第一話 名探偵令嬢、王都へ
王都へ向かうにあたって。
辺境伯邸では、なんとも奇妙な競争が起きていた。
上洛である。
如何に密命を帯びていようとも、それはお家の全力を伴って行うもの。
どんな言い訳をしようが、エドガーさまと私だけで向かうという蛮行は許されない。
そこで、移動の手配や道中の安全の保証、そして私たち新婚夫妻の身の回りの世話を焼く人員が必要であり、これを誰にするかということでもめ事が起きた。起きてしまった。
……なぜ?
「執事一同で奥方様に同行する!」
「いいえ、奥方様のことは同じ女性のほうがよく解るというもの。つまりメイド総出で向かいます!」
「メイドと執事ばかりにいい顔をさせるな!」
「シェフにも人権を!」
「庭師もいるぞ!」
などと、荒唐無稽な声が上がった末に、大げんかが始まった。
互いになりふり構わない競争を行って、一番を取ったものから同行者になると言い始めたのだ。
レースは熾烈を極めた。
何せ魔術あり、体術ありである。
最終的には重力魔術でスタート地点からゴールまで一気に駆け抜けるものまで現れたが……、
「選別は俺が行う。小鳥の世話役もだ。否やあるか?」
「……ございません」
閣下の一言で、全員が平伏することとなった。
なってしまった。
至極当然である。
そうして、カレンを含むメンバーが編成されて、私たちは出立し――
「ここが、王都ですか!」
馬車を降りた私は、おもわず感嘆の声を上げた。
長旅の疲れも消し飛ぶほど、その場所には〝謎〟が満ちていたからだ。
「パロミデス王が統治する大陸最大の都市。煌びやかなりし社交界と言葉の刃飛び交う政治劇の舞台。白亜の建造物が建ち並ぶ美の都、か」
隣に並んだエドガーさまが、流行り文句として伝わる王都の様を口にする。
事実として、建ち並ぶ町並みは全てが白い漆喰を用いられており、高い建築技術と富の存在を見せつけていた。
実家にいた頃は座敷牢から出ることなど全くなく。
嫁いだあとも基本的には自室で書類整理などを手伝っていた私からすれば、これほどの大都会へ足を踏み入れること自体が感動に値する。
けれど、そんなことはどうでもいい。
重要なのは、大陸の中枢たる王都を来訪した理由のほう。
即ち――
「この街に、王族連続闇討ち犯が潜んでいるのですね!」
§§
「お嬢様、いまからでも遅くはありません。引き返しませんか」
待ち合わせの場所へと向かっている途中で、カレンがそんなことを言い出した。
この数日で、耳にたこができるほど聞いた言葉である。
ほかの使用人や従者達が王都入りに乗り気な中、カレンだけは違っていた。
嫌な予感がする、行けば後悔するかもしれないと、まったく論理的ではない感情論で旅を取りやめさせようとした来たのだ。
無論、長年の付き合いだ。
彼女の言葉を軽んじるつもりはない。
「ですが、謎を前にして指をくわえているだけの私というのは、あなたの主としてふさわしいのでしょうか?」
「それは……解釈違いも甚だしく。カレン、諦め」
というわけで、落ち合う予定の場所である路地裏へと辿り着くと、そこには既に、二つの影が待っていた。
ひとりはメガネをかけた老境の剣聖、ノイジー・ミュンヒハウゼン。
そして、もうひとりは――
「っ」
その姿を正確に捉えるよりも速く、〝彼女〟が地を蹴った。
剣士が接近する。
常軌を逸した踏み込みの速度、私は反応出来ない。
抜剣、首筋へと伸びる致命の刃。
それを――
「うちのお嬢様になにをしてくださるのですかな? カレン、憤怒」
親友が、拳を持ってたたき落とす。
しかし女流剣士の刃は執拗にこちらへと肉薄。
カレンが拳を突き出して、手を開く。
位相がねじ曲げられるほどの、莫大な魔力の波濤が渦を巻き。
「――チッ」
剣士は、大きく背後へと飛び退いた。
なにが起きているのかは解らない。私には見極めるだけの武の才がない。
ただ解るのは。
剣士少女が、これまでにない異常な殺気を放ったこと。
すらりと天に向かって伸ばされる刃が、大上段へ構えられて。
「くっ、やはり悪い予感は的中するものでございますな!」
カレンが私を庇うために前へ出ようとした瞬間――剣士は、眼前にいた。
いつ接近された? 解らない?
理解出来たのは、刃が振り下ろされたことのみ。
切り捨てられた?
否、刃はこの身を通過していない。
だが、彼女の右手は下方にあり、煌めきが発生。
何も握られていなかったはずの剣士の腕に、透き通った刃――最前まで握っていたものと同じ形のものが顕現。
飛燕の速度で翻る刃と、頭上から迫る強い死の臭い。
迷う時間もなく視線を跳ね上げれば、意志を持ったように私へと急降下してくる剣があって。
「双方――そこまで」
落ち着き払った言葉が、二振りの剣を。
そして何かをしようとしていたらしいカレンの拳を、止めた。
いつの間にか、この場にある刃は四本に増えていた。
上方から迫る一振りをエドガーさまが、下方から跳ね上がる一閃をノイジーさまが、それぞれの剣で押しとどめ。
しかし視線は少女剣士ではなく、両目に黒々とした闇黒を渦巻かせるカレンへと注がれていた。
エドガーさまが、努めて冷静に、短く告げる。
「引け、メイド。貴様の主を守れ」
「……了解でございます、旦那様」
カレンが拳を降ろし、楚々とした仕草でお辞儀。
それでようやく、団子みたいにくっつき合っていた私たちは、大きく息を吐き出しながら離れることが出来た。
ここまで来て初めて、〝彼女〟の姿を私は視認する。
「ノイジー閣下の……お子さんですか?」
愚にもつかない言葉が口を突く。
少女の顔立ちは、厳つい老爺とは似ても似つかない。
身長だって低めだし、肉付きや背格好にも類似点はない。
けれど、彼女の真っ直ぐな瞳に宿っている熱量が、その奥で渦巻く抑えきれない〝何か〟が、剣聖閣下と同形をしているように思えてならなかったのだ。
「……っ」
納剣しようとしていた少女は、赤面して固まってしまう。
剣聖さまが声を上げて笑い、彼女の頭を乱雑に撫でる。
それでさらに、顔色は茹でた蛸のように染まって。
……おや? 両手にあったはずの剣が、一本だけになっている……?
「かっかっか。娘ならば剣など持たせなかったとも。これなるは某の弟子、セレナ。門弟の中でもずば抜けた天才だが……いまのはいけねぇぜ。ありゃあ、秘めおきし剣だ。使わねえことに意味があるって、何度も語り聞かせただろう、セレナ?」
彼が軽く叱るように言えば、少女は身を縮こめ。
「ごめんなの、マスター」
と、蚊の鳴くような声で言った。
……つい先ほど命を狙ってきた相手に覚える感情ではないのだが、まるで小動物を見ているような愛らしさがある。
「でも」
少女剣士、もとい。セレナさんが上目遣いに反論する。
「あの、ドブ川みたいな目をしたメイド、危険なの。手足の四本ぐらい、切り落とすべきなの。できれば首も、なの」
わー、過激思想。
武人の方々って、皆さんこうなのでしょうかと視線だけでエドガーさまを見遣れば、「案ずるな、俺の目が黒いうちはやらせぬ」と返ってくる。
閣下の瞳はそのとき赤色をしていたので、つまり素通しと言うことだろう。
カレンが憐れだ。
「確かに、な。殺法之一、無我。そこのオレンジ髪のメイドちゃん、どこでその呼吸を学んだ?」
厳しい眼差しになったノイジーさまがカレンへと問い掛けるが、私のメイドは「はて」と首をかしげるだけ。
しかし、恍けるつもりもないらしく、セレナさんを指し示してみせる。
「そちらの少女剣士さまへ、お尋ねになっては? もっとも、呼吸に関しましては生まれついてのものですが。カレン、自然体」
「……余計にゾクッとする話だぜ。どうだい、某と一戦、真剣をやるってのは?」
「お断りいたします。これで、お嬢様の世話で大変忙しいので。カレン、多忙」
「つれないねぇ。だが、そこがいい」
剣聖さまが苦笑をされて。
仕切り直すように、こう仰った。
「さて――よくぞ王都へまいられた。早速だがエドガー、そしてラーベちゃん、この老骨に知恵を貸してもらうぜ」
「……火急か」
エドガーさまの問いに、剣聖さまは小さく顎を引き。
私たちにだけ聞こえる声量で、秘密の暴露を行う。
即ち。
「今朝方、とうとう第一王子が襲撃を受けた。賊の数は不明、攻撃手段も不明、王宮への侵入経路は――これまた不明だ」




