梅の花散る雨の予感
卒業式は朝からずっと雨だった。
晴れやかな人生の門出の日に、ふさわしくない陰鬱とした天気だった。
真っ昼間だというのに、雲によって空は暗く、メタルハイドランプの灯りだけでは、体育館を十分温めておけなかった。
在校生達は、ブルブルと体を震わせながら、また大人達も手を摺り合わせて熱を求めた。
「ごきげんよう」
卒業生の最後の挨拶で、それぞれが安堵の気持ちを抱く。
雨風が強いので、晴れ着を着ている卒業生達は、本来なら体育館後方の出口から外に出るのだが迂回して連絡通路から本館へと戻らなくてはならなかった。
「先輩、あの約束守ってくださいね」
その女子生徒の肌は、雪のように白かった。
髪はスポーツ刈りに近い短さで、顔つきは端正で、どこか勝ち気な印象を受けた。
「あぁ、県大会で優勝したら第二ボタンをくれというやつか」
「あたし、かなり頑張ったんですよ」
もう一方の、声をかけられた生徒は対照的に黒い髪が腰まで伸びており、一見するとお嬢様という印象だ。
「しかし、憧れの上級生の第二ボタンなんて、古風な風潮、いまどきお前くらいのものだよ」
「いいじゃないですか、完璧超人の先輩の第二ボタンなんて霊験あらたかじゃないですか。絶対ご利益ありますよ」
「お前じゃなかったら奥ゆかしいとも思えるが………ってちょっと待て」
「なんですか美咲先輩、往生際が悪いですよ」
何故か、裁縫ばさみを構えている後輩を前にして、少したじろいだ。
「桜、お前まさかとは思うが、そのはさみで私の洋服を切り裂く気か」
「へ? 何を言ってるんですか先輩。当たり前じゃないですか」
「そんな事をしなくてもボタンなら外せる。私にどんな格好で旅立たせるつもりだ」
「あぁ、そうですよね。へぇ、その学生服ってそうやって外せるんですねぇ」
「二年間、袖を通していたのに知らなかったのか? 」
「ああ、あたしの場合は基本ジャージの時が多いですから」
「そんな訳あるか。授業に出る時は制服なんだろ? 」
「いえ、ジャージです」
「登下校中は? 」
「ジャージですよ。やだなぁ先輩、いまさら何を言ってるんですか? 」
「桜、お前、ジャージなら第二ボタン必要ないじゃん」
「これはいいんです。お守りなんですから」
第二ボタンには、傷こそないものの多少色褪せ使い古された年季が感じられた。
「本当にありがとうございました」
「ああ、桜はほんとにいい後輩だったよ」
「なんですか先輩、泣かせる気ですか。泣きませんからね。絶対に」
言葉とは裏腹に桜の瞳が潤んでいく。
「まぁ、今生の別れって訳じゃないんだし」
「そうですよね。また会えますよね」
「落ち着いたら、また連絡するよ」
「絶対ですよ」
雨足が強くなり、窓がガタガタと揺れている。
別れを済ませた者達から、保護者の迎えの車に乗ってみな順番に校舎を後にした。
「さよなら先輩」
つぶやいた瞬間に、一滴だけ桜の目から雨粒がこぼれ落ちる。
それから、すぐ卒業旅行先の香港で美咲が消息をたったという知らせが桜のもとに届いた。
事故や事件の形跡等はなく、自らの意志で荷物を持ってホテルから出て行ったという。