拳闘家
拳で闘うと書いて「拳闘」と読む。普段聞きなれない用語ではあるが、ボクシングの和訳した意味で聞いたことある人はいると思う。
リングという場所で闘い、闘い、闘いつくして、己の限界というべきところまで鍛え上げた身体を全て拳に込めて相手を殴る。普通に生活している人たちからにしたら、考えられないことであり、暴力が苦手な人はなぜそれが楽しいか理解に苦しむと思う。
しかし拳闘家にとってはそれが楽しいのだ。自分が限界まで挑み、自分が敵わないというところに立ち向かっていく、それが彼らにとって一番楽しいことであり、生きがいであり、そんな自分に酔いしれているのだ。
彼もまた、これに憧れて、拳闘を始めた一人だった。彼は高校まで帰宅部と文化部しか経験したことがなく、人と闘うことなんてできない男であった。周りからは弱い人間にしか見えなかった。
そんな彼がある時、拳闘の試合を見た。たまたま友達に誘われて、断り切れずに来てみたという形であったが、それが彼の人生を大きく変えることになる。
拳闘家同士の殴り合い、お互い死力を尽くしての闘いは、彼にとって新鮮であるとともに、ある衝撃を受けた。リングに上がる拳闘家たちは、みんな試合後のことなど考えない。顔がパンパンに膨れ上がろうと、血が出て口の中が血まみれになろうと彼らはお構いなしに闘い続ける。今そこにいる敵を倒すこと、それだけに彼らは集中していた。
文化部や帰宅部で大人しく過ごしてきた彼にとってそれは、本当に頭にパンチを喰らったような衝撃を受けるとともに、自分もあのリングに立ちたいという心が芽生えていた。
彼は試合後早速拳闘ができるジムを探し、入門した。
拳闘の練習は彼にとっ想像を絶するものだった。運動した事がない彼は基礎体力がない。まずジムでは、徹底的に身体をいじめていく。彼の最初の壁であった。何度も吐いた。何度も気を失った。友達からは「やめとけよ」といわれるぐらいグロッキーになるまでやり続けた。
半年もしたら、拳闘で必要に技術を習い始めた。パンチはもちろん、アッパー、スウェー、カウンターどれも拳闘をやるには必要な知識だった。
拳闘は拳だけで闘うことから弱点が多いといわれている。別の格闘技をやれば強くなる。護身術の方が強いという人もいる。しかし敢えていっておこう。拳闘の最大の武器である拳はそれだけで武器になるほど鍛えられている。もし知り合いに拳闘家がいたら是非思い切り殴られてみよう、恐らく腕っぷしに少し自信がある奴は悶え苦しむであろう。拳闘を舐めてはいけない。
彼はひたすら練習した、ある程度上達したら試合形式の練習も仕出した。心なしか顔つきも身体も変わってきた。自信もついてきたようだ。彼は拳闘を通じて確実に成長していた。
コーチは彼を実際に試合に出す事にした。ひたむきに頑張る彼の練習姿勢を評価してのことだった。彼も自信がついてるのか、やる気に満ち溢れていた。
彼は負けた。惨敗であった。相手は格上ではあったが、それほど強いという訳ではなかった。しかし彼は負けた。ボデイブローとストレートの連撃をモロに受け、彼は崩れ落ちた。
彼は控室で大泣きした。今までにないほどの悔しい思いが込み上げてきた。あれほど練習し、あれほど努力した。しかし負けた。泣き崩れた彼をコーチは励ました。「仕方ない」と「勝つか負けるか」と、コーチはそういいつつ彼の顔を見ると自分の言った言葉は思い過ごしだと確信した。
負けて泣いた彼の顔は、拳闘家の顔、そのものであった。