第三話 暗闇のなかで、黄金の日々を思って
瞼を開けると、そこは暗闇だった。
目隠しをされているのか、あるいは五感を魔術で奪われているのか。
「――――」
呟いてみるが、声は聞こえない。
やはり聴覚も封じられているらしい。
気を失っていた時間は……解らない。
暗闇の中で自嘲する。
まったく、解らないことだらけだ。
普段ならわくわくもしようが、この状況ではそれすら難しい。
思考に一枚膜が張られたように、何もかもが陶然としている。厳密な思考が出来ず、すぐに考えていたことがとっちらかる。
酩酊感に近い無能感は、恐怖すら私へと与えた。
思い出すのは、幼き日のこと。
カレン・デュラ。
大切な友人が現れるまで、私の生活は、この闇黒そのものだったのだから。
初めて謎を解き明かしたときの、お父様の顔が忘れられない。
怪物を見る目、異形を恐れる顔。
疎み、蔑み、私を遠ざけ、座敷牢へと閉じ込めて。
あの頃の自分には、それを憂うだけの感受性があっただろうか。
いや、無かった。
落ち込みこそすれど、謎を解かないなどということは我慢がならなかったし、それ以外はどうでもよかった。
自らさえ滅ぼす探究心。
事実として、私はあのまま暗闇の中で死ぬのだろうと思っていた。
そうだ、彼女と出会うまでは。
「カレン・デュラ。お嬢様の面倒を見るようにと仰せつかっております」
どこまでも平坦で抑揚のない言葉。
瞳には一片の光もなく、虚無だけが渦巻く。
意志と呼べるものは、彼女のどこにも存在せず。
だから、明かすべきことは一つしか無かった。
「ここで出される食事を全て食べたふりをして捨てるといいです。それから、水を浴びるように飲んでください。できるだけ汗を掻き、代謝もよくして。そうすれば、カレンさんはこの家から解放されると思います」
私の言葉を彼女がどう受け止めたのか、それはいまもわからない。
体内に残留する毒を無理矢理に排除して、洗脳から逃れる手段。これは私が実践していたから、効果があることは証明出来た。
けれど、その新人メイドが実行してくれるかは未知数だったし……そんなことをしても幸せになれるか保証する術も持たなかった。
でも。
だけど。
それからずっと、カレンは私の側にいてくれた。
この社会不適合者の世話を焼き、政略結婚先にまでついてきてくれて。
そして同類である剣術少女と出会って、姿を消した。
いま、カレンはどこでどうしているだろう?
会いたいと思う。
会って直接訊ねたいことが山とある。
けれど顔を合わせれば、私は真実を暴かずにはいられないだろう。
それが恐い、それが怖ろしい。
自分の脳髄が、己の願いとは正反対の答えを演算してしまうことが。
彼女に、正当な疑いをかけてしまうことが。
だったら、この闇黒の中で朽ちていく方が、ずっと――
「――――」
脳裏を過ったのは、オレンジ色と。
虹の瞳。
……できない。
死を選ぶことは不可能だ。
だって私は。
「生きて、謎を解きたいのですから!」
「――十分だ!」
声が聞こえた。
あのひとの、勇ましい雄叫びが。
刹那、闇黒が弾け飛ぶ。
どうやら拘束されていたわけではなく、空間系魔術で隔離されていたらしい。
視界が開け、射し込む光。
足に力が入らず、体勢を崩す。
倒れ伏しそうになった私を、支えてくれるひとがいた。
「エドガーさま?」
「――ラーベ」
「わわっ!?」
強く、強く抱きしめられる。
閣下に。
エドガーさまに。
痛いほどに、けれど気遣いに満ちた優しさで。
彼の手にはティルトーが握られており、どうやらこれであの空間を切ってくれたらしいことは解った。
しかし、抱きしめられている理由がわからない。そもそもなぜ彼がここに?
このことを素直に訊ねれば、
「……クク。お前にも解らぬことがあるか」
なんて返される。
返された上で、もっと強く抱き寄せられて。
互いの熱が、混ざり合って。
「窮鳥を助く。俺はお前を守る籠となる。そう告げたはずだ」
「――――」
ああ、と。
そこでようやく、私は腑に落ちた。
この方は、私の夫なのだと。
「エドガーさま、もう……もうだいじょうぶです。ところで、ここは?」
「我が領土の外れだ」
ようやく抱きしめるのをやめてくれた、けれど触れあうぐらいの距離にずっと立っているエドガーさまが説明してくださる。
どうやら私は辺境伯邸から何者かによって拉致され、こんな場所まで連れてこられたらしい。
どのぐらいの時間が経っているのかと訊ねれば、一日も経過していないという。
「それは、いくら何でも早すぎませんか」
「拙速を尊んだ。離れていることが惜しく、なりふり構わず追ったと言うべきか」
「そうではなく、お屋敷からの距離が離れすぎています。ましてあの場には調査団の方々もいたはずで、そこから私を連れ出すとなると……」
それではまるで、鉱山で起きたゴーレムを用いた時間差トリックのような不可能性である。
移動距離と、速度が早馬であっても難しい数値なのだ。
「そうだな、相手方が迅速すぎる。たしかに不可能事をやりおおせている」
……それは、つまり。
いや……。
「そもそも、私の居場所をどうやって突き止められたのですか?」
「二通の封書が投げ込まれた。ひとつはここへ至るルートが。そしてもうひとつは」
そっと差し出された封筒。
表面には、一言だけ『お嬢様へ』の文字。
「――あっ!」
「クク。その顔は、解ったのだな、小鳥?」
気づきを得て声を上げる私に。
エドガーさまが、微笑みを向ける。
私は、元気を一杯に取り戻して、頷いた。
「はい、じつに。じつに明瞭なことです、閣下」
難攻不落の要塞から私を外へ連れ出す方法など一つしか無い。
同時に、この封書を届けたものが私の想像通りなのだとすれば、結論は論理ではなく心理によって説明される。
「ラーベ」
閣下が、気遣いに満ちた声音で言ってくださった。
「この難題を解き明かせるのはお前だけだ。やってくれるか?」
「――もちろんです」
もはや躊躇いはどこにもない。
この醜悪な化かし合いに終止符を打つ。
そのためにも。
「まいりましょう、エドガーさま」
「どこへだ」
「決まっています――実家へ、挨拶に!」
「それは……ああ、実に面白そうだ」
私と閣下の口元が。
相似形の、弧を描いた。
さあ、謎解きの時間だ。




