第十九話 一也 6
「はじめまして、マスター」
目の前の少女は、そう言って頭を下げた。
生まれて十四年、ご主人様なんて呼ばれるのは、これが初めてだ。
これまで、メイド喫茶に行った事も、失恋レストランを経営した事も無い身としては、こんな呼ばれかたは、嬉しいとかよりも、まずこそばゆい。
それに、理由もなく自分がさも偉いような呼ばれ方をするのは、精神的にいかにも不健康そうだ。
不健康だ、といっているのに、目の前の少女は、頭を下げたままの格好で、とんでもない事を口走る。
「さ、マスター、ミツキになんなりと御命じ下さい。ミツキに出来る事なら、なんでもいたしますから…」
そう言うと、少女ーーミツキさんは、何を想像したのか、赤い顔を上げて恥じらうような笑顔の片方に手を添えた。
「いや、なんでもと言うか、えと、ミツキさん、でいいのかな?」
「そんな!どうかミツキと呼び捨てて下さいませ」
「じ、じゃあミツキ」
とんでもないという風にぶんぶん首を振る彼女に気圧されて、思わず言う通りにしてしまう。
「君は、どうやって、と聞いたところで百パーセントは理解出来ないだろうな…。どうして、ここに?」
「それは、マスターの心が強くお望みになられたからです。ミツキと触れ合いたいと……ぽ」
……微妙に曲解されてる。
確かに、僕はあの黒い魔法とコミュニケーションを取る手段を探していた。
さっき、微かに人の言葉を理解しているようなふしがあったから、それなら、駒野を取り出す方法を魔法自身に直接聞いた方が早いと思ったのだ。
だから、コミュニケーションツールというか、インターフェイスのようなものを設けられないか色々考えていたのを、ミツキが誤解したんだろう。
僕が彼女と触れ合いたがっていると。
あながち間違ってはいないが、話しをするだけの為に人の姿にまでなるのは些か極端に思えた。
ミツキの外見は、年齢的にも僕らとそう大差無いように見えた。
薄く小柄な体型に長い手足、鏡のような黒髪が顔のサイドから降りて、控え目な胸元まで毛先が流れている。
瞳が大きく、少女らしい成長しきれていないアンバランスさが、そこから見て取れた。
かなり可愛らしい顔立ちなんだけど、それにしても……この顔、さっきからどこかで見たことあるような気がしてるんだよな。
「俺メイド服って初めて見た」
興味深そうなゆずるの声に、浮かんでいた疑問を一旦中断する。
確かに、どうしても目を引くのはその装いだった。
装飾が控え目の、古臭いと言うより、古風と呼ぶのが相応しいようなデザインの白いエプロンドレス。
幅広のスカートの前で柔らかく揃えられた指先には、綺麗なタマゴ型の爪が均等に列んでいる。
その他の服装も、ごちごちの所謂メイド服ではなく、ミルクホールの女給という感じで、全体に楚々とした落ち着きがあった。
「そこの新鮮なメイド!」
……なんて言い草だ。
突然響いた居丈高な声は、不安の裏返しだろう。
簡単に裏側の見える鬼気迫る表情で、ベルナデットさんは鮮度命のメイドに詰め寄る。
「そんな事よりユウは?!無事なのか?!」
そうだった。
あくまで目的は駒野の救出。
メイドさん鑑賞は後回しだ。
今にも掴み掛からんばかりのベルナデットさんを宥めつつ、ミツキに話しを向ける。
「ミツキ、駒野を出してやれるか?」
「勿論ですマスター。ですが、ミツキにも『あちら』がどうなっているかまでは分かりませんので、お急ぎになった方がよろしいかと」
「何だと?!」
ミツキの言葉にベルナデットさんが激した。
もはや、冷静を装う気も無いらしい。
「ベルナデットさん落ち着いて。ミツキ、だったら早く頼む」
「お望みのままに」
不服そうに下がるベルナデットさんをゆずるに任せる僕に、ミツキは嬉しそうな笑顔を見せて頷いた。
胸の前に組んでいた手を外し、スカートの裾を折りながら、ゆっくりとその場に膝を付く。
パンッと、自分の左前方の地面を右手で叩くと、手の平をつけたまま、扇を開くように曲線を描いた。
手の平が通った場所に、弓なりの濃い影が出来る。
ミツキは軽く手に付いた砂を払いながら、星のない夜空のような深い闇色の影を見つめた。
「ここに『隙間』を作りました。今から中を探って、駒野様を引き寄せます」
そう説明しながら、ミツキは無造作に影の中に右手を突っ込んだ。
まるで手品のように、なんの抵抗もなく、彼女の手はずぶずぶと影の中に沈んでいく。
肘の辺りまでが地面にめり込んだ。
その格好は、溝に落ちた五百円玉を探す姿に似ている。
ミツキはしばらくごそごそやっていたかと思うと、突然顔を上げてこちらを振り返った。
「見つけました。……どうやら眠っておられるようです」
ミツキの言葉に、背後からほっとしたような吐息が漏れる。
無事と分かって一先ず安心と言う所だが、この状況で寝てられる駒野は、意外と神経図太そうだ。
「思ってたよりタフネス」
「いや、早く助けてやれよ」
ごもっとも。
「ミツキ」
「はい。それでは皆様、申し訳ありませんが、ミツキのまわりから少し離れて場所を作っていただけますか」
僕らは素直に言うことを聞き、邪魔にならないよう彼女から距離をとった。
充分に距離をとった所で、ミツキは影の中からゆっくりと手を引き抜き始める。
彼女の抜けるような白い腕に、粘つく闇が蔓延っている。
それは腕を引き抜く毎に徐々に膨らんで行き、一度、躊躇うようにその速度が落ちると、あとは一気に地上に姿を現した。
ヒタヒタと、黒い雫を滴らせながら出て来たのは、四角く象られた闇の塊。
地面から厚みのあるその長方形は、吸血鬼が入ってそうな棺桶に見える。
「逢魔ケ刻に、寺に棺桶って、いかにもって感じするよな」
「……なあ、ゆずる。駒野がもし、人以外のなにか(・・・)別のモンになってたらさ……」
「分かってる、速攻で平間義夫を呼ぶ」
訳知り顔でゆずるが頷くと、ベアトリーチェが会話に加わってきた。
「なんだ。あの人は悪魔払いも出来るのかな?」
「ううん、生贄」
躊躇いなく断言するゆずるの発言に、僕の声が続く。
「命を賭して誰かの為に行動出来るって、感動的ですよね」
「友達は傷付けられんからな。未来ある若者の為に散れたら、やつも本望だろ」
「……心苦しいなぁ」
でも止める気はないと。
至極あっさりと住職の犠牲を受容するベアトリーチェ。
相当不謹慎極まりない陰口(和尚の)を叩く僕らを、ベルナデットが無言で睨んでくる。
刺すような視線に、大人しく黙ってミツキの方に集中する。
「なにやら、暫く放っとかれていた気がいたしますが……続けます」
だから、悪かったって。
唇を尖らせながらも、ミツキは言葉を続ける。
「とは言え、あとはここにある影を払えばおしまいなのですが」
そう言って、肩についたゴミでも払うように、素手で四角い闇を払っていく。
しばらく時間が掛かるかとも思ったが、直ぐに暗闇の中から明確な色彩が現れてきた。
いてもたっても居られなかったのだろう。
ベルナデットさんが、ミツキの傍へと駆け寄り、一緒になって黒い霧を払い始めた。
その甲斐もあってか、ものの二分と経たない内に、駒野の全身が姿を現す。
胸の中に庇うように本を抱え、小動物みたいな丸まった格好で眠っている。
その姿を見て、あからさまにベルナデットさんの表情が和んだ。
大きく深呼吸をして、安堵の表情のまま、小さく呟く。
「…………良かった」
その一言に全てが集約されてる気がした。
あどけない顔でスヨスヨと眠る駒野のすぐそばに膝をついて、そっと手を伸ばす。
とても大切なものを扱うように、ベルナデットさんは彼女のパートナーを抱きしめた。
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