第三話 容疑者は、こそ泥とモンスターテイマー、そして魔導具屋の店主
辿り着いた場所は、城下町のほど中にある平屋だった。
内部へ踏み入ってすぐ、私は違和感を抱く。
「窓がない?」
簡素な造りをした木製の家屋。
しかしそこには出入り口とする扉が一つだけ。
窓も、勝手口も存在しない。
安普請な造りであるから所々隙間は空いているが、人が通れるほどではないし、一見して剥がされたり壊されたような痕跡は見受けられない。
インテリアと呼べるものも、机と椅子、暖房器具、そして戸棚ぐらいのもの。
そして床には空っぽになった酒瓶とゴミがいくつも転がっている。
とりあえず、現場を不用意に荒らさないよう、手袋をはめる。
カレンが用意してくれた黒いフリルたくさんの手袋だ。地味にお気に入りである。
「遺体が発見されたとき、鍵は閉まっていたという」
閣下が出入り口を指差す。
そこにあったのは魔導鍵ではなく普通のシリンダー錠。
専門職の人間であれば解錠出来るだろうが……しかし、ある意味でこの場は密室であった、と言えなくもない。
……む?
なにか、扉の下に金属の削りかすのようなものが落ちている。
それに……立て付けが歪んでいる?
「閣下」
「敵対勢力の襲撃を想定してだろう。この家屋は見た目よりも頑丈に、魔術で強化されている」
であるにも関わらず、ほころびが出ているということは。
何か、理由があるのだろうか。
……現時点では解らない。別の部分を観察しよう。
「ご遺体は……この布の下ですか?」
机の横、不自然に盛り上がった亜麻布を示せば、閣下は頷かれた。
早速中を検める。
敬虔な翼十字教徒ならば祈りの所作でもするのだろうが、生憎縁がない。
めくった布の下、現れたのは閣下と対極の面相だった。
人よりも、蛞蝓やゴブリンに近い顔立ちが、土気色に染まっている。
ぎょろりと見開かれた瞳に光はなく、表情は苦悶とも怒りともつかないもので、口の端に泡。
鼻先を近づければ、強いアルコールの臭いがした。
ふむふむ。
「閣下、このかたは随分と日焼けしているように思いますが、冒険者とは皆そうなのでしょうか」
「一概には言えんな。だがその男、ゲーザンに限っていえば、ひと月ほど前まで東方の砂漠に出向いていたという。なにをしていたかは調査中だ」
「なるほど。死亡推定時刻は?」
「昼以降、日が暮れた頃には確実に死んでいた」
誰かの証言によって確定したものだろうかと尋ねれば、今しがた鑑定で判明したことだと返ってくる。
そういえば、馬車を降りたとき閣下の肩に鳩が止まられていた。
伝書か通信魔術の媒介だったのだろう。
推測に推測を重ねていると、入り口がノックされる。
見遣れば、衛兵の制服を着込んだ男性が、閣下に向かって最敬礼を取っていた。
「閣下、容疑者を連れてまいりました。……失敬、そちらのご令嬢は、もしや」
「我が妻だ。だが好奇心は時にお前を殺す。探りなど入れず、宝物を扱うように振る舞うがいい」
「承知致しました」
気持ちのいい笑顔を浮かべ、胸を叩いてみせる衛兵さん。
閣下との関係性など気になるところもあったが、いまは目前の謎を優先。
衛兵さんが連れてきた、三名の人物を見遣る。
一人は中肉中背で、影の薄い男性。
魔術を使っている様子はないのに、視線を外せばどんな外見だったか思い出せなくなってしまうほど、その印象は薄い。
一人は肉感的な体付きをした女性。
冒険者の証しと白い砂状の物が入った小瓶が首から提げられており、豊満な谷間へと半ば飲み込まれている。
一人は小太りで髭面の老爺。
最も特異な外見をしており、両目を双眼鏡のような感覚拡張魔導具で覆っていた。
このなかから中肉中背の男性を、衛兵さんが乱暴にこちらへと突き出す。
彼が口元を皮肉げに歪めた。
「おっと、こいつはご無体な。あっしみたいなのを丁重に扱えとは言いやせんがね」
「解っているなら口を慎め、盗人風情が。閣下、遺体の第一発見者はこいつです。この家へ盗みに入ろうとしたこそ泥でして」
「へっへ……天下に名声の轟く辺境伯様とお近づきになれるとは思いやせんで。ええ、ええ、あっしはちんけな小悪党でございやす」
悪びれた様子もなく、こそ泥さんは卑屈な笑みを浮かべる。
閣下は彼を一瞥し、何事かを思案するように目を閉じ。
それから私の肩を叩いた。
「任せる」
有り難い。
早速証言を確認しよう。
「あなたがこの平屋を訪ねたとき、被害者は既に亡くなられていた。間違いないですか?」
「こいつは別嬪さんだ。それでいて剣呑……おっと、生きていたか死んでいたか、でしたか? そりゃあ完全に死んでいやしたよ」
こちらの意図を探るように目を細めた彼は、けれど存外素直に語ってくれた。
協力的なのは助かる。
どんどん質問しよう。
「その時の部屋と被害者の様子を伺っても?」
「と、いわれやしてもね……いまとなにも変わっちゃいやせんよ。もっとも、あっしが入り口の鍵をチョチョイとやりやしたから、そこだけは違うでしょうがねぇ」
「鍵は確実にかかっていましたか?」
「へっへ、天地神明、辺境伯様に誓って施錠されていやしたよ。ただ、少しばかりこの形の鍵にしては勝手が違ったのを覚えておりやす」
勝手が違う、ね。
「ちなみに盗みに入ろうとした理由は?」
「へっへっへ」
こそ泥さんが笑って誤魔化そうとするのでジッと見詰める。
彼は途端に笑みを引っ込めて、冷めた目つきでこんな話をした。
「お嬢には敵いやせんね。ゲーザンといやぁ、一帯でも有名な悪党だ。以前からたんまり貯め込んでるに違いねぇと思いやしてね。それで、家の前をたまさか通りかかりやしたら人気がない。つい出来心がムクムクと」
衝動的な犯行、と。
だいたい解った。
残り二名からも話を聞こう。
衛兵さんに目線を向ければ、心得ていますとばかりに女性をこちらへ押し出してくる。
彼女は眉をハの字にして、困ったように私を見詰める。
「おややぁ、これは協力を惜しむと開放してもらえない流れでは?」
「そうですね。ご職業などをお聞きしても?」
訊ねれば、もちろんですと彼女は愛想よく頷く。
「職業はぁ、冒険者で掃除婦で、名前はベスと申します。ゲーザン様には日頃から贔屓にしていただいておりまして、本日――もう昨日ですか? お昼頃にもお仕事でこちらへまいりましたぁ」
しかし彼女は冒険者だ。
それがなぜ、掃除など?
「都市の清掃は、駆け出し冒険者定番のお仕事ですよー。加えて言えば、わたくしはモンスターテイマーでして、これを活かしたクエストをやっているわけです」
「魔獣使役者? いったいどんなモンスターを?」
「これです」
言って、彼女が胸の谷間に手を突っ込む。
そこから取りだされたものは、ぷるぷるデロリとしたうす水色の魔物。
スライムだった。
「え? 素手で触っても捕食されたり手を溶かされたりしないんですか!?」
「スライムは生まれてはじめて食べたもので性質が変わるんですぅ。毒草や毒虫を食べている子はポイズンスライムに。この子は屑ごみを食べさせてきましたので、クリーナースライムにという感じでして。ほかにも鉱山で使われるメタルスライムというのもいますよ?」
「すごいです! そのスライムで、清掃のお仕事を?」
「はい。たっぷりサービスさせていていただいておりまして、ゲーザン様には重用を戴きましてぇ」
具体的には、どのような。
「それは……挟んで、擦って、綺麗にして、という具合です」
彼女が身をよじり、身体のラインを強調。
真っ赤な舌が、唇を舐める。
「ごほん」
わざとらしい咳払いが飛んだ。
閣下が、私を睨んでいた。
どうやらさっさと調査を進めろと言うことらしい。
大事な話だったのに……。
「話を戻します。ベスさん、被害者が亡くなられた時間帯、あなたはどこでなにをしていましたか?」
「街の真反対にあるバーで、お酒を嗜んでおりました。今日の仕事は終わっていましたので、お客の方々と飲み比べなどを」
飲み比べか。つまり証言があるわけだ。
よし、じゃあ、最後の一人だ。
「おじいちゃんは、被害者とどのようなご関係で?」
「わしは魔導具屋の店主ドリン、整備士をしておりましてな、ゲーザンさんから冷暖房の調子が悪いから見てくれと頼まれまして、昼頃調整にまいりましたじゃ」
「そのとき、被害者は健在で?」
「大いに酒を飲み、大変上機嫌だったのを覚えておりますのう。祝い事があって、夜には特別な酒を開けるのだとも言っておりました」
特別な酒。
見回したところ、明らかに高級そうなボトルが一本床に転がっている。
これか。
「冷暖房の魔導具は、どのように不調でしたか?」
「この手の魔導具は効きをよくするため、認識に作用する魔術が付与されております。より涼しく、より暖かく感じるように皮膚感覚などを誇大化する魔術――いわゆる感度上昇ですな。それが強くなりすぎておりましたので、直そうとしましたが」
「直せなかった?」
「やけに術式が混線しており、解析のため日を改めることにしたのです。ゲーザンさんからは随分怒鳴られましたが……」
「ありがとうございます」
話を聞き終えた私は、両の手のひらを顔の前で合わせ、目を閉じる。
一種の反復手順。
これによって脳内のスイッチは、結論を導き出すために必要な状態へと切り替わる。
そう、情報は充分に足りたと私の直感は判断したのだ。
時系列を整理しよう。
朝、ベスさんが掃除に来る。
昼、ドリンおじいちゃんが魔導具の修理に。このときまで被害者は健在で酒盛りをしていた。
夜、こそ泥さんが鍵を開けたところ、内部で被害者が亡くなっていた。
死因は溺死。
肺臓からはアルコールが検出。
部屋の中に水と呼べるものはなく、空のアルコール瓶ばかりが転がっている。
「まさに陸上溺死事件とでもいうべき謎ですね」
「お手上げか、黒鳥の娘」
閣下が、不思議そうにその名を口にする。自分に頭を下げさせた女は、そんなものではなかっただろうとでも言いたげに。
だから私は両目を開き。
手を打ち鳴らして、告げるのだ。
「いいえ、明瞭なことです閣下。この謎、既に解けました」