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Side:いづみ-7-

 こうしてわたしと健人は、一度別れた。

 けれども確かに、歳月というものは、人に年をとらせるだけのものではないらしい。

 健人と会わなくなってから一年後、<ヘルパーステーション・こころ>は事業のほうがある程度軌道にのって――ケアマネージャーをもうひとりと、管理責任者を補助する正社員の介護士を雇えるくらいには余裕も出来、その頃わたしは管理責任者の職を辞すということになっていた。

 もちろん、この時もわたしは健人のことを忘れていなかったし、彼と交わした約束のことも、もしかしたら彼が本当にそのことをずっと覚えていて、ヘルパーステーションを訪ねてくるかもしれないと本気で思っていた。

 でもそんな青年がある日わたしを訪ねて来たとしたら……おそらく大久保さんか三上さんのどちらかが、わたしの次の勤務先へ連絡をくれるに違いなかったから、何も問題はなかったといっていいだろう。

 健人との出会いは、わたしの人生を大きく、それも百八十度変えたといっていいかもしれない。

 わたしは健人と別れてから、自閉症や発達障害のある子の家へお邪魔して、ベビーシッターをするというボランティアをはじめたのだけれど、もし健人との出会いがなかったとしたら、わたしはそうしたボランティアをするということ自体、考えつきもしなかったと思う。

 障害のある・なしに関わらず、わたしは昔から小さな子供のことが怖かった。

 それから、十代の子とも打ちとけて話したいとは一切思わない……それは何故かというと、自分の暗い子供時代のことや、売春を実の母に強要されたという惨めな過去のことを思いだすのが嫌だったからだ。

 もちろん健人は、わたしの心の奥深くにどんなものを実は与えたのかなんて、気づいてもいないに違いない。でも、他でもない<光>というものを知らない彼が、わたしの心、あるいは魂の暗がりを明るく照らして、一歩前へ進めるようにしてくれたのだ。

 わたしは今、最初はボランティアとして関わった児童デイケア施設で正職員として働いている。

 入所可能な障害のある児童の定員数は十名ほどだけれど、そのかわりとても目の行き届いた、子供との深い関わりあいを持てる施設だと、わたし自身はそう思って働いている。そして老人を介護するよりも――わたしは障害のある子供たちを援助する働きのほうが、より自分は喜びを感じられるらしいと気づいていた。

 実際のところ、わたしが前にいたヘルパーステーションの管理責任者という職のほうが、給料のほうはかなり良かったかもしれない。でもわたしは、重度の障害を持つ子供たちと関わることのほうに強い結びつきのようなものを感じて、今いる児童デイケア施設へ移ることにしようと決めたのだ。

 このことは、「わたしは一生結婚しないと思う」と、健人に言ったことと深い関わりがある……何故といって、わたしは大輔との結婚を破談にした時、自分自身に絶望していたから。

 正直なところ、わたしは子供なんて自分で産みたいとも欲しいとも思ったことが一度もない。それでももし出来てしまったら、殺すわけにもいかないし、生む以外に選択肢はないだろうとか、そんなふうにしか感じられないような人間だった。

 でも今、障害のある子供たちと接していて、毎日が本当に楽しい。まるで、かつての惨めで可哀想だった自分の代わりに、彼らのことを慈しんで自分の心の傷を癒そうとでもするかのように――とにかくわたしは、彼らのことを無償で貪るように愛することが出来た。

 そしてかつてとはまったく別の意味で、わたしは自分自身は結婚する必要もなければ、子供を生む必要もないだろうと感じていた。何故なら、自分と血の繋がりのない子供のことを心から愛しく思えるし、むしろそれが<自分の子>というのでは、わたしの場合は駄目だった。

 あの母の呪わしい血が遺伝するかと思うと、血も凍る思いがするとでもいえばいいだろうか……もし仮にわたしが娘を生んだとして、その子に母の面影を見たとしたら、虐待しないとも限らないとさえ、わたしは本気で思っていた。

 健人がいつかもう一度、わたしに会いにくるかどうかはわからない――わたしはそう思いながらも、彼ともしもう一度出会えたら、伝えたいと思うふたつのことがあった。

 ひとつは先にも書いたとおり、健人自身は目が見えなくても、彼には人の心に<光>を与えられるくらい強い力があるということ、そしてもうひとつは、健人に出会ってから、見るものすべてが今まで以上に美しく見えるようになった……ということだった。

 太陽も月も星も草も花も――今まで以上に存在の輪郭線がはっきりするように、わたしの目には美しく愛しいものとして映っていた。最初はこの変化について何故なのだろうと不思議に思いつつも、わたしはうまく説明する言葉を持たなかった。

 でもある時、電車の中でオレンジ色の太陽が傾くのを見ていた時にハッと気づいたのだ。

 若葉寮の近くの公園で、健人とふたり、沈む太陽の光に照らされていた時、木々が風にしなってざあっと音楽を奏でた一瞬のこと……わたしは健人は目が見えないのだから、自分と同じ光景を見ているはずがないと思いながらも、<心の中>で彼は今、自分とまったく同じものを見ていると感じたことがある。 

 そしてその瞬間にすべてわかった。

 目は見えなくても、健人は健人の心の中の世界観によって太陽や草や木々といったものをきちんと<理解>しているのだということが。そして彼のそうした世界観とわたしの心が短い時間であれ、シンクロしていたからこそ、わたしは健人の<心の目>を通して今、自分を取り巻く世界を感じることが出来ているのだと……。

 言葉でこんなふうに説明しても、おそらく他の人にはうまく伝わらないかもしれない。

 でもわたしはそのことがわかった瞬間、涙を流した。目の見えているわたしよりも、目の見えない健人のほうがよほど、美しくて綺麗なものの見方をしているということが、はっきりとわかってしまったから。

 そして今もわたしは時々――ふとした瞬間に健人のことを想っている自分に気づいていた。

 もし次に彼に会えたとしたら、「心の目でものを見るということがわかった気がする」ということを伝えるには、どう言葉を尽くして説明したらいいのだろうと、わたしは健人に会った時に備え、仮の説明を準備している自分にふと気づくのだ。




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