LDG
ある町の隅。
大通りから外れ、古い木製の建物が密集し、それこそ、薄暗い路地を通らないとたどり着く事も出来ないような、昼間でもほとんど人通りの無いそんな場所に、その酒場兼カジノはあった。
切れかけの電球が瞬く階段を三階まで上り、とうに塗装の剥げた木製の扉を開けて中に入ると、照明を抑えた店内には小さめの丸テーブルがいくつかと、大きなルーレットがついた深緑の面のテーブルが店の真ん中に一つと、右奥にカウンターが一つ。
そのカウンターを挟んで、白いワイシャツと黒いベストを着て、きちんとネクタイを結んだ真面目そうなバーテンダーと、彼の昔馴染みである砕けた雰囲気の男が話をしていた。
二人の視線の先はいずれも、少し離れた所にある緑のテーブル。
それと、ディーラーの席に立つバーテンダーと似た格好をした女性と、その向かいに座って余裕そうに、どこか下卑た笑みを浮かべた小太りな男。
その周りにも沢山の男女が面白そうな顔をして集まっていた。
突然、テーブルの周りでわっと歓声が上がる。
見物していた男の一人が輪の中から走り出て、店の壁に白いチョークで一本線を引いた。
「また勝ちやがった……!」
「しかもストレートフラッシュよ。向こうだってフォーカードなのに!」
「これで記録を付け始めてから、ポーカーは……499連勝!?」
「恐ろしい……」
ざわざわと観客たちが囁き合う中、先ほどまで勝利を確信し笑っていた男は、目玉がこぼれそうなほど大きく目を見開き、呆然としていた。
すると、ディーラーの彼女はにこにこと笑いながら、男の前にうず高く積まれたカラフルなコインをジャラジャラと回収した。
男がはっと顔を上げる。
「い、イカサマだ!」
立ち上がり、女性を指差した。
「こいつはイカサマをしたんだ!!」
男は唾を撒き散らさんばかりに叫んだ。
しかし、周りの人々は取り合おうともしない。
「超幸運ディーラーに拍手を!!」
チョークで線を引いた男が言うと、テーブルを囲む人々はにこにこと笑っている女性に喝采を浴びせた。
ここに居る、負け男以外の人々は、彼女が『なんたるか』を良く知っていた。
負け男が顔を真っ赤にして店を出て行く。
バタン! と乱暴にドアが閉められると、
「ありがとうございました」
と、カウンターの向こうのバーテンダーが頭を下げた。
「マスター! ビールだ! ビールをくれ!」
「こっちは赤ワイン!」
「ウィスキーをくれ!」
「つまみはあるか!?」
一気に店内がワイワイと騒がしくなる。
その中心で、パラパラとトランプを弄ぶ彼女を見ながら、カウンターの外側に居た男が、ジントニックの入ったグラスを傾けながら言った。
「すごいね、彼女は」
それに、バーテンダーが応じる。
「まあな」
「んで? どういうテクなんだ? 随分鮮やかじゃねえか。俺でも分からなかった」
「そりゃそうだろう。テクなんて無いからな」
「そんな訳無えだろ」
「あるんだよ。これが」
様々なグラスと飲み物、それからつまみを用意しながら、バーテンダーは顎で女性ディーラーを指し示した。
「あいつは、ギャンブルに関して超がいくつ付いても足りないくらい幸運なんだ。どんな相手だろうと、必ず勝つ。もちろん、イカサマはしていない」
「ほーう」
バーテンダーが嘘を吐く様な人物ではない事を知っている男は、興味深げに頷いた。
しかし、
「だがなあ……」
と、バーテンダーは溜息を吐いた。
「何だ。何かあるのか?」
男が聞くと、バーテンダーはもう一度溜息を吐いた。
「私生活では、超がいくつ付いても足りないくらい不運なんだ」
「…………はあ?」
「何も無いところで転ぶのは日常茶飯事。外に出れば必ず車に轢かれかけ、必ず頭上から植木鉢が落ちてくる。高い所に行けばたとえ数メートルのフェンスがあってもフェンスが壊れて落ちかけるし、低いところ、例えば地下鉄のホームに居れば人がぶつかってきて線路に落ちる。それだけならいい方で、高い確率で電車がホームに進入してくる」
「…………」
「まだ聞くか」
「も、もう良いです……」
男が手を前に突き出してカウンターに突っ伏すと、バーテンダーはふんと鼻を鳴らして、客たちに注文されたものを運んで行った。
「……もしかして、この店に窓が無いのも?」
戻って来たバーテンダーに男が聞く。
「ああ。あいつが窓に触ると壊れて落ちるからな」
「もはや怪現象だな……良く死なないもんだ」
「あいつ、ああ見えてかなり顔が広いからな。行動範囲には大抵知り合いがいるんだよ」
「で、助けてもらってると……」
「ああ。屋上と窓の近くと駅には一人で行かないように言い聞かせてるしな」
「はあ~!」
男は再度カウンターに突っ伏した。
「……そういやあのチョーク。あの子の戦歴なんだな」
すぐ近くの壁に書かれた白い線たちを見ながら、男が言う。
「ああ、あんまり勝つもんだから、お客さんが面白がってな。ポーカーとルーレットとブラックジャックに分けて記録を付けてるんだ。まあ、カジノゲームが初めてでもそうじゃなくても、ポーカーは比較的なじみのあるカードゲームだし、あいつもポーカーが得意だから、ポーカーの記録ばっかり伸びてるんだけど」
「ふーん……499連勝。後1勝で500か……」
「……やってみるか?」
「いや、遠慮しとくわ。……でも、他の奴なら紹介するぜ」
「他の奴?」
バーテンダーが首を傾げると、男はどこか得意げに頷いた。
「今巷を騒がす超天才負けなしギャンブラー! お前も知ってるだろう?」
その話なら、確かに聞いた事があった。
世界各国のカジノを渡り歩き、勝ち続ける若き天才。
「知り合いなのか」
「おう。昔、ちょっとしたイザコザに、あいつと巻き込まれてな。あいつがもうすぐこの街に来るって聞いて、ここの事を思い出したんだ」
予想以上に面白いのがいて良かった。と男は笑った。
「まあ、彼女にも聞いてみてくれ。今日の夜中にはあいつも着くみたいだし」
「あいつは相手を選ばないさ。誰であろうと相手をする」
「そうか。なら、明日の開店時間にまた来るよ。それまで、500戦目は取っておくように言ってくれよ!?」
「分かった」
バーテンダーが頷くと、男はニカッと笑いカウンターに金を置くと店を出て行った。
バーテンダーは、客から分けて貰ってつまみを心底美味しそうに食べている女性を見て、ふっと笑った。
「よう!」
翌日、男は件の彼を連れてきた。
「…………」
上下黒で身を包んだ彼は店に入ってもぶすっと押し黙り、男の後ろですこぶる不機嫌そうに店内を見渡している。
目つきがひどく悪い。
「悪いな。こういう顔なんだ」
「いや、聞いていた通りだ」
バーテンダーは首を振った。
店には馴染みの客たちがぞろぞろとやって来ていて、噂の天才ギャンブラーを目にして好奇心半分、睨まれた恐怖半分で、おお、と声を上げた。
ふと、彼が彼女に目を向ける。
彼女は鋭い目を向けられても、いつもと変わらずにこにこと笑っていて。
そんな彼女の下に、彼はゆっくりと近寄った。
テーブルがあらかた埋まり、客たちに飲み物が行き渡った所で、その勝負は始まった。
互いにコインを一枚ずつテーブルに出し、ディーラーの彼女はさっさとカードを切って、彼と自分に五枚ずつ配る。
向かい合った二人はさっと自分のカードに目を通し、コインを積み上げて行く。
あらかじめ決めていた最高枚数のコインがテーブルに出ると、店内の空気がざわりと揺れた。
二人はいらない手札をテーブルに捨て、ストックから新しいカードをそれぞれ抜き出す。
彼は不機嫌そうな顔のまま、彼女はにこにこと笑ったまま、表情を一切変えない。
また、コインをテーブルに出して、積んで、積んで、積んで……。
二人は、表情を一切変えない。
最高枚数にコインが達した時、辺りの空気は痛みを感じるほどぴんと張り詰めていた。
皆が息を飲んで、勝負の行方を見守る。
さあ、勝つのは。
勝つのはどっち?
二人が同時に、自分の持ったカードをテーブルに置こうとした――その時だった。
ドオンッ!!
「!?」
店の外で、ものすごく大きな爆発音が聞こえた。
店内に居た皆が何事かと辺りを見回した、途端、ガタガタと店が大きく揺れだす。
一番早く動いたのは、彼だった。
客たちに店の奥か入口付近へ行き、テーブルを盾のように倒す事を促し、自身もテーブルの影に身をひそめる。
それは、丁度、丁度その時だった。
店の入り口を入った所から見て左側。
その壁が、バリバリとものすごい音を立てて、砕けた。
そして、出来た穴から店に飛び込んでくる、大きな黒い物体。
「……!! おい! あぶねえぞ!!」
誰かが叫んだ。
「こっちへ来い!!」
その視線の先には、
店の中心に立つ深緑のテーブルの前で、呆然と口を開けて立ち尽くす、彼女がいた。
黒光りする大きな物体は真っ直ぐ彼女に向かって飛んでくる。
足がすくんでいるのか体が硬直しているのか、彼女はピクリとも動こうとしない。
このままでは――
彼女を包むように暗い影が落ちた時、ガタリと一つ、倒されたテーブルが揺れた。
そこから黒い影が飛び出し、まっすぐ、彼女の下に向かう。
未だ立ち尽くす彼女を、テーブルを乗り越えた黒い影が抱きしめ、店の反対側へと半ば転がるように着地した。
その直後、再び店内に轟音が響き渡り、そしてしんと静まり返った。
「……全員無事か!?」
カウンターの裏からバーテンダーや促されて逃げ込んだ女性客が顔を出す。
「こっちは大丈夫だ!」
「こっちも!」
入り口側とカウンター側の両方からそれぞれ声が聞こえる。
皆がカウンターや倒したテーブルの裏から表に出て、店内を見回した。
「こりゃあ……」
誰かが唖然として呟く。
それも無理は無い。
狭い店の真ん中には、黒光りする大きな自動車が、あちこちに傷や木くず、埃を付けながら止まっていた。
間違い無くこれが、穴のあいた壁から突っ込んできたものだ。
「ねえ! ちょっと大丈夫!?」
一人の女性が、店の隅で倒れている二つの影に駆け寄る。
と、皆が見守る中、影――彼と彼女はゆっくりを半身を起き上がらせた。
二人とも顔に傷があったり服が破けたりしているが、大きな怪我は無いようだった。
ほっと、皆が安堵の息を吐く。
その途端、未だ彼の腕に抱かれ呆然としていた彼女の目が、みるみる内に潤みだした。
そしてすぐ、ぼろぼろと涙を流し始める。
皆、当然だろうと息を吐いた。
爆発音と、震動と、破壊とがいっぺんに起きて、その上、目の前に大きな自動車が迫って来て。
嗚咽を漏らし、肩を跳ねさせ泣き続ける彼女を、彼は眉間のしわを解いてそっと目を閉じ、優しく抱きよせた。
男が真新しい扉を開けて店に入ると、カウンターの向こうでバーテンダーがグラスを拭きながら、おう、と言ってきた。
「よっ」
カウンターの前にある革張りのスツールに、男は座る。
「二人は?」
「ん」
問いかけると、バーテンダーは店の真ん中あたりを顎で指し示した。
男がそちらを向くと、店の真ん中にあるルーレットの着いた深緑の面テーブルの前に、二人の男女が座っていた。
と言っても、椅子が二つある訳では無くて、男性の膝の上に、女性が座っている。
男性の方は何やら本を広げ、どこかを指差していて、女性はトランプを手に持ち、真剣にその本を読んでいた。
その様子を見て、男はほっと溜息を吐く。
「元気そうで、良かった」
「おう。最近、ちょっとずつ二人で外出もしてるよ。二人でいれば、車にも轢かれかけないし、駅のホームからも落ちないみたいだ」
「そうか」
あの事件の首謀者は、あの日の前日に彼女に負けたあの小太りな男だった。
言うところの腹いせである。
男は数件先のビルの屋上から車を走らせ、フェンスも何も飛び越えた後、隣のビルに仕掛けておいた爆弾が爆発した時の意爆風を利用して、店に突っ込んで来たらしい。
なんて、口で言うのは簡単だが、実際に実行しようとなれば綿密どころではない計算と準備が必要だ。
皆、そんなことが実際に可能なのかと思ったが、それはもう、起きてしまった事なのだ。
「超幸運同士が反発しあって超不運を呼び込んだのか……。はたまたあいつの超幸運に引かれて彼女の超不運が顔を出したのか……」
カウンターに頬杖を付いて、男が言う。
あの事件が起きてしばらく、彼女はショックからか部屋に籠りきりだった。
あの出来事は、彼女の幸運が引き金となり起こったのだ。
自分のせいで、大事な人々を命の危機にさらしてしまった。
数日は食事もまともに取らずに、部屋で過ごしていたようだ。
そんな彼女の下に、毎日通ったのは彼だった。
朝早くからやって来て、彼女の部屋の扉の前で本を読んだり、トランプを弄んだりして、夕方、手紙を置いて帰る。
それを毎日毎日繰り返して、そしてそれは確かに、彼女の心を少しずつ解していったようだった。
「良かったよ。ホント」
「ああ」
賠償金や店の儲けの貯蓄などを使って店を建て直した今、また通ってきて変わらず笑いかけてくれる馴染み客たちに、彼女もすっかり元気を取り戻し、あの頃と同じようににこにこと笑えるようになった。
「そう言えば、テーブルがあるってことは、まだ彼女はディーラーをやってるのか?」
「おう。相変わらず、超幸運も健在だ」
「……大丈夫なのか?」
男が心配そうに尋ねる。
するとバーテンダーは、可笑しそうに口元を緩めた。
「それがなあ。今あいつ、イカサマして負けてるんだよ。適度に勝って、適度に負けて」
「……はあ~!! 器用な! ……でもそれ、意味あんの!?」
「まあ、こればっかりは、本人の気持ちの問題だからな。……そうそう、カード捌きを上手くするために、二人で手品の練習をしてるんだ。偶にお客さんに見せてるけど、なかなか好評でな。お前も見て行ったらどうだ」
「おっ! それは面白そうだ! いっちょ、タネを見破りに行くか!」
「せいぜい頑張れよ」
「おお!」
男がカウンターを発って、二人のいるテーブルに向かう。
やって来た男を見て、彼女はにこにこと笑い、彼の方はついさっきまで柔らかかった表情を器用にすっと固めた。
それが可笑しくて、バーテンダーはまた笑う。
何やら言いあう三人と、可笑しそうにそれを見守る客。
「本当に、良かったな」
それをまた見れた事が、自分にとって何よりの幸運だと、そう、思いながら。




