第四話 近づく死の足音
幸いなことに、マリアさんの意識はすぐに戻った。
それどころか、状況を理解すると、彼女は率先して事件捜査の陣頭指揮を執ろうとして、男爵から強い心配の声をかけれてしまっていた。
「自分は心配なのだ、これ以上おまえに累が及ぶことが。どうかそのまま、ベッドで横になり大人しくして欲しい」
そんな彼の懇願は。
「だまらっしゃい」
ぴしゃりとしたマリアさんの言葉で掻き消される。
「当家にとっての最重要事項、それはあなた、ジョン・トマスの生存、ですよ。であるならば、わたしはこの家を取り仕切るものとして、万難を排してあなたを守る使命があります。わかります、ね?」
ここまで気丈に言われては、男爵には打つ手がなかったらしく、こちらへ助けを請うような視線を向けてくる。
いや、困る。どちらかといえば、マリアさん格好いいなと思っている立場なので……。
とはいえ、沈黙する意味など無い。
彼女には着替えてもらい、それから状況を整理することにした。
「いったい、なにがあったのですか?」
場所を改めて訊ねれば、彼女は毅然とした様子で話し出す。
それは、魔術絡みだとしても奇妙な事柄だった。
「部屋に戻ったところ、既に服があのような状態で、誰かを呼ぼうと声を上げかけたとき、風が」
「風、ですか」
「はい、突風がわたしの身体を這い回り、服は切り裂かれ、失神を……恥ずかしい話です、ね」
異常事態に直面すれば、気の一つや二つ失っても何ら不思議ではない。
けれど、この現象は魔術によるものだろうか?
それとも、なんらかの自然現象?
もしくは、人為的な加害性のあるものなのか。
「予言だ」
不審な人物を目にしなかったかと訊ねようとしたとき、トマス男爵が、頭を抱えながら呟いた。
「全てが予言の通り進んでいる。このままでは次は自分が死ぬ番ではないか。それは拙い。極めて拙い。自分にはまだ、マリアに返すべき日頃の恩がいくつも――」
「そうです、ね。いま優先すべきはわたしではなく、夫のこと。アゼルジャン、ジョンを安全な場所へ隔離。兵を迅速に集め、周囲の警護に当たらせなさい。わかりました、ね?」
彼女の命令を受けて、控えていた執事さんがこくりと頷き退出する。
トマス家の指揮権は、やはりマリアさんにあるらしかった。
彼女は最後にこちらへと向き直り、すっと頭を垂れ。
「よろしければ、どうか一緒に、夫をお守りください。よろしくお願いします、よ」
そうお願いされては、如何に冷血無比の二つ名で知られるエドガーさまも、もちろん私も、断れないのだった。
§§
トマス男爵は、屋敷の離れへと閉じこもった。
物々しい警備が固められ、ネズミ一匹侵入出来そうにない。
では、私たちはどうしていたかといえば、残った使用人さんたちから話を聞いて回っていた。
私の発案ではない。
エドガーさまが、珍しく捜査の主導権を自ら握ってのことだ。
彼は忙しそうに行き交う使用人さんたちを呼び止めては、同じことを訊ね続けている。
「ここひと月ほど、屋敷へ頻繁に出入りしたものはいるか?」
多くの場合、答えは彼を満足させるものではなかった。
閣下はそれでもめげることなく聞き込みを続け、やがてひとりの人物へと行き当たる。
厨房の勝手口を偶然見張っていた庭師さんだ。
彼はエドガーさまの問いかけを受けると、しばらく考えた末に、ぽんと手を打った。
「ええ、おられます」
「どんな男だ」
「……よく男だと解られましたねぇ、さすがは辺境伯さまだ。一年ほど前になりましょうか。行商でやってきましてね、これがたいそう手広くやっているようで、食料から衣服まで、なんでも仕入れさせておりまして」
「背格好は解るか」
「へぇ」
庭師さんはしばし考え。
「純白の髪をした、黄金の瞳の男でした。とにかく、偉い美形で――」
「っ」
ピクリと反応した私を見て。
閣下がつまらなさそうに口元を歪める。
聞こえてきたのは鞘なりの音。
ヒッと悲鳴を上げる庭師さんと、息を呑む私。
目の前に、閣下の愛剣、その刀身があった。
「真なる剣はあらゆる問題を解決する。同時に、これは心を映す鏡。ラーベ、おまえにはなにが見えている?」
刃に映し出されているのは、黒髪の小娘。
その瞳は迷いに揺れており、鋭さも、明瞭さもなく。
「憧憬とは目を曇らせるものと知れ」
珍しいものを聞いた。
閣下の叱責の言葉。
だからこそ、私の背筋が伸びる。
そうだ、私は自立を求めたのだ。
エドガーさまの隣へ並び立ちたいと思ったのだ。
なのに、なんて体たらくを晒しているのか。
第一義を見失っていたのか?
謎を解くという自分の在り方を、感情がねじ曲げたとでも?
それで、無意識のうちに可能性を除外していたと?
「……閣下は、なぜ解られたのですか?」
唇をかみ、キュッと手を握ってから、意を決して訊ねれば。
彼は簡単に答えて見せた。
「服だ」
「……マリアさんの衣装! そうです、あれはおかしなところでした」
「クク、らしくなってきたな」
閣下が愉しそうに笑う。
だが、それどころではなかった。
マリアさんの服は、全て切り裂かれ、元から身につけていたドレスも突風でズタズタになった。
少なくともそう証言されていたのだ。
にもかかわらず、彼女はいま、衣服を身につけている。
違和感を抱けなかったことから考えれば、つまり使用人のものを身につけているわけではなく、どこからか調達したことになる。
あるいは、最初から別の場所に移されていた、とか。
「男爵夫妻について、気になることはないか?」
めまぐるしく動き出した脳髄に飛び込んできたのは、そんな問い掛け。
ただ、質問が向けられていたのは私ではない。
庭師さんが閣下から追及を受けていたのだ。
しばらくの葛藤の末、庭師さんは、こう言った。
「おふたりは本当に仲むつまじいのですが……お子様だけがいつまでも出来ず……」
「マリア夫人の出身はどこだ」
「南の方でございます。なんでも、お取り潰しにあった子爵家の出だそうで」
……マリアさんの実家が既に無い?
そして、男爵よりも上の、子爵家の出身?
「そのあたり、詳しくお聞かせ願えますか?」
「は、はぁ」
前のめりに訊ねると、庭師さんはいささか困惑したようだったが、訥々と語ってくださった。
マリア元子爵令嬢の身に起きた悲劇を。
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高名な予言の大家があった。
マリアさんの生家だ。
しかし、パロミデス王の覚えめでたかったのは、トマス男爵家。
このことで予言を司る子爵家は大荒れとなり、当主は浪費に浪費を重ねて早逝。
あとを追うように妻や子どもたちも亡くなり、使用人達も暇を出されて離散。
最後に残ったのが、マリアさんだった。
トマス男爵は、そんな彼女へ求婚した。
マリアさんはこれを突っぱねたが、男爵は諦めず何度も告白を続け、やがて二人は結ばれた。
これによって、失われるはずだった子爵家の予言は、男爵家へと伝えられ現在に至る。
だが、そこに愛はあったのだろうかと、使用人さんは語る。
ジョン・トマスは、自身が一手に予言を握るため、打算を持ってマリアさんを娶ったのではないか。
いや、そもそも子爵家が滅ぶように裏から手を回したのではないか。
噂は絶えない。
それでも使用人達は、この夫婦のため働いている。
まるで不仲を現すかのように、跡取りの出来ない夫婦を――
§§
話を聞き終えた私たちは、男爵の元へ合流しようとした。
だが、その時、事態は急変を告げる。
警報の魔術が鳴り響いたのだ。
「まさか、トマス男爵の身に危険が!?」
「――否、小鳥、これは」
エドガーさまが鋭い目つきを本邸へと向ける。
同時に、爆発。
盛大に、邸宅の一室が吹き飛ぶ。
その場所こそは――
「予言書の収められていた宝物庫だ」




