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森は―。鬱蒼と茂るわけでもなく、適度に光が差し涼しい故郷は。嫌いではない、むしろ大好きだけれど。
外の世界を、別の国を、見てみたいという想いは、幼少期から募っていた。竪琴を習って、護身術を身に着けて…踏み出した一歩は、意外と軽かった。
妖精族も、妖人族も、森を出ることは滅多にない。木々の間を通り抜け、ぼんやりと覆っていた魔霧が晴れたその先に広がる野原。光を遮るものがなくて、眩しさに目を細めながら。ああ本当に、森を出たのだと―木々の香りを背後に感じながら、そう思う。
蔓草を編んで作った竪琴は、僕以外の人には弾けないよう魔力が込められている。霧の混じらない、透明な風が髪を揺らす。木々の揺れる音に混じって、聞きなれた羽音がした。
「おい!どこ行くんだよルーシェ!」
頬にぶつかってくる蒼い髪の妖精。
「あれ?言ってなかったっけ?」
「聞いてねーよ!ったく、すぐふらふらとどっか行きやがって!森の中だけじゃ飽き足らず、ついに外にまで出てきちまったか?帰るぞ!」
幼いころからずっと一緒にいた友達のシュオール。こうやって、すぐに僕の世話を焼きたがる。
「帰らないよ?この格好を見たらわかるはず。そのために色々と学んだんだし」
景色を見るために止めていた足を動かして、一歩一歩、森から離れていく。シュオールはすこし遅れて、ぱたぱたとついてくる。おそらく、眩しさに目を細めていたのだろう。
「おい、待ってろ。俺も準備してくっから」
僕が数歩歩く間無言で付いてきた彼は、突然そう告げると森へ飛んで行ってしまった。溜息をついて、周りを見る。ちょうどよさそうな岩が少し離れたところにあった。そこに腰かけて、目を閉じる。風と小鳥の声、あたたかな日差しが心地いい。
不意に何かがぶつかってくる感触があった。目を開けると、木の皮でできた鞄を肩にかけたシュオールが頬を蹴っていた。
「ったく、寝てんじゃねえよ。行くんだろ?」
「ついてこなくたってよかったのに」
「俺が知らないうちにどっかでのたれ死なれても困るんだよ!」
呆れた表情で頬骨を膝でぐりぐりしてくる。地味に痛い。
「…もう戻ってこないかもしれないけど」
「あ?それでも構わねえよ。俺はルーシェの安否を心配してガタガタ震えながら暮らす方が嫌だっての」
ぼそりと吐き出した呟きにも、彼は堂々と返答した。
「シュオそんなキャラじゃないじゃん」
「うるせえええ!早く出発しねえと日が暮れるぞ!」
「行くあてとかあるのかよ?」
野原を進んでぶつかった街道を、直感で右へと進んでいく。もう森は見えない。
「ない。でも街道があるってことは、近くに何かしらあるんだと思う」
「まあ確かに獣は道なぞ作らんけどよお」
木々に囲まれていないのは珍しく面白い。このあたりは平地で、人族よりもいいはずの眼を凝らしても、地平線の向こうに街らしき影は見えない。後ろを見ても、前を見ても、むき出しの踏み固められた土でできた街道がどこまでも続いている。
「シュオが飛んで偵察してきたら?」
ぶつぶつと文句をいう妖精に提案したらやっぱり頬を蹴られた。
「飛ぶのだって疲れんだよ!それに下手に人間に見つかったらまずいだろうが!」
「確かにそうか」
人族は異様なほどに魔族を嫌う。魔族だと門を通してくれないだけならまだいいほうで、無条件に攻撃してくる国もあるらしい。例外は小人族と僕ら妖人族のみ。小人族は物作りに長けていて、小人製のものはどこでも高値だと聞く。森にもたまに行商人が来るが、高い値段に見合う出来栄えだった。妖人族は、人間よりも芸術面が優れているらしい。音楽や絵画では右に出る種族はいない、と。だからこの二種族は認められているのだ。人族でもできる技術だけど、自分たちより優れているから。
僕ら魔族は「負けた」種族。誰もが知っているであろう創世の物語から、人々は魔族を蔑み嫌い、威圧する。それに異を唱える魔族もいるが、目立ったことはしない。魔族は基本的に、霧のない場所で生きることはできないから。正確には可能だが、霧がなければ魔法が使えない。そうなると、魔族も人族と同じになってしまう。僕らはある意味、霧がなければ無力なのだ。