ナイル河の東岸は生者の町、西岸は死者の町は正しいのか ⑦
ピラミッド時代、ナイル河西岸にあるピラミッド周辺に大きな町があり、多くの生者が暮らしていた。
つまり、ナイル河西岸は墳墓が並んでいたものの、ピラミッド建造のために集まる生者たちが暮らしてもいたと説明した。
だが、それについてこのような反論があるかもしれない。
日本の京都や奈良のような古都、もう少し踏み込んで話せば普遍的な都はあるはずだ。
それはどうなのだ?
まず、古都の存在についてはイエス。
そのようなものは古代エジプトについてもあった。
ただし、京都や奈良と違い、その場所は現在大幅な格下げ状態にある。
メンフィス。
そこがエジプトにおける古都、その現在の名となる。
古代エジプトの誕生からその終焉まで一貫して高い地位にあったメンフィスだが、現在はエジプト中に見られる農村のひとつ程度となっている。
だが、それだけ反映したのならさぞ素晴らしい遺跡があるはず。
誰もがそう思うだろうが、残念ながらほとんど見るべきものはない。
パッケージツアーで訪れる際にもラムセスの巨像をはじめとした発見された遺物を眺める程度で遺構そのものに触れる機会はない。
さて、そのメンフィスであるが、実はナイル河西岸にある。
正確にいえば、年代によってはナイル河の東岸になったこともあるかもしれないが、その位置を考えて言えば、あの場所をナイル河東岸と思って町をつくったとは思えない。
つまり、メンフィスを例にとれば生者が住むのはナイル河東岸であると断言できない。
こうなる。
ついでに言っておけば、この周辺で古代エジプトが栄えた時期にナイル河東岸にあった町で有名なのはヘリオポリスくらいだろう。