婚約破棄!?勿論大丈夫ですよ!だって…………準備万端ですから!!
「ーーーミネルヴァ・クラリッサ!お前との婚約を破棄する!!」
「はいッ、喜んでーーー!!!」
待っていましたとばかりに声を上げました。
ですが何故かわたくしの婚約者でこの国の王太子であるコーディ殿下は驚いているようです。
今日は学園の卒業を祝って盛大なパーティーが開かれております。
しかし婚約を解消する為に、やらなければならない事は山のようにあります。
故に、準備を万端にして物事を進めていかなければなりません。
「で……?」
「えっ……?」
「…………」
「書類はどこでしょうか?こんな事もあろうかと一応、ペンを持参しておりますのでご心配なく」
「は…………?」
「ですから書類はどこですか、と申し上げているのです」
「……」
「……」
「もしかして何も用意していないのですか!?」
ハッとして、口元を押さえました。
キョロキョロと辺りを見回しても、やはり書類らしきものは見当たりません。
何も答えてくれないところを見るに、まさかとは思い、問いかけました。
「あの……確認ですが、殿下はわたくしとの婚約を解消するのですよね?この場で」
「えっ、あぁ……まぁ」
「ですから、すぐにサインを致しますので書類は何処ですか!?」
「なっ……はぁ?」
わたくしは、此方を見て驚き目を見開いているコーディ殿下の顔を見ながら首を傾げました。
自分から婚約の解消を申し込んでおいて、書類も用意していないのは、どういう考えなのか知りたいところです。
先程から「はぁ」だの「まぁ」だの曖昧な返事ばかりで嫌になります。
隣にはコーディ殿下と最近とても親しいと噂のアンバー嬢が、コーディ殿下の腕に身を寄せながら、可愛らしいお顔をそれはもう不細工に歪めながら此方を見ています。
まるで「どうしてそんな反応なの!?」と言いたげな顔です。
これは想像でしかありませんが、わたくしが拒否するか、もしくは泣きながら縋り付くとでも思ったのでしょうか。
それとも「婚約は破棄しない」「嫌だ」と抵抗するとでも?
そんな事はあり得ません。
だって、わたくしはこうなる事を予測して準備万端なのですから。
いつもの上目遣いはどこへやら……ですが、面白いからそのままにしておきましょう。
「全く……婚約を破棄して欲しいのならば書類くらい用意して頂きたいものですわ」
「…………え」
「よくよく考えたら失礼な話ですわよね……事前の連絡も確認もなしに、いきなり"婚約を破棄する"だなんて」
「……!?」
脇が甘いにも程があります。
せめて連絡くらいはキチンとして頂きたいところでしたが、致し方ありません。
「それなのに手続きの準備も出来ていない……まるでわたくしが拒否する事を前提として話を進めているみたいで不愉快ですわ!わたくしだって前もって言ってくだされば、いくらでも対応致しましたのに」
お二人はポカンと口を開けながら此方を見ています。
しかし言葉の意味を理解したのかコーディ殿下は顔を真っ赤にしながら叫びました。
「なっ……!す、すぐに書類を用意しろッ」
周囲の人達が慌てふためく様子を見ながら、皆様に聴こえるように「はぁ……」と溜息を吐きました。
「もう書類は結構ですわ……!」
「……なっ!」
「ご安心下さいませ。わたくし、こんな事もあろうかと自分で書類を用意してきましたの!」
「「~~っ!?」」
呆然とする二人に「念には念をと言いますから……」と言って視線で合図致します。
そして笑顔で書類を受け取りました。
そこには、びっしりとサインが書き込まれております。
散々、書類は書類はと文句を言わせて頂きましたが実は……わたくしはもう準備万端なのです。
あのコーディ殿下の事ですから書類を用意しているとは思っていなかったので、自分で用意しておいて正解だったようです。
「あとは、殿下のサインをここに書いて頂けるだけで大丈夫ですわ!」
「は…………?」
「さぁ、サインをお願い致します!!」
二人の前へ向かい、書類とペンを渡します。
困惑しているコーディ殿下は焦りながらチラチラと辺りを見ています。
きっと自分の思った展開にならない事に驚きつつ、どうすればいいのか分からないのでしょう。
しかし背後からアンバー様の視線を感じてか、訳もわからないまま渋々書類にサインを書き込んでおります。
きっとわたくしの表情は今、キラキラと輝いているに違いありません。
喜びに踊りたくなるのを我慢しておりました。
今すぐ兎のようにぴょんぴょんと飛び跳ねたい気分です。
それと満面の笑みを浮かべるのを必死に堪えている為か唇が痙攣しています。
そんな気持ちが溢れ出してしまったのかコーディ殿下から注意が入ります。
「何を笑っているんだ。無礼だぞ……!」
「あら……申し訳ございません。ついですわ、つい」
「チッ……」
我慢出来ない喜びが大爆発してしまったようで、恥ずかしくなり赤くなった頬を押さえます。
コーディ殿下こそ「今、舌打ちが聞こえたのですが?」と注意したくなりましたが、もう性格の歪んだ王子様のお世話をしなくてもいいのです。
全てアンバー様に任せる事に致しましょう。
「何を喜んでいる……!?まるで俺と婚約を解消できる事を喜んでいるような口振りだが気の所為か!?」
「…………」
「……おい」
「気の所為では?」
「無礼な奴め!!お前は昔から……っ」
もし喜んでいると知られたら面倒な事になりそうです。
それに、これくらいでたじろいでいるようでは社交界で生き残れません。
この事態をどれだけ華麗に躱す事が出来るのか。
わたくしを黙らせる事が出来るのか……コーディ殿下とアンバー様のお手並み拝見と致しましょう。
「……無礼なのは殿下達の方ではありませんか?」
「なんだと!?」
「わたくし達はまだ婚約関係にあります!!何故ならば、まだこの書類を国王陛下に提出していないからです」
「……!!」
もう皆に許可を取ってはおりますが、一応……まだ婚約者である事には変わりはありません。
それなのにも関わらず、コーディ殿下とアンバー様は自分達の仲の良さを周囲にアピールするように体を寄せ合っています。
「それなのに今、アンバー様とこんなにも親密そうにしておりますわ!!」
「な、なんだよ……羨ましいなら」
「いいえ!決して羨ましいなどと思っておりませんわ!!それは声を大にして申し上げておきますッ!!!」
「…………」
「…………」
「ーーゴホンッ!!わたくしが言いたいのは、殿下は今、契約に違反しているという事です」
「契約に違反、だと……!?」
「これは明らかな不貞行為ですわ!!」
「はぁ!?」
「コーディ殿下とアンバー様のその行動により、わたくしは王家とペネ子爵家に慰謝料を頂く事が出来ますの。お分かり頂けますか?」
その言葉を聞いてか、一瞬で青褪めた二人は体を離しました。
ですが、その行動は何の意味もなさないのです。
「あの……コーディ殿下、無理はなさらなくともアンバー様と体を密着させたままで大丈夫ですわ!」
「ッ!?」
「……!?」
「もう証拠は揃っておりますし、わたくしが慰謝料を頂ける事は決定事項ですので」
そう言うと、二人は目を剥いて此方を見ています。
沈黙が流れていますが、わたくしはお二人が親密にしている様子を見つけては、その証拠を集めて回っていました。
ある時は目撃証言を取り、ある時は日付け、場所、やっていた事を事細かにノートに書き込みました。
お二人はバレているとは思っていなかったようですが残念ながら、わたくしは全て把握しております。
「では、これを今すぐに国王陛下の元に持って行って下さいませ」
「かしこまりました」
一緒について来てくれたクラリッサ家の執事に書類を渡します。
クラリッサ公爵家の使用人達は皆、大変優秀です。
今日はこうなる事を見越して父と国王陛下は共にいるはずなので、すぐに判を押して下さる事でしょう。
そして、わたくしは新しい人生を歩んでいく訳ですが、その前にクラリッサ公爵家についてご紹介致しましょう。
父と国王陛下は従兄弟にあたります。
公爵家はこの国において重要な役割を担っており、他国とのパイプを繋ぐ外交を主に任されています。
食料自給率が低いこの国にとって、外交をして食料を得る事は必要不可欠です。
母は隣国、ツーリエ王国出身で語学が堪能な才女です。
兄も小さな頃から父や母の後をついて回っていたからか、とても上手く交渉が出来るようで、クラリッサ公爵家の未来は明るいのです。
皆、自慢の家族ではありますが、コーディ殿下との婚約は国王陛下と王妃殿下の"お願い"によって決まりました。
不満はなかったといえば嘘になりますが、これも貴族に生まれた以上仕方のない事だと割り切っておりました。
しかしコーディ殿下はそうではなかったようです。
幼い頃から時間を共にしていましたが、残念ながら大きな成長は見込めずに、今回の事もなるべくしてなったとでもいいましょうか……。
何かにつけては不満を漏らして、自分がサボっている事を棚に上げて偉そうな事を言って、気に入らない事があると毒を吐き散らしているのを、今までずっと陰でカバーしてました。
しかしそれも今日で終わりと思うと清々しい気分です。
「詳しくはお二人揃って国王陛下にお話を聞いてはいかがでしょうか?」
「…………」
「…………」
「では、皆様失礼致しますわ……!ご機嫌よう」
満面の笑みを浮かべながら、鍛え抜かれたカーテシーを披露してから、お二人に背を向けます。
コーディ殿下のサインがアッサリと手に入ったので、これ以上ここにいるのは無意味でしょう。
「ーー待てッ!!!」
折角、気持ち良く去れるところでしたのに、引き止められてしまい良い気分が台無しです。
はぁ……と小さな溜息を吐いた後に笑みを作ってからお二人に視線を送ると、焦ったようなコーディ殿下とアンバー様が此方を見ています。
ですが、もう手遅れではないでしょうか。
内心では「面倒臭い」と思いつつも、笑顔で問いかけたわたくしを誰か褒めて下さい。
「…………何でしょうか?」
「お前が一方的に喋るせいで、こっ、此方の言い分が伝えられなかったではないか!!」
「はて、言い分とは……?」
その言葉を聞いて気を良くしたかコーディ殿下は得意気に語ります。
「お前は俺への嫉妬からアンバーを虐げてい……っ「わたくしはコーディ殿下の交友関係において、嫉妬した事は一度もありませんわ」
「……!?」
真実を申し上げただけなのに、何故か大きなショックを受けているコーディ殿下に分かりやすく説明して差し上げます。
「そもそも殿下を好きだと思った事がありませんもの!全て勘違いですわ」
「…………。お、お前はアンバーを虐げてい……っ「わたくしはアンバー様を虐げておりませんわ!」
「おい!!最後まで話を聞けっ!」
「だって、わたくし嘘をつくのが嫌なんですもの」
「……ッ」
そして顔を真っ赤にして怒りに震える殿下を見て溜息を吐きました。
この程度の事で、表情を変えるから国王陛下に「まだまだだ」と言われるのではないでしょうか?
そう言おうとして口元を押さえ、咳払いをします。
もうわたくしがコーディ殿下を気遣う必要はありません。
何故ならば、わたくしはコーディ殿下の婚約者ではなくなるからです。
アンバー様は「話を聞きなさいよ」と言いたげに此方を睨みつけていますが、わたくしが黙ると満足そうに余裕のある表情を浮かべます。
証拠を集める為にお二人を観察しておりましたが、アンバー様はなかなか表と裏が激しい方のようです。
肩で息をしながら此方を見ているコーディ殿下の"言い分"とやらを聞くまでは、どうやら帰して貰えないようです。
どう頑張っても状況は変わらないという事は分かっていましたが、書類が届くまでの間、少し付き合ってあげようと思い口を閉じました。
「……」
「……ミネルヴァ・クラリッサ、お前はアンバーを妬むあまりに」
「だから、妬んでませんってば」
「……最後まで聞けッ!!」
「事実を述べて下さいませ。でなければ口を挟みます」
「くっ……!」
「続きをどうぞ?」
「ゴホン……お前はアンバーを妬……アンバーを気に入らないと言って虐げていたようだな!!」
「……」
「……」
「……」
「おい、何か言え……ッ!!」
「え…………?終わりですか!?」
「そうだ」
「コレだけ……?」
まさかのまさか、こんな一言を言うためだけに引き止められたかと思うと、あまりにも衝撃過ぎて言葉が出ませんでした。
ショックを受けすぎて固まっている事をプラスに取ったのか、先程までの焦った表情は一転して、「フッ」と息を吐き出して笑みを浮かべているではありませんか。
「……それで?」
「それでとは何だ」
「虐げた、とは?」
「…………は?」
「具体的には何をされたのでしょうか……?」
「??」
これでは話が進まないので分かりやすいように説明して頂こうと質問しましたが、どうやら上手く意味が伝わらずに答えていただけないようです。
大前提として、わたくしは何もしておりません。
むしろアンバー様との面識は殆どありませんでした。
何故ならばわたくし自身、忙しかったのもありますが周囲の友人達と有意義な時間を過ごせて学園生活は幸せでした。
それに加えて先程から何度も言った通り、わたくしはコーディ殿下が誰と何をしていようとも嫉妬をしたり羨ましいと思った事は一度もございません。
勿論、誰かを虐げたりすればクラリッサ公爵家の失態として付け入られる隙を作ってしまいます。
故に、わたくしは周囲にどう見られているのか常に気を遣って生きておりました。
拙い説明を聞いていると、まるでコーディ殿下を取られたくないわたくしがアンバー様を排除しようとしたという構図に持っていきたい誰かの意思を感じるのですが…………気のせいでしょうか?
わたくしは笑みを浮かべながらアンバー様を見ます。
一瞬だけ肩を揺らした後に、眉を寄せてアンバー様はコーディ殿下の背中に隠れてしまいました。
「ほら!今も睨みつけているではないか……!!」
「怖いです。コーディ殿下……」
「大丈夫だ。アンバー」
「わたくしは睨んでおりませんが……」
更に気をよくしたのか、アンバー様の笑みは深まっているようです。
しかし、わたくしには二人に聞かなければならない事があります。
「で、具体的には何を?どのように虐げられたのですか?」
「なっ……!そ、それは自分が一番よく知っているだろう!?」
「身に覚えがないから伺っているのですわ」
「チッ…………アンバー、すまない。話せるか?」
「は、はい……わたくしは学園でミネルヴァ様に虐められていました!!靴を隠されたり、教科書やカバンをボロボロにされたり……っ」
「ふんっ、それがバレる前に婚約を破棄しようとするとは何と卑怯な奴だ……!」
「…………」
「何とか言ったらどうだ!!」
「もう喋ってもいいのですか?」
「え……あぁ、まぁそうだな」
「では、アンバー様にお伺い致しますわ」
「な、何よ……!」
「それはいつ起こった事でしょうか?時間帯は?日付は?」
「……え?」
「わたくしがやったという証拠はございますか?目撃者は何人いらっしゃいますか??具体的にお名前を伺っても?」
「な、……それは、覚えていなくて」
「覚えていない?何故でしょう……?」
首を傾げると、アンバー様はすぐに視線を逸らしてしまいます。
「覚えてない」「分からない」
有耶無耶にされてしまえば動きようがありません。
このままでは埒が明かないと判断したので、お二人にある提案をする事に致しました。
「では、皆様と協力して調査致しましょう!!」
「……!」
「王妃殿下に仕えている"影"の方々を力を借りて、そのような事があったのか真実を確かめるのです。わたくしは勿論、身に覚えがないので、どこまででも調査に協力して身の潔白を証明しようと思います」
「か、影って……!?」
「ご存知ありませんか?彼等は調査や犯人の特定が得意ですので嘘をついていれば直ぐにバレてしまいます……」
「……ッ!?」
「嘘を暴く事が得意ですから……公平に物事を見て下さいますよ?」
そう言って、唇を歪めるとアンバー様は恐怖に震えております。
この国の王妃殿下が管理している『影』は、貴族達の不正や嘘を暴く事に活躍してくれる精鋭集団です。
文字通り影から闇を暴いて罰を与える。
存在を聞くだけで貴族達は震え上がるそうです。
何故ならば、知らない間に……全て暴かれてしまうからです。
そして……もし嘘や不正がバレた時は容赦なく裁かれます。
勿論、王太子の婚約者であるわたくしにも関わりはございます。
皆様とは顔見知りですので、快く引き受けて下さるでしょう。
「王妃殿下に頼んで影を借りて来ますね」
「ちょっと……!それは……話がっ」
「──それがいいかもしれないな!!」
「!!」
「真実が明らかになれば堂々とアンバーを婚約者として迎え入れられるからな!」
「…………ッ」
「あらまぁ……うふふっ」
まさかの援護に笑いが止まりません。
純粋なコーディ殿下はアンバー様の"嘘"を"真実"として受け取って、此方の"真実"を"嘘"だと思い込んでいるようです。
アンバー様は影の名前を聞いてガタガタと震えています。
どうやら報告されて困るのはわたくしではなく、アンバー様のようです。
このような展開になるのは流石に予想外なのでしょうか?
けれど、わたくしに嘘の証言を用いて喧嘩を売った時点で、もう勝ちは決まったようなものなのです。
ですが残念ながらコーディ殿下の頭の中はアンバー様と結ばれる事が優先のようです。
わたくしが影を呼ぶ為に手を叩こうとした時でした。
「まッ、ま、待って下さい……っ!!」
「??」
「わ、わたしの勘違いだったかもしれないわ……!そうね、きっとそうよ!!」
「何を言っているんだ、アンバー!これはチャンスなんだぞ!?」
「殿下は少し黙っていて下さいっ!」
「!?」
「影を呼ぶまでもありません!!大丈夫でしたっ!」
「おい……!ここで逆転しなければ」
「いいのですッ!!」
どうやらアンバー様は、コーディ殿下より、ずっと危険を察知する能力に長けていたようで、あっさりと身を引いていきました。
戦う準備はバッチリでしたが致し方ありません。
もう少し突っ込んで、皆の前で追求しても面白そうではありましたが、今回はこの辺にしておきましょう。
何故ならば、結局はこの件に関しては精査が入る予定だったからです。
そんな事も知らないアンバー様はホッと息を吐き出しております。
導火線がほんの少しだけ伸びただけで、爆発するのは変わりません。
欲が深すぎる選択は、時として己すら吹き飛ぶような威力で返ってくる事もあります。
しかし納得出来ない方が一人、いらっしゃるようです。
「俺に隠れて悪事を働くとは……!この婚約を破棄する原因を作ったのはお前の方だからな!!」
「ちょっと……!」
「大丈夫だ、アンバー!俺が全ての悪からお前を守ってやるからな」
「いらないって言ってるでしょう!?」
まるで犯人を決めつけるように人差し指を此方に向けるコーディ殿下は何故か満足そうです。
「よって、慰謝料はなしだ!!いいな!?」
その言葉を聞いたあと、痛む頭を押さえました。
ここまで婚約関係が何故続いたのか、不思議に思うばかりですが、それは互いに興味を持っていなかったからなのだと改めて思いました。
「もう書類には国王陛下のサインが押されている頃かしら……」
「ミネルヴァ!!聞いているのか!?」
「はい、聞いておりますわ…………それよりもアンバー様が震えておりますわよ」
「アンバー……!?」
どうやら今回の事だけでなく、バレたくない事が他にもあるようです。
王妃殿下に報告しなければと考えを巡らせていると、背後に立つ黒い影……。
しかし周囲は誰もその事に気付いておりません。
「ガルグ殿下……皆様が気付いておりませんので、お声を上げた方がよいかと」
「…………そうなのか?」
「「「「「!!?」」」」」
顔面や手には無数の傷……いつも真っ黒な洋服に身を包んでいる男性の手には二枚の紙が握られています。
「あら……わざわざ書類を届けて下さったのですか?」
「急いだ方がいいと言われたからな」
「まぁ……ガルグ殿下が?」
「それに、改めて関係を公表しておいた方がいいと言われて……ゴホンッ」
「あら、そうでしたの」
「あとは…………その、ミネルヴァが心配だったから」
「うふふ、ガルグ殿下……お顔が真っ赤ですわ」
そう言うとガルグ殿下は顔を真っ赤にして下を向いてしまいました。
いつも無表情で口数が少なく、その容姿から怖がられる事も多いガルグ殿下ではありますが、とても照れ屋で恥ずかしがり屋で可愛い方なのです。
影として最前線で活躍していて、早々に王位継承権を放棄しようとした変わり者の王子様でもあります。
「……あ、兄上!!何故ここに」
「コーディ、国王陛下が呼んでいる。パーティーを中断して今すぐに向かえ」
「はぁ……!?パーティーを中断する!?どういう事ですか……っ、まだ始まったばかりですよ!?」
「それをお前が壊したんだ……この責任は重いだろうな」
「っ、な…………そんな」
コーディ殿下は残念ながら何が起こったのか理解出来ていないようです。
彼はアンバー様と出会う前は最低限の一線は越える事はありませんでした。
ですが今はすっかりと甘い誘惑に唆されて、完全に腑抜けてしまった事を残念に思います。
祝いの場で、自分の事情を押し付けて場を壊すようでは、まだまだどころか最悪でしょう。
幼稚な理由で婚約を解消しようとするコーディ殿下の思惑が次々と露見する事で国王陛下達は国を憂いたに違いありません。
それにわたくしは先程も申し上げた通り、国王陛下のサインをもらい準備は万端でした。
もうこの寸劇が始まった時点で終わりは決まっていたのです。
「アンバー嬢」
「ひっ……!」
ガルグ殿下に名前を呼ばれたアンバー様は大袈裟な程に肩を揺らす。
「コーディと共に来るように伝言を預かった」
「は、ひ……!」
「子爵には母上から話があるそうだ。今日中には手紙が届くだろう」
ガルグ殿下の狼のような鋭い眼光と低い声は相手を威圧するようです。
ブンブンと首を縦に揺らすアンバー様に、先程の余裕は一切ございません。
「それと……たった今、コーディとミネルヴァの婚約は破棄された」
「……!!」
「今この瞬間から、ミネルヴァは私の婚約者となる」
「───ッ!?」
「それと同時に王太子の座も失う事になる」
ざわざわと周囲は騒がしくなりましたが、ガルグ殿下が手を上げると、すぐに静まります。
そんな中、弱々しいコーディ殿下の声が響きます。
「う、嘘だ……っ!」
「嘘ではない」
「だって、だって……兄上は王位継承権を破棄したじゃないですか!?」
「あぁ……そうしようと思っていたが、父上がそれを許さなかった」
「……!!」
それを聞いて愕然としているコーディ殿下はその場に膝を突きます。
しかしアンバー様が前に出て問いかけます。
「ッ、どういう事ですか!?」
「……国を任せるに値する器か、ずっと試されていたんだ」
「!!」
「勿論、私もそうだったのだが……。コーディが条件を満たせない場合は私が……こうならなければいけないと言われていた」
コーディ殿下との婚約が決まる前、わたくしは本来ガルグ殿下の婚約者になる予定でした。
わたくしが六歳、ガルグ殿下が十八の時でした。
しかしガルグ殿下は「こんな自分の婚約者になるのは可哀想だ」と言って一歩引いてしまったのです。
この国を継ぐのに相応しい器を持って生まれてきたガルグ殿下ですが、極度の人見知りと威厳がありすぎる外見、それと本人の強い希望で今までコーディ殿下が王太子としてきましたが、国王陛下達も不安があったのでしょう。
そしてコーディ殿下の暴走が続いた為、万が一にとガルグ殿下にも、覚悟を決めるように言っていたようです。
それに数年前から国も安定して仕事も落ち着いてきた頃に、ガルグ殿下も国王陛下について回り、色々と学んでいたようです。
そしてわたくしが学園でのコーディ殿下の行いやアンバー様の動向を報告して、このような次第になったという訳です。
ベネ子爵家には前々から悪い噂があったそうですが、なかなか尻尾を掴む事が出来なかったそうです。
アンバー様がコーディ殿下に上手く取り入った事でベネ子爵が欲を見せ、付け入る隙が出来たようです。
全てを綺麗にお掃除出来そうだと王妃殿下は手を合わせて喜んでおりました。
これからお二人がどうなっていくのか。
恐らくコーディ殿下とアンバー様と顔を合わせる事は今日限り二度とないでしょう。
残念ながらコーディ殿下ともアンバー様ともサヨナラ……茶番劇も終わりという訳です。
清々しい気持ちでお二人の小さくなった背中を見送りました。
どこか浮かない顔のガルグ殿下を見て、わざとらしく眉を顰めます。
「ガルグ殿下は、わたくしと一緒になるのは嫌でしたか……?」
「ち、ちっ、違う!!別に、ミネルヴァ嬢は……そんなっ、」
必死に否定しようとするガルグ殿下は他の方々に見せるのは勿体ない程に可愛らしいお方です。
今回の婚約を破棄する事に前向きだった理由も分かりますでしょう?
こうしてガルグ殿下の婚約者になれて、わたくしは幸せなのです。
外見は恐ろしいのに内面はとても繊細で優しい。
そんなギャップがとても素敵だと思っていました。
「……わ、私には勿体ない、くらいだ……!だから、っ」
急に吃り出すガルグ殿下を見て、にっこりと微笑みながら手を握ります。
「───ッ!!」
「ガルグ殿下……これから沢山可愛がって下さいまし」
「ばっ……そ、そ、っミネルヴァ、揶揄わないでくれ!!」
「ウフフ」
ピタリとガルグ殿下の腕に胸を寄せます。
すれば、顔を薔薇のように真っ赤にしたガルグ殿下が目元を押さえました。
そんな可愛らしい姿を見て、これから周囲の方々も印象が変わる事でしょう。
今にも倒れてしまいそうなガルグ殿下は、ふらりふらりとよろめいています。
これから毎日が楽しくなりそうです。
end




