3/11
ナイル河の東岸は生者の町、西岸は死者の町は正しいのか ③
では、最初にわかりやすいところから……。
エジプト中部の都市ルクソール。
ここは古代から栄えていた場所で、特に新王国時代には多くの神殿や墳墓が造営された。
そして、この地を観光するときに聞かされるのが、「ナイル河の東岸は生者の町、西岸は死者の町」というセリフである。
では、実際はどうなのか?
もちろんそうやっていわれるだけのことはあり、それを体現していると言ってもいいだろう。
東岸には、カルナック神殿と呼ばれる、複数の神の神域がまとまっており、その南にはルクソール神殿というもうひとつの大きな神殿があり、このふたつの神殿を中心に庶民を交えての大きな祭りがおこなわれていたことが記録されていることから、まさに聖者の町と呼べるものであろう。
では、西岸はどうか?
これまた、例のセリフそのままの光景が広がる。
新王国時代の葬祭神殿から広がり、ナイル河を望む崖を穿った多くの岩窟墳墓、そしてその山を越えた先には王家の谷や王妃の谷と呼ばれる王族たちが眠る墓地がある。
完璧である。
だが、最近になってその完璧な証拠に罅が入る出来事がおきた……。