ナイル河の東岸は生者の町、西岸は死者の町は正しいのか ④
ここまでその主張が完全に正しいことを証明し続けていた「ナイル河の東岸は生者の町、西岸は死者の町」説だが、21世紀の発掘中によってそれを否定しかねないものが登場する。
もともとはツタンカーメンの葬祭殿を探していた調査チームが掘り当ててしまったもの。
それが古代の町。
つまり、死者の町であるはずのナイル河西岸で生者の町が見つかってしまったのである。
推理小説風の表現を使えば「犯人のアリバイが崩れた瞬間」だった。
ついでに言ってしまえば、この町はある王の巨大な王宮に付属したもので、その王宮についてその100年以上前に発見されていた。
実はとっくの昔にその説を否定する証拠がでていたのである。
それにもかかわらずなぜ今でも「ナイル河の東岸は生者の町、西岸は死者の町」と皆が主張するのか。
これには大きくわけて理由がふたつある。
ひとつはその王が古代エジプト最大の変人アクエンアテンの父親アメンヘテプ3世だったこと。
つまり、変人の父親だからそいつも変人に違いないということである。
もうひとつは西岸で発見された王宮はこれだけであること。
ただし、これは事実であるが、そうでもないともいえる。
東岸に新王国時代の諸王が住んでいた王宮があったという証拠がないのである。
今のところ生者の住居が発見されたのはカルナック神殿に付属した神官の住居くらいであるが、東岸は住宅が立ち並ぶため地下が発掘できないことと比較的発掘が進んだ西岸で王宮が見つかっていないことでそれを補完している。
それが現状である。