この想いを誰にも渡さない
私の名前は神田雪乃。
私には、好きな人がいる。その人の名前は、佐瀬巴。
そう、私は女子でありながら女子が好きなのだ。
おかしいと言われても構わない。
なぜなら、それが私の本当の気持ちだからである。
さて、そんな私は今、とても最悪な状況にいる。
巴が好きな紫藤孝道と、裏庭でふたりきりになっているというものだ。
どうして私が、こんなやつに呼び出されなければならないのだろう。
私は理数系が得意だから、成績のことではないはずだ、恐らくは。
紫藤は、私の方をまっすぐ見つめている。
私はその熱い視線に、違和感を覚えた。何だろう、この感じ。
私はこの視線を知っている。これは、私が巴を見るときと同じーーー。
「神田さん、真剣に聞いてほしい」
「…はい?」
私は、視線に耐えきれずに目を逸らした。
何だか負けた気がしたけれど、それでも見つめ返すのは嫌だった。
私が嫌々問いかけると、紫藤は衝撃的なことを言い出した。
「神田さん、私はきみのことが好きだ。もちろん、生徒としてではなく、異性としてだ」
「…は?」
あまりの発言に、私は俯いていた頭を上げた。
紫藤は、こちらをまだ見据えている。そんな目で見ないでほしい。
そもそも、どうして私なんだろうか。
私は、紫藤のような軽そうな男は好きではない。
紫藤に必要以上にコミュニケーションを取ったことはないし、普段もすれ違えば挨拶をする程度だ。
「神田さん、真剣に考えてほしい」
「はっ、あなたのようなちゃらんぽらん、誰が」
私が髪の毛をかき上げて鼻で笑うと、紫藤は更に私へと近づいてくる。
紫藤は、私の両の瞳をまっすぐ見据えて、こう言った。
「本当に、私はきみのことが好きなんだ」
「だから、そんなこと言われても困りますから」
「…神田さん、私は本気なんだ。本気できみのことがーーー」
私はため息を小さくついた。それから、大きく息を吸って、こう答えた。
「私、好きな人いるんで」
紫藤は、ひどく驚愕した表情を浮かべている。
誰がお前みたいな軟派野郎、好きになるかっての、と私は心の中でニヤリと笑った。
「…それは、一体誰なんだ?」
好きな人がいると言ったからには、テキトーに誰かの名前を言うしかない。
しかし、そんな器用なことが私にできるはずもなく、私はばか正直にこう告げた。
「ーーー佐瀬、佐瀬巴」
巴の名前を挙げると、紫藤は目を丸くした。
ひどくおかしい表情で、吹き出しそうになるのを堪える。
しかし、紫藤はすぐいつもの表情に戻ると、肩を震わせながら言った。
「佐瀬…?ふふふふ、ははははははっ!なんだ、きみは同性愛者なのか。ばかな。あんな子のどこがいいんだ?そんなの、友情と履き違えているだけだよ。本当の恋というものを、私が教えてあげようか?」
そう言いながら、紫藤が私の顎をすくい上げる。
ごつごつしてぬめぬめして、気持ち悪い手だった。私はただ、鋭い瞳で紫藤を睨みつける。
それから、思いきり紫藤の手を振り払った。
紫藤は、はたかれた自分の手を抑えて、こちらを見ている。
相当衝撃的だったのだろう、紫藤はわなわなと震えていた。
怒りで震えたいのはこちらのほうだというのに。
私は、拳を握り締めてから、紫藤を見据えながら言った。
いつもより、覇気のある声を出して。
「…私の想いを、ばかにしないで」
「…何?」
紫藤が半笑いでこちらを見てくる。
それがどんな侮辱にあたるか、こいつにはわからないようだった。
私は息を大きく吸うと、半ば叫ぶようにしてこう言った。
「っ、私の巴を、ばかにしないで!!!!」」
そのときだった。
背後から、がたん、と物音がしたのだ。
まさか、この会話を聞かれていたのではーーーそう思ったときだった。
後ろを振り返るとなんと、その場にいたのは巴だったのである。
巴は今にも泣きそうな表情で、紫藤と私とを交互に見ている。
それから、巴は身体を震わせながら立ち上がると、そのまま猛スピードで走り去っていった。
「巴!」
私の声にも振り返らず、巴は裏庭から校舎へと消えていった。
巴の瞳から涙が流れていたのを、私は見逃さなかった。
きっとマスカラが取れてぐしゃぐしゃになってしまっているだろう。
しかし、こんな状況で私が巴を慰めに行ったところで、何になるのだろう。
自分の好きな人の想い人に慰められたところで、嫌味にしかならない。
私はそう思い、巴に向かって伸ばした手を下ろした。
紫藤はというと、呆然としたまま突っ立っている。
私は耐えきれずに、紫藤に向かって叫んだ。
「あんたのせいだ!あんたがあんなこと言うから!巴は、あんたのことが好きなんだ!!なのに何で、私なんかを好きになるんだよ!!」
紫藤はその言葉に目を見開いた。
ブラックダイヤのようなその瞳には、私だけが映っている。
私は感情が爆発しそうになるのを抑えて、努めて冷静に言った。
「…巴のこと、どう思ってるの」
「ああ、佐瀬さんかい?ただの生徒だよ。何の好意も湧かない、ただの生徒のひとりでしかないさ」
「………くそ、くそおおおおおお!!!!!」
私は弾かれたようにして、紫藤に飛びかかった。
そのまま紫藤を押し倒し、首元を掴みあげて頭をガクガクと揺さぶった。
「お前なんかいなければ!お前さえいなければああ!!!!!」
私は、いつの間にか涙していた。
ぼろぼろと溢れ落ちる涙が、紫藤の頬にぽつぽつと落ちていく。
紫藤が私を押しのけようとするが、私はそれ以上の力で紫藤を床に叩きつけた。
「お前さえいなければ、私は巴をずっと静かに想えていたんだ!それをお前が、お前が、ぶち壊したんだ!!!」
「か、神田さん、落ちついて…!」
「うるさい!お前がいなければよかったんだ!!お前がこの学校に来なければよかったんだ!!お前が存在しなければよかったんだ!!」
私が泣き叫んで紫藤を揺さぶると、紫藤は私を下から抱き締めた。
それから、背中をとんとんとさすられる。
紫藤は私の背中をさすりながら、こう言った。
「すまない、神田さん…本当に、すまない…。神田さんの気持ちは、よくわかったよ…佐瀬さんが好きなんだろう?だったら、追いかけてやりなさい。それはきみにしかできないことだよ」
「っ、でも…私が行ったら、巴は…余計に傷ついて…!!」
私がそう言うと、紫藤はにっこりと笑んだ。
それから、私の髪を優しく撫でながらこう言った。
「佐瀬さんは、きみが来るのを待っているよ」
「…紫藤先生…」
私は、両の瞳から流れる涙をぐいっと拭いた。
それから、紫藤の両手をほどいて、ゆっくり立ち上がる。
私には、言わなければならないことがある。
私は、巴が走っていった道を追いかけた。
待っていて巴、今すぐ行くから。
大好きな人に謝るために。
大好きな人に想いを伝えるために。
ーーー私は、この想いを誰にも渡さない。