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第一話 名探偵令嬢、束の間の日常を謳歌する

 慌ただしい日々が過ぎ、不意に訪れた静寂の中で、しみじみと思う。

 私は、恵まれた生活をしていると。

 これは貴族としても、一己の人間としてもそうだ。


「それはそうでしょう。お嬢様が実家で受けていた仕打ち、このカレン、忘れることなどございません」


 なんて、親友は同情の言葉をかけてくれる。

 私だって忘れることはない。

 半ば軟禁。

 半ば英才教育。

 それがクレエアでの日々だった。


 この英才教育というのは、悪の貴族としてのものを指す。

 ただ、私は落ちこぼれで、悪事の才覚が無く、謎を解き明かすことに終始するあまり、家の方針を何度も台無しにしてしまった。

 なのでお父様の怒りを買い、冷遇され、そしてハイネマン家へと(とつ)ぐことになったわけである。


 いま思えば、幸運すぎる星の巡り合わせだ。

 エドガーさまには、どれほど感謝してもしたりない。

 毎日謎を解いて生きていける、こんなにも楽園染みた環境を得られたことは、望外の喜びでしかなかった。


 だからこそ、思ってしまう。

 この、謎を解くという性質が、いつかまた、彼に牙を剥く日が来てしまうのではないかと。

 大恩あるハイネマン家を、追い詰めてしまうのではないかと。

 ……いささか自分を過大評価しているかも知れないが。

 それでも不安なのである。


「お嬢様の悩みは、本当にそのそれでございますか? もっと別の気がかりがあるのでは? カレン、疑念」


 まったく、よく出来た侍従(しんゆう)を持ったものだ。

 ここまで直言してくれる信頼関係、得がたいものだろう。

 そう、私の悩みの本質はもっと異なるものだ。


 私は今、強く思っている。


「閣下の伴侶として、その(そば)に立っていたいと」


 守られるだけではなく。

 庇護対象としての愛玩動物(ことり)ではなく。

 彼の隣に立って歩く、パートナーでありたいと。


「つまるところ、自立」


 私に出来ることを増やし、しっかりとハイネマン家を盛り立てる。

 そんな振る舞いが出来るようになりたいと、切実に思うのだ。


 彼と人生を分かち合いたいという想念(おもい)


 私は、おんぶに抱っこされて生きていきたいわけではない。

 私は、私の足で立ち、彼と並び立って、互いに手を引き合いながら明日へと進みたいのだ。


 ……失敗作と蔑まされたバケモノが。

 謎解きしか出来なかったお人形さんが、未来を望むところまで来た。

 彼を害してしまうかも知れないという心配も、いまや形を変えて私を突き動かす熱量となっている。


 同時に理解する。

 この世界に、どうしてここまで謎が溢れているのかを。

 欲望だ。

 明日を今日よりもよくしたいという願いが、世界に複雑性を与えているのだ。

 それは私にも作用し、なにもかもを眩しく見せる。


「では、出来るところからやって参りましょう。お嬢様は辺境伯夫人。そのなすべき事を」


 親友に(はげ)まされて、私は頷く。

 ならばはじめよう。

 閣下の伴侶としての、その仕事を。



§§



 さて、決意も新たに、まずは辺境伯夫人。

 つまりはこの家の女主人としてふさわしい振る舞いをやっていかなければならない。

 しかしながら、偉ぶるというのは凄く苦手だし、威厳などというものが私にあるわけもない。

 つまるところ、行動あるのみだ。

 ふんぞり返っていても、状況は好転しないのだから。


 大事なのは信頼関係。

 ここまでくれば、如何にクレエアの娘でも思い知る。


「だからといって奥方様、掃除は我々が!」

「あ、あー! 綺麗なお手々が土いじりで汚れて!」

「なんて見事な刺繍……ハーフフッドの職人でもここまでのものは作れないでしょう。はい、最早我々に教えることはありません」

「しかしながらまずは休みましょう! 一心不乱すぎて不安です!」


 ……やはり甘やかされている!

 それも閣下だけではなく、使用人の皆さんにまで!


 なにを成すにも褒め言葉と過保護な扱いがついてくるのは、さすがに落ち着かない。

 肉体面が脆弱(ぜいじゃく)なのは事実なので反論も出来ないし……。


「いえ、ここで音を上げてはいけません。自立、自立です。女主人としての明瞭な働きで結果を出しましょう!」


 そうなれば、必然為すべき行動は決まってくる。

 一番はやはり……婦人会だ。

 とくに今日は、先の大乱で発生した孤児達への寄付。

 これを取りまとめて、孤児院の設立基金を作ろうという話になっていた。


 よし、と気合いをひとつ入れ、私はクッキーを焼く。

 円滑に話し合いを回すためには、お茶と茶菓子が絶対に必要だからだ。

 閣下達が話し合いの場で、煙草とアルコールを()されるのと同じ理屈である。


 さて、クッキーを焼き上げ、表面に愛らしいデコレーションなどを施していると、背後からにゅっと腕が伸びてきた。

 礼装に包まれた、しかしたくましい腕。

 無骨な指が、小さなクッキーを一枚摘まんで去って行く。

 その行く先を視線で追えば。

 閣下が相変わらずの精悍さで、シャクリと味見をされていた。


「甘味だ」

「それは、そうでしょうが……いつからそこにいらっしゃったので?」

「ふっ」


 いや、笑って誤魔化そうとしないで。


「いまほどだ。でなければ小鳥を腕に抱くことを優先していた」

「入り口には、カレンを見張りとして立たせていたはずですが」


 そう、厨房へと続く扉の前にはカレンがいて、誰か来たら声をかけるようにとお願いしていたのだ。

 ということは、閣下は、入り口を通らずに私の背後へと立ったことになる。


「まさか、転移術を」

「使えぬ。ラーベ、お前が拉致された一件以来、屋敷内の転移阻害術式は過剰なほどに設定してある。断言するが、どれほどの術者であっても、跳躍は不可能だ」

「つまり――謎ですか!」


 私が目を輝かせたからだろう、閣下が口元を微かに歪める。

 彼の喉の奥が「クク」と笑い声を響かせた。

 面白いことになってきたという互いの認識。

 彼は私の追及を正面から受け止め、私は私で謎を解く。

 そんな睦言(にちじょう)がはじまりそうになった瞬間だった。


「いけません、お客様とて勝手は――!」


 珍しいカレンの悲鳴染みた声。

 ハッと視線を入り口に見遣れば、ひとりの男性が彼女の制止を振り切って厨房へと飛び込んでくるところで。


 家の者ではない。

 辺境伯の前で粗相(そそう)をするなど、閣下がやけに穏当なだけで、実際は極めて拙い事柄だ。

 しかしその人物には、取り繕うだけの余裕など無かったらしい。

 なぜなら彼。

 ――トマス男爵は。

 顔を上げるなり、こう叫んだのだから。


「お知恵を貸して下さい、ラーベ様! このままでは自分は――予言に殺されるやもしれぬのです!」


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