第九話 ベアトリーチェ 3
え~とね、これは……うん、分が悪い。
ボンヤリとそんな感想を抱いている間にも、氷の塊が空気を切り裂きながらカズヤに向って飛んでいく。
それを横っ飛びでかわし、本を開いて、じゅも……詩を読み上げようとするが、カズヤの魔法が完成するよりも早く、次の氷の塊が彼に襲い掛かる。
それを避けるのに意識を注ぎ、集中が途切れて、また振り出しに戻る、の繰り返し。
なんと言うか、相性悪すぎ。
と言うよりも、もう少し真剣に考えておけば良かった。
いつもやってる魔法薬の作成なんかだと、課題を出された時点で症状と段階がはっきりしてるから、やり方さえ知っていれば作成する時にどれ位の魔力を練りこめばいいか決まってて楽なんだけど……魔道書なんか作るのほとんど初めてだから。
とにかく大量の魔力と強力な魔法を一個仕込んどけば大丈夫でしょと思ってたけど、どうやらそうもいかないらしい。
普段魔力を扱うのに魔道書なんか使わないし、普通の人が魔道書を使う上で"文章の長さ"がここまでネックになるとは思ってもいなかった。
まあ、でも、それはそうかな、と思いつつ、はたと気が付く。
(あーこれはそういうのを確認する機会でもあるのね)
何となく納得してしまう。
魔術師と呼ばれる人たちが戦いの場に出なくなって随分経つ。
あたし達の世代は身近に戦争のある景色を知らないし、近年最も大きな戦争があったのはあたし達の祖父母の時代だ。
国境付近ではまだ小規模の諍いが起こる事もあるが、それも徐々に収束しつつあった。
では何故魔道書なんてモノが必要かと問われれば、一つにブリキと呼ばれる街の警備隊の存在がある。
平和だろうとなんだろうと、犯罪はなくなることはないらしく、もし犯人の中に魔法使いが居た場合、剣だけではとても太刀打ちできない。
例え出来たとしても、被害が大きくなるのは間違いない。
そこで、その対抗手段として、魔道書が使われるというわけだ。
まあ、その所為で、役立たず(ブリキ)なんて揶揄されるわけだけど。
もう一つが、貴族の存在。
貴族は大きな権力を得る代わりに、有事の際にはその先頭に立って領民を守らなければならない義務がある。
現在隣接する各国とは友好に近い関係を築けてはいるものの、言ってしまえばそれは"緊張感を伴う友情"によるものだ。
実際小規模とは言え諍いが絶えていない地域が在る事は事実だから、此方の手を握っている手が何時またナイフに持ち代えられるか分からない、と彼らが考えたとして臆病者と笑う事はできない。
"その時"のために準備をしておく意味も込めて、魔道具をコレクションしている貴族さえいる。
つまり、試験で重視されるのは、実用に堪える、商品として完成度の高いものを作ること。
そこに仕込まれた魔力の量が多かろうが、幾ら魔法が強力だろうが使えなければ無用の長物というワケだ。
それこそブリキに過ぎない、と。
なるほどなるほど。
「これは……ちょっと甘く見てたかなぁ」
「なに?」
思わずこぼれてしまった考えを、ううん、と首を振って回収。
前を向くフリをして、怪訝そうな視線を回避する。
幾分冷静になったのか、横顔に当たるユズル君の視線が痛い。
「……なあ、そろそろ、あんたらの正体教えてくれよ」
「正体って?」
「いや、流石に魔法使いとかってのはもう疑ってないけど。だから、ここに来た目的とか……あんたの言ってたアレ、世界をどうこうってのは本当かよ」
「んー、嘘では無いよ。やろうと思ったら出来るだろうけど、でもそれが目的じゃないからねぇ」
「………………詐欺?」
「あ、嫌な言い方。せめて誇大広告とか……」
「一緒だろ!」
……怒鳴られた。
ちょっと冷静になったと思ったら……全くかんしゃく玉みたいな子だ。
「んーと、本当の所はね。さっきもちっくと言ったと思うけど、大学の課題なんだ」
「課題?」
「そう、なんかね、これが上手く行けば卒業させてくれるんだってさ」
「卒業って、じゃあ、あんた二十歳越えてんの?」
「いや、十八だけどなんで?」
「あん? なに? じゃあ飛び級とか?」
「飛び級? いやいやそんな大仰な事して無いよ」
「ふん。国によって言葉の意味が違うことくらいあるだろう。現にこっちの世界のチューゴクという国では、昔、王の建てた学校を大学と呼んでいたらしい」
「……居たのねベル」
いつの間にか、ユズル君の隣にベルが居た。
「さ、さっきから居ただろうが!」
「いや、そういう意味じゃなくて」
彼女も大分テンパッてるなぁ。
「今全然気配が……」
驚いているユズル君に、ベルの四足の友達がひゃんと吠える。
「全く、そんな事も説明せずに協力させてるのかお前は」
「いや、そうは言うけどね、誰かさんがそんな暇くれなかったんじゃないか」
「トロトロやってるお前が悪い」
「そんなぁ」
なんとも情けない声がでた。
ユズル君があたし達を見比べながら、彼らしくない控えめな声を出す。
「あー、実は二人友達?」
「だ、誰が!」
「いや、そんな興奮しなくても……」
「単なる同期生だ!」
「えー、時々お昼一緒したりするじゃん」
「あ、ああああれは食堂の席が無くて、たまたま隣同士になって……」
「ノートの貸し借りだってしてるし……」
「お前がいつも一方的に借りに来るんだろ!」
「……あ、でも、貸してはあげてるんだ」
ボソッと苦笑気味に言うユズル君。
ベルは聞こえなかった振り。
「だ、大体この僕がお前みたいな落ちこぼれと友達なわけないだろ!」
「いや、落ちこぼれって言うんだったら、ここに居る時点でベルも…………」
ってあれ? ベルってそんな成績悪かったっけ?
彼女はこの通り生真面目な性格をしているから講師達の覚えもいいし、成績も決して悪くなかったような。
精神操作系統の魔法は苦手なはずだけど、落第するほど酷くは無い筈だ。
――もし仮に、この試験自体が、"何かの建て前だったとしたら"。
数日前にアンネと話した時の事が微かなしこりになって残っている。
我ながら考えすぎとは思うんだけど。
そもそもあの学長怪しいところが多すぎるんだよねぇ。
前述の通り、レイナート王立大学は三年制の学校だ。
三年経てば生徒にとってどんな結末だろうと、一切の斟酌なく学校を出なければならない。
技術保全と言うのが建て前だけど、これは、良く考えるまでも無くおかしい。
本当に秘密を守りたいなら、どうやっても生徒全員に免状を取らせて、魔法使いをキッチリ国で管理すべきだ。
学長のやってることは、その真逆もいい所。
むしろ、わざと魔法を一般に広めているような……。
何より怖いのは、こんな建て前が議会を通り、実際にあの大学が建ったことにある。
あのヒゲ、議会に一体どんなパイプを持ってるんだか……。
まあ、今回の事に関して言えば彼も乗り気じゃ無さそうだったけど、それでも嫌がらせの手紙はしばらく続ける事にしよう。
「……それじゃあ魔法ってなんなわけ?」
自分でも迷惑だと分かる決心をしてる間に、いつの間にかベルとユズル君の間で会話が成立していた。
慌ててそちらに意識を戻す。
「魔術、だ。そもそも魔法とはマナを体に取り込んで魔力に変換する方法の事を言う」
「マナ?」
「本当に何も聞いてないんだな」
責めるような目で此方を睨むベルを華麗にスルー。
藪をつついて蛇を出す趣味はないし。
「全く。いいか、マナとはこの世に存在する全てが"朽ちていく"際に発生するモノの事だ」
「朽ちていく際に発生?」
「そうだ。だから元々単なる老廃物のようなものと捉えられていたんだが、コーア・ルオと言う学者がそこに有用性を発見した。今では"次の存在の素"と言う考え方が一般的だな。魔術とはその魔力を使って奇跡を起こす術の事を言うんだ」
コーア・ルオ。
五十年ほど前に彗星のように突然現れたマナの研究学者。
ここ三十年で急激に確立された魔術の、その基を築いた人物。
「まあ、今そこを厳密に分けてる人なんか居ないけどね。大体、魔法、で通じるよ」
――キッ! っと。
一応そう注釈を入れてみると、凄い目でベルに睨まれた。
ヤブヘビヤブヘビ。
「えーと、なんだった? ……そうそう、今言った通り、マナとは次の存在のための素だ。材料と言い換えてもいい。普通なら時間をかけて自然に別の形に生っていくモノに、人の意思を介在させて別の形に変える技術が魔術と言うわけだ」
「……それを可能にするための魔法、か」
「ふん、中々飲み込みが早いな」
いや、だからなんでそこであたしを見るかなぁ。
「でも、それってどうやるか見当も付かんけど」
「信じるんだ」
「は?」
「クルノア様の思し召しを」
はあ、と思わず溜息をついてしまう。
急に胡散臭くなったベルの物言いに、ユズル君が戸惑ったような表情になった。
「人間は自然と一体だって考え方がクルノア教にはあるんだよ。人間は自然から生まれたものでしょ? だから、人間の考えてる事は自然が考えてる事と一緒、ってことなんだけど。例えばあの彼が作ってる氷。本来はあそこに存在しないはずのものだけど、彼がそこに氷が存在してもおかしくないって信じれば、それは"自然"なんだ。なんせ人間は自然そのものだから。ひいては、それ全て神の思し召しってね」
「な、なんか……それ、詭弁っつーか……」
「魔法……魔術がどっか胡散臭いものを含んでるってのは、そうだよ、それは宗教とは関係無しに。信じる事が重要って言うのもある意味で事実だし。でも、クルノア教の信者さんたちはそれを信じて疑ってないんだよね」
「それが事実だからだな」
ほら、こんな風に。
こういう話題になると直ぐこうやって怖い人が出て来るから、あたしはあんまり好きじゃないんだけど。
「……四柱信仰が魔術において強力な所以だよ。なんせ国内の半数以上が信者なんだから。信じるどころか、殆ど既成事実になっちゃてるもの」
「当たり前だ。と言うか、既成事実とは何だ。唯一無二の事実だろ」
「うーん。あたしはもっと別のアプローチが在っても良いと思うんだけど」
「ふんっ、いかにもヘンケルらしい考え方だな……あ、いや、すまん」
「…………」
……そりゃ、彼女も知ってるよねぇ。
急にシュンとなったベルに、ユズル君はいよいよ戸惑っているようだ。
ちょっと申し訳ない。
「要はイメージが大事なんだよ。あたしだってクルノアの考え方全部を信じてないわけじゃないしね」
ただ、そこに考える余地、"遊び"があったほうが面白いってだけで。
「あ、だからじゃないよねぇ? ベルがあたしに突っかかってくるのって」
「なっ」
わざとおどけて言うと、ベルもそれに乗ってくる。
ユズル君には悪いけど、まあ、こういう事は機会に恵まれないとね。
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ、一体何さ?」
「ふん、お前の相棒が勝ったら教えてやる。まあ、それも不可能なようだがな」
促がされるように前を向く。
カズヤがガクッと膝を突いた。
「一也!」
思わずだろう、ユズル君が悲鳴のような叫び声を上げる。
「僕の勝ちだな」
ベルは早くも勝ち名乗りを上げている。
……でも。
「……そうかなあ?」
カズヤの目はまだ死んでいなかった。
どころか……笑ってる?
「まだやるの?」
「はぁ……はぁ……こうなったら、もうアレしかないか」
冷たく言い放つベルのパートナーに対して、カズヤが確かに笑っていた。
「アレって?」
あたしは隣のユズル君に尋ねた。
首をプルプルと横に振る。
「分からない……でも、なんだろう凄く嫌な予感がする」
なんだか顔が真っ青になってる。
「行くぞ……」
ゆっくりとそう言い、急にこちらを振り返る。と言うかユズル君を見る。
その顔がやけにキラキラしてた。
「ゆずる、ゆずるバリヤーだ!!」
「…………」
魔法を掛けられたように凍りつく空気。
「えと、ゆずるバリヤーって?」
あたしは隣のユズル君に尋ねる。
「分からない……でも、なんだろう凄く不吉な予感がする」
ボソリと、そう呟いた。
ユズル君の顔色は、もう殆ど夏の海みたいな色になっている。
説明回です。
会話に出た警備隊に対して補足、と言うか、言い訳と言うか……ごにょごにょ。
僕にはファンタジーのちゃんとした知識が殆どなく、こういう世界で誰が警察みたいな事をやってるか全然分からなかったので、彼らの存在は時代劇参考になっています。
それぞれ大きな街には国から奉行所のような出先機関があって、警備隊は岡っ引きに近い存在と思っていただければ。
正規の職員でないのは一緒ですが、岡っ引きとは違い、国の公認で僅かですがお禄も出ています(いや、お禄て)。
荒事を取り扱うために、元々荒くれモノだった人が多く、彼らを取り仕切る同心のような役割の役人さんもちゃんと居るのですが、街の人とのトラブルも多いといった感じ。
あまり好かれる存在ではない為、身に着けている肩章を差してブリキと揶揄されてる現状です。
…………いや、待てよ、それをやってるのが貴族なのか?
……えーっと、こんな風にフワフワしながら作ってます!