第十一話 一也 4
グシャッ――と、思わず目を逸らしたくなるような音が響く。
砕けた氷塊が夏の日差しを受けて、辺りにプリズムを作った。
一面がやたらと無意味に輝く光景の中、ごろごろと無残に地べたを転がるゆずるの姿。
足元で最後の一転がりをして、グラッと、心から謝りたくなる程酷い有様の面がこちらを向いた。
ちょっとした恐怖体験だ。
「あ、あのね、あの氷、愛とか、友情とかの力を、か、軽々飛び越えて、くるんだ……」
虫の息でそんな報告をしてくる。
「がんばっ!」
僕は出来る限り精一杯のエールを送って、ゆずるが立つのを手伝う。
エールを受けた筈のゆずるは、何故だかちょっとだけ泣き出しそうな表情で腰を上げると、うおおりゃあああああ!!――と自棄みたいな雄たけびを上げながら、駒野の方へ突進して行った。
「蹴り上げろ!」
――グッシャアアァァァ。
「第三から第八ブロックまで(←右半身ほぼ全部)一気に持ってかれたあああぁぁぁっぁぁぁぁぁあ!!!」
ごろごろごろ…と、ドンキーコングの樽ばりの転がりを見せる。
「がんばっ!」
そう言ってもう一度ゆずるを送り出すと、いつの間にか木陰から出ていたベアトリーチェが隣に立っていた。
「君も随分えぐい事考えるね」
「ホント、持つべきものは友達ですね」
「そんなサラッと……いや、それにしても、”良く当たる”なぁ」
感心したように言って、こちらを伺う。
「ゆずるは勘がい「イったらああああああああー」いんですよ。要「蹴り――以下略!」点を掴む――グワッシャアアアア――のがうま「ぎゃああああああああああ」いと言うか」
――ごろごろごろごろ…。
喋ってる間にも、ショッキングに繰り広げられる戦いの光景。
「あー、なるほど、確かに今のもそうなのかな」
痛そうに顰めた顔を片手で隠しながら、ベアトリーチェが口にした。
今のだってそう、だ。
ゆずるの動きに、単発ではダメだと悟ったのか、駒野は魔法を地面に向けて撃った。
地面と衝突して氷が砕け、細かい氷片と小石が散弾のようになってこちらに向かってきたが、ゆずるは手足を伸ばして、それら一切を”此方に通さなかった”。
これを殆ど何の計算も無しにやっているのが、ゆずるの凄いところだと思う。
「ちなみに、今君がやろうとしてることも十分凄いと思うけどね」
軽く、視線で全身を撫でられる。
ふっと口元が緩み、銀色の瞳が見透かすように輝いた。
視線を逃がすつもりで、足元のゆずるに目を向ける。
「何故、か、しら、お前に見下ろされ、るのって、すっごく不愉快だわ」
「お前時々オネエ言葉になるよな。……調子はどう?」
「……○二二○時、こ、これ以、上の、前線の維持を不可能と判断、遺憾ながら当基地を放棄します」
「了解。充分だよゆずる、ありがとう」
「お、お前なんか大嫌いだ」
「あーあ、素直じゃないんだから」
僕が溜息を付くのと同時に、ゆずるががくっと首を落とした。
翌日、約束通り寺へとやってきた男の子は、既にやってきていた彼に、持ってきたスコップを見せた。
しばらく、何かを検査するように、眺めたり、コンコンと地面を叩いて音を確かめたりしていたが、やがて、彼はコクリと頷いた。
どうやら一次審査は合格したらしい。
ホッと胸をなでおろしつつ、林の中に入っていく彼の後を、男の子は追った。
道のない道を器用に木を避けながら歩く彼に、男の子は必死で付いていく。
途中。
「どこに行くの?」
と聞けば、
「内緒」
と返ってきた。
「何するの?」
と聞いても、
「行けばわかる」
と、これまた要領を得ない。
仕方なく黙って付いていく事にして……しばらく。
男の子がそろそろ疲れを感じ始めてきたところで、彼はようやく足を止めた。
林の中は、特別広いでもなかったが、目印をつけようもない筈の場所で、彼はキョロキョロと辺りを見やった。
やがて、何を見つけたのか、ぴょんっと跳ねるように一歩足を前にやると、後は足元を確かめるみたいにして慎重に数歩進んだ。
その後を付いていく男の子の前で、彼はその場に跪いた。
急な動作で、男の子はつんのめりそうになる。
彼は、厚く山になった枯葉を手探り、何かを探しているようだった。
手をがさがさ言わせながら、また数歩 膝行り、いよいよ目的のものを見つけたらしく、こちらを振り返ってきた。
どことなく自信を窺わせる彼の表情。
期待に自然と胸が高鳴った。
「なに?」
「見て驚くなよ……じゃじゃーん!」
ダサい効果音で、半ばまで埋まっていた腕を引っ張り出した。
飛び散った枯葉の舞う中、彼の手にはビニールを張り合わせたような大きな四角いシートが握られている。
手早くクルクルクルっとそれを纏めて、ムンっと胸を張る。
その彼の足元。
「うわあ……」
「落とし穴だ!」
果たして、そこにあったのは大きな窪みだった。
彼が言うには落とし穴らしい……のだが、これが中々の造りをしている。
口は広い円形で、入り口は直径一メートルくらい。
深さは男の子の身長よりも高く、恐らく百三十センチ以上はある。
それでいて、奥に行くにつれて穴の先がつぼまっているという事もなく、綺麗な円柱をしていた。
よく見ると、円柱から外側に抉ったように段差が出来ていて、作業中ここで昇降していたのが窺える。
穴の口には数本の細く長い枝が渡され、この上から先ほどのビニールのシートをかぶせるのだろう。
そうして、それを枯葉で自然に隠せば、落とし穴の出来上がり、と言うわけだ。
「これ、君が作ったの?」
「まあな」
「一人で?」
「うん」
鼻の頭を掻きながら、へへっと笑う。
「凄いね!!」
男の子は瞳を輝かせた。
これは……これは立派な罠だ。
秘密基地や隠れ家と同じ、その響きは、男の子の心を強く揺さぶった。
「でも、でもどうして? なんでこんな凄いもの作ったの?」
興奮気味の男の子の口調に、彼はしかつめらしく腕を組んだ。
「あのな、ここの寺に平間義夫ってケチな坊主が居るんだが、そいつが言うにはな」
――いいか、ゆずる。お前時々ここの林に入って遊んでるみたいだけど、気をつけろよ。あそこには妖怪とかお化けとか、魑魅魍魎、つまり化け物どもが沢山出るんだぞ。あんまり遅くまで遊んでると、そいつらが来てお前のことなんか一口で食っちまうからな。
「お、お化け出るの?」
男の子が不安そうに呟くと、彼はコクリと頷いた。
「なんか凄い出るらしい。だから、これはそいつらを捕まえるための落とし穴なんだ」
「つ、捕まえてどうするの?」
「テレビに売る」
彼は自信満々に言った。
……けど、それはなんていうか、お坊さんの考えていた方向とは何となく違うような……。
そうは思うものの、男の子の中の興奮は未だ冷めやらない。
首を振って顔を上げると、彼の方に向き直ってキラキラした表情で口を開く。
「お化け捕まえるの、僕も手伝っても良い?」
はっきり言って、お化けの存在は恐怖以外の何物でもなかったが、それ以上にワクワクしていた。
なにより、同世代の子と何かを一緒にやるのは男の子にとって初めてだったのだ。
期待感とは反対に、控えめな調子でそう訊ねる。
「うーん、そう思ってたんだけど……」
しかし、彼の反応は芳しくない。
考え込むように首を捻ると、ゆっくりとそれを横に振った。
「やっぱヤメた」
「え?」
それを聞いた途端、男の子の中でシオシオと気持ちがしぼんでいく。
……やっぱり、仲間に入れてもらえないのかな?
しぼんだ部分に、代わりに不安が一杯になって入ってきた。
盛り上がった分だけ、落ち込みは激しい。
……帰れって言われたらどうしよう、お前なんかやっぱり要らないって言われたら。
そんな事を思っていると、両手で肩を掴まれた。
次に来るだろう言葉に、男の子はびくっと、身構える。
顔を俯けると、なんだか泣きそうだった。
「この穴お前にやる」
「…………え?」
予想に反して降ってきたのは、そんな言葉だった。
驚いて面を上げると、彼が、にんまりと笑っている。
「やり返そうぜ、お前に意地悪したヤツにさ。……ふりんおんなとかってのはよく分からないけど、お前多分お母さんのこと馬鹿にされたんだろ。だったらお前にはフクシュウするケンリがある」
どこで聞きかじったのか、そんな事を言いながらぐっと拳を握る。
「え、で、でも」
男の子が、ゆっくりと後ずさった。
「だってダメだよそんなの」
「なんで?」
「なんでって、だ、だってあいつら五人くらい居たもん」
「大丈夫一杯捕まえられるようにおおきく作ってある」
「じゃ、じゃあ、どうやってここまで連れて来るの?」
「ケツ蹴っ飛ばして、逃げる振りすればいいだろ」
「で、でもぅ……」
「いいか」
ぐっと肩を掴んでいる手に力が入った。
強くて痛いのに不思議と怖くない。
「俺のお父さんが言ってたぞ。一番最初にやるって決めろって、そしたら、後はできるように頑張るだけだって」
「最初に決めるの?」
「うん。決めろ。お前に意地悪したヤツらをここに落とす。それだけ決めたら、後はやるだけだ」
彼の手に力がこもった。
指の先一つ一つから、力が流れ込んでくるようで、体全体が熱に浮かされる。
「……フクシュウしたら、もういじわるされないかな?」
「されない」
「お母さんも馬鹿にされない?」
「されない」
「で、でも、一人じゃ怖い……」
「俺が手伝う」
「……本当に出来るかな?」
「出来る、決まってる」
「…………だったら、やる」
「よし!」
力強く頷いて、彼は破顔した。
まるで太陽を背負ってるような笑顔だ。
「そうと決まれば名前つけなきゃな」
「名前付けるの?」
「じゃないと何のために掘った穴かわかんないだろ」
そうかな、と首を傾げてみる。
そうかもしれない。
「お前のなんだからお前がつけろよ。本当はモンスターホールって名前にするつもりだったんだけど」
それはどう考えてもポケットに入りそうにないので辞めておくとして、男の子は落とし穴を見つめた。
林の中、陽を遮る枝葉に、穴は深く暗い。
これを一人で作り上げた彼に対して、尊敬と申し訳なさがあった。
……自分は初めて友達と呼べる存在とであったのかもしれない。
その嬉しさもある。
「今日って何日だったっけ?」
突然そう訊ねた男の子に怪訝な顔を見せながらも彼は答える。
「三月九日だけど」
そう、と男の子は頷いた。
今日は記念日だ。
落とし穴を貰って、いじめっ子達にフクシュウを誓い、そして、友達が出来た……。
「だったら、この穴の名前は……」
「そ、そんな、馬鹿な……」
握った右手を突き上げる。
足元から風が巻き上がり、前髪を舞い上げた。
「あ、新しい魔法を作ったのか……魔力を扱う術も学ばずに」
ベルナデットさんが、驚いたような表情でこちらを見ている。
「どうだろうねー。いや、魔法の方はともかくさ、魔術の練習ならさっきから随分やってたんじゃない?」
「なに?」
ベアトリーチェの言葉に、ベルナデットさんの表情が不可解に染まる。
「どういう…………くっ、そうか」
「うん、一度も完成はしなかったけどさ、魔力の扱い方だけなら、結構勉強できたんじゃないかな」
彼女は言った、必要なのはイメージと集中。
マナとか言う謎物質を魔力に変える方法は知らないけど、魔力を魔術に変えていく感覚ならさっきまでの失敗で何度も経験している。
そして何かを信じる力。
幾らイメージと集中が重要といっても、実感として、それは並大抵の労力ではないのだろう。
だから、信心が必要なんだ。
干渉していく世界に、不自然を感じさせないほどの思い込みが。
それだけ分かれば、後は簡単。
ベアトリーチェは、幸いにも優秀な魔法使いらしく、この本には溢れんばかりの魔力が閉じ込められている。
今も体中を流れている魔力にも大分馴染んできた。
信じているものはあるし、何より、最初に決めた。
"この勝負に勝つ"、と。
……だったら、後はやるだけだ。
突き上げた右手を握りこみ、魔力を集中させる。
イメージは、深くて暗い決意。
それを徐々に顕在化させていく。
「"三月九日の穴"」
僕の目の前に、大きな黒い球体が浮かんでいた。
結構重要な間違いをしていたので、第三話を少しだけ弄りました。
申し訳ありません。