第一話 名探偵令嬢、レストランで一目惚れされる
「エドガーさま、外食を致しませんか?」
「――――」
執務室を訪ね、お誘いの言葉を口にしたところ、閣下は手に持っていた万年筆を取り落とされた。
彼の瞳が困惑したようにめまぐるしく色を変え、やがて一つの結論を出力する。
「ラーベ、どの使用人を解雇すればよい?」
「違います。なにもされておりません」
なんでいきなり自分の配下を疑っているのだこの人は。
ため息を吐きつつ、持参していたチケットを取り出す。
「先日のお詫びということで、トマス男爵からレストランのお食事券を頂いたのです」
なんでも、滅多に予約が取れない有名店なのだとか。
材料にも珍品が多いらしく、じつは楽しみだったりする。
「というわけで、ダメ……でしょうか?」
「ん」
小首を傾ぎ、上目遣いに訊ねれば、閣下は目を閉じ、口元へ拳を押し当てられた。
しばしの静寂。
やがて、エドガーさまが口を開かれる。
「よい、好きにするがいい」
「ありがとうございます、とても楽しみです!」
満面の笑みで感謝を伝えれば、彼はまた「ん」と目を閉じるのだった。
というわけで、数日後。
私たちは正装して、噂のレストランへとやってきていた。
ちなみに。
冤罪をかけられていた使用人の皆様は、むしろ外食の話をすると大盛り上がりで、
「正念場ですよ奥様!」
「旦那様のような頓珍漢は押して押して押しまくるしかありません!」
「一にアピール、二にアピール、三四がなくて五に既成事実ですからね!」
と、よく解らないエールを送ってくれた。
エールか、これ?
さて、店内の内装は素晴らしいの一言。
照明は柔らかい光を放ち、テーブルクロスはどれも純白色。
インテリアも素敵極まりなく、あちこちに観葉植物などが飾られている。
店員さんたちも穏やかな接客を心がけているようで、総じて心地のよいお店という評価に落ち着く。
ニコニコ顔で席へと案内され、突き出しと食前酒を嗜む。
メニューはお任せだ。
「飯など、甘味と茶以外に興味は無いと思っていたが」
そう切り出したエドガーさまの口元が、意地悪な弧を描く。
「ここしばらくは、食にまで貪欲となったか、ラーベ」
「味わいを楽しめるようになったのか、という問いでしたら正解です閣下。ただし、体重が増えたかという話題であれば、私以外にはなされないほうがよいでしょうね」
「……許せ。日に日に肌の色艶が改善されていくお前を見ることは、俺の喜びなのだ。同時に呪いもする、それまでお前が置かれてきた境遇を。そして願う、あれを与えれば笑みを見せてくれるか、ここに連れて行けば目を輝かせてくれるかと」
「ひょっとして酔われていますか? ですが……食べる量にかんしては……確かに増えましたね……」
実際、実家にいた頃は味も量も気にしていなかった。
辺境伯邸へやってきた当初もそれは同じだったが、使用人の皆さんと仲良くなり、料理を作る場に立ち会わせてもらう中で、新たな感情が私に生じたのだ。
「そう、料理とは〝謎〟なのです」
「……なに?」
ニヤニヤとしながらお酒を楽しんでいた閣下の表情が、一気に困惑したものへと変わる。
いや、だって、事実として謎じゃないですか。
「たとえばこの、一口・お通し。エビに柑橘の皮を擦って乗せたものになります」
一口頬張れば、爽やかな果皮の香りがエビの臭みを消し、プリプリとした食感、適度な塩味と旨味が口腔に広がる。
咀嚼から嚥下まで不快感はなく、ただただ心地よい。
「このことからエビは鮮度がよいと解ります。しかし、近隣に海はありません。沿岸部から取り寄せたのでなければ……」
「なるほど、養殖か」
「はい、そういった事業者と提携していると解るわけです」
つまるところ、これが謎と解決なのだ。
「出された料理の内容、味わいから調理工程を逆算し、材料と調味料、シェフの技を導き出す。こんなにも楽しい謎が、日常に根ざしているなど私は知りませんでした。いえ、見逃していたのです」
「……お前は、どこまで行っても謎解きが主体なのだな」
「ふふ、冗談です、半分ほどは。ちゃんと美味しいと思っていただいていますよ」
「それでも半分か」
呆れたようにため息を吐くエドガーさま。
そうこうしているうちに前菜が運ばれてきた。
生ハムとチーズ、それにイチジクのサラダだ。
これにも舌鼓を打ちつつ、閣下とチーズの産地はどこだイチジクの品種はどれだという話で盛り上がる。
以前から感じていたことだが、エドガーさまの頭脳は明晰だ。
私のように謎解きだけを嗜好している物好きではないから、何もかもに答えを見出そうとはしない。
それでも言葉は機知に富み、時にユーモアで、なにより含蓄がある。
これまで、そんな話の出来る相手などおじいさまぐらいしかいなかった。
カレンは相槌しか打ってくれないし、お父様は私に無関心であったし、リーゼは……わかりやすすぎたから。
だから、うれしいし、楽しい。
佳き伴侶に恵まれた。
心から、そう思う。
そんな幸せを胸いっぱいに味わっていると、次なる料理、スープが運ばれてくる。
早速口にして、また楽しく推理をしよう。
そんな期待にわくわくしていたときのことだ。
「おや? そこに居られるのはレディー・ラーベでは? やはりそうだ、なんて運命的な! よろしければこのオレに、相席の許可を頂きたい」
じつに胡散臭い声が、飛来した。
§§
立っていたのは、砂漠の民族衣装を身に纏った糸目の男性だった。
背丈は私より幾分高く、男性としては小柄。
若草色の頭髪は肩口までのストレートで、露出した顔や腕には、龍を模した部族入れ墨が刻まれている。
「小鳥、知人か?」
エドガーさまに訊ねられるものの、まったく覚えがない。
えっと……。
「失礼ですが、どなたでしたか?」
「はっはっは。そうだな、挨拶は大事だ。初めまして、レディー・ラーベ。オレはシャオリィ・ヴァーン。男爵のパーティーで、あなたに一目惚れした男です」
「閣下」
戯言を繰り出した糸目の男性へと掴みかかろうとしたエドガーさまを、なんとか機先を制する形で止める。
閣下は、双眸に緑の炎を宿しながらこちらを向き。
「なぜだ」
と仰った。
私はゆっくりと首を振る。
「ここが食事を楽しむ場所であり、暴力を行使すべき戦場ではないからです」
「…………」
「閣下の激憤、うれしく思います。その上で、どうか度量をお見せ下さい。上に立つ者として、民を許す度量を」
「……お前に、そこまで言わせた己の不明を恥じる。許せ」
許すも何も、私のための怒りだ。
感謝こそすれど、咎めるいわれなど無い。
だからこそ、いまニヤニヤと笑っている糸目タトゥーの人物とは、しっかり向き合う必要があった。
そのぐらいの社会性、私だって持ち得ているのだから。
「重ねて失礼ですが、シャオリィさま。私は結婚をしております」
「承知の上さ。あれから色々調べたが、レディーはとても愉快だ。いまだってほら、食事の謎を解いていたのだろう? だったらオレも混ぜてほしいって、それだけなんだよ」
「貴様」
「シャオリィ・ヴァーン。オレの名前は、シャオリィ・ヴァーンだ、辺境伯の旦那さん。しっかり覚えろ」
「……っ」
閣下がたまりかねたように椅子を蹴立てた。
その時だった。
「シェフを呼んでくれ……!」
店内に響いたのは大声。
見遣れば、少し離れた席で冒険者風の男性が頭を抱えている。
すぐにやってきた料理長が、なにか料理に不備がありましたかと聞けば、冒険者風の男性は。
「これは、本当に迷宮カメのスープなのか?」
と、逆に訊ねた。
迷宮カメ。
文字通り、ダンジョンに生息するカメで、薬膳として珍重されている。
彼の手元には確かにスープ皿があり、中身が満たされていて。
「間違いなく、迷宮カメを用いたスープですが……お気に召しませんでしたか?」
「ああ、あああ……」
シェフの言葉を聞いて、彼は崩れ落ちる。
そしてボロボロと涙をこぼしながら、こんなことを口走るのだった。
「僕は――仲間を食ってしまったかもしれない……!」




