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第二話 一也 1

 詩緒しおという姉がいる。

 僕らより一つ学年が上で、弟の贔屓目があったとしても、美人と表現して差し支えのない人だと思う。

 誰もが憧れるようなタイプではないが、友達に彼女への好意を伝えた所で、少なくとも、納得できないと首を傾げられる事はないだろう。

 いつだったか、彼女を評して僕がそんな風に言うと、ゆずるは少しだけ考えて、唐突にちゅう美人びじんと口にした。

 なるほど上手いな、と妙に納得してしまったが、言った後のゆずるのやられっぷりが見ていて気の毒なほどで、その時の事は痛々しい記憶になっている。

 詩緒の目の前で言ったのが、なんと言っても失敗だったのだろう。


 そんなちゅう美人びじんが、ノックをして部屋に入ってきたとき、僕らは夏休みの宿題をやっていた。

 中学生にもなって読書感想文もないだろうが、普段から活字嫌いを公言しているゆずるは中々苦戦していた。

 これ幸いと詩緒を招き入れる。


「あなたたち何やってるの?」

「宿題。読書感想文やってたんだ」

「『こころ』かー。私も去年読んだ」


 テーブルの上から文庫本を取り上げて、詩緒は一人がけのソファに寝転がった。

 クーラーの温度を二度ほど下げて、ぱらぱらページをめくる。


「ゆずるも読んだのよね。ちゃんと理解できたの?」

「な、失礼な! 当たり前でしょうが! 全く、俺を何だと……」

「えーと、落ちこぼれ?」

「あ、見て、ほら、今俺鳥肌立つほど傷付いてる」


 袖をめくって腕を見せられる。

 確かに、Tシャツから覗く腕には、ぷつぷつと鳥肌が見て取れる。

 たぶん設定温度の下げすぎ。


「クソー部屋に入れてやったのに、なんて態度だよ」

「ゆずる、ここ俺の部屋」

「そうだ、お前もがつんと言ってやれ、この調子のってる中美人に」

「……こころ、南ゆずる。僕はこころを読んで……」

「音読はやめてください!」


 原稿用紙を取り上げた詩緒に、ゆずるが飛び掛る。

 ダンゴになって体をいれかえたりしながら、ごろごろ転がりだした。


 僕達三人は幼馴染だった。

 家は隣同士で、僕とゆずるは同い年。

 詩緒とも幼稚園の頃からずっと一緒で、考えると家族ぐるみの付き合いは十年以上になる。


「もー! なんなの?! あんたなんなの?! こんなことして楽しいの!?」


 たぶん楽しいんだろうなぁ。


 原稿用紙を庇うように抱きかかえながら泣き叫んでいるゆずるを、嬉しそうに詩緒が見つめている。

 肩で息をしながら、汗で顔に張り付いた髪の毛を鬱陶しそうに払った。

 全く、暑がりの癖に、ゆずる弄るのには全力を注ぐんだから。


「で、何の用? 詩緒」

「あ、そうそう」


 僕が尋ねると、詩緒が頷いた。

 汗を拭いながら、テーブルの上のゆずるのウーロン茶を一気に飲み干す。


「俺の黒ウー−−ローーーーン!!」

「お祖母ちゃんがね、おはぎ作ったから、お寺に持って行ってって」


 ゆずるの絶叫を淡白にスルーしながら、詩緒は言う。


「包みが台所のテーブルの上に置いてあるから、よろしくね」

「わかったよ」

「出てけ! 盗賊め! この村にはもはや草一本生えちょらんぞ!」


 ゆずるが、空になったペットボトルを、悲壮な声で詩緒に投げつける。


「……何よぅ」


 軽い音を立てて、詩緒の腕にペットボトルが当たった。

 あ、ちょっと傷ついてる。

 乱暴に見えて、実は詩緒は意外と傷付きやすい。

 ただ一つの問題は、乱暴なのも事実だという事で、彼女の繊細な心がそれで周囲に伝わりにくい所にある。

 詩緒は机の上から分厚い広辞苑を取り上げると、綺麗なフォームで振りかぶる。


「そ、そんな言い方しなくたっていいじゃない……」

「ちょ、そ、それシャレに……」

「馬鹿−−−−−−−−−−−−−−−!!!」

「いいいいいい、痛いなんてもんじゃないっ!」


 定規で引いたような直線を描いて、広辞苑がゆずるの顔面に直撃した。

 ごがん! と、聞いた事のない音が、幼馴染の顔から聞こえた。


「ひぃぃぃぃぃぃぃひたすら痛いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」


 のた打ち回るゆずるを一瞥すると、派手な音を立てて詩緒は部屋から出て行った。

 ごろごろ転がってる幼馴染と二人きりにされる。


「痛いようぅぅぅぅぅ……鼻が熱いようぅぅぅぅぅぅぅぅ……全身が寒いようぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」

「……泣いてる?」

「涙が止まらねーんだよ!」


 僕はウェットティッシュを何枚か抜き取り、それをゆずるに手渡す。

 ゆずるは取り敢えず鼻にそれを押し当て、鼻血を止めにかかった。

 見る見るうちに赤い染みが広がっていく。


「うぅ……しかし、詩緒姉は年々わけわからんくなっていくな」

「……あの人も色々複雑なんだよ」


 相変わらず、鈍い。

 不思議そうに首を傾げるゆずるに、僕は少しだけ姉が憐れになってくる。

 ちょっとばかりフォローを入れておいても罰は当たらないだろう。


「悪かった」

「な、なんでえ、やぶからぼうに」


 突然頭を下げた僕に、ゆずるがたじろいだ。

 何企んでやがる、とその顔に書いてある。

 全く失礼な。


「詩緒の事。悪気はないんだよ。今度謝らせるから怒らないでくれ」

「は? な、なんで詩緒姉が謝るんだよ。言い過ぎたの俺だろ。そ、そんな事よりさティッシュもうちょっと頂戴」

「……怒ってないのか?」

「はあ? な、なんだよ、怒って無いって。だから、それよりティッシュを……」

「…………」

「あの、ティッシュ……」

「…………」

「ちょっと、これってどういう嫌がらせですか!?」

「あ、ごめん」


 ボーッとしてた僕に、ゆずるが半泣きで詰め寄る。

 箱ごとウェットティッシュを渡した。

 ゆずるの右手が真っ赤になってる。


「もうホントにこの姉弟はSッ気強い! Sの一族が!」


 僕は、思わず微笑んでいた。

 S、S、言いながら、ゆずるは鼻血を拭いていた。


「なあ、ゆずる」

「なんだよ」


 こいつはホントに……。

 あ、ダメだ、笑いが止まらない。


「ええええぇぇえ、この人、他人ひとの顔見て笑ってるし…」

「いや、ち、ちがくて、げ、原稿用紙」

「は?」

「真っ赤。鼻血まみれ」

「…………うぎゃああぁぁぁぁぁああああああああああああああああ嗚呼アア亜ああアアああ」


 ゆずるの絶叫がこだました。

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