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統一地方選挙と手榴弾-1  作者: もずみ 吟
1/1

話は連続してあります

選挙というと候補者が当選した時にボードに花を刺すシーンを見かけると思います。しかしその当選までの道程は遠いものです。自分の選挙区で前任者から引き継いだ名簿を元に秘書と有権者の自宅を回ったり、朝出勤前の駅で会社員らしき人にチラシを撒いたりします。この作品はど田舎の設定なので、電車を利用する人がごく少数なので、朝駅でチラシを撒くシーンは書きませんでした

プロローグ


 


太郎は先程から机を挟んで渡辺部長とやりあっていた。


「納得いきませんよ!」


「いや、君の気持は分かるけど、上が決めた事だから」


「部長も言ってたじゃないですか。次の課長は君だなって」


「そうだ。もちろん、私は君を押したよ」


「じゃあ、何で水沼が…。私の方が常に成績では上位だったはずです」


「その通りなんだが。常務がそのー」


「鈴木常務ですか。常務も私には、期待しているっておっしゃってましたよ」


 部長は、眉を寄せて指を組む。


「今、営業部のこの部屋には誰もいないし、これから言う事は絶対に、口外してもらいたくはないのだが、いいかな?」


「分かりました。漏らしません」


「君はもちろんだが、他の人間も薄々感じている事だと思う。フリーの客から『チラシで見たマンション購入したいんですが』なんて電話があった場合、かなりの確率で水沼君に回しているのを…」


「そうです。いつも不公平だと思ってました。それでも、自力で飛び込みや電話セールスをコツコツと重ねて、水沼を上回る営業成績を上げてきたんです」


「そこなんだよ。それは皆が認めている事だし、よくわかっているんだよ」


「それじゃ、尚更おかしいじゃないですか」


「そうだ。おかしいんだ。しかし、仕方がない事情が…」


「何ですか? その事情って」


「水沼君はその…。裏事情を明かせば、社長の実の息子なんだ。しかも呆れるぐらい、社長の機嫌を取るのが上手い。先程も言ったように重ねて念を押しておくが、社長の息子というのは絶対秘密だ。奥さんも知らないんだ。社内でも知っているのは数人だ。社長は養子で大変な恐妻家だ。水沼は社長の家庭での立場と、彼に対する負い目を上手く利用して、地位を得て行くつもりなんだと思う」


「う~ん。なんか、やる気が一気に崩れて行きますね」


「水沼君は社長にだけじゃなく、誰に対してもヨイショが上手い。裏事情を知っている私でさえ、下手に出てこられて、ヨイショされれば、悪い気はしない」


 太郎はなんだか、馬鹿馬鹿しくなってきた。表面上は太郎に、一目も二目も置いているように接してきている水沼が、実は心の中で舌を出しているに違いない。腹立つ。


渡辺部長は机の上のコーヒーカップに口を付け、更に続ける。


「水沼を抑え込むのは、正直難しい。だがここは、ガマンのしどころだ、と思う。ポストは一つではないからね」


 黙っている太郎を見て、渡辺はため息をつく。


「その…何だ。君も、もう少し上手く立ち回ってくれれば…。いや、上司に対してのヨイショの事だけどね」


 太郎の顔色が変わった事に気付かず、渡辺は続ける。


「営業成績から言えば文句なく、君は抜きん出ている。間違いない。しかし、上の人間の中には、会社の看板があればこそだと思っている連中もいる。そして、残念な事にヨイショの上手い社員をよく出来た部下だと評価したりする」


「つまり、私に言いたい事も言わず、ヨイショの上手い人間を見習えって事ですか?」


「うーん。まぁ平たく言うと、そういう事になる」


「冗談じゃありませんよ。これは、ポリシーの問題です!」


「いや、その…」


「分かりました。辞表を出させて頂きます」


「ちょっと待て。山田!」


 


「ただいまー」


「あら、早かったわね。よかった。今日はタローの好きなハラミ肉買って来たのよ」


「へー。いいね。じゃあ、焼き肉にしてよ」


「それがいいわね。じゃあタロー、焼き肉用の鉄板、出してくれる?」


「うん。分かった。それからこの間もらった赤ワイン、封切ってもいいかな?」


「いいわね。チーズもいいのがあるわよ」


「じゃ。すぐ着替えて来るよ」


 綾乃が、手早く用意してくれた肉とチーズとサラダを前に疲れが飛んでいく。頂きものの赤ワインも、予想以上に旨かった。


「あのさー、綾乃。オレさっき会社に辞表、出して来たんだ」


「え~。何かあったの?」


「うん。部長から次は課長! みたいなことチラッと聞いていたんだけど、それがダメになって…」


「あらー、残念だったわね。でもそれだけで、キレちゃった訳?」


「いや、課長に昇進した奴、コネ入社ってのもあるんだけど、信じられないくらいヨイショの上手いヤツなんだよ。部長が君ももう少し、その辺りを上手くやってくれたら、みたいな事言うもんだから、ついカッとなって…。あ~あ。もうちょっと我慢すればよかったかなぁ。綾乃ごめん。すぐ次の就職先、見つけるから…」


「いいわよ。いいわよ。タローにはタローの生き方があるんだし。随分こき使われてきたんだから、ここらで少し休むのもいいと思うよ。さぁ、嫌な事忘れてシャワー浴びてきたら?」


「うん、ありがとう。そうする」


 よかった。綾乃はイイ女だなぁ、と思いながら太郎はゆっくりとシャワーを浴びる。


パジャマに着替えてニュースを見ていた時、携帯が鳴った。


「はい、山田です」


「太田です。久しぶり。突然ごめん」


「いやー、こちらこそ。元気だった?」


「うん。ありがとう。今少しいいかな?」


「いいよ。ニュース見てただけだし。何かあった?」


「突然なんだけど、明日から一晩泊りで、出掛けられないか、と思ってさ。というのも、昨日の夜、偶然出先で、山口と会ったんだ。話が盛り上がってねぇ。山口が熱海の静野家って旅館がうまい酒飲ませてくれるって評判になってるって言うんだ。それで、すぐ問い合わせてみたら明日の晩一部屋空いているって返事なんだ。四名一室、一泊二食付き


で、一万八千円だって。どうかなぁ?」


「ちょっと待って」と断り、太郎は綾乃に伝える。


「行ってらっしゃいよ。ちょうどいい気晴らしにもなるし」


「あー、もしもし、お待たせ。じゃあ、喜んで参加させてもらうよ」


「よかった。山田なら、大丈夫だと思っていたよ。あともう一人は、山口が佐々木に声をかけて、こちらも即オーケーって事だった。じゃあ細かい事は、今晩遅くにでもLINE入れとくよ。ありがとな」


「こちらこそ、ありがとう。じゃあ、メールで連絡よろしくな!」


「うん、じゃあ明日、楽しみにしてる」


 太田との電話が終わった後、綾乃が聞いて来る。


「ねぇ、今の人どういう関係の人?」


「大学の時の仲間だよ。明日集まる四人はみんな、石川県出身で東京近辺に住んでいる奴なんだ。そういえば、もう一年近く会ってなかったなぁ」


「そう。それじゃ楽しみね。ゆっくりしてきたらいいわ」


「うん。そうするよ」


「じゃあ、次の日の帰りは何時頃?」


「色々寄って来るかもしれないし、五時頃かなぁ?」


「気を付けて行って来てね」


「お土産買って来るよ」


 翌日、午後二時に熱海の旅館山上家に着く。


 ロビーに入って行くと、ピアノの音色が響く中、太田、山口、佐々木の三人は既にソファーに座って待っていた。


「あれ~。みんな、早いなぁ」


「いやー、つい、張り切っちゃって」


「うまい酒が待っていると思うと、ついつい…」


「オレ、昔から決められた時間より三十分ぐらい早く来るタイプだからさ」


「ゴメンゴメン。待たせて」


「いや、チェックインは二時からなんだから、山田が一番常識的なんだよ」


「そうそう」


「さぁ、チェックインの手続きしようぜ」


 四人でチェックインを済ませた時、太田が言う。


「あそこにワインのボトル持って立ってる人、もしかしてソムリエじゃないかな。ちょっと話聞いてみようか?」


「あ、オレワイン好きだし、この旅館のワイン旨いって噂になるだけあるから飲むならいくらか値段聞いてみよう。高いかな?」


「オレも好きだけど。そういえば、ここワインの評判もいいって話だったな」


 何となく世話人みたいになってしまった太田が、黒い服を着て左胸に金色のブドウのバッチを付けた若い男性に声をかける。


「すいません。ちょっと聞いてもいいですか?」


「はい。何なりと」


「この旅館、うまい酒出すって評判聞いて来たんですけど、今あなたの持っているワインボトル、もしかしてお勧めの一本ですか?」


「はい、おっしゃる通りです。わたくしソムリエの斉藤と申します。今日、お越しのワイン好きのお客様にぜひこの『セグラ ヴューダス ブルート レゼルバ エレダード』を、お飲み頂きたいと思い、こうしてボトルを抱えてお待ちいたしておりました」


「それって、赤とか白とかあるけどどっち?」


「フランス産とかドイツ産とか色々あるよね」


「オレ、シャンパン好きだなぁ」


 ソムリエが、軽くうなづいて言う。


「はい。シャンパンと言うのは、フランスのシャンパーニュ地方で造られた発泡性のワインの事を申します。私が今、持っておりますのはスペイン産の発泡性のワイン、つまりスパークリングワインでございます」


「あ、それいいんじゃないかな」


「でも、赤とか白とかロゼとかの区別は?」


「これは、辛口の白でございます。お食事の始まる前に召し上がるのが、おいしい飲み方でございます」


「値段は?」


「一本一万円でございます」


「う~ん。ちょっと高いかなぁ?」


「四人で一杯づつ飲めば、そう高くつかないよ」


「せっかくだから、飲んでみようよ」


「そうだよ。頼もうよ」


「それじゃ、それ一本、夕食の時に持って来てください」




 みんなで大浴場へ行き、それぞれに温泉を楽しむ。長風呂の佐々木は、夕食の予定の十五分前に戻って来た。


「佐々木、よくのぼせないなぁ」


「オレ、温泉好きだもん。というより風呂が、好きなんだなぁ。時々スーパー銭湯だって行くぞ」


「さぞ、酒が上手いだろうよ」


「失礼しまーす。お夕食をお持ちいたしました」と接待さんが入ってくる。


「さぁ、今からだぞ。楽しみ、楽しみ」


「部屋食ってやっぱりいいよな」


食事が並べられるタイミングを計った様にドアがノックされワインが届く。


「ソムリエの斉藤でございます。注文のセグラ ヴューダス ブルート レゼルバ エレダードをお持ちいたしました。グラスもクリスタルのシャンパングラスをご用意いたしております」


 ソムリエの斉藤は慣れた手つきで、それぞれのグラスにワインを注ぐ。


「ごゆっくりどうぞと」とソムリエが出て行ってから四人で乾杯をした。


「旨いなぁ。さすが選ばれたワインって感じだな」


「オレなんか、家じゃ紙パックのワインしか飲ませてもらえないよ」


「家じゃ頂きもの、無い限りワイン出てこないよ」


「オレ、このボトル空いたらもう少し飲ませてもらってもいい?」


「いいんじゃない?」


 追加はビールになる。


「ところで山田、マンションの売れ行きどう?」


「いや~ぼちぼちだけど、それよりオレ昨日会社に辞表出したばかりなんだよね」


「そうだったのか。スマンスマン。せっかくの酒がマズくなる様な事言って」


「それはいいんだけど次の職、探さないとな」


「まぁ、山田はこの中ではただ一人の独身だし焦る必要は無いよ。営業マンとしては優秀なんだから、次の所ぐらいすぐ見つかるさ」


「独身のうちだぞ、気楽なのは。オレなんて子供二人いて一ヵ月の小遣い二万円だぞ。タバコはもちろんやめたし、缶コーヒー一本買うのも考えて使ってるって。ただ今回は嫁さんが、パッと息抜きしてきたらいいって、特別に三万円出してくれたんだ」


「何だ、結局のろけてんのか」


「まぁ、ここにサッと集まって来れるって事は、それなりに生活出来てるって事だよな。しかしさっきのスパークリングワイン旨かったな。せっかくだからもう一本一万円で赤ワイン頼まないか?」


「お、いいねぇ」


「そうだな。せっかくだし」


 結局、追加で赤ワインを注文することになった。


 三十分後ドアをノックする音が聞こえた。ドアを開けると女性のソムリエらしき人が立っている。


「チーフソムリエの佐竹と申します。ご所望のワインをお持ちしました」と言いながら部屋の中に入ってきてワインのコルクを抜く。


「簡単にワインの説明をさせていただきます。シャトー・ド・ブレイザックというワインでございます。フランス産の物でしっかりした飲みごたえがあり、毎日飲んでも飲み飽きない、飲み疲れないタイプの赤ワインです。『誰にでも飲みやすい』と思って戴けるような、バランス良い飲み口の優しい一本です。ごゆっくりどうぞ」


 丁寧に一礼して、チーフソムリエは去って行った。


「なんか、無茶苦茶旨そうだな。飲もうぜ」


「さ、メシ食べながら」


「今の人、美人だったな」


「お前、説明聞いてたのか?顔ばっかり見てたんだろ」


 料理と酒も尽き、満足した静野家での夜も終わろうとしている。




 翌日、静野家から帰宅したのは夕方五時頃だった。太郎は、ただいまーと声をかける。


 返事がない。


「留守かな?」


 リビングに入った太郎は首をかしげる。不思議なくらいに家の中がサッパリしている。


 次の部屋の戸を開けて「アッ!」と驚いた。


 綾乃の荷物が、キレイサッパリなくなっている。


「出て行ったって事だな」


 テーブルの上には白い封筒が置かれていた。綾乃からの、メッセージだ。


 手紙には、太郎に対する不満と、いかに自分がそれに対してガマンして付き合ってきたかと言う事が、これでもかと言う程連ねられていた。


 北海道でも沖縄でも付いて来るって言ってたくせに。しかし、たった一日の間にどうやって引っ越したんだ? ある意味すごいな。オレが気が付かなかっただけで、前から少しづつ出て行く準備をしてたのかな? そんな様子、全然見えなかったけどなぁ。


 まぁ、仕方ない。明日、またゆっくり考えよう。


 翌日、綾乃に預けてあった自分名義の通帳を出してみると、百五十万円くらいあったは


ずの預金が知らないうちに引き出されて、十万円になっていた。


 太郎は、ため息をつく。寝そべって、ぼんやりしていると携帯が鳴った。母親の美里だ。


「もしもし、太郎。元気? 荷物届いたよ。ありがとう」


「えぇ、荷物って?」


「あんた、女物のパジャマとかセーターとかバッグとか、色々段ボールに詰めて送ってく


れたでしょ」


「あぁ、それ多分綾乃だよ。買ったけど使わないものとか、着ないもの、アイツ沢山もってたから。でもね、出て行ったんだよ」


「えー、出て行った?」


「そう、オレが一晩、温泉に泊りに出掛けて帰って来た時には、もぬけの殻だったんだよ。そんで、もう使わないものを捨てるくらいならって、そっちに送ったんだと思う」


「どうして急に、そんな事になったのかねぇ。思い当たる事あるの?」


「思い当たる事と言えば、失業したことかな?」


「失業?」


「そう。ちょっとガマン出来ない事あって。ところでそっちは皆、変わりない?」


「うん。皆元気にしてるよ。そういえば、タダスが去年JRを退職したんだけど、太郎ど


うしてる? って聞いてたよ」


 タダスとは母の弟で、本名伊藤正、正が訛って皆タダスさんと呼んでいる。


「あ、そう、よろしく言っといて。オレ今日は、色々整理しなきゃいけない雑用、片付ける事にするよ。」


「分かったよ。体には気を付けてね」




椿町




数日後の早朝。


「もしもし。太郎聞いているか?」


「聞いてるよ。こんな朝早く電話してきて、勘弁してよ。タダスさん。こっちは失業した上に、女に逃げられて落ち込んでいるんだから。それで何の用?」


「失業したって姉さんから聞いたんだけど、本当なんだな」


「それが朝から興奮して電話してきた理由なの?」


「そうなんだ。私はこれから政治家になる!」


「はい? 何言ってるの? 血迷った?」


「いや、本気だ。椿町の町議会選挙に出る。JRにいた時から、もし私が町会議員ならこうするのに、ああするのにと常に考えていた。子供の小さい時はPTAの会長をしたこともあったし、町内会長も何年もした。その都度、学校や役場にも交渉してきた。この町を発展させるため、今考えている事がある」


「あっそ。頑張ってね。オレまだ眠いから、じゃあね」と太郎は冷たく電話を切った。


 山田太郎。弟は健次。妹は三月。オヤジとオフクロは何て安直な名前の付け方をしたんだ。と子供の頃から思っていた。四依、英五、六恵なんて次々と子供を作るつもりだったのだろうか?


 あーあ。それにしてもキレて辞表を出してしまったなぁ。もう少し我慢しておくべきだったかな? 俺は営業成績ずっとハイレベルで今期は一位だった。なのに、上司を旨くヨイショした奴が早く昇進していくなんて納得いかない。もちろん世の中、そういうもんだってのは理屈では分かっていたけどさ。いや辞めて正解だったんだ。そして結局、綾乃もオレが将来、あの会社でどんどん出世して、金と社会的地位が得られると思って、オレと付き合っていたんだ。実際給料高かったからなぁ。しかし逃げて行ってくれて良かったのかもしれないな。合コンで知り合った時、アイツは男全員に住んでいる所の家賃聞いて回っていたよな。あれは渋谷の大型のキッチンバーだったなぁ。それ程時間が経っていないはずなのに随分前のような気がする。あの時どうしてだろう。忙しかったからかな? 一人暮らしの家賃は大体収入の三分の一っていうのが定義だったなぁ。だからこっちもからかって、家賃二万五千円のトイレ、風呂共同の部屋って言ってみたり、億ション持っているとか言ってみたりしていたっけ。


 しかし、オレも無職になって一週間か。金は貯金があるから一年ぐらいは何とかやっていけるけど。さて今後の人生をどうしたものかな? 


オレも、もう三十三歳。いい年だしな。次の嫁さん候補探さなきゃ。何にしても、無職じゃなぁ。しかし、次にやりたいことか。何だろ? 営業職なのは間違いない。でも東京ってガチャガチャして、ド田舎出身のオレには何となく肌に合わないんだよなぁ。実家に帰ろかな。しかし家には畑と田んぼと三つの荒れた山があるだけだ。それじゃあ食っていけないから、結局就職見つけなきゃなぁ。


 そういえば「山三つある」って言ったら「超大金持ち?」って聞かれたっけ。


「山一つ売っても十万円になるかなぁ?」って言ったら「どんだけ田舎~?」って言われて笑われたっけ。まぁ東京の人が山一つって言われると、ちょっと違う想像するのかもしれないな。


 日本海に面した田舎町、椿町。実家は町の中心から離れた山寄りで、最寄りのコンビニまで車で二十分もかかる。都心では考えられないぐらい不便な場所にオレの実家はある。それが嫌で東京に出た。しかし、今となってはその判断も正しかったのか怪しい。でも実家に帰ったとしても、職探しは大変だろうな。本当に今後どうしようかな。タダスさんかぁ? 二十歳まではお年玉くれたなぁ。政治家目指すって、いったい何考えてるんだろう? 政治ねぇ。そういえば今、働き方改革がどうのこうのって言って議論になってるよな。もし、内閣総理大臣が一日の労働時間を八時間にしたら世の中大変な事になるだろうな。でも社会に一石を投じるのには間違いない。な~んてね。


 しかしタダスさん、もしかして四月にある統一地方選挙に出るつもりなのかな?今日、一月十五日だろ。ってことは三ヵ月しかないよな。選挙の準備、間に合わないよなぁ。本当にびっくりするよ。こういった場合、オフクロに電話してタダスさんの事聞いてみるのがいいよなと考え、太郎は母親の美里の携帯に電話を入れる。


「もしもし」


「あ、太郎。仕事これからどうするの?」


「そう言うなよ。少しの間休息を取ろうかと思ってる。それよりさっきタダスさんから電話あって政治家目指すとか言ってたよ。いったい何があったの?」


「タダスったら太郎が失業した事言ったら、嬉しそうにしてるの。何考えてるんだか。でも、本気で政治家目指すみたいよ。椿町町議会議員。それも三ヵ月後の統一地方選挙に出馬するんだって。そんなもの勝てる訳ないって言ってるんだけど『本当は、前々から考えていたんだ。私には信念と揺るがない政策があるんだ』なんて言って、こっちの言うことに耳を貸そうとしないの。選挙ってお金かかるって言うじゃない。今の状態じゃお金をドブに捨てるようなものなのにね」


「そうだよねぇ。オレもそう思う。まぁ確かに椿町にはこれといった名産品も観光名所もないし、隣町にショッピングモールは出来るし、その反対側の峠を越えた県にはアウトレットモールがあるから商業施設も出来ないだろうね。一つだけ言うなら、今海側に、大規模な団地開発が進んでいる様なので、若い人達が移り住んで高齢化が緩和しつつある事だよね」


「あ、そういえばタダスが持ってる土地の一部が団地開発の時に売れたみたい。田んぼが売れたって喜んでいたねぇ。といっても、それほど高い値段じゃないけど」


「へぇ、そうなんだ。金が入ったから選挙出るなんて言い出したのかな?」


「まさかぁ。こんな田舎の田んぼなんてどんなに高く売れても一枚二十万円がいい所よ。もし、タダスが選挙に出るって言ってもわずかな足しにもならないでしょ。本当に何を…」


「あ、ごめん。またタダスさんからキャッチホンで電話が来た。オフクロ、電話切るね」


「わかったよ。くれぐれもタダスの言うことに乗せられないでね」


「わかってるって。じゃあね」


 太郎は母親の電話を切り、タダスさんの電話に出る。


「もしもし」


「太郎。私のやろうとしている事を応援してくれ!」


「タダスさんさぁ、信念かやりたいことか知らないけど、政治家なんて簡単になれる訳ないじゃん。しかも準備してる時間もほとんどないし。オレよく知らないけど、地方の政治家って国会議員の下で秘書とかしてた人が推薦とかもらって選挙出るんじゃないの?」


「いや。そうでもないんだ。ほら隣の集落の川内さんなんて、どこの政党にも所属していないだろう」


「そうかもしんねぇけど川内さんだって入念に根回しとか、集票活動とか前々からしてたんじゃないの?」


「その通りだ」


「その通りって、タダスさん、そんな状態で選挙に出るつもり? 何考えてるの?」


「だからお前に声をかけているんじゃないか。よく聞け。私は海側にある虹の橋の近くの田んぼを売った時に閃いた。椿町町議会議員の議員定数は十八人だ。そして最低当選獲得票数は七百五十票だ。この意味わかるか?」


「全然。それに、なんでオレを巻き込もうとする訳?」


「聞かれると思っていた。今まで椿町町議会議員をやってきた人達は古くから椿町に住んでいる人達の票ばかり狙ってきた。根回しの上、町のイベントへの徹底的な参加をしてだ。しかし、この関係は汚職と馴れ合いの元だ。ずっと前から私はこれを苦々しく思っていた。これを断ち切って出馬する」


「ハイ? 政治家の集票活動なんてそんなもんじゃないの? よくわかんないけど」


「今まではそうだ。椿町から政治家になろうとしたら馴れ合いの関係の集票活動をしなければならなかっただろう。しかし私は思いついた。今開発されている団地の無党派層を狙えば七百五十票以上獲得出来ると考えた。そこでお前の営業力に目を付けた。飛び込み営業ならぬ、飛び込み票集めだ。お前は政治に関心がほとんどないと思う。しかしよく考えてみろ。二年前には椿駅前に駐輪場が新しく増設された。これは誰が指示を出してどこの行政がやったと思う?」


「そりゃ椿町町議会と椿町役場だろ。だから何なの?」


「お前の言う通りだ。何も政治は国会議員だけがやっている訳じゃない。一番身近な政治をやっているのは地方議員だ」


「言っている事は分からなくはないけど。じゃあさぁ、仮に町議会議員に当選したとしてだよ、十八人町会議員がいる訳でしょ。ってことはタダスさん以外の十七人が政策に反対したらどうするのさ。通らないでしょ」


「いや。私の政策は§ΔΘΞΨΦΣという事だ。余程のおおまぬけ以外は必ず納得してくれる」


「確かに。凄い事考えるね。これが世に出れば確かに活気づく。日本が大きく変わるかもしれないね」


「そうだろう。政治家なら必ずこの意味が分かる。お前の言う通り、私は告示日までの準備期間は短すぎる。政策と集票活動の方法を考え付くまでに時間がかかってしまった。しかし一日でも早く私の考えを実現するためには、まず十八人の中に入らなければならない。お前の持っている営業力で集票活動に力を貸して欲しい。頼む」


「ごめん。凄い事考えていてやりたい事もわかった。でも選挙って色んな事をやりながら動くんでしょ。オレには出来ないよ。それに世の中には正しい事をやろうとしても、必ずって言うぐらい足を引っ張る奴がいる。そんな奴らと同じ土俵に上がるのは嫌だなぁ」


「お前は集票活動の事だけ考えてくれればいい。それ以外の事は私が対応する。心配するな。それと選挙事務所は早い人は、もう立てている。私もお前が手伝ってくれるなら、すぐに準備する。頼む。私を助けてくれ」


「困ったなぁ。今すぐ返事出来ないよ。二、三日考えさせて。NOって言う返事になっても恨まないでね。じゃあ」と電話を切る。


 やっぱりタダスさん、本気なんだ。政策も面白いと思う。集票活動もユニークだ。だけど政治の世界へ入る手伝いか。気が進まないなぁ。何かドロドロしてそうだし。確かに実家の町が良い方向へ変わっていくと言う希望は持てる。


 しかし腹減った。とにかく近所の商店街に行って朝飯食べるか。ん? 考えてみれば実家の近所なんてバス停さえないなぁ。小学校なんて歩いて一時間以上かかってた上に、街灯もほとんどないし。そんな状態が本当にタダスさんの言う政策で変わるのかな? 変わるんだったら椿町がモデルケースになって日本中が変わるかもしれない。壮大な話だな。オレには見当がつかん。考えても結論は出ない。夜にでも中学の同級生の所に電話してみるか。何かヒントがあるかもしれない。結論を急ぐことは無いな。




 実家で小、中学校が一緒だった友人に電話をする。


「池上! 太郎だ。久しぶり~」


「おぉ、太郎。こっちに帰ってきたのか?」


「いや、今東京で仕事しようかそっちに帰って仕事やるか悩んでる」


「そっか。悩むよなぁ。あ、丁度よかった。お前に二件報告がある」


「何?」


「オレ昨日結婚した。と言っても、結婚式もしないで役場に婚姻届け出しただけだけど」


「へぇ。おめでとう。嫁さん美人か?」


「当たり前じゃん。それからもう一件の報告だけど、海野が四年前に結婚したよな。婿養子になって」


「あぁ、知ってる」


「で、アイツ、椿駅前に寿司屋を出したんだよ」


「お。自分の店、出せたのか。あぁ。そういう事か。海野の所にお祝い持って行ってみんなで飲み食いしようって事だな」


「そういう事。お前はいつならこっちに帰ってこれそうだ? やっぱ今の時期だとゴールデンウイークになるか?」


「いや。実は会社辞めたんだ。だから今は無職。『明日帰る』って言ったら何人か海野の店に集まれそうか?」


「多分地元に残ってるヤツなら、お前が帰ってくるって連絡したらすぐ集まるんじゃないかな? ところで何でオレの所に電話して来たんだっけ。悪い。オレばっかりペラペラしゃべって」


「別にいいよ。ちょっと相談事があったんだけど、海野の店に集まった時、全員に相談するわ。あ。みっちゃんは必ず呼んでおいてね」


「わかってるって。お前の初恋の相手だろ。まだ独身だよ」


「へぇ。そうなんだ。どこで働いているんだ?」


「椿町役場」


「あ、そうなんだ。さすがみっちゃん。ある意味、一番相談したい所にいる」


「何のこと?」


「海野の店で話す」


「そうか。じゃあ、ちゃんと明日帰って来いよ。みんなに声かけとくからな」


 電話を終えてよく考えてみれば今みたいに、ほとんどの政治家の票集めってのはこういう友達同士の関係から始まっているのかもしれないなと思う。だからと言って、友達七百五十人も作れないよなぁ。飛び込みの票集めか。オレの力、どこまで通用するかサッパリわかんねぇ。選挙か。椿町町議会議員は金使って票を買っているって噂、聞いたことがある。仮に衆議院議員であっても金儲けでやるものじゃなく、最初は高い志があるからやる。給料だけじゃ秘書を雇ったり選挙の費用は出せないって聞いたことがある。まして、椿町町議会議員だったら、金ばらまいてまで、なんで政治家になりたいんだろう? 甘い汁吸える とも思えん。それに誘致合戦で椿町は他の町に負けたんだよな。


 あんな田舎にそんな美味しい話があるとも思えないけどなぁ。ってことは名誉欲かな? そういえば政治家って金バラまいたらまずいよな。たまにニュースで聞く公職選挙法ってやつに引っかかるんじゃないのか? オレの田舎では、法律は無効なのか? 法治国家日本を揺るがす事態だな。ちょくちょく国道で白バイがしょっちゅうウロウロしているくせに。  


 まぁ、これは別の次元の事か。あ、そうだ。ネットで椿町町議会議員の給料、調べてみよ。


 太郎はパソコンで検索をし始める。


 へぇ。議員は給料じゃなくて歳費って言うのか。一年間に三百五十万円って、家族食べさせるだけで、やっとじゃん。タダスさんはおそらく歳費が0円だとしても、やるって言うだろうけど。その手伝いか。世の中を変えるという意味ではタダスさんのいう事は正しい。確かに町議会の椅子に座っているだけの他の老人より余程マシだと思う。


だけどきっとタダスさんの手伝いはボランティアなんだろうな。別に金に困っていないけど、これからタダスさんがオレに求めている事から考えれば、少しぐらい金とは言わないけれど何か欲しい気もする。とにかく明日、実家に帰って荷物降ろしたら海野の店でみんなに相談してみるか。あ、そうだ。オフクロに明日、帰るって連絡入れておかなきゃ。


 太郎は携帯を取り、母親に電話を入れる。


「あら太郎。何度も電話してくるなんて珍しいわね。どうしたの?」


「うん。タダスさんの件で友達と集まることになったから、明日一回帰るわ」


「あ、そおぉ。わかったよ布団用意しておく。ところで、何時頃帰ってくるの?」


「午後三時に金沢駅に到着予定の新幹線で帰ろうと思ってる。それから七尾線に乗り換えて椿駅まで行くつもり。悪いけど、椿駅まで迎えに来てもらえない?」


「いいよ。なんなら、金沢駅まで行こうか?」


「それは助かる。じゃあ明日よろしくね」


「ハイハイ。じゃあね」と言って電話が切れた。


 あ、よく考えたら電車代って、この際だからタダスさんに請求してやろうか。


 さぁ、今のうちに荷物、スーツケースに入れておくか。部屋の整理と実家へ帰る用意をして一日が終わる。




フゥ。金沢駅に着いたか。改めて思うけど新幹線ってメチャメチャ速いな。東京駅からあっというまだった。これ飛行機で帰ると結構乗り継ぎ面倒なんだよなぁ。お、改札出たところにオフクロいるじゃん。


「おーい、オフクロ」


「太郎。お帰り。色々話しあるでしょうけど車の中で聞くから駐車場へ行きましょ」


「そうだね」


 駅前の駐車場に停めてあった母親の車で実家へ向かう。


「あんた、これから仕事どうするつもり? それにタダスの件もあるし」


 母親の美里が運転しながら問う。


「仕事、東京で続けるか迷ってる。こっちで何かいい仕事あれば戻ってきてもいいかなぁとも思ってる。新宿駅なんて、一日に改札口を通る人だけで、三百万人以上いるんだってさ。石川県民より多いんだよ。しかも駅の中は迷路みたいに複雑だし。ガチャガチャして肌に合わない感じがしてきてる」


「あんたは、それがわかって東京で仕事していたんでしょ。今更何言ってるの。確かに、あんたがこっちに帰ってきてくれるなら私は嬉しいよ。だけどタダスの事だけで、東京からウチに帰ってくるならきっと後悔するよ。今は結婚を約束した人が逃げて行ったり、仕事をやめたりして疲れているのかもしれないよ。だったら気が済むまで休んだらいいと思うわよ。繰り返すけど、タダスに引っ張られて中途半端な気持ちで手伝うのは止めときな。いいわね」


「うん。タダスさんから声かけられてから、ずっと考えてたんだ。そして、その事で帰ってきた。タダスさんが政治家に成れたら、きっと椿町は変わる。出来もしない公約を掲げてる川内さんと違うのは分かる。名誉が欲しくて政治家に成ろうとしている訳じゃないのも伝わった。集票活動もユニークなのはいいと思う。キチンと営業経験がある人間が動けば当選するかもしれない。だから今現在、無職のオレに声をかけたんだと思う。ただ、オレが実際に動くにはもう一つ後押しが足りないんだよなぁ。もちろんこの気持ちをタダスさんに言えば、猛烈にオレを引っ張ろうとするだろうね。だから今晩、友達に相談してみようと思ってさ。あ、晩御飯いらないよ」


「あら。そういう事は先に言いなさいよ。全くもう」


 


公職選挙法




 これが、海野がやっている店か。みんなもう来てるかな? と思いながら寿司屋に入る。


 すると小さな座敷の六人掛けのテーブルに四人来ていた。


「よぉ、久しぶり。よく集まってくれたな。ありがとう池上。圭太。みっちゃん。さっちゃんも」


「太郎、何固い挨拶してるんだよ。早く座れよ。ビールでいいか?」


「あぁ、ありがとう。そうしてくれ。その前に」と言い、カウンター奥にいる海野に声をかける。


「よ! 海野、夢がかなってよかったな。これお祝い」と言い、祝儀袋を渡す。


「お。ありがとう。遠慮なく頂くよ。今日はゆっくりしていってくれ」


「うん。ありがとう。そうさせてもらうよ」


 座敷に上がって空いている席へ座った。太郎は池上にも、結婚祝いの祝儀袋を出す。


「いやぁ、ありがとう。せっかくだから明日の夜にでもウチに来てもらって嫁さんに渡してもらっていいか?」と頼んでくる。


「そっか。わかったよ。じゃあ明日の夜、お前ん家行くよ」


 そこに幸子が声を上げる。


「もう。こっちも待っているんだけど。まだ始めないの? 喉乾いたよ」


「あぁ。ごめんごめん。飲も飲も」と海野も席に呼んで六人で乾杯する。


 酒と食がやや進んだ所で太郎は再度海野も席に呼び、話を切り出す。


「みんな、ちょっと相談事があって帰って来たんだけど、話を聞いてくれ」


 圭太と幸子が不思議そうに太郎を見る。


「あの、実はね。オレの叔父、正って言うんだけど、名前がなまってタダスさんって呼んでいるんだけど、その人が椿町町議会議員選挙に立候補するって言うんだ。しかも四月にある統一地方選挙にだ。オレ政治の話って新聞で読むぐらいしか知んねぇし、まさか自分の身内が政治家に成るなんて言い出すとは思ってもみなかったんだ。しかも、選挙手伝って欲しいとも言われている。正直、そんなことやったこともないし、知識もない。公職選挙法って言うのも絡んでくるんだよな。みんなどう思う?」


「無理だろう」


「今からじゃ準備間に合わないっしょ」


「うーん。投票すら行ってないし」


 みんなから声が上がる。


 その中で椿町役場に勤める、みっちゃんこと美知子だけはまじめに聞いて来る。


「政策とこれからでも選挙に出て勝つための戦略はどうなってるの? 教えて」とマトモなことを言う。


 すると一同は太郎に顔を向け言葉に耳を傾けようとする。


「うん。タダスさんが考えた政策は§ΔΘΞΨΦΣという事なんだ」


 一同は「すげー」「おもしれぇ~」「よく思いついたな」と反応する。


「政策がユニークなだけじゃなく集票活動も聞いた事ない事言い出したんだ。当選ラインの七百五十票を集めるため飛び込みで回る。主に今、新しく住み移って来た人の家を訪ねて応援してもらうように頼んでいくんだって。だから『お前の営業能力が必要だ』って言われたんだ。みっちゃん、役場に勤めているんだろ。こういう話、少しは分かるんじゃないの?」


「うん。アタシは住民課なんだけど、前に頼まれて選挙に関する事、詳しく調べた事あるの。集票活動も政策もしっかりと考えられているみたいだから正さん? タダスさん? 選挙出てみる価値はあると思うよ。太郎君だって選挙手伝うと自分のスキルアップになると思うけどなぁ。ただ、ね、分かっていると思うけど、選挙には色んな知識いるよ。それにお金も」


「知識って? お金って?」


「一番分かりやすいのは公職選挙法。例えばね、民民党公認の竹内さんって現職の椿町町会議員がいるでしょ。この人の場合なんだけどね、ポスターに自分の写真を三分の一だけ載せているの。もう三分の一は石川三区の衆議院議員の中田さんが載せてあるの。そして残りの三分の一に民民党って載ってるの。これってね、竹内さんのポスターじゃなくて民民党のポスターとして選挙管理委員会が見なすの」


 周囲から「何で?何で?」と声が上がる。


「うん。民民党から出ているとポスターの三分の一に書かれているからなの。ついでの話なんだけど、竹内さんの隣に載っている人物は別に政治家じゃなくても民民党の人じゃ無くても誰でもいいの。だから私でもいいってことになるの。変な話でしょ」


 一同は「変なの」「不思議だ」と声を上げる。


「でもね。太郎君の叔父さんはどこの政党にも所属してないよね?」


「うん。そうじゃない?」


「やっぱりね。だったらもう、叔父さんのポスターは公示期間中の公営掲示板にしか貼れないよ」


「なんで?」


「あのね。今言った通り民民党のポスターなら掲示できるの。でも政党公認じゃない人は個人ポスターしか作れないでしょ。その個人ポスター、つまり叔父さんのポスターは公営掲示板にしか貼れないって言ってるの。他にもあるよ」


 みんな好奇心満々に聞いている。


「さっき、飛び込みで集票活動するって言ったよね?」


「言った」


「叔父さんは、おそらく自分の事を書いたチラシを配布しようと考えていると思うの。でもね、さっき言ったポスターと同様にチラシにも政党名が入ったものじゃないと基本的に配布しちゃダメなの。だから留守の家のポストにチラシを入れちゃダメ。手渡しなら名刺を渡すのと同様の扱いになるから、ギリギリ許されるみたい。注意してね」


 一同は「へぇー」と声を上げる。


 太郎は黙って、その続きの話を聞く。美知子は太郎の姿を見たのか、真剣に話を続ける。


「太郎君。タダスさんって公示期間中に自分以外に動いてくれる人って確保してるの?」


「多分、おばさんとウチの人間ぐらいじゃないかな? 今の所、何も聞いていないよ」


「やっぱり。それ、すごく危険」


「何が?」


「あのね。おそらく叔父さんの選挙事務所って自宅になるんじゃないかな? って事は自宅に自分が知らない人が来る可能性が高いよね。つまり、泥棒が入ったりしてくる可能性があるよ。それに他の選挙事務所の人が来て勝手に家に入って出前を取って、タダスさんんの事務所の支払いにして、食べてるところの写真を撮っていくの。そしてこれって買収だって言って、選挙管理委員会に写真を提出されて、面倒なことになる可能性があるの。それに、近所の人が突然ボランティアで手伝いに来た時に何をしてもらうかの指示ってそのおばさん一人で出来る? ボランティアの人に何も手伝ってもらわないのは、段取りとして最低。外に出て集票活動するんでしょ。もちろん一緒に動くかもしれない太郎君も含めて。その辺りの対策、出来てる? 気を付けてね。それと、これは他の候補者も見落としがちなんだけど、選挙中の雨の日対策は、しっかりしておかなきゃダメだよ。傘と雨ガッパは必ずいるから。もちろん外に出る人の人数分と予備。それに四月といえど、まだ寒い時期だから防寒対策はしてね。まだあるよ」


 幸子が「まだあるの~。理解するだけでも大変なのに~」と声を上げる。


「さっちゃん。アタシの言っているのはまだわずかな事だよ。この程度知らないで選挙に出たら、必ず他の陣営から潰されるか失敗するかだよ」


 太郎は一言「みっちゃん続けてくれ」と、周囲のうんざりした雰囲気を消す。


 美知子はうなづいていう。


「うん。これは最大の問題なんだけど、椿町に立てられる公営掲示板って百七十二ヵ所なの。この看板って中心街にも建てられていて、次から次へと簡単にポスターを貼っていける所もあるよ。でも車で片道三十分っていう山奥に立ってるところもあるの。つまり大人数で手分けしてポスター貼りをやらないといけないの。ちなみに告示日の午前中までに公営掲示板にポスターが貼りきれていない事務所はダメ事務所と言われて、悪い噂が立つから必ずポスター貼りの人数は確保してね。それにしっかり選挙事務所を仕切れる人は必ず見つけてね。アタシがわかるのはこれくらいかなぁ」


 そこに太郎は真剣に尋ねる。


「みっちゃん。お金の件は?」


「あ、ごめん。言うの忘れてた。あのね。まず公示期間中は運動員を十人まで雇っていいの。支払う金額は一人当たり一日一万円。他に食事代を一食当たり千円まで出してあげてもいいの。逆に言うと千円超える飲食は認められないよ。でも実態は、街宣車に乗っているウグイスさんなんて、三万円以上もらっているみたい。統一地方選挙ってことは他の市や町や県単位でやるから人材確保はお金を多く支払って揃えるって言うのが現状なの」


「それってマズいんじゃないの?」と圭太は言う。


「マズい、マズい。でもね、バレなきゃ何やったっていいって事なの。お金バラまいても」


 海野は「金ねぇ。そこまでして何でこんな田舎の町議会議員になりたいのか理解出来ねぇよ。しかも毎回出来もしない公約、掲げてさあ~」


 美知子は「うん。アタシもおかしいと思う。でもね前回の選挙の時、新人が二人出てきたんだけど自自党の熱烈なファンがバックに付いていてお金を提供してもらって活動してるんじゃないか? っていう人がいた。どういった経緯でお金が渡ってるかは分からないけど。普通に言ったら、これ完全に闇献金。選挙費用はかなり大きい金額だから、太郎君の叔父さんこの辺りの陣営からチョッカイ出されるかもしれない。気を付けてね。私が教えられるのは、これぐらいかなぁ。太郎君、どう? 参考になった?」


「ありがとう。もの凄く参考になった。みっちゃんの話の中で一番引っ掛かったのは、人を集めないと選挙は出来ないって事かな。後は金の出所がヤバそうなのがチョコチョコいるってところだね。もの凄く参考になった。帰ってきてよかった。明日にでもタダスさんに、今教わった事を聞いてみるよ」


「ポスター貼りぐらいなら、有給使って手伝ってやるぜ」


 圭太が言うと、美知子以外は「手伝う」と言ってくれた。


「みっちゃんは手伝えないんだっけ?」と、池上が聞く。


「ごめん。アタシ公務員だから。特定の人の直接の応援は出来ないんだ。相談になら、乗ってあげられるけど。ごめんね」


 圭太は「仕方がないじゃん。でも、こんなに丁寧に選挙の事を教えてくれる先生だし。な、太郎」


「あぁ、その通りだ。みっちゃん、気にすることないよ。人には立場ってものがあるし。大人になればなるほど付いて回るものだろ。みんな。ポスター貼り手伝ってくれるって言ってくれて、嬉しかった。アテにしてるぞ。さ、残った寿司と酒、飲み食いしようぜ」


「そうだな」とみんな手を伸ばし美知子の講義は終わった。




「オフクロ~、帰ったよ~」


 玄関で太郎が声をかけると三月が奥から出てきた。


「うるさいよ」と、眠そうに言う。


 太郎は「起こしちゃったかな。ゴメンゴメン」と言いながら家の中に入る。


「もう。何時だと思ってるの。玄関で大きな声、出すの止めてよね。まぁ、でも起きてしまったことだし、酔ってるみたいだからコーヒーでも入れてあげようか?」


「お、気が利いてるじゃん。ありがとう」と、二人でキッチンに行く。


 三月はコーヒーを入れながら「お母さん、もう寝たよ。お兄ちゃんどこかでご飯食べてきたんでしょ」


「うん。食べてきたよ。友達が寿司屋出したから」


「海野さんの店でしょ。知ってるよ。って言うか、椿町に住んでる人ならほとんど知ってるじゃない? 駅前だしアタシも、もう何回か行ったよ」


 太郎は椿町にゆかりのある人は既にあの寿司屋が開店したことを知っているのだと知って嬉しく思う。


「三月さぁ。やっぱ田舎ってたかが寿司屋一件でも目立つのかぁ?」


「今更何言ってんの。東京とは違うの。椿町でにぎやかなのは駅前の辺りだけだよ。椿町にはファミレスすらないんだよ。ラーメン屋だって二件しかないし。ましてや地元でデートでもしてたら、すぐにお父さん、お母さんの耳に入るし。アタシの職場なんて彼氏がいるのをほとんどの人、知ってるし。あーあ。こんな事ならお兄ちゃんみたいに東京行けばよかった。そしたらタダスさんに絡まれる事も無かったのに。ホント、田舎の人間関係って狭いから嫌んなる。もー」


「確かに田舎の人間関係狭いよなぁ~。老人の比率も高いし。ただタダスさんが言っていた新しい団地の人はお隣さんの顔知ってる程度なんだろうな。昔からの住民と違って顔と名前が一致しなかったり、職業なんかもお互い知らないんじゃないかな?」


「多分ね」


「なぁ三月。考えてみればさ、タダスさんが考えてる集票活動ってかなりイケてるかもしれないな。新しく入って来た住人のほとんどは椿町町議会議員の事を知らない。古くから住んでいる人と違う。そうか。だからみっちゃんは面白いって言ったのか。おい三月。タダスさん、オレ達が本気で手伝ったら、当選するかもしれないぞ。すげーな、タダスさん」


「タダスさんの言う事分かるんだけどね。でも、町議会議員の人って何となく好きじゃないんだよね。いつもどこに行っても大きい顔してさ。何か感じ悪いんだよね」


「オレも三月と同じ意見。じゃあさぁ、政治家が腰が低ければそれだけの理由で投票してもらえるかな?」


「分かんない。考えた事も無い。大体の人って、普段大きな顔して選挙の時だけ人にお願いしてあの態度が大嫌い。アタシ実は町議会議員の選挙投票に行った事無いんだ。お兄ちゃんはどう?」


「三月の言う通りだな。オレも同じ意見だし誰かに投票したこともないなぁ。たださぁ、タダスさんが政治家になっても、威張って歩くとは思えないんだよねぇ。オレ達の子供の頃から、タダスさんが怒鳴ったの見たことないし、自慢話もしない人だった。それに結果も出してくれる気がするんだよ。どう思う?」


「分かんない。それよりアタシもう寝るね。おやすみ」


 三月は疲れた顔で二階の自分の部屋へ戻っていった。


 太郎は、考えはまとまったと自分で感じ、明日タダスさんの家へ行こうと決める。




議論




翌朝、太郎は腹に色々な物を抱えながら、すぐ斜め向かいのタダスさんの家に行く。




「タダスさん。おはようございま~す。太郎で~す」


 玄関の鍵もかかっていない引き戸を開け、中に入る。


「おぉ、よく来た」とタダスさんが奥から青色のハンテンを着て出てきた。


「ほら、上がれ。熱いお茶入れるから。ほらほら」と先に立ち、茶の間のこたつに入るように促される。


 そのまま自分でお茶を二つ入れ湯呑をこたつの上へ置いた。そして改めて太郎と議論しようという顔で座った。


 太郎はその顔を見て話を切り出す。


「この家、オレが子供の頃に見たまま、ほとんど変わっていない。いかにも農家の家って感じだね」 


 タダスさんは真顔で答える。


「そうだな。そうかもな。何も変わらないのは家だけじゃない。政治家の腐った馴れ合いのやり取りの体質も変わらない。かつてはお互いを助け合うといういい町だったのだが。いつの間にかくだらん金権政治と名誉欲の塊になっていってしまった。本来の政治の姿は町でこう言う事をやりたい。だからあんたに託すよ、と町の人に言われ政策を立て実行に移す。それが町の単位で出来ないとなると県に交渉したり、国に交渉したりするのが町の議員であり役人だ。しかしこの町の政治家はもうそういった働きをしなくなった。上辺だけの公約を唱え、ほぼ出来レースをしている。前回の選挙から宮島麗子なる人物が若い二人の自自党公認の人物に金を渡し力ずくで当選させた。どういう仕組みかと言うと、簡単な事だ。今、椿町町議会議員の議席は十八席だ。そのうち自自党公認・推薦で票を持っている人物は七人いる。全員が当選ラインの七百五十票ギリギリという訳ではない。人によっては二千票程取る。そういう余裕のある議員の票を分けてもらっているんだ。金の力でな。椿町町議会議員の歳費は三百五十万円だ。こんな金額では議員は、とてもやっていけない。さらに四年に一回の選挙の度に金が飛んでいく。だからほとんどの議員は金のある所に群がる。そして、その金を出した人間の飼い犬になる。いつの間にか、住民の事より金を出した者の言う事が議会で通るようになる。何のための政治家何だろうな」


 太郎はタダスさんの情報収集力に感心しながら熱意とこれから突き進もうとしている姿に感銘を受ける。


「おぉ、太郎すまんすまん。熱弁していたらお茶が冷めてしまった。もう一回入れなおそうか?」


 太郎は水を差されて呆れながら「タダスさん。お茶の事なんてどうでもいいから続きを話して。オレの事、スカウトしたいんでしょ」


「そうか。せっかく気を使ったんだが」


「いいから! お茶、まだ飲み足りないと思ったら勝手に冷蔵庫から何かもらうから。ホントそういうズレた所、オフクロにそっくり」


「そうか? 姉さんとは違うと思っているんだがなぁ」 


 タダスさんは笑いながら言う。


「いやー、甥っ子としてタダスさんを見てると、オフクロと間違いなく兄弟なのがわかる。まぁ、それはいいとして話の続き聞かせて」


「どこまで話たっけ?」と言われ、太郎は更に呆れる。


「タダスさん。しっかりしてよ、マジで。金を出した人間の飼い犬になるって所から、何のための政治家って所だよ」


 タダスさんはケロッとした顔で「おぉ、そうだった。すまんすまん。じゃあ話の続きをしよう。そもそも政治家の歳費が少なすぎるのが根底にある。だが町議会議員の歳費を上げたいと議会に提出しても、まず町民に理解されないだろう。政治家という職業は税金から歳費をもらって贅沢していると思われがちだ。町議会議員だけではない。上を見れば衆議院議員も同様だ。参議院議員なんて選挙の時の出費が衆議院議員より圧倒的に多い。太郎。なぜだか分かるか?」


「分かんない。考えた事も無い」


 タダスさんは太郎を強く見つめる。


「よく聞け。衆議院議員は、この石川県なら三ブロックに別れている。ここは石川三区だ。これぐらい知ってるな?」


「知ってる」


「じゃあ、話しを続けよう。衆議院議員の選挙区は石川一区、二区、三区だ。しかし参議院選挙の票田は石川県全てだ。少しは分かったか?」


「なんとなく」


「石川県の場合、まだ田舎の方だから選挙活動は楽だ。しかしこれが神奈川県だったらどうなると思う? ちなみに十八区まであるぞ」


「いや~。全然見当がつかない」


「そうだろうな。例えば駅前の街頭演説やチラシ配りだけでも、とんでもない量をやらなければならない。その時にチラシ配りは一人でやれる訳がない。つまり自前の私設秘書が何人も必要になる。この秘書の給料だけでもかなりの金額になる。しかも候補者が全ての金を負担する。他にも事務所の家賃。車の維持費。様々な紙媒体の印刷代やポスター代。もちろんポスターを貼ってもらう人に対しての人件費も必要になる。他にも細々とした金が出て行く。出て行く金はお前にとって千円の支払いの感覚が十万円ぐらいだと思っていいだろう。だから、自分に別口の収入があるか、どこかにスポンサーがいる人間しか立候補出来ない。都心や関西圏は当選人数も石川より多い分だけ立候補者も多い。さっき街頭演説の話をしたな?」


「した」


「そういった、票集めのやり方を空中戦という。ここから得られる票数は読めないが国政選挙なら確実にある。そして、今私が考えている飛び込みの票集めは数を読むこと出来る地上戦だ。地方議員の選挙の勝ち負けを決めるのは地上戦でどこまで詰められるかだ。椿町町議会の選挙となると七百五十人以上の有権者の票を確実に抑えておく必要がある。ところで、お茶完全に冷めてしまった。太郎、本当にお茶入れ直さなくていいか?」


「いいってば! タダスさんさぁ。マジメに話してるんだから、お茶を気にするの止めてよ。もういい。オレがお茶入れてくる。お茶っ葉棚にあったよね! 湯呑二つ台所にもっていくよ。しばらく待っててね」


 太郎は呆れながら台所へ行きお湯を沸かしながら地上戦について考え始めた。七百五十人の有権者。一軒の家で二票取れるとして四百件弱の家を抑えればいいのか? しかし回り始めれば、熱心な公公党の支持者にもぶつかるだろう。母体のあの宗教団体は何せ日本人の十人に一人が入っているって言う話だから、タダスさんの票にはまずならない。他にも考えられる。お宅訪問しても政治に関心無いって言われて追い払われる。後、何の理由も無く門前払いを食らう事だって多いだろう。いつ行っても留守って言う家だってたくさんあるはず。オレがわずかな時間で考えただけでも票をもらうのはかなり大変だ。タダスさん大丈夫か?


 お、お湯が沸いた。急須急須。お茶っ葉、お茶っ葉…。タダスさんにお茶を渡し、太郎自身もこたつに入る。


「う~ん。やはり番茶は熱いものに限る」 


 タダスさんはゆったりとお茶を飲む。


 太郎は呆れる。


「タダスさんってマイペースだね。そんなことで選挙に勝てるの? 大丈夫?」


「おぉ、マイペースだったか。それも今のうちだ。休めるときに休まなきゃな」と言いながら笑った。


「あのさー、本気でオレの事スカウトする気あるの?」


「もちろんだ。それじゃあ、話の続きをするぞ。今現在、椿町の人口は三万八千人だ」


「あれ? 三万八千人もいるのに、当選票数が七百五十票?」


「そこだ。投票に行かない人が大勢いるんだ。その票を取りに行くんだ。それには戸別訪問しかない」


「でもね、タダスさん。オレちょっと考えてみたんだけど、門前払いされたり別の候補者を応援している人だって多いと思うんだ。もちろん留守宅も多いし、そもそも七百五十票取るのに何件の口約束が必要と考えているの?」


「おぉ。お前も気づいたか」


「営業経験があれば遅かれ早かれ気づくっしょ」


「まぁ、そうだな。私が考えている計算では三千件は抑えないとダメだろうな。こっちが訪問している時はそれなりに愛想よくしてくれても、実は他の候補者を応援していたとか、ギリギリになって別の候補者に乗り換える場合も考えられる。当日、投票に行かない事も考えられる。何度も顔を出さなければ、すぐに私の名前なんて忘れられるだろう。だからひたすら歩いて票を集めなければならん。逆に言うと歩けば票は拾える。わかったか?」


「なるほど。票集めは分かった。じゃあさぁ、こんな事考えた? 告示日に公営掲示板にタダスさんのポスターを貼ってくれる人達の手配は? 百七十二ヵ所あるんでしょ。そもそも公示期間に貼るポスターの手配は? 選挙事務所はどこに立てるの? タダスさんの選挙事務所へ、もし近所の人がボランティアで手伝いに来た時の受け入れ準備は? 公示期間中の運動員に対しての雨対策は? これって椿町役場に勤めているオレの友達の美知子って言うのが教えてくれた事だけどね」


「おぉ、そうか。お前なりに勉強していたか。感心感心。まず公営掲示板に貼るポスターだが、これは手配してある。キチンとスタジオ撮影したものだからイイ男に撮れとる。期待しろよ。ただポスターを貼ってくれる人達はまだ誰もおらん。今の所、戦力と言えるのは太郎だけだ。どうしたらいいと思う?」


 太郎は呆れる。


「タダスさんさぁ。本当に選挙出て勝つ気ある訳?」


「もちろんある。ただなぁ。私も選挙に出ると決めてから、一週間程しか経っていないからなぁ。色々困っているんだよなぁ。お前、何かツテないか?」


 太郎は、ハァーとため息をつく。


「分かったよ。何か方法がないか、オレの情報屋に聞いてみるから、少し待ってて」


「何だそれは? どういう繋がりなんだ?」


「教えられない。気づいたら親しい知り合いになっていた。ボランティアの件や何かアテになる情報がないか聞いておくから。しかし本当に困った人だなぁ。ところで選挙資金はいくらあるの?」


「なんだ。そんなことか。金ならある。心配するな。選挙用には三百万円と予備の百万円を見込んでいる」


「えー? 四百万円で選挙やるの。本当に大丈夫?」


「金の計算は出来ているに決まっているだろうが。まず街宣車は使わない。そもそも街宣車の役割を理解しているか?」


「ただやかましいだけ。言葉悪いけど馬鹿のやることみたい」


「まぁ、馬鹿まで言うと言いすぎなんだが、あれはパフォーマンスだ」


「ハイ? どういう意味か分かんない」


「あぁ。ほとんどの人が理解していないだろう。街宣車という物を走らせても、自分自身の名前を知らない人から票を入れてもらう事はまず無いだろう。あれは自分の支持者に向かっての訴えかけの道具だ。『私は頑張って選挙活動をしていますよ』とな。これこそ、よく聞く『最後のお願い』の手段だ。古くから親子代々お前や私のように一つの土地に住んでいる人間には、ある程度有効な手段だ。しかし、私が狙っているのは新しく住み移って来た人を中心に票を集める事だ。つまり街宣車はほとんど無意味だ。その無意味に近いものに、八十万円~百万円もかける必要は無い。これだけでも、かなり金が浮く。それと選挙事務所だが」


「うん」


「自宅にする」


「やっぱり」


「お前の心配しているのは泥棒対策と自分の家が突き止められる事だろ。こんな狭い町だ。自分の家はとっくに知られているから、どうということは無い。それに盗まれて困るものは、お隣の金子さんの家に預けておく。若奥さんにはウチのヤツと一緒に炊き出しも手伝ってもらう様にお願いしてある。問題ない。ただなぁ。お前が指摘した通りポスター貼りのボランティア、見つけなければなぁ。しかし便利な世の中になったなぁ」


「何が?」


「今は選挙事務所に大量の電話を引かなくて良くなった。一昔前まで大量の電話回線の契約をして引かなければならなかった。それが今では、何度かけても通話料が一定の携帯電話が当たり前にある。これだけでもかなり出費が抑えられる。ありがたい話だ」


「でもさ。どこに電話かけるの?」


「そんなもの簡単だ。これから耕して行くお宅に決まっているだろうが」


「えー! もしかしてこれから飛び込み票集めやるって言うのは、名前、住所、電話番号、までもらう気?」


「もちろんだ。それぐらいやらないと投票してもらう約束のわずかな手掛かりにもならん。当然の事だ」


 二時間ほどタダスさんと話しをした後、太郎は急いで山沢市内にある情報屋へ足を向けた。そう、太郎がいつも不思議に思っている怪しいハンコ屋へ。




アミ




「こんにちは~」と言いながら、太郎は店に入った。


 パソコンの打ち込みをしていたアミが顔を上げ「あら。久しぶりね。いらっしゃい」と、ショーケース兼カウンターに寄って来る。


「今日はどうしたの? 帰省?」


「えぇ、まぁ。色々とややこしい事に巻き込まれまして」


「あら、そうなの」


 人生に余裕がある様に感じさせるアミの落ち着いた話し方と言葉遣いが、太郎を毎回心地よくさせてくれる。


「それでウチに来たの?」


「そうなんです。ちょっと情報をもらうついでに、こうやってハンコ屋さんらしき仕事を副業にしてる怪しい年齢不詳の美人で住所不定かもしれないアミさんの所へ来ました」


「美人と年齢不詳はいいけどね。全く、失礼ね」


「そうですか? アミさんって女かどうかも怪しいですよ」


「あら。本当に毎回ウチに来る度に、どんどんお口が悪くなっていくわね。太郎ちゃんには、もう情報あげないわよ」


「あー。ごめんなさい。ハンコ買いますから勘弁してください」と言いながら、百十円のタワー型のショーケースを指さす。


 その太郎の態度に対し穏やかにアミは答える。


「今までのツケも溜まってるのよ。太郎ちゃんの左後ろにある三万二千円のチタンのハンコ買ってくれなきゃ、何も教えてあげない」


 明らかに押し売りしているのに色っぽく感じるアミの姿だ。店に行く度に太郎は毎回アミという情報屋からハンコを買っている。そう思いながらも財布から三万二千円をシブシブ出し、アミに渡した。


「キャー太郎ちゃん太っ腹。ステキよー。まぁそこの椅子に座って。今、ハンコに刻む書体の見本とハンコケースのサンプル持ってくるわね。ちょっと待っててね」


「アミさん。もう何本目のハンコかわかりませんけど、毎回の事なんで全て任せます。実家のオレの部屋、ハンコだらけですよ」


「あら、そうかしら。チタンだから今までのハンコと違って、落としても欠けないって言うのを実演してあげようと思ったのに。もう、つまんない男ね」


「あの。アミさん何か表現というか、物の言い方が違う気がしますよ」


「どこが?」


「ハンコの実演を見ないことがつまんない男って事です」


「あら。アタシそんなこと言った?」


「えぇ、言いました」


「あらあら、そうだっけ? まぁいいじゃない。あ、そうそう。さっき太郎ちゃんが『何本目のハンコ』って言ってたけど、よかったら調べてあげようか?」と、色っぽく毒舌をのたまうアミ。


 太郎はアミさんにはかなわないなぁ、と思いながら「悲しいので遠慮しておきます。アミさん。鬼かと思うぐらい商売上手ですね」


「あら、そうかしら。そんなこと言うんなら、今度は太郎ちゃんが座っている後ろの壁にかかっている象牙の真っ白の十六・二㎝の二本セット、十四万二千円のハンコ作ってもらおうかしら。うふ」


「うふ、じゃないです。象牙のハンコも何本も買わせて頂きましたよ。全く。いい加減覚えました。黄色っぽいものより白色に近づけば近づくほど、高いんですよね」


「あら、よく覚えたわね。頭なでなでしてあげようか?」


「結構です」


「あら、残念ね。まぁいいわ。せっかくだからコーヒーでも入れてあげる。ちょっと待っててね。ほらいつまで立ってるの。座って」


「はい…」




 アミがコーヒーを持ってきてカウンターを挟んで太郎の前に座る。


 太郎は礼儀正しく「頂きます」と言って、ブラックで飲んだ。


 アミも一口コーヒーを飲み「そういえば何か情報欲しいんだっけ?」


「えぇ。そのために来ました」


「どんな事?」


「椿町町議会議員選挙の運動員を集めるためです」


「ん? 太郎ちゃん、出馬するの?」


「あぁ、言い方が悪かったですね。すいません」


「ん? 選挙? どうしたの?」


「アミさんって『ん?』って言ってる時、やたらエロい感じの声出してるの自覚してます?」


「あら太郎ちゃんたら、アタシの事そんな目で見てたの? ヤラしーわね。でも、よく言われるわ。何でかしら? でも、アタシの魅力に気づいたみたいだから今日は許してあげる。それで、選挙って?」


「オレの叔父が椿町町議会議員選挙に出馬するって言い出したんです。オレに手伝って欲しいって言うんですけど、ほとんど運動員がいないっぽいんです。だから運動員になってくれる人を紹介して欲しくて、アミさんを訪ねて来ました。何かいい話ありませんか?」


「ん」


「だから『ん』は色っぽ過ぎですって」


「そお? うれし♪」


「いや、そうじゃなくて…」


「はいはい。相変わらず坊やね。太郎ちゃんは」


「あの。オレが坊やならアミさんはいったい何歳なんですか?」


「教えない。アタシはいつまでも年を取らない美人で色っぽい女なの。分かった?」


「意味不明です。っていうか運動員は?」


「仕方ないわね。少し待ってなさい。電話一本入れるわ」


 アミは店の奥へ入っていった。


 太郎はコーヒーを飲みながら待つ。もちろんお世辞にも広い店とは言えないのだから。アミの電話している声は聞こえる。相手が誰かは分からない。アミは五分程電話して、太郎の元へ戻って来た。


「太郎ちゃん。これから時間あるわよね?」


「えぇ。どうしたんですか?」


「ん」


「『ん』じゃなくて…」


「ちょっとからかっただけよ。これから石川学院大学政治研究部の部長の大久保君がここに来るから、おとなしく待ってなさい。いいわね」


「ん~」


「バカね。こうよ。ん~」


「色っぽいってば」


「全くもう。それでここで待つの? 待たないの?」


「すいません。ふざけました。おとなしく待ちます」


「いい子ね。じゃあ一旦店閉めて、この店の裏のラーメン屋へ行きましょ」


「はい? 大久保君は?」


「どうせここまで来るのに、一時間ぐらいかかるから大丈夫よ。もちろんラーメンの代金は太郎ちゃんが払うのよ。分かった!」


「…はい」




「大将。来てやったわよ~」


 アミは手を振りながら、太郎を連れラーメン屋に入った。


 大将は嬉しそうに「アミちゃん。いらっしゃい。今日も色っぽいねぇ~。お連れさんもいるのかい。はいはい、入った入った。好きな所座ってねぇ~」とカウンター奥から声をかける。


 昼食時ではないから店はガラガラだ。二人はメニューの中からラーメンを注文する。


 すぐにチャーシュー麵と激辛ラーメンが出て来た。


 ラーメンを食べながら小声で会話を進める。


「アミさんってどこででも色気出しているんでしょう」


「そうかしら? よくわからないわ。自覚が無いもの」


 …なまじ嘘とも思えんのが怖い。


「ところでアミさんって毎回オレのお願いに対してすぐに対応してくれますが、一体どんな生活しているんですか?」


「ナイショ♡」


「…そうっすか。そもそもどれだけの人脈持ってるんすか?」


「ナイショ♡」


「もしかして拳銃一丁欲しいって言っても用意出来るのかな?」


 笑顔で「当たり前でしょ。」


「本当ですか?」


「えぇ。三十分ぐらいで店に届くけど、いるの? 9㎜のオートマチックだけど」


「やっぱり、調達できるんだ。じゃあ、自衛隊で使っている10式戦車用意してほしいって言ったら、本当に用意出来るとか?」


「アタシに支払う金額によるかな。その時は象牙のハンコ五本セット五千万ダースぐらい買ってもらわないとね。それに保管場所の事もあるからね」


「やっぱり…出来るんだ。でも何で代金請求する時、ハンコ代に置き換えるんスか?」


 アミは笑顔から真顔に戻る。


「ハンコ屋さんはアタシの生きがいなの。分かった?」


「相変わらずわかりません…」


「さて、ラーメンも食べたし戻りましょ。太郎ちゃん、支払いよろしくね」


「…はい」


 レジへ行くと、大将がレジ打ちをしてくれた。


「へぃよ~。二十円のお返しね。ありがとうございます。あぁ、そうそう。アミちゃん、例のヤツやってくれよ~」


「はいはい。『ん』」


「おぉ。いいねぇ~」


 あぁ、バカバカしい…。




仲間




「あら。大久保君。早かったわね」


「今来たところです。アミさん、相変わらず美しいですね」


「当然よ♡。あ、そうそう。この人のために大久保君を呼んだの」と言いながら太郎の方に手をかざす。


「この人。山田太郎ちゃん。アタシの店で今日、チタンのハンコ作ってくれたいい人なの。優しいでしょ」 


「アミさん。相変わらず情報料として、ハンコ売りつけているんですね。さすがです」


「まぁ、そんなとこかな。さ、入って」と店の鍵を開ける。


「大久保君、ちょっと太郎ちゃんの話、聞いてあげて。叔父さんが椿町町議会議員の選挙に出馬するらしいの。でも手伝ってくれる人が足りないんだって。だから政治の事を知りたい、勉強したい、と思っているあなたを呼んだの。大丈夫だった?」


 アミの話に大久保は「選挙運動に直接係れるっていう話でしたね。面白そうですね。ぜひ話を聞かせてください」


 太郎は一礼し「山田太郎です。突然、叔父が政治家に成ると言い出しました。しかし選挙活動に必要な人手が足りません。力をお貸しください。よろしくお願いします」と言いもう一度頭を下げる。


 太郎の態度を見て、大久保は「こんな小僧にそんなに丁寧な態度取られたら、心地悪いですよ。それで山田さんの叔父さんの政策は?」


「私の叔父の伊藤正の政策は大まかにいうと§ΔΘΞΨΦΣです。私は初めて聞かされた時驚きました。大久保さんは、どう思われますか?」


「え! 凄いと思います。聞いた事ありません。すぐに部に持ち帰って、他の部員と協議してみます。やっぱりアミさんは凄いなぁ。人を集めたり紹介したりして、人と人とをつなぐ能力が」


 この大久保の発言を聞き、太郎は初々しいなぁと思う。アミさんは核ミサイル欲しいって言っても調達しそうなのに。9㎜のオートマチックの拳銃が三十分で店に届くって言ったんだよ。しかも笑顔で。この美人さんは。


 幼少期、アフリカでサブマシンガン撃ちまくっていたってサラッと言うかもしれない怪しい人なんだよ。この美人を敵に回したら何されるか分かったもんじゃない。大久保君にはとても言えない。アミさんの『ん』は怖い。


 などと考えていると大久保は「じゃ、失礼します。すぐに返事します」と太郎に言って店を出て行った。


 アミは「太郎ちゃん。今、武器の事考えていなかった? だめよ。ちゃんと人の話している時は聞かなきゃ。叔父さん、選挙に勝てるように応援してるからね。選挙に勝ったら、叔父さんにもハンコいっぱい作ってもらわないとね。ちゃんと紹介しなさいよ。分かったわね」


「…はい。いつも笑顔の美人がやっているはんこ屋さんに手を借りたから、ハンコいっぱい作ってあげてって言っておきます」


「ん」


「『ん』色っぽいっス…。帰ります」


「あら、帰るの? じゃあこれから大久保君達とガンバッテね。じゃあアタシも自分の仕事に戻るね」


 太郎は店を出て実家へ戻り、その夜は何も考えず着替えて布団に入る。いつの間にか寝息を立てていた。




 目覚ましもかけずに眠り、空腹で目が覚めた。


 よく寝たなぁと思いながら、歯も磨かず茶の間へ行った。


「オフクロー、メシー」というと、まるで定食屋のように朝食が出てきた。


 そしてその後、拍子抜けするぐらい誰からも声がかからないと言う事が数日続いた。


 その間、太郎は不思議に思う事が二つあった。一つは何でタダスさんは、オレの事を迎えに来ないんだろうか? もう一つは何で選挙の事を考えるともっと深く係わってみたいと感じるようになったんだろう? と。


 昼飯を終えると「ごめんくださ~い」と玄関の方から声が聞こえる。重ねて、別の人間の声で「ごめんくださ~い」と言ってる。??? あれオフクロいないのかな? と思っていたら「太郎さ~ん。いらっしゃいますか~。大久保でーす」と大きな声で呼ぶ声が聞こえた。


 慌てて玄関へ飛んでいく。


 大久保が部長をしている政治研究部の部員だとすぐわかる若い人達がいた。大久保は太郎に向かて、頭を下げる。


「すみません。返事遅くなって。部員達で話し合ってみました。まずは立候補者本人の話をじっくりと聞きたいと思いました。せっかくなので驚かせようと思って急に伺いました。もしかしてこの時間に伺うのってご迷惑でしたか?」


「いえ。こっちにいる時は暇ですから深夜でなければ問題ありませんよ。お茶ぐらいしか出せませんが皆さん上がってください。どうぞどうぞ」


 政治研究部員を仏間へ誘導する。


 冷蔵庫のペットボトルの烏龍茶を人数分グラスに入れ、大久保達の元へ運ぶ。そして何気ない会話から入りながら様々な事を話し合おうと考えていた。


 しかし、人懐っこい大久保は太郎より先に声を上げる。


「太郎さんの生家って想像通り先祖代々受け継がれた家って感じですね。この広い仏間と言い、柱の使い込んだ味といい、僕、こういう家好きだなぁ~」


 政治研究部員達がうなづく。


 太郎は「そうですね。この家、築百年なんですよ。昔は、囲炉裏を使っていたので、その煙の味かもしれませんね。でも風呂、トイレや台所は現代風に直してあるんですよ。ところで、この場所よくわかりましたね。探すの、大変だったんじゃないですか?」


「いえ。すぐ見つかりました。住宅地図を見て。タダスさんの家の近くが太郎さんの家だろうと踏んで、直接来ました。タダスさんの家の住所と自宅の電話番号と顔写真と携帯の電話番号がネットにアップされていましたから。ですのでここに来るのは簡単でした。ついでに嫌がらせらしい書き込みも消しておきました。おそらく敵陣営の仕業ですよ。こういった事、よくあるとは聞いていましたけど、直接見たのは初めてです。やったヤツ、最低ですね」


「そうでしたか。確かにそうですね。しかし、タダスさんはまだ特に動いていません。何か考えがあるのかもしれません。ひとまず、全員でタダスさんの家に行きませんか? 挨拶も兼ねて」


 すると、全員が「はい」と言ってコップに残った烏龍茶を飲み干し、それぞれが台所のシンクに置いてくる。


 太郎は「じゃあ、タダスさんの所へ行きましょう」と、皆を連れてタダスの家へ向かう。


 移動しながら、タダスさんのちょとズレた感覚と上手く合うのだろうか? とふと、不安を覚える。




諭す




「おぉ、よく来た。よく来た。太郎、いいじゃないか。こんなに大勢の人達を連れて来てくれてありがと、ありがと」


「運良く、紹介してくれた人とここに来てくれた大久保君が繋がっててね。しかも、こっちから行かなければならない所なのに、足を運んでくれたんだ。大久保君。そしてみんな。このどこにでもいそうなオッサンが伊藤正。ただしが訛ってタダスになったんです。今後、よろしくお願いします」と、学生達に紹介する。


「大久保翔です。石川学院大学の政治研究部の部長をしています。部員の中の未成年以外の人間全員連れてきました。直接政治の世界の入り口に触れられる機会があるなら、ぜひともと思ってきました。投票日前日まで来られる限りお手伝いさせて頂きます」


「おぉ~そうか、そうか。皆、遠慮せず家の中に入ってくれ。さぁさぁ遠慮なく。冷えたスイカが沢山あるぞ。ほらほら」と明るく言いながら先に家の中へ入って行く。


 女性部員の一人が太郎に対し言う。


「あの~。今、冬ですけどおぉ~。冷えたスイカって、どこから持って来たんでしょうか?」


「さぁ~。私の叔父ですが、よく謎めいた事を言ったり変なものを持って来たりします。かわいく現代風に言えば天然。普通に言うと、変わり者と言ったところでしょうか。あまり気にしないでください」


「あ、そうですか。政治家って少し変わった人がいるとは思ってましたが、まさか目の前で見られるとは思ってもみませんでした。超、面白いですね」


「いや。あの、あまり深く考えなくてもいいと思います。まぁまぁ、中に入りましょうよ」


 と、いうものの少し学生達のタダスさんへの信頼が薄らいだように見えた太郎だった。


 何かと訳の分からない行動の多いタダスさん。そんなタダスさんのサポートが出来るかどうか、更に不安が増していった。


 中に入ると茶の間の隣にある仏間に、背の高さがバラバラのこたつが一列に沢山並んでいた。楽に三十人は入ることが出来るのではないか?


 部員たちは「スゲースゲー」と言いながら写真を取り出した。そこにタダスさんが台所から出て来てスイカを配り始める。


「ほらほら皆、何を遠慮している。こたつに入って、入って。ほらー、太郎ーお前も手伝え。せっかく来てくれた政治研究部の人達なんだから、冷えたスイカに合うように熱い昆布茶を入れろ!」


 太郎は困る。 


 そこに部員の一人が「スゲー。こたつと言い、冬に冷えたスイカを食べさせようとする根性と言い、更に追い込みをかけて熱い昆布茶。ここまでズレてると変わった人を超えてますよ。やっぱ政治家はこれぐらいの人の方がブッ飛んだ事できますよ~。自分、こういうの好きっス」と、言い出す。


 数人はクスクスと笑い出す。しかし、中にはあからさまに不信感を持った人間も見られた。


 太郎はもう知らん思いながら台所へ行く。ようやく落ち着きそれぞれが入っているこたつの上にスイカと太郎の入れた昆布茶が並ぶ。


 タダスさんは「遠慮なく食べてくれ。おかわりもあるからな」と学生達の戸惑いも気にしないで更に追い込んでいった。


 二人が大久保に対し「自分、こんな人の応援できません」と言って自分達が乗って来た車へ戻っていく。


 大久保は周囲の変な雰囲気を察して、タダスさんに言葉を投げつける。


「タダスさん。あなたは本当に我々を、選挙の手伝いとして参加させたいんですか!武田と谷内が出て行ったじゃないですか。何、考えてるんですか!」と声を荒げ、こたつから出て立ち上がる。


 こたつに入ったままのタダスさんは答える。


「もちろん手伝って頂けるなら、ありがたい戦力に決まってる。だけどな、大久保君。君達は、やはり考え方が若すぎる」


「どういう事ですか?」


「よくある話だが、候補者が街頭演説をしている時に罵声を浴びせられることがある。君達の中にもいずれは選挙に出たいと考えている者もいるんじゃないのか? 時には地方政治の選挙なのに国政の事で文句を言われる時もある。接客される立場になった時に『嘘だろう?』と思わされるマズい物を食べさせられた場合に怒れるか? それと、話は違うが選挙の時だけ何の裏付けもなくトンチンカンな政策を掲げて、後は知らん顔。それでは町の利益を損なってしまうのではないか? 君達の目指す政治家の姿はどんな人間像だ? 表面上は立派な人に見えたけど、蓋を開けてみると人間のクズ。自分の事しか考えていないっていう候補者もいる。知り合った人に対して怒る事は、すぐ出来る。だがこんな狭い町で、たった七百五十票で当選する町の人間関係を壊したらどうなるか見当がつくだろ。出て行った武田君と谷内君は私の所にお客さんとして来たのか? もちろん、私に取って君達はありがたく手伝ってもらえる、協力者だと考えている。しかし人前に安心して出せる人物かどうかは、私が決める事だ。あいつ、ちゃんと仕事出来ているかなぁ? 誰かを怒らせていなければいいんだがなぁ? といつも心配していなければならない協力者は、協力してくれる人ではない。足を引っ張る人だ。君が選挙に出馬しようと決意して、手伝ってくれるスタッフの中に『他人の選挙だから適当に勉強のために参加しておくか』と考えている人間を、素直に受け入れられるか? それに君達は、全員二十歳以上なのではないか? 大学四年生ならどんなに若くても二十二歳という年齢だな。つまり三年後には被選挙権が与えられる人も、この中にはいるはずだ。その二十五歳以上になって、衆議院議員にでも、村会議員にでも、出馬してみろ。その時に、人がついてくる人物になっている自信が、君達にあるか? 人が付いて来ない人物は、有権者から応援してもらえる人になるとは思えん。選挙の準備だって、ツテやコネがない候補者は早い人なら、三年程前から動き出すとも聞いた事がある。つまり君達ぐらいの年齢から、選挙の準備をしている人もいるかもしれないという事だ。大久保君。君に今すぐ政治家に成るチャンスがあったとしても、君は選挙で勝てない。もちろん、親の七光りがあれば別だが。私がこうやって話している内容は伝わっていると思う。その上で問う。君は、君達は、本当に人を見る目があるのか? 君が選挙に出たとして、その時落選した後に君が再活動しようとした時に、仲間が何人残っている? 上辺だけの仲間など、私はいらない。口先だけの『頑張ってください』とういう声もいらない。私には肉親の中に、私が直接指示をしょっちゅう出さなくても安心して任せられる人物がいる。大久保君、誰だと思う?」


「太郎さんですか?」


「そうだ。まぁ座ってくれ。私は君にケンカを売っている訳ではない」


「あ、はい?」


 怒りが治まった大久保は、再度こたつに入る。


「私は、太郎に特別な指示も強要もしていないのに東京から、私のために帰ってきてくれた。その後、勝手に公職選挙法をわずかだが勉強してきた。更に自主的に、君達をスカウトしてきてくれた。だから君達がここに居る。人に強制して何が生まれる? 私がやろうとしているのは、選挙だぞ。給料を支払って働かせている人間なら強制や命令してもいいのかもしれん。君達は給料取りとして私の選挙に参加したいのか? 違うのではないか? どうだ、大久保君」


「あ、あ、はい」


「何が、はいなんだ? 君達はボランティアとしての参加と見ていいのか? 君達は協力者になってくれるのか?」


「あ、はい」と大久保が答えたところで、他の部員達もタダスさんの論理的でやや強めの口調に圧倒されていた。


 太郎は今のタダスさん、ちょっと政治家を目指す人っぽくってかっこいいけど、きっとすぐにズレた事を言い出すと確信を持っていた。


「ただ、さっきは冷えたスイカとか熱い昆布茶とか言ったので何ていうか、呆れたっていう空気を読んで僕が代表して大きい声を出したんです。しかしタダスさんの口から協力者とか、自分達の考え方が若すぎるなんて言われるとは思っても、みませんでした」


「そうか。大久保君。君は一つ勘違いをしている」


「何がですか?」


「空気は読むものではない。ちょくちょく空気読めないという言葉を聞く。だが、空気は吸うものだ。もう一度言う。空気は吸うものだ。中途半端な流れで出来た言葉を乱用するのは政治家として失格だ。違うか?」


「あ、はい。その通りです」


「こうやって気づきを増していって、ある程度溜まった後に次にどうしたらいいかを考えて行けば政治の世界への参加も見えてくる。私の嫌いな人間の一種は、貧乏な経済学者や、国政の事しか語れない上に、選挙にも出たことが無い政治学者だ。どっちもつじつまが合わん」


 タダスさんがそう言うと、数人がうなずいている。


「確かに、おっしゃる通りだと思います」


「大久保君。今の言葉遣いでは人は動いてくれない」


「どういうことですか?」


「『おっしゃる通り』という言葉は相手をきちんと肯定するものだ。しかし、君が言った『おっしゃる通りだと思います』だと言葉がワンランクからツーランク弱い言葉になってしまう。今の君の言葉遣いは、感情的か弱弱しい所が目立つ。極端な言葉遣いをして見せよう。『腹減ったと思います』この言葉遣い、どう思う?」


「おかしい言葉だと思います。いえ、おかしい言葉遣いです」


「そうだよなぁ。腹減ったと、自分の状況を強く伝える場面に『思います』と付けると、何を言いたいのかほとんど理解出来なくなる。政治家の本業は口から出た言葉で戦わなくてはならん。押していかなければならない場面で変な言葉遣いや弱弱しい言葉遣いは、議論している相手にスキを与えるだけだ。私は政治研究部の方々に勉強していくなと言っているのではない。逆だ。沢山勉強していって欲しい。ドンドン、ノウハウを持って行ってくれ。だが、絶対に怒るな! 怒りをぶつけていい相手はルールを破った敵だけだ。八つ当たりしていいのはサンドバッグぐらいだ。そして、きちんとした大人に成長して欲しい。君達は、政治を研究しているんだろう?」


「そうです。何人かの政治家の人に会ってきましたけど、タダスさんは今までの人と別格だと感じました」


「どこがだ?」


「その物腰の落ち着いた感じや、僕たちに諭す様に政治の話をしながら、教師とは違う角度から物事の見方を伝えてくれる事です。確かに政治評論家は選挙の苦しみを知らない気がします」  


 大久保の言葉を受けて政治研究部全員が息を合わせて「お世話になります」と言った。


 太郎はこの言葉遣い、変な気がすると首をかしげる。


 タダスさんも不思議に感じたようだ。


「おいおい、君達。『お世話になります』って、どこかの道場に入門する様な言い方だなぁ。大久保君。説明してくれんか」


「はい。ある意味、道場に入門する様な物です。ですので、全員でお世話になりますと言ったんです。これからタダス道場に入門させて頂きます。四月まで」


 その後に全員で「よろしくお願いします」と再び大きな声を張り上げた。


 なんちゅうことを…。どういうことだ? と思いながら傍観を決め込めこんでいる。


 タダスさんは困った顔で「入門? 相撲部屋みたいだな。ん? ん? もしかして君達は私の家に住み込む気じゃないだろうな?」


「その通りです。やはり一人の人から学び取ろとしたら住み込みと決まっています。我々に対し『ノウハウを持って行ってくれ』とおっしゃいました。ノウハウを知るには外で活動している時だけが勉強ではないと考えています!」


「ん? 住み込み? 全員で?」


「ハイ!」と、部員が声を上げる。


「やれやれ。仕方ないなぁ。だが幸いウチに住んでいるのは、私と妻の佑恵だけだから、部屋は余っとる。好きに使っていい。分かっていると思うが、トイレと風呂は共同になる。風呂やシャワーの順番を決めるのはそっちに任せる。もちろん私達もローテーションにいれてくれよ。食事は…食事…住み込みとなるとこっちで用意しなきゃいかんよなぁ。ウチに何人も同時に料理を作る事が出来る鍋やフライパンも無いし、そもそも台所のコンロが足りんぞ。困ったなぁ」


 そういうタダスさんの姿を政治研究部の人間がワクワクしながら見ているように太郎は思えた。


 タダスさん、大丈夫か? 目一杯、オレにも…いやオフクロに相当迷惑がかかるのでは?と思っているとタダスさんは何か閃いた様子だった。 


「おい。太郎」  


「断る!」


「まだ何も言っていないぞ」


「言いたい事は分かってるから」


「お~そうか、そうか。それなら…」


「タダスさん! オレだけで決められる事じゃないよ」


「やっぱり姉さんにちゃんと頼まんなんならんかな?」


「当たり前だよ。それにさっき、部屋は空いてるって言ってたけど、学生達だって雑魚寝って訳にはいかないよ」


「二階に使ってない部屋が二部屋あるぞ」


「でも男五人と女二人だよ。風呂だって全員使おうと思ったら、時間かかりすぎなんじゃないの?」


「う~ん。じゃあなおさら…」


「そうだよ。女の子二人だけでも風呂と寝泊まり。山田家で頼むって、タダスさんから直接オフクロに頼まなきゃ!」


「そうか。それなら頼んでくるか? 今姉さんいるかな?」


「いると思うよ。それにオヤジは単身赴任で留守だけど念のため、了承を取っておくべきだと思うよ」


「そうだなぁ~。じゃあ行ってくる」




 十五分ほどしてタダスさんは戻って来た。


「太郎、頼んできたぞ。渉さんにも電話で伝えておいてくれるって言ってたぞ!」


「まぁ、オフクロ断るはず無いけど、ちゃんと頼んでおくのが礼儀ってもんでしょ。オヤジだって文句言うはずないし」


「うん。そうだな。じゃ太郎、女の子二人山田家に連れてって、部屋とか風呂とかその他の事、姉さんと打ち合わせしてきてくれないかなぁ」


「わかったよ。じゃあ、行こうか」


 太郎は女子大生二人を連れ、斜め向かいの自分の家へ向かう。


「ただいまぁ~。女子大生二人連れてきた。本当に大丈夫なの?」


「仕方ないでしょ。『協力者が増えたから、姉ちゃんも手伝って欲しい』って、タダスが泣きついて来るんだもん」


「分かった。じゃあ、女の子二人、呼んでくるね」


 太郎は玄関に待っていた二人を茶の間に案内する。


 二人はきちんと座って、揃ってお辞儀をする。


 へぇ~。こんなにちゃんと『お辞儀』出来るんだと太郎は感心する。


「北苑花です」


「南舞夏です」


「これからしばらく、お世話になります。よろしくお願いします」と声をそろえて言う。


「あらー。こちらこそ、弟のタダスに協力してくれてありがたいと思っていますよ。寝る部屋は二階だからね。お風呂は後で教えますね。後、洗濯の事もあるだろうし、その都度言いますね」


「それじゃあオフクロ、使ってもらう部屋、二階の八畳間でいいかな?」


「うん。いいわよ。布団や何かは押し入れに入っているから、出してあげて」


「分かった。じゃあ、二人とも付いて来て」


 太郎は二人を二階に連れて行き、ざっと説明した後、一旦先に伊藤家に戻っているようにと、言う。


 二人は母親に挨拶して先にタダスさんの所へ戻って行った。


「オフクロ。食事の件はどうなったの?」


「そりゃー、私と佑恵さんで半分づつ、ごはん作るしかないでしょ。手伝いに来てくれた人達にはなるべく一緒に食事をさせてあげたいって言うのが人情ってもんでしょ。明日から朝ごはん出来たら、あんたも運ぶの手伝いなさいよ。そして、そこであんたも食事して来なさい。その方が学生さん達と絆が深まるでしょ」


 太郎はうーん、と生返事をする。


 まぁ、いいか夕食までは、仕方ないな。寝る時は一人だし。




合宿生活




 伊藤家に戻ると、全員二階にいるらしい様子で、太郎は二階へ上がっていく。


 男子大学生は二人と三人に別れる部屋割りをじゃんけんで決めた後だった。中の一人が聞いて来る。


「太郎さん。大丈夫ですか? 僕たちの今後の事」


「まぁ、何とかなると思いますよ。タダスさん、よくズレた事言いますけど、基本的に善人ですから」


「風呂場の事とか、洗濯の事は大体聞きました」


「じゃあ、そろそろ下へ降りますか?」


 そこへ階段の下からタダスさんが顔を出す。


「オーイ。何してるんだ? 全員の分のかき氷用意してあるから下に降りて来~い。メロンとイチゴ味の二つのシロップ用意しておいたから好きな味で食べてくれー。じゃあ太郎、後はよろしくなー。私はちょっと出掛けて来るからな」と言って出て行った。


 やっぱりタダスさんだ。ボケなければならないポイントは逃がさない。素でやってるからすごいと思っていると、一同は爆笑し出す。


 一人の部員が「タダスさん最高。笑いが止まらないっス」と言い出す。


 太郎はここぞとばかりにタタミかける。


「全員、遠慮なくメロンとイチゴ味のかき氷をたらふく食べてください。一人三杯はノルマですからね。これ、伊藤家のしきたりですよ。おなか壊しても心配いりません。私の妹は看護師ですから、しっかり介抱してくれます。氷が解けてしまうかもしれませんから、すぐに頂きましょう。タダスさんのせっかくの好意を無駄にしないためにも、さ、皆さん下に行きましょうね~」と、いやらしい冗談でプレッシャーを政治研究部員にかける。




「オフクロ~。そろそろ夕飯出来たー?」


「ほらー出来たわよ。持って行ってー」


 太郎は二回に分けて食事を伊藤家に運ぶ。もちろん運び込む部屋は伊藤家で一番広いこたつだらけの仏間である。


 太郎の実家から食事を運び終えた時に伊藤家の台所からも食事が出てくる。


 太郎は階段の下から大きな声で「メシ出来たよー」と呼ぶ。


 そうするとワラワラと学生達が集まって来た。


 台所からタダスさんの「おーい。苑花ちゃーん。手伝ってくれー」と言う声が聞こえる。


 ??? タダスさん、何か、デレーとしてるんじゃない? 全く。顔面土砂崩れ起こしているじゃないか。佑恵さんの目の前であんな顔していていいのかなぁ。家庭が崩壊しても知らないからね。


 そういえば大久保君以外の人の名前ちゃんと聞いていなかったな。苑花ちゃんねぇー。


「あのー、このレバー引けばいいんですよね?」


「そうそう。グラスは斜めにして入れてくれ。ビール入れ終わったら全員の分、配ってくれ」


「はーい♡」


 なんだ? あの怪しい会話は? とその直後、タダスさんが生大ジョッキを持ってきた。あぁ、そういう事か。苑花ちゃん、声の出し方が微妙にエロい気がする。こういう子がもしかするとどこかの『死の商人で、ハンコ屋さん』みたいになっていくのかもしれない。    


「ほーら、太郎。お前も座れ」


「はーい♡」


「お前、何を甘ったれた声出しているんだ? こづかいならやらんぞ。全く。いい年して」


「…」


 太郎は、その場にいる全員に笑われる。


「タダスさん! ほらほら苑花ちゃんがビール全員の分、持って来てくれたよ。しかし、タダスさんは先読みの能力凄いね。こんなビールサーバーまで用意してさ」


「私を誰だと思っている。今頃気付くなよ。さ、全員に食事もビールも行き渡ったみたいだな。いただきます」というと全員が「いただきます」と合わせ、にぎやかな食事が始まる。


 タダスさんは嬉しそうに「飲み物もご飯も冷えたスイカのおかわりもあるからなー」と言い出す。


 するとまるで修学旅行のような雰囲気が一気に崩壊した。部員の一人が目一杯おびえた声を出す。


「ビールのお替り頂きます。冷えたスイカのお替りは今晩は遠慮しておきます。お気持ちだけ頂いておきます」


 学生たちはズブ濡れで震えながらミィーミィー泣いている子猫のような状態になる。


 太郎は更に追い討ちをたくらんだが、この後の作業の事を考えて思い直した。


 今までタダスさんが町議会議員選挙に立候補するというまで、政治や選挙の事などサッパリ興味などなかった。たまたま選挙の手伝いをすることになったため、太郎なりに公職選挙法や選挙活動の進め方を勉強した。なんといっても、今までのビジネススキルを通じ、身に付けた目標達成への方法、その段取りを考える。チームをまとめるスキルを発揮出来たのだ。太郎なりに充実感を感じた。心もとないが仲間も集まった。


 さて、この場の空気を切り替える事にした。


「ま、馬鹿話はこれぐらいにして、皆さんが自宅に着替えを取りに行っている間に明日からの全員の仕事の割り振りをタダスさんと決めました。少し聞いてください」というと、全員が戦闘モードに入った様にキリッとした顔になる。


「そちらで決めてもらって構いませんが、三人はタダスさんの家で椿町全域の地図作成と家事全般をお願いします。残りの四人は二人、二人に別れてタダスさんと私の飛び込み票集めの同行です。地図作成チームは、まず二組の大きな住宅地図を作ってください。一組目は花園一丁目と二丁目。二組目は、山ノ上一丁目と二丁目です。それぞれに住宅地図を一枚づつ、範囲の分をカバーするようにコピーします。それから、地図の耳を切り落とした後、地図の裏にセロハンテープで貼り付けて、花園方面と山ノ上方面全体の、地図を完成させてください。明日の午後から飛び込みに出かけますので、そのつもりでお願いします。この作業は、思ったより時間がかかります。明日の朝食後にきちんと説明しますが、一部だけお伝えします。まず、車の通行可能な道路は全て蛍光の黄色のマーカーで塗りつぶしてくだい。学校や病院や公民館は蛍光のオレンジで縁取りして記入してください。そして電気屋さんや接骨院などの店舗は蛍光のピンクのマーカーで縁取りしてください。それから現場に出た時に、応援してますと言って頂けたお宅は赤ボールペンで縁取りします。その後に日付と誰にあったかを、記号で記入します。記号はそれほど難しい物ではありません。一回で覚えられる程度の物です。ですので、現場に出た時にまた教えます。そして断られた場合や、別の候補者を応援している事がわかった場合は、黒マジックで縁を縫ってください。さてここで問題です。地図作成チームは、外に出る人間が持ち出す地図を先に作らなければなりません。ではコピー取りから始める地図作成。開始時間を逆算するとマーカー落としも含めると何時から活動しなければならないでしょうか?」


 聞いていた全員が悲鳴に近い声を上げる。太郎は更に世間の厳しさを突き付ける。


「地図作成チームに入りたくない人も今の説明で出てきたかもしれません。しかしタダスさんや私に同行した人は魚がうまい冬の時期の寒さを身をもって知ることになります。明日は雪が舞うようです。そんな中のお宅訪問です。服装はピシッとしなければならないのでダウンジャケット何て着られません。タダスさんも私も暑いときや寒いときの長時間の外出には慣れていますが、皆さんはどうですか? まず先にやってみたい役割をこなし、その後ローテーションを組んで交替していくのが良いと思います。飛び込みは、全員が経験した方がいいですからね。明日から忙しくなりますが、これから寝る時以外は全員が一つ屋根の下で暮らします。今言ったことを頭に入れて今晩は効率よくどんちゃん騒ぎをしましょう。ただし、明日の朝、七時にはアルコールが抜けている様にしてください。私からの説明は以上です」


 すると学生たちが大騒ぎになる。タダスさんと太郎はそれを眺めながらビールと食事を進める。二人とも黙って。


 しばらくすると部員の一人が近寄ってくる。


「すいません。今しばらく混乱が納まりそうにないんで、風呂に入らせてください」


 それを聞いた背後から、別の部員が「お前、何抜け駆けしようとしてんだよ!」と怒鳴り声がして、再度混沌とした世界に引きずり込まれていく。


 タダスさんが声をかけてくる。


「まだまだ明日からの人員配置決まりそうにないなぁ。ビールも飲んだから先に風呂入るぞ。太郎、後はヨロシクな」


食事が終わった食器をこたつの上に置いたまま家の奥に入って行った。それを見送ってから太郎は「一旦、落ち着こう。な。な」と学生達に声をかける。


 やっと少し落ち着いたところで、太郎は話を切り出す。


「これから、共同生活をしていきます。学校へ行く人。病気になる人、休みを取る人、他にも様々な、理由で休日を取る人が出てくると思われます。その辺もよく考えて、これからのシフトを作ってください。まずは今晩家事を担当する人を決めてください。そして家事の範囲ですが掃除、買い物、地図の作成、時にはマッサージしたり、テレビや新聞で得られる情報を吸い上げ全員に伝えてもらいます。私は三十分間他の資料を読みながら待ちます。モタモタしていると寝る時間が遅くなりますよ。あ、それから一つ朗報があります。食事は伊藤家と山田家で全員の分を用意します。もちろん、公示期間中、皆さんにきちんと動いてもらえるように、ずっと続けます。選挙は直接の集票活動だけが仕事ではありません。じゃあ、そういう事で、お願いします」


 それを聞いて大騒ぎの後にやっと七人のシフトが決まる。


 東見太が「太郎さん、決まりました。明日からの予定表です。言われた通り、カレンダーにも書き込みました。これで大丈夫でしょうか?」


「あえて、口出ししません。全員が、納得出来ているなら、いいと思いますよ。あ、そうだ、一つ言い忘れていました」


 それを聞き全員が息を飲む。


「今からでも、いいんですけど名刺の原案を考えてください。タダスさんと私だけではなく、ここに居る全員の分です。本当は明日からでも必要ですが時間がないので仕方ありません。三日後までに用意してください。今晩中に考えてください。住所、氏名、電話番号、もし裏面に地図を入れるなら、それも含めて全てこの家にしてください。デザイン案と使用する紙決まったらタダスさんと私も含め、九人で話し合って、その後印刷会社またはネット印刷会社でも良いですから探してください。名刺のデザインを考えるのは全員でやってもらっても構いませんし、一部の人でやってもらっても構いません。好きなようにしてください。それと、今の追加説明をしていると、やや私に対して攻撃的な目線を投げかけて来ている人がいますが、この程度でめげている様ならば卒業論文も満足に書けませんよ。社会人になれば、もっとキツい事は日常茶飯事です。と、言うより当たり前です。私は、政治の勉強をした事はありませんが、多少想像は出来ます。様々な人に支えられて当選に辿り着くのではないですか? 支える人の気持ちが分からないのに人の上に立てる訳がありません。これ以上の、説明は必要ないでしょう。では、今決まった今日の家事の人は、目の前にある食器を出来るだけ早く片付けてください。白い食器は山田家。手作りっぽい食器は伊藤家の物です。山田家の物は山田家に戻してください。ではよろしくお願いします。なるべく早くお皿を片付けてくださね」




とにかく、手早くその場は全員協力して食器を洗い、台所から引き揚げてくる。


「じゃあ、再度カンファレンスを開いて話し合ってください」


「?」と、学生たちは首を傾けている。


 南舞夏が「あの~、カンファレンスって医者の言う言葉ではないでしょうか?」


「えぇーっと。南君でしたよね? あえてカンファレンスと言ってみました。会議という意味が入ってくるので、使ったんです」


「へぇ~」という声が上がる。


 東見太が「それって申し送りの意味が入っていませんか?」と質問してくる。


「いえ。申し送りという言葉は看護師から聞く言葉ですが、これは『後任者へ伝言する』という意味です」


「へぇー」と全員が声を上げる。


「さぁ、さぁ、とにかく早くカンファレンスを再開してください。再度言いますが、早く動かないとドンドン寝る時間が遅くなりますよ。分かってますか? あくびをしている東君」


「すいません。一日が長かったのであくびをしてしまいました。僕一人で決めることが出来ないので、自分の意見を言いつつ状況を見守っています。おかしいですか?」


「東君は将来政治家を目指すつもりですか?」


「もちろんです」


「政治家に成るという事はリーダーシップを取る必要がありませんか? タダスさんの事だけ考えても君達の様に周囲で支えてくれる人がいないと成り立ちません。と、言う事は誰かリーダーシップを取らないと始まらない。そこを考えてみてください。どうですか? 東見太君」


「あぁ、はい。すいません。努力します」


「将来楽しみにしています。せっかくです。東君を中心にして、名刺の件の打ち合わせの後に、どう動くか五分で決めてください。どうやら時間を切らないと、いつまででも進まないようですからね。はい! はい! すぐ動いて! 早くしないとタダスさんが風呂からあがってきますよ。今の惨状を見た時にどんなズレた食べ物を進めて来るか、分かりませんよ。私が子供だった頃の悲惨……。いや、やめておきましょう。では早くお願いします」


 さすがに、どうするべきか分かったようだ。東を中心に話し合いが始まり何とか十五分でまとめ上げたようだ。大雑把に予定を書き上げ、いつ全員で何をするか、何を決めるかという内容を表にして提出してきた。


 太郎は提出された予定表を眺めそこに記入された、姓名を改めて見て??? と一瞬固まってしまった。なんだ! この苗字、本名か? ひとまず全員の苗字と名前を呼んでみた。


「東見太君」


「はい」


「北苑花君。そのかでいいんですよね?」


「はい」


「西太陽君だよね?」


「そうっス」


「で、南舞夏君…。 マイカで読み方合ってるよね?」


「合ってますよ」


「次は森田初君」


「はい」


「ちょっと安心しました。次は大久保翔君」


「はい」


しかし最後の人。これは日本人の名前ですか? オヒール大介君」


「はい、父親がナイジェリア人で母親が日本人なので… こんな名前になってるんです。よく誤解されます」


「そうですか。しかし、一つのサークルに戦隊ヒーロー物の東西南北と怪人役みたいな苗字。まさか偽名ではないですよね? ペンネームとか?」


「そんな訳ありません!!!」


五人から抗議の声が上がる。


「でもせっかくだからセンターをオヒールにして、決めポーズは作ってみました」


「やっぱり作ったんですね…」


「やります!」と声をそろえて空いているスペースで『シャキーン』と、ポーズを決めた。


 こいつら本物のバカだ。何が政治研究部だ。と思いながらも言う。


「はいはい、分かりましたよ。さ、さっさと明日までにやらなければならない事をやっちゃいましょうね」


 そう声をかけると、ドヨ~ンとした様子でのろのろと動き出す。


地図の作成班が、明日必要になるページの地図を確認し始めた。他の者は、一人づつ風呂に入る用意をしたようだ。約一時間かかって、翌朝コンビニでコピーを取ればいいだけの状態に出来上がったようだ。ただし、後回しになって慌てて山田家に皿を返しに行った二人は、美里と佑恵の飲み会に付き合わされてヨレヨレになって帰ってくる。


太郎は、ま、こんなもんか、と見届けて女性二人にだけ先に行く事を伝えスッと自宅へ戻った。


オレも戸別訪問の時のセリフ考えないとなぁ。要はタダスさんを応援してくださいって事が、伝わればいい訳だ。


うーん…。


「突然恐れ入ります。わたくし、伊藤正選挙事務所の山田と申します。四月二十一日日曜日投票の椿町町議会議員選挙への出馬のご挨拶をさせて頂きたくてお伺い致しました」


 よし。これなら無難かつ丁寧だろう。後は出たとこ勝負だな。


 さてもう休もう。と、一日が終わる。

後編が終わってから書きます

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