7 美しく崇高な記憶
R15の描写があります。
この気持ちを自覚したのは、馬鹿皇子との婚約が決まる少し前、四歳の時だった。
兄二人の学院の冬休みだった。家族で離宮に保養に行った際、見てしまったのだ。
昼寝をしていたのだが、この日は早々に目が覚めてしまった。
兄二人が外で遊んでいるのは知っていたが、肉体が幼女の私では二人についていくのは大変だ。
二人が私を邪険にする事は絶対にないが、気を遣わせるのは申し訳なかったので図書室で本を読む事にした。
肉体は幼女だったが精神年齢は前世と今生を合わせると成人している。絵本ではなく多少大人向けの物語を読みたかった。
驚いた事に、私が転生したこの世界の言語は、私が知る言語ばかりで構成されていた。
テューダ語は英語、ラズドゥノフ語はロシア語、エチェバリア語はスペイン語、フォイエルバッハ語はドイツ語という風にだ。
恥ずかしながら、前世で庶民から頂点に上り詰める女性の話に感化されていた私は、本気で女性初の日本の総理大臣を目指していた。
双子の弟、桃梧のような天才ではない上、勉強は嫌いだったが夢のために頑張った。多数の言語習得もその一つだ。それが転生した今役に立っている。
日本語ではなかったので転生した当初は戸惑ったが、さすがに四年も経てば英語……いや、テューダ語による会話や読み書きにもすっかり慣れた。
(どれがいいかな?)
私好みの本は、幼女だったこの時の私の目線では、かなり上にあった。
踏み台になる椅子を持ってくるのは、この体では一苦労だし、王女でなくても行儀悪いが本棚をよじ登って取るしかないかと思案していた時、その「声」が聞こえてきた。
「……だめ……アーサー」
(お母様?)
今、この離宮で「アーサー」は一人で、彼を呼び捨てにできるのは、お母様だけだ。
けれど、紛れもなくお母様の声のはずだのに、いつもよりずっと甘く聞こえた。
その本棚は本がなくなれば向こう側が見える棚になる。だから、気になって周囲を伺った私は、並べられている本の隙間から見てしまった。
今私がいる本棚の向こう側に、お母様とあの人がいた。
私は危うく悲鳴を上げる所だった。すんでの所で両手で口を覆ったので声はもれなかったが。幸い二人には気づかれなかったようだ。
「……本を……読みに来たのよ」
本棚に縋りつくように立っているお母様は、お腹辺りにドレスをわだかまらせ、ほぼ全裸だった。その体をあの人の優美な手に弄られていた。
お母様は何とか抵抗しようとしているが段々と抵抗が弱々しくなっていった。
「読めばいいでしょう。貴女が読書している間、私は貴女を堪能しますから」
そう言いながら、あの人はお母様の耳や項にキスの雨を降らせた。
「……馬鹿……こんな事されたら……本なんか……読めな……あっ!? だめ!」
この場を離れるべきだと頭では分かっている。
けれど、体が硬直したように動かなかった。
前世でだって実際には見た事もなく体験した事もない行為を見てしまったからじゃない。
この上なく麗しい愛し合う男女の交わり故か、いやらしさや卑猥さなどまるでなく美しく崇高な宗教画か神話の一場面のようで思わず魅入ってしまったのだ。
(……お母様……とても綺麗)
王太女としての姿は凛として気品があって美しい。
母として私と兄二人に向ける聖母のごとき微笑も美しい。
けれど、一人の女として愛する男に乱される彼女は、それらとはまた違う美しさだった。
長く真っ直ぐな漆黒の髪を振り乱し、雪のように白い肌は桜色に上気し、濡らして開いた淡い薔薇色の唇からは甘い吐息と嬌声をこぼし、王族特有の紫眼は情欲で潤んでいる。
決して彼女の品性を貶めないが、男の劣情をそそる蠱惑さに満ちていた。
「……んっ……アーサー……アーサー」
狂ったように彼の名を呼ぶお母様を強く抱きしめながら、あの人もお母様の愛称を囁いた。
「……リズ」
冷静沈着、理性的で禁欲的、普段周囲に見せている姿とは違いすぎる、その姿。
どんな女性も陥落するだろう壮絶な色香。
この上ないご馳走を堪能する肉食獣のように、獰猛さと満足感に輝く黒い瞳。
それでいて、時折、ひどく優しく愛情に満ちた表情を腕の中のお母様に向けている。
小さな胸が壊れそうなくらい、どきどきする。
決して、私には向けられないその表情、その瞳。
(……お母様、いいな)
――私、お母様になりたい。
(……私……今、何を?)
今、自分が思った事に愕然とした。
絶対に許されない。
なぜなら、今、目の前でお母様と愛し合っているこの人は、今生の私の――。
くたりとしたお母様にドレスを着せ終えたあの人がこちらを振り返った。
はっきりと、その黒い瞳は本の間から覗いている私を捉えている。
偶然こちらを見たのではないのは、その静かすぎる表情で分かった。
いくら冷静沈着なこの人でも行為を覗かれている事に、たった今気づいたのなら多少は驚くはずだ。
おそらく最初から私が覗いているのに気づいていながら放置していたのだ。
覗いた私も悪いが、寝室ではない場所で始めるほうも悪いと思う。
けれど、そんな理屈など、この人には通じない。
凍てつく氷のようなもの、殺意に満ちたもの。
そういう表情や眼差しを向けられるのを覚悟していた。
女で娘にしろ、自分だけが知っていればいい、あの時のお母様の姿を見てしまったのだ。
この人が許すはずがない。
けれど、この人は――。
気がついたら宛がわれて部屋に戻っていた。恐慌状態になりながら、いつの間にか図書室から脱出していたようだ。
行為を覗いた時とは違う意味で、心臓が壊れそうなほど、どきどきする。
私はベッドに駆け上がると頭から上掛けを被った。
我知らず体が震える。
私に向けられたあの顔が脳裏に焼き付いて離れない。
凍てつく氷のようなもの、殺意に満ちたものなら、まだよかった。
心臓が止まりそうな思いはしても、あれよりは、はるかにマシだった。
あの人が私に向けたのは、微笑だった。
蔑みや嘲りですらない、何の感情も乗せていない、麗艶な微笑。
それが、怖かった。