第二十話 ベアトリーチェ 5
「貴方が、ゆずる様、ですか?」
ベルが、あたしには見せた事のない穏やかな表情で彼女のパートナーを抱き抱えている脇で、囁くような声があってそちらを振り向いた。
見ると、声の正体はミツキくんで、問い掛けに頷くユズルくんに手を差し出しているところだった。
「はじめまして、ミツキと申します」
どうやら、友好の証は異世界間でも共通のデザインらしい。
にこやかに握手を求めている彼女のポーズに、不慣れな様子ながら、ユズルくんもそれに応えようと手を伸ばす。
美しい光景。友情が誕生する瞬間、がっちりと結ばれた手と手は、未来へと繋がる希望の懸け橋となる。
……その筈は、ミツキくんががっちりとユズルくんの手首を掴んだ瞬間、無惨にも砕け散った。
一瞬、メイドさんには相応しくない妖しい光を瞳に宿したかと思うと、電光石火の早業で、固く手首を拘束する。
その有様は、友情の懸け橋と言うより、夕べテレビで見た、万引きGメンのそれに近い。
「なに……?」
言いかけた所で、不可思議な音がそれに被さる。
ーーもむん。
ミツキくんが大きく口を開いたかと思うと、がっちりと固めて動けないユズルくんの手に、噛み付いた。
その音が、もむん。
パクリでも、ガブりでもなく、まるで沼地に錘を落としたかのような奇妙な音が辺りに響く。
あまりの出来事に呆然としているユズルくんを尻目に、肉食系メイドは、猛獣よろしく、首を振って、手首から先を噛みちぎってしまった。
もちろん、ちぎれた断面にはベルのパートナーの時と同じ、黒い霧のようなものが掛かっていたが、それでも突然の出来事に誰一人声もない。
呆然と黒い靄を見つめるユズルくんだったが、はっと、思い出したように動揺を見せはじめる。
「ぎ、ぎゃー!手、手を食われた!痛……痛くはない、良かっ……いや、これ良い事なのか?……てか、手、返せ、くそメイド!」
「ひやれふ」
「ふひゃあ」
突然、ユズルくんが、甲高い声を上げた。
「こ、こしょば……」
「ひょうれんれふ。はんひゃふはみゃらふゅなひゃっへまふかりゃ」
「ふひゃ、ひゃはははは、や、やめ、こしょ、こしょばい!」
頬を膨らませたメイドが、もごもごと口を動かす度、ユズルくんが身をよじる。
実際に手を切ったわけではないから、感覚がまだ繋がっているのだろう。
口の中で暴れ回っている様子の手に動じる事なく、ミツキくんは、冷静に口を動かす。
「ふひゃみゃひひひゃみゃひゅひなひゃい」
「な、なに言って、っか、わ、あひゃ!…わ、かんねーんだよ!ひゃあ」
えらく可愛らしい声を上げながら、明らかに呼吸困難な赤い顔で悶えるユズルくんを、流石に見かねたのか、ようやくカズヤが止めに入った。
「ミツキ、やめろ」
静かに頭を小突かれ、ミツキくんの動きが止まる。
「れも〜」
「でも、じゃない。ゆずるに手を返してやれ」
器用に唇を尖らせるが、ご主人様に言われて、渋々と言った感じで口から手を吐き出した。
涎まみれでテラテラとしているそれが、ミツキくんが構えた両手に落とされる。
「リアリティ実装…」
「うっせ」
あたしの一言を冷たく跳ね返し、荒い息のまま、引ったくるように自分の手を回収する。
涎を避けるように人差し指で人差し指をツマみ、微かに動いているそれを眉を引き攣らせながら見つめている。
「感覚は生きてるんだよね」
「はい、それはですね。それぞれ切り口に付いている、黒い靄同士が、本来一つ(・・)のものですから、空間的には連続して…」
「聞いてねーし!」
ああ、ちょっと聞きたかったのに。
そうそうにミツキくんの解説を遮り、ユズルくんは危険なメイドさんに詰め寄る。
「いいから、とっとと戻せ」
差し出された手をいかにも不服そうに受け取ると、ミツキくんはそんな態度のまま乱暴に黒い靄同士をくっつけた。
くりくりと鍵を捻るように回し、先程と同じように靄を払うと、いとも簡単に問題は解決した。
「おお〜、元通り」
無事くっついた手の平を閉じたり開いたりしながら、ユズルくんは表情を和ます。
これで、全て解決となればいいのだが、そうもいかないだろう。
案の定、落ち着きが戻ったユズルくんの顔色は、件のメイドを視界に捉えた瞬間、怒りの色に変化した。
「おいこら、いきなり人の手を噛みちぎるたぁどういう了見だ、クソメイド」
「…………」
凄みを効かせるユズルくんを意に介した様子もなく、ミツキくんは無言のまま、ついと視線を逸らす。
「……ミツキは、貴方の事、認めませんから」
顔を背けたままで、そんな事を呟いた。
「あのな、認めるとか認めねーとか言える程俺の事シラネーだろ」
「一目嫌いです」
「今作ったよね?それ」
しかも認めない理由になってない。
不毛な言い争いを始めた二人を前に、あたしの傍でカズヤが溜息を落とす。
腰を屈め、先程の騒ぎのさなかに落としたのだろう、ピンク色の魔導書を拾い上げると、立ち上がりながら表紙に付いた砂を払った。
「それにしても、ミツキはなんであんな事…」
「まあ、対抗意識だろうね」
「対抗意識ですか?」
「うん」
「なんの?」
「なんの、って、あれ?」
もしかして気が付いて無いのかな?
カズヤは歳相応の顔つきで、きょとんとしてしまう。
「二人の顔を良く見比べてごらんよ」
言い争いを続ける少女二人を指で示してやると、カズヤは素直に視線をやった。
そうしてしばらく見つめている内、表情に徐々に理解の色が浮かんでくる。
「似、てる?」
「というか、全く同じ顔してるよねぇ」
どころか、むしろ、それ以外は全く似ていないと言った方がいい。
ユズルくんの方は服装から何から男っぽい雰囲気を纏っていて、体や顔つきも、イマイチ性別が曖昧な所がある。
対してミツキくんの方はと言うと、服装は言わずもがなで、体つきも、柔らかく丸みのあり、表情や仕草などから、一目見て解る程女性らしさが滲み出ていた。
「まあ、いつも傍にいる君の方が分からないかもね」
この場合なんの慰めにもならないだろうけど。
「でも……あ、だけど、なんでゆずるの顔なんです?」
「なんでって、ミツキくんが言ってたじゃないか。君が強く望んだから(・・・・・・・・・)だって」
カズヤが一瞬呆気にとられたような表情を見せた後、さっと顔全体に朱がさす。
片手で顔を隠すみたいに覆うと、そのまましゃがみ込んでしまった。
「意外と可愛い反応をするね君も」
「……俺はいつでも可愛いですけどね」
そう言う強がりも、どこか切れ味が鈍い。
まあ、それはともかく、ミツキくんはカズヤの、ある部分での言わば理想の女性像の一つなわけだ。
そのオリジナルに対する複雑な感情が、ミツキくんにあのような行動をとらせたらしい。
「あ、強がりで思い出した、ねえ、ベルナデット」
「どこから連想してるんだお前は!!」
「どうりで、見たことがあると…」
まだぶつぶつ言いながら、うずくまったまましばらく立ち直れそうにないカズヤの肩をポンと叩き、あたしはベルの方に足を向けた。
ベルは、眠っているコマノくんに膝を提供し、しおらしく寝具に徹している。
相手が女の子ならともかく、男性に対して彼女がこんな態度を取るのは珍しい。
「まさか、その子も実は女の子、なんて事は無いよね」
「馬鹿か、あるわけないだろ」
冷たい言葉で一蹴された。
「ただ、ユウは僕に親切にしてくれたからな。これくらいなんでもない」
「ふ〜ん」
そう言うベルの表情は酷く優しげだ。
何となくツマラナイものを感じながら、あたしは話を本題に向ける。
「それじゃあ、とっととあたしを目の敵にしている理由でも教えてもらおうかな」
なにか言って来るかとも思ったが、意外にも「ああ」と、あっさり頷かれる。
コマノくんに気を使って、身をよじるように、少しだけ居住まいを正してから口を開く。
「と、いうか、お前は本当に覚えていないのか?」
そんな風に、彼女は語りはじめた。
次は少し時間が掛かる、かも?です。