第六話 一也 2
ここまでの状況を軽く纏めてみる。
夏休みの宿題をやっていたところ、詩緒が部屋に乱入してきて、ゆずるが鼻血を流した。
馴染みのお寺におはぎを持っていくと、自称魔法使いのベアトリーチェさんが、僕らをスカウトした。
ゆずるが状況についていけず、寂しさから軽く取り乱す。
住職が色気づいた。
木が取り囲む境内は、心なしか涼しく感じた。
ここが背の低い山の上というのもあるだろうが、太陽が夜に傾いていくごとに、敷地内の木陰が徐々にその版図を広げているようで、こちらは過ごしやすくて良い。
それでも、まだまだ日差しは強い存在感を表しているにも拘らず、ベアトリーチェと名乗った女性はその身に汗一つ掻いていなかった。
飄々とした涼しげな表情で煙草を咥え、小さく前髪をかきあげる。
その所作がまるで自然だ。
ジーンズにTシャツ(胸に「他薦」と大きく書いてある)と格好は身近でも、その事実だけで非現実感を煽る。
この時、既に住職の姿は無かった。
墓参りに訪れていた檀家さんに呼ばれ、寺の裏手にあるお墓の案内に行ったのだ。
有り難そうにおはぎを受け取って、
「ま、ゆっくりしていきなさい」
お堂の裏へと消えていった。
残された僕たち三人の中で、最初に口を開いたのは、ベアトリーチェさんだった。
しかし、それは僕らに向ってのものではなかった。
「……嘘、ウソウソ……なんで?」
信じられないものを見つけたような顔で、半開きになった口元、火のついたタバコが下唇にぶら下がっている。
僕らと向かい合うようにして立っていた彼女の表情が、見る間に驚きに変わっていっていた。
この暑さの中でもサッパリしていた頬に、ツツツ……と冷や汗が流れる。
彼女の視線は、僕ら、を見越して、背後、山門の方に注がれていた。
振り返ると、ゆずるが鬼の階段と表現した石段から、小さく上ってくる頭が見える。
固唾を呑んで見守っていると、その人は階段を登りきり、僕らの前に姿を表した。
「……お知り合いですか?」
いつの間にか、僕の背後に隠れていたベアトリーチェさんに小さく訊ねる。
特に怯えている様子ではないが、あまり会いたくなかった顔らしい。
旅行の出発の日に、曇り空を見上げているような憂鬱そうな顔色だった。
「ええと、知り合いって言うか……」
言い淀むベアトリーチェさんとは対照的に、現われた人物には淀みも迷いも存在していなかった。
真っ直ぐこちら――と言っても背後の彼女を見つめながら、びっと指を突きつけてくる。
そのしようは、優美にして典雅。
両足を綺麗に肩幅に開き、腰に手を当てた、マナー教本にも載っていそうな、他人の指差し方だ。
「やっと見つけたぞ」
口にした台詞に激しく既視感を覚える。
「こんなのばっかりか」
ゆずるが小さく零した。
そう言いたくなる気持ちは分かる。
「やあ、ベル」
ベアトリーチェさんが、おずおずと、と言った感じで、僕の背中から小さく顔を覗かせた。
すると、ベルと呼ばれた人は、ふっと空気を吐き出すように笑い、ふぁさぁ、と音がしそうな感じで前髪をかきあげ、ビシッと、差されたほうがドキリとしてしまいそうな格好良さで、また指差してきた。
一々が芝居がかっている。
「君と友人になった覚えはない。ベルと呼ぶのを改めてもらおうか」
横から、「うわメンドクセ」というゆずるの声が。
僕も同感だ。
「この人、マジで誰なの?」
背中から出て来たベアトリーチェさんに、今度はゆずるが訊ねる。
「ベルナデット・クロンカイト」
困ったように頭を掻きながら。
あの人の名前だろうが、ベアトリーチェさんは禁忌を口にするような調子だ。
「大学の同期の筈なんだけどさ。初めて会った時に、あたし、なんだか彼女を怒らせるような事したみたいでね。それ以来目の敵にされてる」
さもありなん。
不可解だと言わんばかりの表情だが、この人なら、知らないうちに喧嘩売るくらいの事はしていそうだ。
「大学?」
問い返したゆずるに、ベアトリーチェさんが頷く。
「本当はその辺ゆっくり説明したかった所なんだけど、そうも行かないみたいだねぇ」
顔色を見ようと振り返った僕の頭を抑え、強引に首を動かされる。
映った視界にもう一人の人影が現われた。
「あ、あれ、こまっちじゃん」
ゆずるの言う通り、ベルナデットさんの隣に、同じクラスの同級生が立っていた。