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第八話 一也 3

 のんびりした顔で、ベルナデットさんの後ろから現れたのは、一人と一匹だった。


 足元、リードに引かれている一匹の方は、和犬の特徴の入り混じったような多分雑種犬。

 初対面ながら、愛嬌と馴染みのある顔で、暑そうに舌を出している。


 もう一方、一人の方には、確かに見覚えがあった。

 同じクラスの男子生徒で、名前は駒野佑。

 喋りの物腰が柔らかく、見た目にもどこか大人しそうな雰囲気がある生徒。

 ただ、実際遊んでみると、結構ノリの良い性格で、話してみると意外と面白いっていう、あのタイプ。

 何度か一緒に遊んだこともあるが、彼とはゆずるのほうが仲が良い。


「あれ? 南……に佐藤?」


 驚いた様子で、駒野が僕らのほうを指差す。


「こんな所で何やってるの?」

「そりゃこっちの台詞だぜアミーゴ!」


 嬉しそうに、ゆずるが駒野のほうへと駆け寄っていく。

 話の通じる相手が現れたとでも思ったのか、軽快なステップを踏んで進んでいく。

 丁度、お互いの中間点に差し掛かったあたりだろうか、何かに気が付いてその足が急に止まった。

 駒野が小脇に抱えたものを指差し、ゆっくりと後じさりを始める。


「そ、それ……」


 戦慄く指先がさしていたのは、案の定、本だった。

 微かに同じルーツを思わせるデザインの装丁で、色は赤。

 制作の手の違いによるものか、あちらにはどこと無く厳かな雰囲気が感じられる。

 対してこちらはちょっと軽薄。


「えっと、これは……」


 隠すように後ろ手に本を回した駒野と目が合った。

 誤魔化すために視線を彷徨わせていたのだろうが、僕を見た際の表情の変化は劇的だった。

 僕の手にあるモノを見て、一瞬驚いた顔を見せた後、転瞬の間にその表情が硬く強張る。


「そっか…………」


 追い詰められたような表情になった後、ボソリと何かを呟いた。

 固くて大きなものを飲み下すように喉が動いて、キッと鋭い視線がこちらに定まる。


「あ、えっと~、こまっち、お顔、怖いよ? 気づいてる?」


 ビビリながら言うゆずるを無視して、駒野がベルナデットさんのほうを見た。


「あの人なんだね?」


 そう言ってベアトリーチェさんのほうを指差すと、ベルナデットさんがコクリと頷く。


「そうだ、ヤツが、僕の仇敵てきだ」


 射抜くような視線で、こちらを睨んでくるベルナデットさん。

 触発されたように駒野の表情も冷たく固まっていく。


「……これでも何やったか覚えてないんですか?」


 低声で訊ねる僕に、ベアトリーチェさんは首を傾げる。


「う~ん、何かやったって記憶は無いんだけど」


 ……とてもそうは思えないけど。


 怪訝に見つめる僕に、ベアトリーチェさんも低声で聞いてくる。


「……えと、今ならまだ辞めてもいいよ。確実に攻撃してくると思うけど、彼」


 不安を微塵も感じられないその言葉に僕は首を振る。


「いや、大丈夫ですよ。売られた喧嘩は買うのが礼儀ですから」

「……君も変な子だね。こんな得体の知れない女を信じるなんてさ」

「信じるって言うのとはちょっと違いますけど……」


 呆れたような彼女の表情に、僕は否定の意味で苦笑を返す。


「じゃあ、どうして?」


 不思議そうに聞いてくる彼女の耳に、僕は顔を近づけた。


「……ベアトリーチェさんが、俺よりゆずるを先に選んだから」


 顔を離すと、マジマジとこちらを見てくる表情があった。

 僕は言葉を付け足す。


「……少なくとも、見る目はありそうでしたから」


 そう言うと、ベアトリーチェさんはなんだか悩ましげな表情になった。

 顎を指先で撫でたかと思うと、ポンッと頭に手を置かれる。


「……うん、ベアトリーチェで良いよ、カズヤ君」

「……じゃあ、俺も一也で良いです」


 そう、と楽しそうに首肯する。


「じゃ、始めようかカズヤ」

「はい、ベアトリーチェ」


 僕は、本を開いた。




 ……のは、良かったんだけど。


「"四つの一つ、ティリアネス、汝の下僕に大いなるお慈悲を……"」


 僕らがウダウダやってるうちに、あちらはすっかり臨戦態勢を整えていたらしい。

 責められる事じゃない。

 不意打ちだろうがなんだろうが、勝った方が偉いというのは好ましい考え方だ。


 駒野は赤い本を片手に開き、ページを指で追いながら、何か呪文めいたモノを口にしていた。

 装丁だけでなく、その内容も大きくこちらと趣を異としている。


「四柱信仰か。……そう言えば、クロンカイトのあたりは有名なバイブルベルトだったっけ」


 のんびりと言ったワリに、表情は固い……。

 どこか困ったようなベアトリーチェに、いつの間にか近づいていたゆずるが訊ねる。


「バイブルベルトってなんだ?」

「信仰の篤い地域の事」


 知ってる言葉だったので、代わりに僕が答える。


 それにしても、通訳は一体どうなってるんだろう。

 口の動きを見る限り、ベアトリーチェは明らかに日本語を喋っていない。

 本に書かれた文字を見ても、とても言語形態が似てるとは思えないし。

 何らかの魔法の力と考えるのが妥当だろうが、それにしてはバイブルベルトと言う言葉がゆずるに通じてない。

 と、すると、この通訳の力はこの"場"にかかっているという事だろうか。


「そう。で、四柱信仰は、あたし達の世界ではもっともポピュラーな信仰なんだ。世界は四本の柱で支えられてるって言われてて、その柱をそれぞれ火や土を司る神様に見立てて崇めてる。ティリアネスは四柱唯一の女性で、水と木を司ってるんだよ」


 取り留めなくそんな事を考えている僕をよそに、ベアトリーチェの言葉は続く。

 それに眉を顰めてゆずるが尋ねた。


「それがなんでそんな表情になるんだよ」

「……ティリアネスは気性が激しいんだ」


 ぞくり、と、背筋が凍りつくような感覚を覚えた。

 こちらでプチ神話講座が開かれている間に、どうやら魔法が完成したらしい。

 ベアトリーチェが口に咥えた煙草をペッと吐き捨てた。

 ……後で拾わせよう。


 あからさまに空気が変わっていた。

 魔力の流れとでも言うのだろうか。

 手につかめない感覚が、肌に突き刺さる。

 本の効果か、それともそういうモノなのかは分からないが、駒野の全身が薄っすらと発光しているのが見えた。


「蹴り上げろ! "女王様の爪先"!」


 駒野が横薙ぎに手を振るう。

 体の中で滞っていた力の流れがいちどきに解放されて、中空に形を成していく。

 それは人の頭大の氷の塊だった。

 パキパキと音を立てて現れた、細長い八面体のそれは、粗く削ったように凸凹していて、見てるだけで超痛そう。


「あれ当てる気じゃないよね?」


 ゆずるが嫌な未来予報をしたのと、言ったとおり超痛そうな氷がこちらに向って飛んできたのと、ベアトリーチェが僕らを両脇に抱えて高く飛び上がったのが、同時だった。


 気がつけば視界には一面に青い空が広がっている。

 僕らは寺の屋根の上辺りまで飛び上がっていた。

 健康的な景色から視線をゆっくり地面に下ろせば、たった今まで僕たちが立っていたところに、氷の塊が飛んできているのが見えた。

 寺の石畳に痕跡を残しながら、衝突して細かく砕ける。


「抉れてますけど! 地面抉れてますけど!」


 抉れてると言うのは少し大袈裟でも、衝撃で剥がれた数枚の石の薄板は、強い力で殴られたようにひび割れてしまっていた。

 あれをまともに喰らってたらと思うと……。


「あ、あ、あんた本当に何やったんだよ!?」

「いや、さっきから考えてるんだけど……う~ん」


 暢気に首を捻りながら、殆ど衝撃無く爪先から着地する。

 僕らを地面に下ろすと、腰に手を当てて頭を掻いた。


「えと、どうする?」

「こっちが聞きたいわ!」

「そう言われてもな~」

「反撃」


 やり合ってる二人に、僕はパンと本を叩いてみせる。

 途端にゆずるが詰め寄ってきた。


「お前が混乱してるのは良く分かるけどな。これはただの痛い言葉の羅列だ。出来て嫌がらせが精々だ」

「いや、だから、これ詩……」

「何にもならないのは一緒だろ!」

「まあまあ、ここで言い合ってても……仕方ないだろっと!」


 言葉の後半はゆずるを蹴り飛ばしながら。

 次の瞬間、僕らの間を氷塊が飛びすぎていった。

 顔の前を通り過ぎていく涼気にゆずるは何か文句を言いながら倒れて、ベアトリーチェは軽々と後方に飛んで避けている。


「ふっ、無様だな!」


 倒れた僕達を指して、ベルナデットさんが、いきなりえばり出した。

 ずいっと駒野の前に出たかと思うと、ピンッと指先で前髪を弾きながら、過剰に口の端を持ち上げてみせる。

 が、その手にはいつの間に預けられたのか、犬のリード。


「不意打ちの方が遥かに無様だと思いますけどね」

「騎士道に悖るかな」

「卑怯貴族がっ」


 ここに来て、一致団結。

 ゆずるなんかは蹴られた恨みもあってか、語気が荒い。

 口々に上る非難の言葉に、流石にたじろいだ様子を見せるベルナデットさん。

 駒野が慌てて慰めに入り、その隙に体勢を立て直す。


「とは言うモノの、どうする?」

「あの卑怯貴族かなり本気ですよ」

「こまっちもなんかキャラにない事してるし」


 三人してちらっと視線をやると、励ましを終えた駒野がまたしても呪文を唱えていた。


「……反撃?」

「……しかなさそうですね」

「てか、あんたは何もしないのかよ?」


 ゆずるの言葉にベアトリーチェが申し訳無さそうな表情になる。


「基本的にあたし達は手出し禁止」

「わー、ホント頼りになる」

「皮肉は良いって。なら、これの使い方……」


 言いかけた時、パキーンと、目の前で氷塊がはじけた。

 透明な板を張ったように、破片もこちらには飛んでこない。


「な、何今の?」

「……さあ?」


 面食らってる僕らに、ベアトリーチェが小手を上げる。


「あたしが魔法使って防ぎました」

「いや、だって手出し禁止って…」

「うーん、でも、ほら、最低限身を守ることはしなきゃさ」

「なにそのファジーさ」

「いいから、使い方をなるべく手短に」

「あ、ごめん、わかった」


 すっくと立ち上がると、ベアトリーチェはあちらの様子を少し窺う。

 当たると思った氷が砕け散って流石に驚いた様子だったが、駒野は直ぐに気を取り直して今は次弾装填中。

 ……それにしても、本当、どうしたんだろう駒野。

 らしくない、というか、そこまで知ってるわけではないけど、今まで見た事ない態度だ。

 しかし、今はそんな事をゆっくり考えてる場合じゃなかった。

 考えても答えが出るとは思えないし、気を取り直してベアトリーチェの声に耳を傾ける。


「状況が状況だし、その他諸々の説明は後にするとして、とりあえずやるべき事は一つ」

「…………」

「その本に書いてある事を一生懸命読み上げる。以上」

「………………は?」

「いや、だから、そこに書いてあるモノを読めば良いの。あ、でもただ読むだけじゃダメだよ。読んでると頭の中にイメージが浮かぶと思うから、それをハッキリさせて行く感じで」

「なにそれ?」


 意味が分からないという風に、ゆずるが彼女を睨めつける。

 にこっと微笑を返されて、ピキッと額に血管の浮かんだゆずるの肩に手を置いて、僕は本を開く。


「とりあえずやってみれば分かる事だろ」


 僕がそう言うと、ベアトリーチェがニッと笑った後、ゆずるの肩をつかんで後ろに下がり始めた。


「あんまり手を貸しちゃうと意味がないから。……あ、最後にアドバイス。大事なのは集中と直感。後は本能に従えばきっと上手く行くよ」

「はい」

「頑張って」


 ヒラヒラと手を振りながら、まだ何か言っているゆずるを、はいはい、何て宥めつつ彼女は離れた木陰へ入っていった。

 それを見送って、僕は振り返るのと同時に、飛んできた氷を半身になってかわす。


「…………」


 本に書かれた詩(?)を指でなぞると、全身に柔らかい電気のようなものが走った。

 その正体を考えるまでもなく、理解が頭の中に広がっていった。

 今のは、体の中に魔力の流れる道をつくる際に感じる刺激。

 痛くは無いがくすぐったいような違和感があった。

 体の中に、今まで無かった魔力のための領域が出来上がる。

 その直ぐ後、本から力が流れてくるのを感じた。

 突き動かされるようなエネルギーじゃなくて、全身に漲ってとどまるような類の力。

 その力が、全身の感覚を鋭敏にしていく。

 薄っすらとこの場の全体を知覚出来るような錯覚。

 指先の先の先までが敏感になっていくのが分かる。


「まあ……」


 僕はその感覚ごと拳を握りこんだ。


 この時、胸の内には高揚も冷静も無かった。

 ただ、楽観だけがボンヤリとあって、僕は思わず笑い顔を作っている。


「なんとかなるだろ」

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