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 私は大公様である。

 名前はレン・レレンレイ・マイレティーニ。

 どこの早口言葉だよ! と思うかもしれないが私の名前である。

 まだ生まれて半年と経っていない、0歳児の赤ん坊である。


「――レン様」


 乳母が胸を片方出し、私を抱き上げる。ご飯の時間だ。

 淑女たる私が言うべき言葉ではない気がするが、私は0歳児だ。

 あえて言おう。おっぱいの時間である。


 前世の記憶というものを持っていた私である。

 おっぱいを飲むという行為が最初は恥ずかしかった。

 恥ずかしかったが、私は赤ん坊である。0歳児である。

 恥ずかしがっていては腹はふくれない。恥ずかしかろうが何だろうが飲むしかないのだ。

 腹が減っては恥ずかしがる事も不可能なのだ!


 思う存分おっぱいを飲むと、私にげっぷをさせるべく乳母が私の背中をトントンと軽くたたく。

 たたくが、げっぷが出る気配はなく、腹のふくれた私にはそのトントンというリズムが心地よく、まぶたが重くなっていく。


「…今日も上手に飲めましたのね」


 乳母の優しい声を子守歌に、私はそのまま夢の世界へと旅立つのだ。





 さて、何から話せばいいだろうか。

 私はレン・レレンレイ・マイレティーニ。マイレティーニ大公家の現当主である。

 レンが個人名、レレンレイは領地の名前、マイレティーニが家名だ。

 先王夫妻である祖父母はすでに他界しており、両親も3か月前に事故で他界したらしい。

 私の他に兄弟姉妹はなく、頼れる親戚は王家直系の従兄弟一家だけなのだそうだ。

 私を抱いた乳母がおいたわしやと泣いていたので、間違いない情報だと思われる。


 …まあ、まさか私がその内容を理解し、覚えているとは思わないだろうが、概ね問題ない。

 私が私を私と認識した瞬間から今現在に至るまで、私は一度として両親の姿を見たことがなかった事と、前世の記憶による精神年齢によって、心が痛む事がなかったのだ。

 親が亡くなったのにそれは人としてどうなのかとも思ったが、そこはそれ。たとえ血のつながりがあるとはいえ、会った事のない存在をどう哀しめばいいのか。前世の記憶があってもそこはわからない。


 そうそうそれで、大公家夫妻の第一子にして唯一の子であった私しか跡継ぎがいなかった事もあり、後見人はいるが、0歳児である私が当主になったのである。

 もちろん仕事なんて出来ないので、後見人が私の代わりに仕事をしている。その後見人は私を懐柔しようとか、葬って実権を奪おうとか思っていないようであったから、問題ない。

 むしろ私がいなければ大公家は存続できないのであるから実権は奪えないし、懐柔しようにも客観的に見て私は0歳児である。普通に考えて、もう少し育ってからでなければ意味がないだろう。という事で、懐柔して実権を握る方向であるかどうかは様子見かな。


 もちろん、王位継承権もある。

 現王夫妻の長男と次男――私の従兄弟だ――に次いでの、王位継承権第三位が私である。

 両親の葬式の時に聞こえてきた話からすると、長男が現在9歳。次男が5歳であったはずだ。

 長男である王太子殿下は無表情に、次男である王子は葬式の意味がわかっていないらしくぼんやりとしていたのが印象に残っている。

 ちなみに国王陛下は悲しげに私を撫でてくれ、王妃殿下は涙をぽろぽろ流して哀しんでくれたので、国王夫妻と私の両親――大公夫妻の仲は良好なものであったのだと推測できる。

 その辺り、両親を誇らしく思うと共に、そんな誇らしい両親を覚えていない自分に少し落ち込む。落ち込むが、事故は私のせいではないのだし、そもそも事故現場に居合わせたとしても0歳児の私に何ができるというのだと自分を慰める。哀しくはないが、寂しくはあるのだ。

 前世の記憶があるだけに、特に。その記憶がなければ、そもそも寂しいというものを知らないのだから、寂しくはならなかっただろう。

 前世の記憶がある事を苦に思ってはいないし、むしろこうして考える事ができるのだからありがたいのだが、そういう情緒面から考えると前世の記憶というのも考え物である。

 …寂しさは精神年齢の問題ではないのだ。大人だろうが子供だろうが、寂しいものは寂しい。寂しくない状態を、記憶として知っている私であるのだから、なおさらだ。


 ちなみに前世の私も女であった。ついでに言えば現世と違って大公とか魔法とかそういうもののない、地球という星の日本という国の一般家庭で育った女であった。

 何歳で死んだとか自分の名前とかは覚えていないが、一般的な知識や学んで覚えた事、幸せな一生であった事はなんとなく覚えている…程度の記憶だ。

 それでもその記憶があるからこそ、私は今、私としてここに在る事ができるのだ。


 そして、そう。現世のこの世界には魔法があるのだ。魔法。

 前世の…日本にはなかった技術である。

 その代り科学のようなものはそれほど発展していないようで、私の知る範囲ではあるが、文化レベルはよくあるファンタジー小説等に似た、地球で言えば中世ヨーロッパと日本の昭和期辺りを足して割った感じだろうか。


 まあ、そういう訳で私は前世の記憶を持ちながら違う世界に……記憶を持ったまま転生というものをしたのであった。

 ちなみに私はまだ、自分の容姿を知らない。

 行動範囲は両親の葬式を除けばこの部屋のみであり、割れると危険な鏡などはこの部屋には置かれていない。窓に寄れば光の反射で自分を見る事もできるかもしれないが、まだ私は歩けない。ハイハイはできるが、大体の場合はクッションに囲まれたスペースでしか行動をさせてもらえないし、その範囲外へ行こうとするともれなく抱き上げられて元の位置に戻される――怪我をしないように常に見張られているのだ。

 前世の容姿は覚えていないが、美人ではなかったと記憶にあるので、直系ではないがせっかく王家の血というものを引いているのだから、美形に生まれていたら理想だな! と思っている。

 前世では幸せではあるものの平々凡々な一生であったのだから、現世では是非とも男共を振り回して高笑いしながら、悠々自適な生活を送ってみたい。小悪魔な悪女が理想だ。

 幸い、王家筋なだけあって血筋は良いのだし、お金に困ってる様子もない。あとは容姿が美人系統であれば完璧なのだ。

 葬式の時に見た両親の絵姿からすれば、高確率で美形に生まれているはずなので、期待である。




「レン様」


 乳母が私を呼び、私を抱き上げる。

 どうやらいろいろ考えている間に、食事――おっぱいの時間になったらしい。

 私はいつも通りに乳母のおっぱいを飲み、トントンと背中を軽くたたかれて――今日もげっぷは出なかったからか、飲むのがお上手ですねとやさしい声で褒められる。

 そのまま寝てしまうのがいつもの事であるのだが、今日は違った。

 コンコンと珍しく部屋のドアをノックする音がした。

 乳母は私をベッドの上へと降ろすと、ドアへと近づいた。


「……アルフ様!」

「メルティーナ、レン様は?」


 メルティーナとは乳母の名前である。

 アルフ――アルフレッド・クライスという名の私の後見人――はメルティーナにそう尋ね、答えを待たずにつかつかと私の居るベッドの方へと近づいてきた。

 アルフの黒い瞳と視線が合う。


「レン様、明日から私と一緒に領地レレンレイへ参りましょう」

「アルフ様!」


 アルフの言葉にメルティーナが反応した。

 咎めるような声音に、しかしアルフは動じない。

 私はアルフの目をまっすぐに見つめた。アルフもジッと見返してくる。


 …葬式の時も思ったのだが、この後見人(アルフ)は私が普通の0歳児ではない事を見ぬいているのではないだろうか。

 その葬式が初対面であったのだが、その初対面の時も思えば“普通”ではなかった気がする。

 まあ、どちらでもいいか。前世の記憶があるとはいえ、帝王学も経済学も勉強した覚えがないのだから、赤ん坊である事を抜きにしても彼に何かを言う事はできない。

 それでも0歳児なのに視察へ連れて行くとか、正直何を考えてるんだって私も思うが、この部屋以外へ行けるのであれば、行ってみたい。


「アルフ様、まだレン様は生まれたば――」

「レン様。どうしますか?」


 なおも言い募るメルティーナをまるっと無視して、アルフは私に問いかけてくる。

 やっぱり、私がすでに物事を考える力を持っている…と思っているのかもしれない。

 意味がわからないふりをするかとも思っていたのだが、何度も言うようだが外に行く機会があるのであれば、私は外へ行ってみたい。


「いうー(行くー)」


 ろれつが回っていないのは0歳児だからである。

 思考はともかく、舌がまわらないのは身体の経験、筋肉がまだ発達しきっていないからだろう。

 それでも意味は伝わったらしく、アルフは頷き、メルティーナは驚いた顔で固まっていた。

 生まれてからずっと、間違いなく一番近くに居たのはメルティーナではあるが、まさか私がしゃべれる――しかも、人と会話ができるとは思っていなかったのだろう。

 まあ、普通は思わないな。普通の赤ん坊よりは泣かない子ではあっただろうが、それでもおむつ変えてほしい時や、お腹が空いてどうしようもない時、構って欲しいときはちゃんと泣いて主張していたからね。

 …小悪魔な美女になりたいのはあるが、今から悪目立ちしたい訳ではないのだ。


「はい。では、そのように。という事でメルティーナ、旅支度を頼む」

「…えっ? あ、はい。かしこまりました」


 アルフは呆然と頷くメルティーナにそう言うと部屋を私に向かって一礼し、部屋を出て行った。


 さて、どうしようか。


 アルフを見送った後、メルティーナの方を見れば、呆然とした表情のままの彼女と目があったので、とりあえず笑っておいた。

 ちょっと気まずいが、そこはそれ。赤ん坊なのだから空気読めなくても問題はないだろうという事で、誤魔化す事に私は決めた。

 もちろん、それが問題を先延ばしにしているだけとはわかっているが、問題はない。


 私は大公であり当主であるが、そもそも赤ん坊である。

 難しい事はわかんなーい(はぁと)

 で、済むのだから、しばらくはちょっと発達が早いだけのワガママ路線で行くとしよう。





 という事で、次の日である。

 何事もなければ、おっぱい飲んで寝て起きてを繰り返せばあっという間に日付は変わるのだ。

 それは今が平和な証であるのだから、何よりである。


 それはさておき。


「レン様、おはようございます」

「おあー(おはー)」


 赤ん坊の私にも律儀に挨拶をしてくる後見人アルフに挨拶を返しておく。

 適当に見えるかもしれないが、まだろれつが回っていない…というより歯がまだ生えそろっていないのだから、略称で勘弁してもらいたい。

 おはようの四文字でもおそらく“おあおー”とか、ほぼ母音のみの発音になると思われる。

 食べるためだけでなく、正しい発音をする為にも歯は大切なのだ。今は意味が通じればそれでいい。

 昨日は目を白黒させていたメルティーナが今日は微笑ましそうに私を見ているのは、0歳児マジックという名の幼子の可愛さであるのだから、問題はない。恥ずかしくなんかない。


 今日はマイレティーニ大公領レレンレイへ行くのだ。

 普段の部屋着と違い、今日は私もいつもよりちょっと派手な感じの服を着せられている。

 おむつはいつも通りの物なのだが、これは汚したら……と思うがそもそも赤ん坊である。汚す事が前提なのだと思うが、それにしたってこの華美な服はどうなんだろうか。まあ、一応当主――マイレティーニ領の領主であるのだから、必要なのかもしれないが。


 メルティーナに抱かかえられた状態で、用意されていた馬車に乗る。

 前世現世含めて馬車を見るのは初めてであるが、一般的な馬車ではない事はよくわかる。

 外観からして塗装はもちろん一つ一つの部品についている装飾からして、細部まで計算された美しさというものだろうか。並みの職人には作れないであろう逸品が使われている。

 馬車の内部も外観に負けていない。どこの高級ホテルのスイートルームだよと言えるほどに上品で細かい柄の壁紙が張られ、床にはフカフカな絨毯が敷かれている。上質な布が使われているっぽいクッションにカーテン。ひざ掛けのようなものも用意されている。

 うーん、豪華だ。


 メルティーナが用意されているクッションの上に座ると、そこにアルフも乗り込んできてメルティーナの斜め前に座った。外から扉が閉められ、少し経つとゆっくりと馬車が動き始める。

 コトコトと馬のひずめの音が聞こえ、車輪が地面を蹴りまわる音もする。馬車が揺れない様にできているのか、メルティーナに抱かれているからか、もしかしたら両方かもしれない。聞こえる音の割には、そこまで揺れを感じない。


「レン様」


 アルフに呼ばれる声で目が覚めた。

 馬車に乗ってしばらく、私はメルティーナの体温と鼓動の音にいい感じに眠くなり、そのまま寝入っていたらしい。

 ぼんやりと目を開けると、メルティーナの優しい顔が見え、「着きましたよ」と教えてくれる。

 それでも少しぼんやりしていたので、しっかり見る為に目をこすろうとするとメルティーナの手に止められたので、仕方なくぱちぱちと目を瞬かせるのみで止める。

 視線を動かして見れば、アルフも私の事を見ていて、視線が合うと口を開いた。


「お披露目は明日になります。今日は屋敷でゆっくりとお過ごしください」


 そうか。今日はゆっくりしていていいのか。

 精神はともかく肉体が0歳児なので体力がないからこそであろうとわかる。

 馬車を下りて見上げた空のまだ高い位置に太陽があり、夕方にはまだ少し遠い昼間である事を教えてくれる。


 ゆっくりしていいと言うのならゆっくりするさ。まあ、ゆっくりすると言ってもこの年齢では何をするでもなく、ただミルクを飲んで寝てを繰り返し、メルティーナに甘えて過ごすだけではあるが。

 それにずっと眠っていたとはいえ、やはりこの身体(0歳児)には短くても旅路は辛かったようで、今現在とても眠い。

 馬車から屋敷の玄関まで距離はないはずであるが、眠気に負けた私は屋敷の中を見る事なく、意識を手放したのであった。

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