第一話 名探偵令嬢、辺境伯へ嫁ぐ
「これは政略結婚だ。ゆえに俺はお前を愛さない。身代わりであることを憐れみはするがな」
嫁ぎ先に用意されていた寝室で。
初夜の相手である辺境伯、エドガー・ハイネマン閣下はそう仰った。
冷酷無慈悲と噂される彼は、整った顔に厳めしい表情を乗せて、こちらを強く睨み付ける。
だから私、ラーベ・クレエアはこう答えるのだ。
「ですが……閣下は、私を手放されるつもりがないでしょう?」
「なぜ、そう考えた」
国の礎、辺境の守りを任された貴公子が問う。
声音に宿るのは疑念、疑惑、不可解。
ゆえに私は。
とろけるように甘い、上質な菓子を目前にしたような表情で宣言するのだ。
「私がそのなぜを――〝謎〟こそを欲しているからです」
§§
クレエア伯爵家に私が生まれたのは、もう十六年以上前のことになる。
実家におけるほとんどの時間を、私は鉄格子付きの部屋で過ごしたのだが、このたびめでたく解放された。
政敵であったハイネマン辺境伯家に嫁ぐためだ。
当主であり伯爵である実父曰く、私は「失敗作のバケモノ」らしい。
私のもとを訪ねる際、父は唾棄しながら幾度もこう繰り返した。
「密謀、計略、暗闘で、この国を支えてきたのは我々クレエア家だ。我が家系こそ国を支える暗部。邪魔者を闇に葬り、稚拙な謀を自滅へと追い込む守護者。にもかかわらず、貴様は、我々の謀を全て解き明かしてしまう! これ以上の失敗作が、バケモノがいるか!」
つまるところ、私は一族にとって厄介者で。
だから本来輿入れするはずだった妹の代わりに差し出されたのだ。
体のいい生贄である。
「大いなる計画の柱である可愛い可愛いリーゼの代わりに、精々田舎貴族のご機嫌を取ってくるのだな!」
というのが、父と交わした最後の言葉。
妹のリーゼも。
「おーっほっほっほ! 流血と争いにしか興味がない武力馬鹿のもとへ嫁がされるなんて、お姉様もお可哀想! わたくしなんて第三王子様とよろしくやっておりますのに……ホント憐れ! ですが、我が家とわたくしの役に立てるのですから、光栄ですわよね? おーっほっほっほ!」
なんて気さくな冗句で送り出してくれた。
まったく、私にはもったいない家族である。
事実、嫁入り道具に関してはしっかりお金をかけてくれたのだから感謝の念しかない。
それがたとえ、ハイネマン家に見下されてなるものかという虚栄心から来ていたとしても、助かったという事実は変わらない。
というわけで、そこそこの大荷物とひとりだけの従者を引き連れて、私は辺境伯家へとやってきた。
そして初夜。
要らないというのにメイドから化粧までほどこされた私は、静かに閨で待機していた。
数刻ほど経って、ノックもなく一人の男性が現れる。
そう、在室の有無を確かめる必要など、このひとには無い。
なぜならばこの領地全ての主こそ彼、エドガー・ハイネマン閣下なのだから。
帯剣礼装をピシリと着込み、厳めしい表情で現れたのは若き美男子。
金糸を束ねたような髪に、揺らめき絶えず色合いを変える蛍石の如き瞳、肌は日に焼けて武人然とした褐色。
煌びやかな衣装の上からも、筋骨隆々としていることが見て取れる。
彼は私を一瞥するなり、
「お前を愛するつもりはない」
と言い放った。
別段の衝撃はない。
これが我が家と辺境伯家のパワーバランスを保つための政略結婚であることなど、主導者が君主であることから誰の目にも明らかであるし。
なにより彼の姿が、事実を全て物語っていたのだから。
ゆえに、私は答え合わせがしたくて仕方がなくなってしまった。
解いた謎が正解であるか否かは、プリンにカラメルがついているかどうかというぐらい重要なことなのだ。
「ですが……閣下は、私を手放されるつもりがないでしょう?」
「なぜ、そう考えた」
「明瞭なことです。閣下のお姿こそが、謎を明るく照らしているのですから」
右の眉を微かに上げる彼に、私は恭しく説明を重ねる。
「襟元まで留められたボタンに帯剣礼装。これはすぐに脱ぐことが適いません。初夜には不向きです」
「俺が拙速な男だとは思わないのか。服を着たまま情事に及ぶなど珍しくもない、粗野で乱暴な男。あるいは冷酷無慈悲なる辺境伯とは、社交界の噂の種だろう」
「こんな夜半に、わざわざ香油を御髪へと塗り、撫でつけるのが拙速を名乗るかたのすることでしょうか?」
指摘すれば彼は黙し、目だけで続きを促してきた。
ああ、楽しい。
果物の皮を剥くときの感覚に近い。
謎のベールを剥がすことは、これほどまでの悦楽を伴う。
「激務を誤魔化し、疲労を隠すための肌色化粧。足回りは遠出に耐えうる編み込みのブーツ。どちらも実用性に特化し、私へ見せるためのものではないと判断がつきます。先ほど馬の嘶きも聞こえました。そこから推測されることは――すぐにこの場を発つ用事がある。違いますか?」
「その用事の内容を」
「言い当てることは可能です。閣下のお膝元で、不穏な動きでもあったのでは?」
「だからなんだ?」
エドガー閣下が、両目を鋭くされた。
猛獣、魔物、いやそれよりもよほど恐ろしい眼差し。
孤高、高貴、高潔たるそれが私を睥睨する。
「無礼な口を利くお前を、俺が放逐するとは思わないのか」
「私の処遇は閣下の一存による。これは動かしがたい事実でしょう」
「ならば」
「はい、ですが……それこそ明瞭なことです」
にっこりと微笑み。
彼と対照的な、穏やかな口調で私は続けた。
「こんな夜分に閣下自らが動かなければならない用事、それはどこまでも限定されます。たとえば、外敵が国境を脅かした。たとえば、謀反が起きた」
そして。
「たとえば――王家にまつわること。私の実家がこれに関わっているなら、私の元へやってきた理由になる。違いますか? ……あ、女性関係の夜這いという線もありましたが、こちらは顔を合わせてないと確信しました」
「……女、お前は何を知っている?」
別段、何も知りはしない。
しかし、こう言い換えることも出来る。
私が何を知り何を知らないかを確かめるため、わざわざ閣下は寝室を訪ねたのではないかと。
だって、そうだろう?
政略結婚の相手に、愛することはないなどと馬鹿正直に告げるメリットは何だ?
そんなものありはしない。
よほどの不器用か、誠実と愚直さを履き違えているか、領主に向いていない正直者のすることだ。
そうして閣下は、このどれにも当てはまらない傑物だと伝え聞いている。
ならば、探りを入れに来たと考えるのが妥当。
自らの領地へ乗り込んできている獅子身中の虫。一時休戦のために送り込まれた政敵の長女、仮の妻、人質を真っ先に計り、試し、検分する。
それは極めて正しい行為だ。
なにせ我が実家は、なんというかその……たいへんに謀略と暗躍が大好きなので。
よって、問いかけへの答えはこうなる。
「如何でしょう? 閣下が娶られた小娘は、僅かな情報からこの程度の推理が可能です。なので」
そう、大事なのはこの先だ。
嫁ぎ先でどんな酷い目に遭うかなどどうでもいい。
過酷で苛烈で残酷な日々が待っていても構わない。
ただ、どうしても〝これ〟だけが欲しい。
「〝謎解き〟に、今後も私を活用してはみませんか?」
謎、謎、謎!
それこそがラーベ・クレエアの生き甲斐。
命の活力。
もしも目前の偉丈夫が謎を与えて下さるというならば。
「きっとお役に立って見せますが……どうでしょうか、閣下?」
嘘偽りのないプレゼン。
これ以上ない所信表明。
愛など要らない。高価な宝飾品など欲しくもない。縁故も名声も地位も無用。
だからどうか、一心不乱の難題を!
謎を与えて下さいと懇願すれば。
彼は。
「……ク」
ク?
「クク、くははははっ!」
目元を手で覆い、口元を肉食獣のように歪めて哄笑し。
そして、仰った。
「悪かった、お前を試した」
笑みが消える。
代わりに現れたのは、誠実極まりない表情。
「嫁取りは主君の命だ、違えることは出来ぬ。だが、花嫁が突如として入れ替われば疑いもする。我が領地を陥れんとする奸計ではないかと。だが、俺の誤りだった。お前の言葉は、全てにおいて誠実に、偽りなく紡がれたのだから。ゆえに許せとは言えぬ。だが」
謝意を示したいと告げて、彼は私の手を取り、膝をつき、頭を垂れた。
最大限の礼を取られ、当惑する。
本来貴人が、ここまでのことをするなど有り得ない。
加えていま閣下が述べたとおり、私を疑うことは当然なのだ。
だが彼は頭を下げ続ける。
私への謝罪を、形にするために。
「……お顔をあげて下さい。閣下のされたことは、正しいのです」
「…………」
「閣下、私はあなたを許します。だから、どうか」
「――そうか」
許しの言葉を二度重ねて、ようやく上がった瞳。
その凄絶さに、息を呑む。
なんて鮮やかで、美しく、真剣な眼差しなのだろうか。
たえず移ろっていた虹彩の色は、いま誠実さで塗り固められていた。
「ならば我が妻に、詫びるための謎を贈りたい」
「〝謎〟を?」
知らず、私の喉が鳴る。
緊張に。あるいは期待に。
閣下が、厳かな声音で出題をされた。
「陸の上で人が溺れ死んだ。お前はこの難事を、どう紐解く?」
かくして私は、無事辺境へと嫁ぐ。
争いの絶えぬ場所。
犯罪温床都市と名高いハイネマン領へ。
これは、バケモノと誹られた知的探究心の権化が、ただ思うがままに謎を解く。
そんなありふれた人生と幸福の物語である。
……たぶん、きっと、おそらく。
メイビー?




