第二話 転移禁止区域の殺人
夜の闇を切り裂く馬の嘶き。
ハイネマン家の家紋――交差する剣の意匠が刻まれた馬車に揺られながら、私は事件のあらましを閣下より傾聴していた。
……もちろん夜服からお出かけ用の服装に着替えてだ。
「死んだのはゲーザンという大男だ」
「閣下より大柄なのですか?」
「お前は、独特な訊ね方をする。それは必要な情報か? 俺と比べることさえも」
もちろんですと頷く。
被害者の体格などは多くの場合推理に必須だ。
時にノイズとなるが、今回はそうではないと直感が告げていた。
なにより、目前の男性を指標に出来ればイメージが容易くなる。
「……平民と比べれば上背があり、筋肉も脂肪も多い男だった。これで充分だろう」
ふむ、比べられること自体が不快な相手と?
「見透かしたような顔をする。だが……先のことがある、飲み込もう。話を続けるぞ? ゲーザンはかつて、冒険者として悪名を轟かせていたが引退。いまは暗黒街で仲介屋をやっている。やつの死体が発見されたのは四半刻前。つまりは日が落ちた頃になる。そのときやつは溺れ死んでいた。ただし……陸上、鍵のかけられた自分の部屋の中でだ」
「不可能性密室殺人!」
「なに?」
「いえ……失礼しました。どうぞ続きを」
反射的に立ち上がりそうになって、慌ててうつむく。
どんな謎であれ喜んで飛びつくのが私だ。難解であればテンションも上がる。
だが、いまの顔は閣下に見せていいものではなかった。
かりそめの間柄とはいえ伴侶たる人物なのだから、気品を維持しなくては。
本当、こんなことを侍従に知られたらお説教である……。
「クク、残虐を悦びとするか、黒鳥の家にふさわしいな」
閣下が言う黒鳥とは実家……クレエア家を揶揄したものだ。
十数代にわたって謀略を尽くし、伯爵という地位にまで登り詰めたことから、家紋である白鳥はクレエアにふさわしくない、腹黒なのだから黒鳥だと誹られているわけだ。
もっとも、いまの我が家にどれほどの企てが出来るかは疑問符がつく。
正直に言えば、あまりそういったことには、両親も妹も向いていないというのが所感だ。
なので、一応は否定しておく。
「有名無実です」
「そう謙遜するな。俺の前に実証しうる女がいる」
閣下が身を乗り出す。
彼の無骨な指先が私の髪を撫でた。
視線が出会い、試すような言葉を吐きだされる。
「鴉の濡れ羽色の髪、黒曜石の瞳、宵闇のドレス」
吐息が肌にかかる。
うわぁ、距離が近い。閣下の長い睫毛がよく見える。
これを野獣と喧伝する方々は、よほど彼を貶めたいのか……あるいは獣のしなやかさを優美だと思っているのか。いや、前者だと解るけれども。
「お前はあの家の誰にも似つかぬ。純然たる悪評、クレエアの歴史すべてを煮詰めて生まれてきたような女だ。俺は極めて高く、お前を評価している」
「父には真逆のことを言われましたが」
それよりも、被害者のことがいまは気になる。
「褒め言葉よりも謎を望むか……いいだろう。発見された後、ゲーザンは蘇生を試みられたが失敗。鑑定が可能なものに死因を探らせた結果、溺死であると結論づけられた」
「現場に水たまりでもありましたか?」
ごく浅い水たまりでも、方法によっては溺れさせることが可能だ。
あとは荒技になるが、顔に布を載せ水を――という手段もある。
いや……。
「もっと古典的な方法がありましたね。魔術を用いて、気管支内部へ水を転移させる。これでも溺死と同じ結果が得られます」
古の時代、魔術防御が今よりも脆弱だったとき、そういった手口の暗殺が流行ったらしい。……という記述を実家所蔵の本で読んだことがある。
つまりはそういう家柄と言うことだ。
とにかく、瞬間的に思いついた手口を列挙。
けれどそれらは正鵠を射ることが適わなかったらしい。
閣下が首を振る。
「ハズレだ。そこは彼奴の部屋、即ち屋内であり水気はなかった。同時に、俺の膝元である街では転移門以外での転移魔術を禁止している。法的にも、魔術的にもだ。行使は不可能だと断言出来る」
ならば出来ないのだろう。
魔術は全能の奇跡ではない。
歴然としたルールがあり、そこに誓約という縛りが課されるからこそ強い力を持つ。
辺境伯領という閣下の庭に置いて、転移不可は絶対の法則。
だから、転移魔術を用いた他殺という線は無視出来る。
もっとも、それで事故死や自殺、災害によるものだと断定できるわけでもないが。
「ですが屋内ならば、通常水差しや水瓶、お酒が置いてあったりはしませんか?」
「それは己が目で確かめるがいい。間もなく現場に着く。容疑者も待たせている。いや、褒めるべきことを褒めておこう。お前は慧眼だ。事実を掠めてみせた」
「それは、いったい?」
「やつの肺臓には、水ではなく別のものが残っていた」
つまり?
「アルコールだ。やつは酒に溺れて死んだのだ」