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第四話 五等分の聖女

 神殿のフロアは、異常な熱気に包まれていた。

 人々は口々に聖女と聖櫃、教祖への祈りを捧げ、それが呪文を織りなす如く唱和されていく。


 ()かれている香も、これに拍車をかけていた。

 ツンと鼻腔を突く甘ったるい匂い。

 反射的に、アリサさんに呼吸を控えるか、口元を布で押さえるよう告げる。

 おそらくはなんらかの薬物、精神を高揚させるものだ。

 私は耐性があるからいいとして、アリサさんは感情的になってしまう可能性が高い。


 さて、フロアの先には祭壇があった。

 生贄を捧げる場所のように見えてしまったのは、祭壇の最奥に例の聖櫃が安置されていたからだろう。

 それは事実上の、神の似姿だ。

 ここにいる人々が信じるものの代理なのだ。


 箱の数は、リーゼが言ったとおり一つ。

 その前には診察台のようなものがあって。

 やがて、ひとりの人物が現れる。


「イリス……」


 アリサさんが呟いた。

 無数の感情がない交ぜになった声で。


 純白の衣装に身を包んだ彼女こそ、イリスさんなのだろう。

 そして、この教団の聖女。

 確かにアリサさんと顔立ちが似ているように思えるが、メイクや照明の関係でより神々しく映る。


 イリスさんの後を追うようにして、舞台へ肥満体の男が上がってきた。

 他のものと違い、やけに豪奢(ごうしゃ)な服を身につけているところを見ると、彼が教祖なのだろう。

 教祖が、満面の笑みで信者さんたちへと語りかける。


「よくぞいらっしゃった。このとき、この地、聖櫃の社は、皆様を歓迎いたしますぞ。さて、今日ひとつ目の聖櫃には〝健康〟の加護が込められておりますぞ。その力があれば、どんな病も、どんな傷もたちどころに癒え――」


 長い口上。

 祈りと言うよりは、サービスを受ける際の注意事項らしきものが並べ立てられる。


「では、喜捨を済ませてものから、どうぞ祭壇へあがりなされ。聖女様が、聖櫃の力にて皆様をたちどころに癒やしましょうぞ」


 説明を終えた教祖がゴーサインを出すと、屈強な男達に同伴された信者さんが、壇上へと上がる。

 どうやら優先順位があるらしく、納めた額が高いほど、早期に選ばれるらしい。


 はじめは片足のない男性だった。

 戦場で受けた名誉の負傷だが、このままでは耐えられないと彼が言えば、イリスさん――聖女が、その傷口へと手をかざす。

 同時に、反対側の手を聖櫃へと添えたとき、私は〝奇跡〟を見た。


 完全に失われたいた男性の足が、一瞬で再生したのだ。

 会場へ走るざわめき。

 男性の歓呼。


 ……魔術式を上手く確認出来なかった。魔力自体は感じるので、なにか、術式を宙に描くのではなく、もっと別の場所で展開しているような感触。

 だが、間違いなくこの現象は回復術だ。

 それも、尋常ではなく高位の。


 通常の回復術とて、傷や病を癒やすことは出来る。

 けれど、手足を完全に再生する真似は難しい。

 切断されたパーツが残っていれば、それをくっつけること自体は可能だが、それだって卓越した人体への理解が必要になるのだ。


 (ひるがえ)って、次々に怪我や病を治療していく白き聖女は、異常だった。

 術式が見えないことも含めて、これが〝奇跡〟だと人の目に映っても何ら不思議はない。


 やがて、数十人もの治療を終えたところで、教祖が声を上げる。

 彼は聖女に聖櫃から手を放すように命じ、これで集会は一端解散だと告げた。

 これに不満を表明する、選ばれなかった者たち。

 教祖は(なだ)めるように手を前へと突き出して、


「夜の部にて再びお集まりなさい。他なる加護も得られましょう。信じなさい、聖櫃の力を。この私の導きを!」

「教祖様バンザイ! 聖櫃バンザイ!」


 屈強な男達が声を張り上げた。

 彼らが何度も連呼すると、信者さんたちもそれに(なら)った。

 熱狂。

 盛り上がりはピークに達し、そして集会が終わる。


 ずっと奥歯を噛みしめている様子だったアリサさんと頷き合う。

 箱の交換へ向かったリーゼとはここで別れ、私たちは舞台の裏側へと回った。

 そうして、(たま)さか一人になっていた聖女さんを見つける。

 アリサさんが、彼女を呼び止めた。


「イリス、助けに来ましたわよ!」


 声をかけられた聖女さん。

 いや、イリスさんは。

 アリサさんとよく似た顔に色濃い疲労と。

 そして、いびつな嘲笑を浮かべて、こう告げる。


「何をいまさら……あたしはここへ売ったのは、姉さんでしょ?」



§§



「こんなところで話なんか出来ない」


 そう言って、イリスさんが連れて行ってくれたのは、神殿から離れたところにある家屋だった。

 どうやら聖女の休憩所らしく、幾つかの祭具、衣装などが見て取れる。


 アリサさんの顔色は悪い。なにかショックを受けているようだ。

 そんな姉を一瞥し、イリスさんは仮眠用のベッドへとドカリと腰を下ろし、懐から煙草を取りだしてふかしてみせた。


 ぎゅっと拳を握ったアリサさんが、意を決したように訴える。


「逃げましょう、イリス。わたしがお手伝いをしますわ」

「はっ、逃げられるわけないでしょ?」


 聖女が、嗤う。


「中に入るのは容易かったでしょうけど、ここから出て行くのは難しいのよ。なによりこっちは売られてきたとき、契約魔術を結ばされてんのよ。五体満足じゃあ、門すらくぐれないって内容のね。そう、一生あたしは籠の鳥!」


 自暴自棄で、あるいは皮肉でも口にするように、イリスさんは口元を歪めた。

 自嘲だった。


「手足がない状態で外に出て、どうやって逃げるの? どうやって生きてくの? この運命をあたしに押しつけたのは……他ならないあなたでしょ、アリサ?」


 どういうことなのかと隣の子爵令嬢に視線を向ければ、彼女は俯いてしまう。

 両目からはボロボロと涙がこぼれ落ちており、全身は(おこり)がかかったように震えている。


「あら? そっちの黒髪さんは知らなかったみたいね? だったら教えてあげる、こいつらがあたしになにをしたのかを」


 それは、ある意味でよくある話。

 そして、あってはならない話だった。


 幼い頃、極めて高い回復術士としての適正を、イリスさんは発現した。

 それこそ、あらゆる傷や病を治してしまう力だ。

 彼女たちの両親はたいそう喜び、その力を外交に用いた。

 だが、どれほど優れた術者であっても、死者を甦らせることは出来ない。


 蘇生術が間に合えば話は違うが、半時(はんとき)も過ぎてしまえば、人間の命は完全に死に絶える。

 たとえそこから動くようにしても、出来上がるのは考えず物言わぬ人形――歩く屍のみ。


 だというのに、イリスさんの一族は、回復術を安売りした。

 どこそこの貴族の跡継ぎが亡くなって、これを助けられないということが頻発し。

 その責任を全て、イリスさんへと押しつけ。

 やがて、貴族としての生活が立ちゆかなくなって。

 結果……彼女は切り捨てられたらしい。

 責任を取って自死した。

 そういう触れ込みで、家を追われたのだという。


「酷い生活をあちこちで繰り返して、最終的に売り飛ばされたのがここだったって訳。でもまあ、アリサ。あんたたちと一緒にいたときよりはマシよ。少なくともいまのあたしは、崇められる聖女様だもの」


 彼女は告げる。

 憎悪に燃えた眼差しで。


「いい? いずれあたしは成り上がる。そしてあんたたちに復讐してみせる。解ったら、さっさと帰ることね。あー、いや、出来ないか」


 彼女はニマニマと笑う。

 嘲笑侮蔑の表情で。


「ここは一度入ったら出られない施設なんだものね」



§§



 聖女イリスさんの好意で、私たちは信者さんの宿泊施設を借りることが出来た。

 問題は二人とも貴族出身なので、就寝の準備などは誰がしてくれるのだろうかと戸惑ってしまったこと。

 そうこうしていると、リーゼが顔を出す。


「お姉様、また面白そうなことをやっておいでですわね。あ、寝る場所はそちらです。自分でベッドなどは整えていただいて」


 寝具はともかく……別段火遊びをするつもりはない。

 今回、私は大人しくしている。


「それは、手を出すつもりがない、ということでして?」

「なにを言いたいのかよく解りませんが……リーゼ、私にとって大切なことは一つきり。謎を解くことだけです」

「マーベラス。それでこそお姉様。では、わたくしは重大な仕事がありますので失礼をば」


 ある程度、ここで生活するための心得を教えてくれた彼女は、去って行く。

 私はリーゼの後ろ姿に、一つだけ質問をした。


「あなたの、ここでの役割はなんですか?」


 彼女は振り向かないまま答えた。

 きっと満面の、悪の貴族としての顔で。


「聖女様を、監視することでしてよ」



§§



 早朝、目が覚めた。

 周囲を見渡すと、アリサさんの姿がない。

 どうやら夜明け前に集会が行われたようだ。


 起こしてくれてもよかったのにと思いつつ、神殿へと向かう。

 不自然なほど静まりかえったフロア。

 祭壇はどうなっているだろうかと、足を伸ばそうとしたとき。


 怒号が、聞こえた。


 声のした方、祭壇へと駆け付けると。

 教祖さんが言葉にならないことを喚き散らしており。

 そして、祭壇の上には。


 全身を五等分にされ、顔を潰された聖女イリスが散乱していた。

 問題はその横に。


「……やらかしましたわね、これ」


 血まみれのナイフを手にし、苦笑した様子のリーゼがいたことだった。

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