第六話 解決編
「なにごとだ!」
独房での騒音を聞きつけた教祖さんが、側近さんや護衛を連れて現れる。
檻の中ですっかり身支度を調えたリーゼが、満面の笑みを持って彼を迎えた。
「ようこそおいで下さいました、教祖様」
「女狐め……ようやく聖櫃の在り処を話すつもりになったか」
「なったかなってないかでいえば後者ですわね。正確には、どこにあるかの推量がついた、というべきですが」
「言え! どこにある!」
ガシャンと鉄格子へ飛びつきながら、切羽詰まった表情で教祖さんが問い詰めてくる。
しかしリーゼは笑みを絶やさない。
貴族令嬢として、人の上に立つ者として、なによりもクレエアの名を継ぐものとして。
「結論から口にすれば、この集落の外、となりますでしょうか」
「馬鹿な。聖櫃が持ち出されればすぐに解る」
「おやぁ? そう報告があったのでは?」
「なっ」
なぜ解る、なぜ知っている。
教祖さんがそう続けようとする前に。
リーゼは、たたみかけた。
この場の空気を、彼女が完全に掌握した瞬間だった。
「わたくしの推理を聞いていただきますわ。最後まで聞けば、聖櫃の在り処も、そして持ち出した犯人も、全て自明となりますので」
ニンマリと笑い、反論が来る前に彼女は言葉を紡ぐ。
「今回の聖女五等分殺人事件ですが、不可解なことがいくつもあります。その最たるものは、ご存じの通り、鉄壁の警備態勢から、どうやって犯人が逃走してみせたか」
もちろん、まだ集落の中に犯人が潜んでいるという可能性は十分にある。
けれど、リーゼは話運びだけで、聴き手達から〝もしも〟という考えを取り除く。
正常な判断をさせない。真っ当な思慮など許さない。
これは推理ではない。
詭弁――なのだから。
ゆえにこそ、彼女のやり口は、この場ではなによりも効果があった。
宗教団体を維持する立場にいるものは、常に討論の才能を望まれ、ゆえにこそ相手の主張の弱点を探すクセがついている。
よって、彼女が意図的に見せた隙。
犯人の逃走ではなく、殺人事件の方へと舌鋒が向くのだ。
「そんなもの貴様だろう! 人を惨殺しておいて、血にまみれない人間などいない。この集落で血まみれだったのはおまえだけだ」
遺体発見当時、血にまみれ、凶器と思わしきナイフを握っていたのはリーゼだけ。
これは歴然とした事実。
それでも、彼女は口先だけで追及を掻い潜る。
「あれは現場で拾ったのですわ。あと、柄にもなく死体に狼狽して転倒しまして血まみれに」
「でまかせばかりを」
「ところで、集落に聖女様と瓜二つの人間がやってきていた――という報告、わたくしがしたことを覚えておいでですか?」
……案の定、リーゼは私たちを教祖に売っていたらしい。
もっとも、それは想像の範囲内。
だが、教祖さんはといえば。
「…………」
目を丸くしていた。
忘れていたのだ。
当然だ、よく似た顔の別人がいるなどと聞かされても、普通は信じようがない。
そんなこともあるかと、聞き流してしまうだけだ。
ハイネマン家のように、よほど変装術の達人でも側に置いていない限りは。
「そう、あの場には二人の聖女様がいらっしゃったのです。あ、この場合の聖女というのは、あくまで比喩でして」
「うるさい! それで、その女は今どこへ?」
食いついた。
リーゼが会心の笑みをこぼす。
いま、獲物が逃げられないところまで、罠の奥深く立ち入ったと確信したからだ。
「その行方こそ、聖櫃の在り処に繋がります。どうですか? わたくしの推理に、耳を傾けたくなったのでは?」
幾分か悩み、側近達と顔を見合わせた教祖さんが、こくりと頷く。
「エクセレント。では、端的に参りましょう。わたくし、回りくどいのは苦手でして。聖女を殺した犯人、それは、聖女と同じ顔をした人物で間違いありません」
「なにを言って」
「ですから、聖女様を、聖女様のそっくりさんが殺したのですわ」
「なんのためにだ」
「偽装のために決まっているでしょう?」
愚か者を見るような蔑んだ視線を教祖さんたちへ向けるリーゼ。
けれどすぐに、彼女はその眼差しを隠し、朗らかに笑う。
「そっくりさんといっても、まったく同じ顔ではありません。見る人が見れば、表情や仕草などが違ったでしょう。しかし、それが物言わぬ死体なら? そして身体が五等分された、凄惨極まりないものだとしたら?」
非常に強力な、目くらましとなる。
死というショックが、真実を揺るがしてしまう。
「それが、死体を解体した理由なのか?」
ここまで来ると、教祖さんも真実が気になりだしたらしく、そんな質問を投げてくる。
だが、リーゼは首を横に振る。
「いいえ、違います」
「なにっ」
「そして、もう一点訂正すべきことがあります。死んだ人間は、聖女ではありません」
推理が、飛躍する。
詭弁が、形を得る。
「聖女こそが、自らのそっくりさんを呼び寄せ、殺したのですわ」
§§
「だから、それはいったい何のためだと聞いているんだ!」
顔を真っ赤にして怒鳴る教祖さん。
リーゼはあくまで淡々と、優雅に語る。
「無論――この施設から脱出するためでしてよ」
「まさか」
蒼白な顔色になる禿頭の教祖。
この機を悪の貴族は逃さない。
「お心当たりがありますわよね? 聖女は五体満足で集落より出られない。そういう契約魔術を用いたのでしょう? では、手足を切り落とせば外に出られるのか? そんなあやしい人物を、門兵が通過させるわけもございませんわ」
側近達が狼狽する。
この事実を知らなかったからだろう。
教祖は聖女を契約魔術で拘束していた。
その裏を掻くために聖女は殺人を行った。
なんのために?
「手足を切り落としても、一見して現場に自分の血液が残っているとバレないためですわ」
聖女は自らを解体する。
腕を、足を落とし、胴体と首だけになったイリスさん。
「そんな状態でどうやって外へ逃げるというのだ。そもそもすぐに死んでしまうだろ」
「そこは聖女様ですから、自らに回復術をかけ続けますよ。え? そんな長時間、個人の力で魔術が使えるものかって? はい、なのでここで登場するのです――聖櫃が」
「……おい、ふざけるなよ」
ふざけてなどいませんわと微笑み。
リーゼは、この詭弁の終着点を口にした。
「なぜ聖女様が五等分されたのか。それは、聖櫃の中に収まるためだったのです」
箱はちょうど一抱えほどの大きさだ。
人間がそのまま入ることは出来ない。
しかし、刻んだ人間ならばどうだろう?
「聖櫃は魔力をブーストする魔導具です。これがあれば、聖女ほどの術者なら、ミンチになっても自らの命を繋げられたでしょう。そうして箱に収まった彼女は、外へと脱出する」
もはや、教祖はどうやってとは聞かなかった。
ただ、リーゼによる言葉を、謎解きを、詭弁を。
託宣のように、待ち受けていたのだ。
「もちろん、自分自身で移動など出来ません。なので聖櫃を外へ持ち出すものが必要でした。普段聖櫃を運んでいるのは――」
彼女の視線の先にいたのは、側近二人。
彼らは互いに、自分は違う、おまえがやったのかと罪をなすりつけあう。
混乱するこの場を納めるように、妹が言葉を紡ぐ。
「ええ、おふたがたのどちらもでありませんわ。もちろんわたくしでもありません。考えてください。容疑者は、もうひとりいるはずです。そう、聖女のそっくりさんと一緒にやってきた、聖女の仲間です。これも報告しておりましたよね、二人ほど見知らぬ人間が集落にいると」
「――――」
「あとは単純です。真っ正面から門を抜ければいい。聖櫃を外へと持ち出すお仕事は、定期的に行われておりますでしょう? 門塀さんは共犯者の肉体を検めますが不審物はない」
そして、聖櫃の中身を確認するなど、有り得ない。
なぜなら本来そこには、周辺貴族や有力な紹介への根回しを兼ねた金品がつまっているのだから。
「結果。聖女は見事脱出に成功。外に出てすぐ、自らの身体を再生させます。ここまでくればもうお解りですね? 聖櫃は集落のすぐ近く――」
リーゼが、その先を語ろうとしたとき。
老爺の外が、にわかに騒がしくなった。
何事だと声を上げる教祖さん。
飛び込んできた信者さんが、こう叫ぶ。
「聖女のお付きである、リーゼ様が聖櫃を持って逃走しました!」
リーゼを見遣る教祖。
艶然と微笑む妹。
次の瞬間、教祖さんの頭の中で、情報が全て接続される。
同じ顔をした聖女と被害者。
リーゼと同じ顔の人物。
持ち出された聖櫃。
「お、追え……! 全力でそのものを捕らえよ! 聖女殺しの、犯人だぞ!」
自ら先頭に立ち、ありったけの人員を連れて集落の外へと飛び出していく教祖さんたち。
弁舌は、ここに完成した。
「……これで、構いませんかしら?」
「ええ、最善でしたよ、リーゼ」
「お姉様」
「失敬、最悪でした」
ひょっこりと顔を出した私は、リーゼに微笑みかける。
背後に気配。
姿を現したカレンが、あっという間に鉄格子の鍵を開けてしまう。
「ご苦労様、お姉様の従僕。では、この混乱に乗じて脱出いたしましょうか」
リーゼが提案するまでもなく、それが私たちのプランだった。
そのために、彼女へ狂言を頼んだのだから。
集落中の人員が聖櫃を追いかけ、手薄になった警備の穴をつき、悠々と外へ出る。
そのまま帰途につくことにした私たちは、リーゼと別れた。
去り際に彼女は、二つのことを言い残す。
ひとつは。
「……近いうちに、大陸で大きな混乱が起きますわ。きっと〝結社〟の手で。その前にわたくし、可能な限り奴らの資金やルート、リソースを削り落としておきます」
つまり、この集落への潜入も、その一環だったわけだ。
そして、二つ目。
「お姉様も、悪趣味なことをしますね。いえ、よい趣味というべきか……きちんと落とし前は、つけてくださるのでしょう?」
彼女の意味深な言葉に、私は首肯を返す。
それでは日常へと戻り、終わらせよう。
この事件の、幕引きを――




