第三話 第一の予言が成就する
予言の書に曰く、『糧を作り出す場所が燃えて消える』。
これは、事実となった。
男爵家の台所で、火の気が立ったのだ。
幸いにも発見が早く、すぐに消し止められてボヤで済んだ。
ただし……火元は厨房奥深くの食料庫。
「……奇妙ですね」
いつもの手袋をはめて、現場を検めた私がそう呟けば、閣下が確かにと頷く。
「自然に火が出たとは考えにくい。ならば、人為を疑うべきだが」
「ええ、この厨房は当初、密室でした」
厨房には出入り口が二つある。
一方は屋敷の内部から続く通路。
もう一方は、勝手口で中庭に続いている扉だ。
このうち後者は施錠がされており、前者はマリアさんの采配で見張りが立てられていた。
「厳密には見張りではなく、手伝いです、ね。ボヤが起きなければ合流し、ともに料理を作っていたはず……なので」
彼女はそのように証言する。
見張り――お手伝いさんに話を聞いてみても、ネズミ一匹通らなかったとの返答。
自然発火や事故でなければ、不審火の可能性は強まる。
だが、この場において、誰かが立ち入ることは不可能だったのだ。
しいて密室の突破を可能にしそうな盲点があるとすれば、通路側からは勝手口を直接見通せないという部分だろうか。
誰かが侵入してきても、静かであればバレないのだ。
つまり、目撃証言などを集める必要性がある。
ほかには、遠隔術式、もしくは時限式の術式で火をつけるというのも、無理ではないだろうが、閣下が検分した結果その痕跡はないらしい。
「ハイネマン辺境伯夫妻様。どうぞ心ゆくまでお調べください、ね。夜は予定通り宴を開きますので、その時はいったん切り上げて欲しい、ですが」
「解りましたマリアさん。お気遣いありがとうございます」
「……ラーベ様は愛されておいでです、ね」
男爵家の女主人は、奇妙なことを口にした。
彼女は目を細め、困惑する私と、閣下を見比べる。
「大切にされていることが、一目でわかります、よ。寵愛を一身に受ける、羨ましくあります、ね」
「……失礼ですが、男爵に浮気癖でも?」
「そのほうが、幾分マシでした。ジョンは……誠実で情け深い男、ですから」
よく解らない。
解らないが、彼女が酷く悩んでいるらしい。
私はマリアさんに、理想の自立を見た。
だが、それはとんだ勘違いだったのかも知れない。
マリアさんにはマリアさんなりの悩みがあって、生きづらい世界へ抵抗していて。
せめて、話し相手にでもなれれば。
そんなことを思っていると、彼女は儚く微笑み、きびすを返した。
「準備がありますので」
たったそれだけの言葉を残して。
§§
さて、事件が起きてしまった以上。
それがどんなに難解であっても、私は解き明かさなければ気が済まない。
他に気がかりがあったとしても、謎解きこそが優先される。
というわけで、現場へと再び足を踏み入れたのだが。
「うーん、この状況で見張りを掻い潜る方法……」
たとえば、隠蔽魔術。
もしくは、転移魔術。
どちらもありそうで、しかし難しい。貴族の家は、基本的に対魔術防御がしっかりしているからだ。
とくに例の一件以降は、極めて厳重な警備がどこの家でもしかれている。
勝手口からの侵入も、鍵開けの魔術などでは難しいだろう。
「閣下は、どんな方法があると思われますか?」
ずっとついてくるエドガーさまに問い掛けてみると、彼は怪訝そうに片眉をあげた。
「黒鳥が俺に意見を求めるとは、希有なことだ」
「私だって、相談ぐらいします」
「秘密の味を独り占めすることこそ望みかと思っていたが……クク、まだまだ見知らぬ側面が多い」
楽しそうに喉の奥で笑い。
彼は両目を、試すような紫色に変える。
「これは例え話だが……厨房に続く道に忠義心の篤い従者がいたとする。菓子を焼くことに夢中で背後がおろそかな、その従者の主へと近づきたいと考えたとき、もっとも手っ取り早い方法はなにか」
数秒考える。
これはつまり、意識の陥穽をつく方法を問われているのだろうか?
だとすれば、従者の前を素通りしても怪しまれない人物へ変装する、あるいは転移魔術を使う、従者を打撃にて失神させる、そういったことが考えられる。
「違うな、極めて純粋、総じて本質的な手段が抜け落ちているぞ」
「それは、なんでしょうか」
「買収だ」
閣下が、ニヤリと笑った。
「……あ!」
さてはクッキーを焼いているとき、カレンになにかを掴ませて素通りしたのですね!?
なんてあくどい真似を!
「許せ。しかし、小鳥をかたどった木彫りの人形一つで信心の揺らぐあの娘もどうかと思うがな」
「むぅ……」
私を崇拝している割に、偶像に手を出すことに躊躇がないカレンには後でお話をするとして。
けれど、買収となれば幾分か話は変わってくる。
なにせ、それが可能な人物こそが犯人であるという図式が現れるからだ。
「つまり、男爵夫妻も容疑者、ですか」
できれば考慮したくない二人だったが、しかし。
そんな私の懸念は、早期に崩壊することとなった。
勝手口周辺の目撃者を探していたところ、すぐにひとりの庭師さんが名乗り出てくれたからである。
「ええ、煙が出る少し前にやってきて、木々の剪定をしておりました。誰も勝手口から厨房へ入られた方はおりません」
重要な証言だ。
ちなみに、あなたは一人で作業を?
「途中からでしたか、宴に必要だからと菜園へハーブを取りに来たマリア様と出くわしまして、しばらく談笑しておりました。そうしましたら、火が出まして」
「待ってください。つまりあなたは、そのときマリアさんと一緒にいたと?」
「はいですな」
重要な証言が、極めて重要な証言へとランクアップした。
いま解っていることを列挙しよう。
第一の予言が成就したとき、マリアさんは庭師さんと一緒におられた。
勝手口は施錠され、また庭師さんに監視されていた。
館側の通路も使用人さんによって同じように見張られていたのだとすれば。
「厨房は、完全な密室だった……?」
困惑とともに呟いた刹那だった。
「マリア!」
男爵の、切羽詰まった悲鳴。
声がした方へ走り出そうとして。
すいっと、身体が抱きかかえられた。
「閣下!?」
「急ぐのだろう? こちらが早い」
「……合理的ですね!」
顔を両手で覆いながら、やけっぱちで叫ぶ。
事実、すぐさま私たちは現場へと辿り着いた。
そして目撃することになる。
切り裂かれた無数の衣装が舞い散る中で、意識を失って倒れ伏すマリアさんと。
それを必死に抱き起こそうとするジョン・トマス男爵の姿を。
『汝と幸福を分かち合うもの、その身を包む装飾が剥がれ落ちるときがくる』
第二の予言が、成就されていた――




