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3. 妹の遺書 outro



3. 妹の遺書







「ただただ無意味。

 不毛。

 無価値。

 いつまで経っても報われないよ。

 生きてるのかな。

 死んでるのかな。

 どっちも似たようなもんだと思う。

 痛み。

 眠気。

 うつろ。

 狂気。

 このままずっとこのまま堕ちてく。

 頭痛。

 吐き気。

 衝動。

 破壊。

 結局あたしには何も無かった。

 さよなら。

 おやすみなさい。」





 





 彼女が男と出会って、Free Sleepをしてもらうようになって、1月半が過ぎた。

 彼女には恋人ができた。

 先輩の紹介で知り合った男性。おっとりしていて、優しくて、純粋で、誠実な人。

 彼女は彼の持つ安心感やあたたかさに惹かれていった。

 しかし、彼女は迷っていた。

 あの男に、恋人ができたと伝えるかどうか。

 伝えてしまったら、あの男は離れていってしまうのではないか。

 Free Sleepの必要がなくなるのだから。

 彼女は悩んでいた。

 自分が本当にほしかったもの、求めていたもの、手に入ったはずなのに。

 どうして"Free Sleep"、無料の添い寝などという怪しげなものに頼っているんだろう。

 どうしてあの男ともっと一緒にいたいと思うんだろう。

 そこには恋愛感情はおろか、友人関係も何も無いというのに。

 依存している。

 それだけに過ぎないんじゃないか。

 わたしが本当に求めていたのは、





「恋人、できたの」

 小さなワンルームで、テーブルを挟んで座って、彼女はそう言った。

「よかったじゃないですか」

 男はいつもと変わらず、屈託の無い顔で笑う。

 反して、彼女は相変わらず、暗い面持ちのままだ。

「じゃあ、僕の役目も終わりですね」

 彼女は顔を上げた。

「もうゆうきさんは、Free Sleepがなくても大丈夫です。Freeじゃない、無料なんかじゃない、価値のあるものを手に入れたんだから」

 彼女は何度もうなずくが、表情は晴れない。

「・・・もう、宮本くんには、会えないの?」

 男はにこっと笑って、言った。

「そうですね、そうでしょうね」

「・・・・・・・・・」

 彼女はしばらく押し黙った後、もぞもぞと男の隣に移動してきた。

 そしてそのまま、男に突然抱きついた。

「どうしたんです?」

 男は驚いた様子も見せず、いつものように彼女の背中をぽんぽんと叩いた。

「・・・わたし、」

 彼女はぼそぼそと話し始めた。

「もう、いつまでも、ぬいぐるみ抱いて寝るわけにいかないって、わかってるのに・・・」

「うん」

「わかってるのに、離せれないの」

 彼女は男の背中をぎゅうっと抱きしめた。

「もう恋人がいるのに、一緒に寝てくれる人がいるのに、・・・ごめん、ごめんね、わたし、変だよね。おかしいよね」

「おかしくないですよ」

 男は彼女の頭を撫でた。

「寂しかっただけなんですよね。誰か傍にいてほしかっただけなんですよね」

 彼女はこくりとうなずいた。

「傍にいてくれるのが、必ずしも、恋人って存在じゃなくてもよかったの。・・・むしろ、家族が、ほしかった・・・家族みたいに、絶対的な安定とか、安心とか、あたたかさをくれる存在が、いてほしかった」

 彼女は涙を含んだ声で言った。

「宮本くんは、そういうあたたかさをくれたから・・・」

 男はくすっと笑った。

「僕は、ただの他人ですよ。ただのしがないお隣さんです」

「・・・・・・?え、」

 思わず離れて、男の顔を見上げた。

 男はこらえていたものが抑えきれないように、笑っている。

「だましてごめんなさい。Free Sleepとか、そんな会社無いですよ。・・・僕、ゆうきさんの隣の部屋に住んでる、ただの大学生です」

 彼女は何も言えず、呆然と男の顔を見つめていた。

「・・・僕、夜に、ベランダでタバコ吸うのが日課なんですけど、時々、聞こえてきてたんですよね。真夜中に、ゆうきさんの泣く声とか、なんか壁にぶつかる音とか」

 彼女は急に恥ずかしくなって、小さくなった。

「ご、ごめんなさい」

「いや、いいんですけど。この部屋は角部屋だから、隣人は僕だけなんで」

 男はおかしそうに、ふふっと笑った。

「それで、なんていうか・・・さっき、僕のこと、家族みたいなあたたかさがあるって言ってましたけど、僕も似たような感じで・・・毎晩のように、ゆうきさんのすすり泣く声や、傷付いて壊れてく様子を感じ取ってて、なんか、それこそ兄みたいな、父親みたいな気持ちになって。よしよしってしてあげたくなってきてて」

 照れ臭そうに、頭をかいた。

「・・・・・・ちょっと重い話、していい?」

「?うん・・・」

「僕、妹いたんですよ」

 男は少し声を抑えて、言った。

「でも、死んじゃった。鬱で、自殺した」

 男の表情が、曇った。

「僕は何もできなかった、その苦しみとか、悩みとか、寂しさを、受け止めることも、聞いてあげることすらも」

 いつもへらへらしている男の、初めて見る、痛み。

 男はちらりと彼女の腕を見た。

 赤い線はだいぶ薄れてきていて、みみず腫れになっていた傷はかさぶたになりかけていた。

「・・・おかしいのは僕の方なんです。ゆうきさんを勝手に妹とかぶらせて、自分の罪悪感を埋めようとしてたんだから。本当に、ごめんなさい」

「そんな、」

 彼女は慌てて首を振った。

「宮本くんのおかげで、わたし、眠れたもん・・・生きれたもん」

 男は少し悲しげに笑った。

「ありがとうございます・・・・・・できることなら、妹に、そういう風に言われたかった」

 そして、彼女の肩に手を置いて、目を見つめた。

 彼女は、今度はそれを真正面から見返した。

「だけど、ゆうきさん、傷の舐め合いなんですよね。これって」

 そのことばに、彼女は硬直した。

 薄々感じていながら、気付かないようにしていたことだった。

「傷の舐め合いって、そのときは心地よくて、ずっとこのままでいたいって思うんですけど・・・、それにどっぷり浸かってると、次に進めなくなるんですよ」

 彼女は何度もうなずきながら、聞いていた、

 わかっている、全部。

 この、友達でも恋人でもない男に、依存しているに過ぎない。

 寂しさを埋めているだけに過ぎない。

 このままじゃダメだとは思っていた。恋人ができたのなら、なおさら。

 もはや、彼女の傍にこの男がいる理由はないのだ。

 抱きしめて、一緒に寝てくれて、話を聞いてくれる恋人がいる。

 それで充分なのに。

 なのにどうして、こんなにも悲しいんだろう。

「僕、学校辞めて、実家に帰るんです」

「え・・・」

「だから、もう来週には引っ越すんです」

 男は一瞬、寂しそうな顔を浮かべた。

「・・・だから、良かったですね、ちょうど。恋人できて」

 今度は男の方から、彼女を抱きしめた。

「大丈夫、大丈夫ですよ。もうゆうきさんには、おやすみなさいを言ってくれる存在がいてくれるんですから。僕は、ゆうきさんの休憩場所でしかないんです。いっぱい休んだら、歩き出さなきゃ」

 休憩場所。

 確かにそうだった。

 道を歩む途中で、疲れて動けなくなることはある。

 だから、また歩き出せるようになるまでの間、休みたかったのだ。

 求めていたのは、ゴールじゃない。

 休ませてくれるものがほしかったんだ。

 そしてここはゴールじゃない。ただの休憩場所。

 ゴールは見えているんだから、また歩き出さなければいけない。

 休憩場所を、離れなければいけない。

 彼女は男の背中に回した腕に、強く力を込めた。

「・・・わたし、宮本くんのこと、恋愛とか、そういう風に見たこと、一回もなかったの・・・」

「うん」

「それが、そのくらいの距離感が、良かったのかもしれない・・・」

 そして彼女は、突き放すように、男から離れた。

「今まで、ありがとう」

 顔を上げて、まっすぐ男の目を見ながら、言った。

 悲しい。

 休憩場所を離れるのが。

 だけど、歩かなければいけない。

 いつまでも休んでいるわけにもいかない。

 男はにっこりと笑った。

「こちらこそ、ありがとうございました」

 彼女はふっと笑った。

 男は彼女の笑った顔を初めて見た。

「・・・・・・寝よう、一緒に」

 彼女は電気を消して、ベッドに入った。

 男がベッドの横に座ると、

「来て」

 彼女は震える声で言った。

 男は何も言わず、音も立てず彼女と同じ布団に入ってきた。

 そして、横になって、彼女をぎゅっと抱きしめた。

「大丈夫ですよ」

 男は彼女の耳元でささやいた。

 優しい。

 あたたかい。

 休憩場所。

 ゆっくり、眠ろう。

 休もう。

 そして、朝になったら、歩き出そう。

 大丈夫。

 たくさん休んだんだから。

 向かうべき場所が、すぐ目の前で待っている。

 大丈夫。

 笑顔で見送ってくれる。

 もう、眠れる。

「おやすみなさい」

 彼女はまもなく眠りについた。

 翌朝、彼女が目が覚めると、男の姿は既になかった。

 ただ、枕元で冷たいテディベアが笑っているだけだった。

 










outro



 男が去ってからも、彼女は眠れるようになった。

 腕の赤い線は消えていった。

 恋人とも上手くいっている。

 だけど、時々思い出す。

 休憩場所として、傍にいてくれた人のこと。

 あのままずっと傍にいてくれたら、と考えてしまうけれど、それは恐ろしいことだった。

 抜け出せれなくなる。

 歩き出せなくなる。

 休憩場所から。

 せっかく、帰るべき家は見えているのに。

 本当の"家族"になってくれる人が待っているというのに。

 そこにたどり着いてから、眠ればいい。

 本当におやすみなさいを言ってもらえるところで、ゆっくり休めばいい。

 まっすぐな道で、さびしい。

 だけど、きっとたどり着ける。






「ゆうき、おやすみなさい」

 抱きしめて、頭を撫でて、耳元で優しく声をかけてくれる。

 彼女の恋人はいつしか夫に、家族になっていた。













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