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第十話 ゆずる 3

 下草を掻き分けながら、明るい方へと進む。

 いつもどおり一日の仕事・・を終わらせて、お寺の横にある林から出て来ると、空はもう真っ赤に染まっていた。

 見上げると、不定形の雲が渦を巻いて落ちてくるようで、赤い世界に微かな不安を植えつける。


 手に持っていたスコップを地面におき、彼は両手で体についた泥を払った。

 これを怠ると、彼の母親は酷く機嫌を損ねるのだ。


「……すん……すん……」


 大体体が全部綺麗になったところで、そんな声が聞こえてきた。

 誰かが泣いているような鼻をすする音。

 しかし、姿が見えない。

 お化けと言う単語が浮かんできて慌てて首を振る。

 彼はなけなしの勇気を奮って視線を動かし、直ぐに木陰の下にその姿を見つけた。

 色濃く影を落とすイチョウの木の下、蹲っている凸凹の塊。

 彼は不安そうに一度空を見上げた後、意を決したようにうなずいて、そちらに駆け寄った。


「……すん……すん……」


 到着してみて、なんだ、とガッカリしている気持ちがある。

 そこに居たのは彼と同じくらいの年頃の男の子だった。

 体が小さいから、一つ二つ下かもしれない。

 その男の子は、膝を抱えて地面に座り、顔を細い腕の中にすっぽりと隠していた。


 更に近づくが、相変わらず鼻をすすりながら、此方に気が付いた様子はない。

 小さな体が、泣き声に合わせて微かに上下していた。


「なあ……」


 思い切って彼は声を掛けた。

 小さく震えていた男の子の動きが止まった。

 呼吸すら止めるように、息遣いまでが聞こえなくなる。


「お前なんで泣いてんだ?」


 そう訊ねてみるが返事はなかった。

 ちょっとムッとしつつ、彼は考える素振りで口を開く。


「お前アレか? この寺オリジナルの妖怪かなんかか? 賽銭箱に入らなかった五円玉の霊とか?」


 ――ふるふる。

 続けて訊ねると、微かに首を横に振った。

 リアクションがあったことにホッとしながら、更に訊ねる。


「じゃあ、母船マザーシップに置いてかれて帰れなくなった宇宙人の子供?」


 ――ふるふる。

 えーじゃあなんだよー、と腕を組む。

 他になんかあるか? と彼は首を捻るが思い当たる節がない。


 男の子が顔を上げた。

 随分可愛らしい顔立ちをしている。

 が、見るからに酷い有様だった。

 形の良い小ぶりの鼻からは、鼻水が両方の穴から出て、ちょっと膝から糸引いてたし、涙は乾いて跡になった上をその倍の量くらいが流れている。

 真っ赤な目をした、個人の認識が難しいくらいのグシャグシャの泣き顔。

 でも彼には見覚えがあった。


 こいつ確か此間こないだとなりに引っ越してきたヤツ……。

 家に挨拶に来たときに、可愛いけどおっかなそうな女の子の影に隠れて此方を窺っていた男の子だ。

 怯えたような表情が今にちょっと通じる。

 名前は~…………名前……あれ? 思い出せない。


「……ねえ」


 彼が記憶の引き出しの人物の棚をひっくり返していると、男の子が口を開いた。

 少しだけ涙にかすれた、高い声。

 聖歌なんか歌わせるとシックリきそうな。


「まざーしっぷって何?」


 急に声を掛けられた事に驚きつつも、動揺を悟られないように彼は胸を張ってそれに答えた。


「そりゃ大きな宇宙船の事だよ、こーんな大きいんだぞ、こーんな」


 両手をめいいっぱい広げて、見たこともない宇宙船の大きさを自慢する。


「へえ~」


 感心したような声で、男の子は眼をしばたかせた。

 そのリアクションに、彼は気をよくした。

 もの凄く単純なのである。


「お前、家の隣に越してきたヤツだろ」


 兄貴風を吹かせながら彼は尋ねた。

 一瞬キョトンとした男の子だったが、直ぐにその表情に理解が広がって行く。


「うん」


 コクリと頷く。


「やっぱりな。で、お前なんで泣いてたんだ?」

「……みんなが意地悪する」


 少し躊躇ってから、男の子は口を開いた。


「なんで?」

「わかんない。僕のお母さんふりんおんななんだって。ねえ、ふりんおんなって何?」

「そりゃあ、お前……」


 と、言ったものの、彼にもわからなかった。

 少なくとも、彼の通うすみれ組の女の子の中には一人も居なかったはずだ。


「わかんない……」

「そうなんだ」


 男の子に特にガッカリしたような様子は無かったが、彼はどこかが痛く傷ついたのを感じた。

 プライド、と言う言葉を知るのはもう少し先の事。


「よし、お前スコップ持ってるか?」

「スコップ? 持ってるよ、なんで?」

「そっか。じゃあ、明日お昼ご飯食べたらここに来い」

「いいけど、何するの?」

「いい事だ。ショウガナイからお前も仲間に入れてやる」


 そう言って、威張るように笑った彼は胸を張った。

 要領を得ない表情をしながらも、男の子は小さく頷いていた。




「説明しよう」


 実際の距離よりも遠くに見えるところで、幼馴染が口を開いた。

 喋る言葉は、どこか昔の特撮解説口調。


「"ゆずるバリヤー"とは、南ゆずるがその体でもって大切な幼馴染、つまり俺の盾となり命を賭して守りぬくことである」


 真顔で、マリーアントワネットが悔しがりそうなくらい身勝手な事を言った。


 ……ほら、居るでしょ。

 勉強できないけど、話してると、あ、こいつ頭いいわって分かるヤツ。

 それとは逆に、勉強はできるんだけど、言ってることはどうしようもないヤツとか。

 一也は完全に後者だった。


「あ、あの子なに言っちゃってんの?」


 呆然と呟く俺の肩に、魔法女がポンと手を置いた。


「人の性癖にとやかく言うつもりもないけどねぇ、君若いのに……」

「誰がマゾだこら」


 同情も露なその手を振り払う。


「つーかお前何言ってんのよ?!」

「……ゆずる……俺は本気だよ」

「いや、そういう格好いい台詞は自分の体張る時に使おうぜ」


 言いながら、思わず一也の足元に視線が行く。

 ……抉れてる、抉れてるよう。

 こまっちの放った氷の魔法の所為で、参道はめちゃくちゃになっていた。

 石板が剥れ露になった地面に、氷が溶けてできた水溜りがあった。


(あんなダメージを体で受けたら)


 ぞわ~っと、背筋に冷たい感触。


 体の丈夫さには多少の自信があった。

 全く喧嘩とかをしてこなかった訳でもないし、当たり前には痛みに対する耐性もあると思う。

 けど、これは違うだろ。

 抉れてるもの~、抉れちゃってるもの。


 あんなでかくて速い氷相手にしたら、人間なんて某光の子力研究所のバリア並に脆弱だろう。

 ……嫌だ、この歳でパリンと割れるのは嫌だ。


「二人掛りでもボクは構わないけど、慣れてないから手加減とか出来ないよ」


 こまっちのお優しい言葉。

 くそ、ホントキャラにない事ばっか言いやがって。


「……ゆずる……俺は本気」

「聞いたから、それはさっき聞いたから」


 一也を手で制してから、ちょっと考えようとして……止める。


「んがあああ~~~! くそっ!」


 叫びながら頭をガリガリ掻いて、で、諦めた。

 一也を止める術が、なんも浮かばん。

 いっぺん言い出すと、こっちの言葉なんか聞くヤツじゃないし。

 あ~、嫌な知己。


「あれ? 本気なの?」


 魔法女の驚いたような声。


「お、オイ怪我するぞ」


 続いて、卑怯貴族の心配そうな声が。

 なんかこの人が一番俺の身を案じてくれている気がする。


「ま、まさか本当にマ……」

「黙れ」


 ……そうでもなかった。

 慄くように後退する彼女を一睨みして、歩き出す。


「このやろ、勝算あんだろうな」


 一也の前に立って、小声で訊ねる。


「うん。さっきゆずる達が話してるの聞いて思いついた」


 あ、俺のキライな顔。

 自信たっぷりの表情で、しかも、それが俺にも向けられているから溜まったもんじゃない。


 こいつの悪い癖だ。

 自分の出来る事は他人にも出来ると思ってるし、自分の出来ない事でも俺なら出来ると思ってる。

 買い被りと言うより、最早バブルだ。

 弾けるに決まってるのに、こいつは俺の事を疑っても居ない。

 救い様のない馬鹿。


 ……まあ、アレだな、出会い方が良くなかったな。

 俺も小さかったし、しょうもない子供ガキの面子で、兄貴風とか吹かせちゃってたし。

 だから、こいつは妙な所で俺のこと信頼してるし、俺も、何となくその期待に応えなきゃいけないみたいな気持になる。


「いくよ南。怪我しないでね」


 こまっちが本を開く。

 慣れてきてるのか、口に上る呪文は先程よりも滑らかだ。


 背中から、どうしようもない安心感が。

 ったく、ガキの頃の感情引きずりやがって。 


「ホント、救い様のない馬鹿だ……」


 俺は。

最初の話がまだ終わらない……。

思ったより全然長くなってます、ごめんなさい。

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