第二話 人騒がせな予言
トマス男爵家に到着したのは、翌日のことだった。
朝霧の中に聳える館は、男爵の身分にふさわしい威容を誇っている。
門を抜け、前庭を通り、館の内部に一歩踏み入れれば、多くの使用人さんたちと、二人の人物が出迎えてくれた。
一人は当然、トマス男爵。
待っていましたと言わんばかりの表情で、いまにもこちらへ抱きついてきそうだったから、閣下が一歩進み出た。
萎縮する男爵に代わって、歓迎の言葉をくれたのは、もうひとりの人物。
長い髪をした妙齢の女性。
婦人会では、顔見知りの彼女。
本来なら先日、ともに孤児院について語り合うはずだったかた。
「ようこそおいで下さいました、ね。わたしはマリア・トマス。ジョン・トマスの妻に当たります。辺境伯ご夫妻には長旅を強いてしまい、申し訳なく思います、よ」
毅然とした態度。
そこから滲み出る気品。
私の中の、理想の女主人象がそこにはあった。
男爵家の屋台骨は、おそらく彼女だろう。
なにせジョン・トマス男爵は、彼女の背後で不安そうにしているのだから。
「さて、予言の話、だそうですが……」
場を改めて、応接室へとやってきた私たちは、今回の訪問、その本題へと入ることにした。
「そうなのですラーベ様。実は折り入ってお力を拝借したく、そのためならばいかようにも――痛い!」
へりくだり、いまにも跪きそうな男爵の尻を、マリアさんがつねりあげた。
立場上、彼女たちは下手に出るしかない。
だが、それが下品すぎてはむしろ客人――この場合は私たちだ――に不快感を与える怖れがあった。
それを踏まえてのマリアさんの行動。
とても自立している。
私は羨望の眼差しを向けつつ、フォローをはじめる。
「どうか、気楽に。あまり畏まられましても、事件の概要がわかりませんので。それよりも予言ですよね! どんな予言が――」
「この通り、妻は謎ときがかかると常軌を逸する。こちらも作法を外れることもあろう。互いに鷹揚な視点を有することを望む」
……やんわりと閣下に窘められた。
ほど遠いな、自立。
とはいえ、このやりとりは男爵家の緊張を解きほぐすのに一役買ったらしい。
マリアさんは大きく息をつき、
「夫共々、失礼をいたしました、ね。それでは、ジョン。今度こそ、しっかり、取り乱さずに、ですよ?」
なんて、男爵の尻から手を放す。
襟を正し「ああ」と頷いたトマス男爵は、順を追って語りはじめた。
「当家には、代々伝わる予言の書があるのです」
「書物なのですか?」
「はい、これ自体が魔導陣を刻まれた魔導具――いわゆる力ある魔導書で、歴史上の出来事を幾度も言い当ててきました」
なんとも興味深い話だが、そのような魔導具、あり得るのだろうか?
予言といえば、どちらかといえば発動が難しい類いの魔術だ。
未来を垣間見るわけだから、よほどの術者でなければ成立させられない。
それを可能にしている書物となれば、国宝といっても差し支えないだろう。
逆説的に、男爵家に置かれたままということは……。
「さすが、社交界に御名の轟くラーベ様です、ね。はい、当家の予言書には、重大な不備があるのです。文言が不正確……というより、何とでも読み解けてしまうのです、よ」
これを聞いたエドガーさまが、そんなところだろうなと呟いた。
事実として、予言書にはこの手のものが多い。
曖昧な表現をして、後世のものがこじつけることで、まったく違う内容が、あたかも未来を言い当てているかのように曲解されるのだ。
牽強付会と言い換えてもいい。
その程度のものであれば、古い家には割と転がっており、つまり男爵が自分の命について怯える必要性などないように思えたのだが。
「しかし実際に何度も的中しているのだ! 予言が本当になるところを、自分は何度も見てきた。信じてください、どうか、平に」
男爵が一瞬声を荒らげ、すぐに冷静さを取り戻したようで身を縮こめる。
本当になるところを見てきたか。
「的中した予言とは、どのようなものですか?」
「……その、いいづらい話なのだ、できれば他言無用を……」
「構いませんよね、エドガーさま?」
訊ねれば、閣下はあくびを一つ噛み殺し、それから頷かれた。
どうやら今回も、彼は私に付き添ってくれただけらしい。
ここまでくると、子ども扱いされているような気さえしてくる。
なんて考えていると、男爵が踏ん切りがついたという顔で、口を開く。
「……じつは、ハイネマン辺境伯家とクレエア伯爵家の大陸を巻き込んだ動乱について、記されていたのです」
「本当ですか?」
「誓って嘘など! また、先の魔獣化事件についても記述がありました。二度も大陸の危機を言い当てた予言書です。自分とて、盲信しているわけではありませんが……あまりに的中率が高すぎる」
それで、自身の命についてまで言及があり、私たちに頼ったと。
なるほど、得心行く理由だ。
予言を書き換える、ということに意味は無い。
既に記されてしまった内容は、予言書が本物であるのなら、確定した未来だからだ。
「それで、予言の書は、どこに?」
「いま用意させます。アゼルジャン!」
男爵が手を二度叩くと、執事さんが入室してくる。
いつぞやは大変な目に遭った彼だが、どうやら仕事に復帰出来たらしい。幸いなことだ。
彼は、お盆に載せた一冊の本を主へ恭しく差し出すと、こちらへ僅かに視線を向け、深く頭を垂れた。
どうぞお気兼ねなくと告げても彼はしばらく低頭し続けたが、やがて顔を上げ、微かに笑って退室していった。
「これが、予言書」
一見して、どこにでもある古本にみえる。
さほど丁寧な装丁がされているわけでもなく、あちこちが傷んでいた。だが、確かに微量の魔力を感じるので、魔導具であることは間違いない。
「ここに記されているのですが」
男爵が、予言書のページをめくる。
該当の項目に書かれている内容を、彼は読み上げた。
「『二度の騒乱が箱船を揺るがすとき、トマスの血は絶え、やがて世界は小さくなるだろう』」
……想ったより直接的な文言だった。
「失礼ですが、男爵さまにお子さんは?」
「おりません、ね。わたしの不徳のいたすところです」
「妻が悪いわけではないのです。ただ、自分にはどうも子を為せる気がせず……」
「弱気になってはいけません、よ。それではこの家を、誰が引き継ぐのです、か」
「それはもちろん君が――」
かばい合いをはじめてしまう男爵夫妻。
お家騒動については興味がないので、いったん意識の外に閉め出す。
「他には、どのような予言が?」
「――この内容の前に、二つの言葉があります。一つは『糧を作り出す場所が燃えて消える』、次が『汝と幸福を分かち合うもの、その身を包む装飾が剥がれ落ちるときがくる』。自分の破滅を予言した後も予言は続き、『そして悲劇の内に輝かしきものは失われるだろう』と記されています」
やはり、想定よりもしっかりとした予言だ。
解釈の余地は残されているが、概ねそのまま読み解ける。
ここまでハッキリしていて、的中率が高いなら、本当に国宝でもおかしくない。
「他にはなにか、残されているのですか?」
「別の予言書があります。書かれたことは似通っていますが、マリアの生家で集められたものもありましてな」
マリアさんの実家?
「これは、説明がまだでしたか。じつは妻の生家は、我が家に勝るとも劣らない予言術の大家であり、その全てをここの宝物庫に収蔵しているのです」
なにか。
いまなにか、奇妙な言葉があった気がするのだが、よく解らない。
さしあたっては、現物を目にすることが重要だろう。
「そちらを拝見することは可能でしょうか」
「もちろん構いません。ただ、宝物庫は屋敷の奥にありましてな」
私は閣下を見遣った。
彼はため息でも吐きそうな顔で小さく頷いてくれる。
「では、案内をお願いします」
「お出向きに? いえ、取ってこさせますので」
「すぐに、目にしたいのです」
「……ならば、致し方ありませんな」
立ち上がる男爵。
そこでマリアさんが、「申し訳ありません」と口を開く。
「このあとの宴席を差配しなくてはなりませんので、わたしは中座させていただきます、ね」
もちろん構わない。
別段盛大な歓待を望んでいるわけではないが、もてなしを円滑に行えなかったとなれば、トマス家の名前に傷がついてしまう。
止めるいわれはなかった。
というわけで、マリアさんとは別行動。
私たちは書庫へ向かったのだが。
「大変でございます旦那様!」
しばらく予言の章を物色したところで、執事のアゼルジャンさんが、血相を変えてやってきた。
そして彼は、私たちにこう告げるのだ。
「厨房が、火事でございます!」




