて、私の手元にはベスさんの経歴と、それらしい人物を探す武闘家さんの証言があった。
そんなとき、ザイさんが現れたのなら、これを紐付けて考えることも可能になる。
「もちろん、その時点ではありうるかな、ぐらいの感覚でした。ですがエドガーさまのお力添えで監獄と連絡を取り、ベスさんから直接お話を伺ったことで」
「すべてが明瞭になった、と?」
首肯する。
こうして離ればなれになっていた二人は再会し、いま愛を確かめ合っている。
最上の結果だ。
「もっとも、私が今回使ったのは詭弁なのですが」
「……だろうな」
ザイさんたちに聞こえないよう声のトーンを落とせば、閣下もこれに倣ってくれる。
私には、最初から疑念があった。
「閣下。人は食べたものの味を、それほど正確に記憶出来るものでしょうか?」
「お前は覚えていないのか」
正直なところ、この屋敷に嫁いでくるまでの私の味覚情報は、まったくあてにならない。
記憶領域の造りとしては、同じ刺激――この場合は味だ――を受ければ、なんらかの活性化が起こり同様の記憶を想起する、という可能性はあるだろう。
しかし、それは不確定なものだ。
生還も怪しい迷宮深層部で、極限の緊張のなかで食べたスープと、平時の安寧としたレストランで口に運んだスープが同じ味だと確信を持って言えるだろうか?
「私は否だと考えます。気圧の問題だってあります」
ダンジョン深層と平地では、当然気圧が異なる。
味覚は繊細で、すこし高い山に登るだけで味がボケて感じてしまうこともある。
であるなら、地上で食事をした時点で、ザイさんの味覚は味の再現をしても同一だと判断出来ない可能性が高かった。
それこそ、迷宮カメのスープは、本当に迷宮カメを材料にしたスープでしかなかった、というオチもあり得たのだ。
ゆえにこそ、この料理の再現はベスさんにしかできなかった。
同じ状況で食事をともにして、いまの環境で微調整を加えられる彼女のみが。
罪悪感に囚われたザイさんに納得という救済を与えられる唯一の存在だったわけである。
「だから、きっとこれでよいのでしょう」
彼らは収まるべき鞘に収まった。
私は美味しい謎が食べられた。
きっと、それでいいはずなのだ。
「……小鳥よ、己を責めるな。誰も、全てを白日の下にさらす必要など――」
閣下が、何か慰めのような言葉をかけてくださった。
その時だ。
「いやはや、じつにお見事だったよ、レディー」
乾いた音が聞こえてくる。
見遣れば、ドラゴン・タトゥーの彼――シャオリィさんが、拍手をしていて。
「素晴らしいお涙頂戴。これ以上無い大団円だったともさ」
彼は懐からハンカチを取り出すと、流れてもいない涙を拭く。
そして。
糸のように細い目を。
僅かに、開眼した。
「オレの町でも、同じようにやってくれることを期待しているよ」
「シマ、ですか?」
「ああ、気の置けない奴らが無数にいる、自由で運命的な町さ。これから、そこで争乱が起きる。これを平定する手伝いをして欲しいってのが、接触を図った本命でね。あー、もちろんレディーに一目惚れしたってのはホントだけど」
「戯言は慎め」
エドガーさまが、私の前に立つ。
そうして腰の得物を抜剣し、両眼に警戒色を灯しながら誰何をした。
「貴様、何者だ?」
「何度も名乗っただろう? オレはシャオリィ・ヴァーン。砂漠の民、無名都市の長、ゾッド・ヴァーンの養子にして」
亀裂のような笑みが、彼の口元に走る。
悍ましい言葉が。
次の瞬間、吐き出された。
「次の犯罪王になる男さ」




