第八話 剣聖殺人事件
剣聖ノイジー・ミュンヒハウゼンについて、私が知っていることは少ない。
けれど伝え聞いた限り、古今無双の魔剣士であったことは確かだろう。
剣を抜くことなく、相手を切り伏せ。
ひとたび刃を抜き放てば、天が割れ雲が裂ける。
あらゆるモンスターや武人と戦い勝利を収め、その生涯において引き分けたのはエドガーさまとの神前試合のみ。
生態系の頂点に座す〝ドラゴン〟と一戦交え、首を持ち帰ったことにより剣聖の名を賜ったのは、僅か十代の頃だったという。
そんな大人物が死んだ。
王宮への伝令は、すぐさま行われた。
やはり隠し通せるようなことではなかった。
彼はパロミデス王が厚遇した男なのだから。
一応、牛歩戦術を仕掛けてはみたものの、上手くいったところで数時間後には門弟の方々や、事態隠蔽のプロが大挙するだろう。
自殺であれ、他殺であれ、彼の死というのは国と、尋常逸才流道場にとって、不名誉であることには間違いないのだから。
だが、ここで由々しき問題が持ち上がる。
ノイジー閣下を殺した容疑者として、エドガーさまが浮上することだ。
重篤な怪我を負っている彼だが、それはノイジーさまを襲って手傷を負ったとも解釈される余地があった。
腹部の怪我は雑踏の中で起きた。
だから目撃者は必ずいるだろうが……それをもみ消すことぐらい貴族社会では容易い。
つまるところ、私に残された時間はあとわずか。
関係者が到着するよりも早く、伴侶の無罪を証明するしかない。
「……よし」
小さく息を吐き出して、顔の前で両手を束ねる。
一種のルーティン。
これによって私は、推理へとより深く没頭できる。
――考えられる可能性は三つだ。
自殺か、他殺か、事故死。
事故死は……ほぼ考慮しなくてもよいだろう。
剣術無双とまで呼ばれた人物が、不慮の事故で命を散らすとは考えがたいし、どういった状況なら自然に剣が喉に刺さるというのか。
仮に事故であったとしても、王宮はこれを納得すまい。
よって、検討すべきは他殺か自殺かに絞り込める。
動機面から考えよう。
ノイジーさんは、立場上絶頂期にあったと言っていい。
秘密裏の案件とはいえ王族の警護を任され、根本的な解決を委ねられるほど彼は信頼され大成していた。
事実として襲撃者の闇討ちは全て失敗しており、これには剣聖閣下の門弟が寄与している。
逆説、王族を襲撃していた人物が彼か彼の関係者であったならば……と考えることは出来なくはない。
自作自演で名声を高め、その絶頂において死ぬ。
誰だって地を這いずって死ぬより、空へと舞い上がって旅立ちたいだろう。
もしも自殺だとするなら、この辺りがモチベーションか。
いや、もっと人間くさい理由かもしれない。
老境に入り、肉体の衰えを感じ、最強者として己が許せなくなったとか。
何の気なしに希死念慮が訪れ命を絶ったとか。
彼も人間であった以上、理由など無数にあげつらうことが出来てしまう……はずだ。
恩人であるノイジーさまにありもしないような諦観を押しつけるのは気が引けるが、考慮だけは必要になる。
ただそうなったとき、どうして自らの喉を突くため鉄扉切りを用いたかがあまりに不明瞭だ。
翻って、他殺ならばどうか。
部屋の鍵は開いていた。侵入自体は誰にでも可能。
問題は、無敵の剣聖へどうすれば近づき、殺せるかという点。
眼鏡が外されていたこと、ベッドに横になっていることから、休まれていた可能性は大きい。
寝ている隙を突くことが出来れば、一刀を繰り出せる……だろうか?
解らない。
武術の才がない私には判断がつかない。
しかし、喉から入った刃は延髄を完全に貫通している。
これを人間がやり遂げたのなら、満身の力が必要だ。
例えば、この部屋の天井は高い。
そこに潜んでおいて、飛び降りる。
落下のエネルギーを利用して首へ剣を突き立てれば――無理か。
ほとんど視力がなくとも気配だけで相手を判断出来るような御仁が、それだけの大立ち回りがあって目を覚まさないわけがない。
就寝中は無防備だと仮定しても、部屋に入った時点で犯人の所在はバレる。
……この状況で殺害に至れるのは、彼と面識があり油断を誘える人物。
そう、エドガーさまということになってしまう。
拙い。
状況証拠の全てがエドガーさまを犯人だと示している。
何なら物的証拠としての鉄扉切りまで完備されている有様だ。
まるで誰かが図面を引いて、ハイネマン辺境伯家を陥れようとしているかのよう。
そんなことが、誰なら可能か……。
違う、違う。
これでは陰謀論だ。
〝結社〟や政敵のことを考えてもいまは仕方が無い。
……思考がとっちらかりすぎている。
冷静になったつもりでも、まだ動揺しているのか。
落ち着け、整理するのだ。
解き明かすべき謎は、やはり三つ。
これは自殺か、他殺か?
他殺であれば犯人は誰か?
どのようにして古今無双、殺気を見せれば迎撃してくる剣聖を殺し仰せたか?
考えろ、考えろ、考えろ。
私の全てを費やしてでも答えを導きだせ。
あのかたを助けるために――
「小鳥」
直前までの思考が霧散する。
声が聞こえた方へ慌てて顔を向ければ、そこにはエドガーさまの姿があって。
「エドガーさま! お身体が!」
「……無用だ」
「ですがっ」
血液を失いやつれた頬。
明らかに力の入っていない様子の手足。
けれど、彼の瞳だけは、煌々と赤く燃えていて。
「状況は把握した。しかして、次はお前が知るべき番だ」
駆け付け、彼の身体を貧弱なりに支えようとする私へ。
閣下はこう仰った。
「いまメイドが戻り、聞いた。再び王族が襲撃されたのだと」
剣聖さまが亡くなられた、このタイミングで?
一体、どなたが?
「狙われたのは第三王子、お前の妹と逢い引きの最中だった」
「――――」
「ラーベ、存分に叡智の利剣を奮え。その脳髄をもって、答えを演算せしめよ」
彼が。
夫が。
真っ直ぐな信頼を持って、訊ねられる。
「俺の好敵手を殺した愚か者は、誰だ?」
私は。
明瞭に答える。
「それは、王族襲撃犯と同一人物です」




