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 自己意識は、知性を伴えば自覚に通じる。自分を「恥ずかしい」と思う感情は、他者の視線と自分の視線とが織り交ぜられた複雑な感情だ。それは本来的には、自分が何者かという事と、人々がなんであるかという事柄の「ズレ」に現れてくる感情であって、これを感じない人は幸福に生きるであろうが、彼らは空気と同化した幸福しか持たない為に、そこからはみ出たものを疎外し、そちらに脱落するのを恐れる。彼らは己を持たない為に、それが持たされる展開を極度に恐れる。


 もこっちが辿り着いた関係は、ただの普通とは違う。「普通が一番いいよね」というものではない。あるいはこう言った方がいいかもしれない。見た目も言動も「普通の友達」でも、その関係は最初からそこに溶けている人と、苦労の末辿り着いたものでは、全く意味が異なるのであると。「青い鳥」という童話で、二人が戻ってきた場所は、最初に出て行った場所とは全然違う。

 

 もこっちが他のキャラクターにはない、奇妙な魅力を持つ事、それが自然な描写として成される事、その原因はもこっちが自分自身の孤独を糧にできているからであって、これは、本当に疎外され、孤独になった経験のある人、なおかつそれに耐え、それを乗り越えたものにしかできない事だ。ここには、弁証法的な関係がある。


 最初から孤独を恐れ、深淵を恐れ、台の上に乗っている人は、強い人間的魅力を持つ事はない。今の文学もそんなものだろう。深淵を回避し、制度と経済に合流した為に、成長する目自体がない。日常生活の中でほんの少しの隆起を作ってそれを越えていくものを物語的起伏としているにすぎない。人間は、故郷のありがたみを感じる為には旅にでなければならないが、誰も旅に出ようとしない世界においては、故郷は故郷ですらない。海の中から一度も外に出た事がない魚は海を「海」を意識する事もない。自覚と意識は、自分がその世界から出た時に始めて発揮される。


 したがって…もこっちの成長とは、ただ、誰しもが持つ「普通の幸福」を手に入れたという事ではない。外面的にそう見えたとしても、内面的にはそうではない。自分は「日常のささやかな幸せが一番だよね」という現代的幸福感は拒絶したい。だからといって異常な、不幸な生活を送れというわけではないが、我々が「日常」の外に、見えない手でいらざるものを排出し、深淵を、人生の苦悩を排除する時、我々はそれについては素知らぬ顔をする。


 川上弘美「センセイの鞄」という小説を最近読んだが、「センセイの鞄」が自分達の優しい関係を維持する為に、あらゆるものをそっと作品の世界に捨て去る手付きは、僕には醜く映った。逆に、太宰治始めとして、自分の醜さを描き出す事によって、自分自身に大して誠実であろうとする文学的努力、そういうものの方が真実の文学に近いと思っている。


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