表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

Side:いづみ-5-

「健人の部屋へいく前に、ちょっといいですか?」

 受付窓口横で、ずっと立って待っていたといった風情の恵太くんは、ロッカーから自分の靴を取りだすと、「ちょっと外へ」というように自動ドアのほうを手で示した。

 そこでわたしはスリッパを再びビニール袋にしまい、神原さんに軽く会釈してから恵太くんと寮の外へ出ることにしたのだった。

 ――正直なところをいって、健人の全盲の状態というのは、ある程想像できるにしても、むしろわたしには恵太くんのように「見えにくい」障害のほうが理解が困難だった。

 恵太くん曰く、今みたいに玄関口にわたしや知っている誰かが来たら「識別」することくらいは出来るけれど、それ以上の細かい特徴などはよくわからないといった見え方なのらしい。

 なんにしても、恵太くんは近くにある公園のベンチまで行くと、そこにわたしと並んで座ってから、こんなことを話してくれた。

「先週鷲尾さんが帰ったあと、俺、健人をなだめるのに一苦労しましたよ」

 どんぐりの樹の下の赤いベンチに座り、恵太くんは腰を屈めるとそこに落ちていたどんぐりの実をいくつか拾い上げていた――そんな彼の何気ない仕種を見ていて、わたしはあらためて少し不思議な気持ちになる。

 小さなどんぐりが落ちていることがわかり、それを拾い上げることは出来ても、細かい文字などは拡大鏡を使わなくては見えないというのは、一体どんな感じの「見え方」なのか、想像が難しいような気がして。

「鷲尾さんが帰る時、あいつ言ってたでしょ?俺が繭香とつきあってれば、こんなややこしいことにならなかったのにって……まあ、鷲尾さんみたいな大人の女の人にとっては、俺らみたいなガキの恋愛、きっと興味ないって思うんだけど、一応説明が必要かなと思ったもんだから」

 最初に会った時から思っていたとおり、恵太くんは健人などよりよほど大人だった。

 それが少しは目が見えることに由来するものなのか、生来の性格的なものなのか……おそらくはその両方なのだろうと、わたしはそんなふうに感じていた。

「ううん、むしろ逆にすごく興味あるわ。わたしが繭香ちゃんが健人を好きだって知ったのも、つい先週のことだし……あの子、女子寮でたぶん、わたしと一番仲良くしてくれた子なの。でも本当はわたしのことを色々知りたかったっていうそれだけなんだと思ったら、急にがっかりしちゃって……」

「まあ、あいつの言いそうなこととかは俺、大体想像がつくな」

 どんぐりの実を空中に放り投げ、そしてそれをキャッチするのを何度か繰り返して、恵太くんはどこか屈託なく笑っていた。

「もしかしたら繭香からも聞いてるかもしれないけど、俺、あいつとは同じ盲学校の出身なんですよ。そんでお互いに住んでる家も結構近くて、親同士も仲良かったから小さい頃から行き来があって――それで、あいつの家ってのが実は超のつくセレブなわけ。うちみたいに五人家族が小さな一軒家に汲々として暮らしてるっていうような中の下クラスの家庭とは違って、盲学校までベンツで送り迎えしてもらったりっていうような、そういう家柄なんだな。俺も「ついで」みたいな感じでそのベンツに乗っけてもらったりしてたけど、俺はあいつに対して「いい奴だ」みたいに思ったことは一度もない。それが俺が繭香に対して持ってる唯一の感情なんだ。そんでもって健人もそのことはよくわかってて、にも関わらず先週あんなことを口走ったのは、それだけあいつが取り乱してたっていうこと」

「うーん、そっか。なるほど」

 一応、そう納得するような返事を返してはみたけれど、わたしにはよくわからないことがまだたくさんあった。

 でもこちらから根堀り葉堀り聞かなくても――わたしは恵太くんが自分で話したいと思っていることだけ聞こうと思っていたので、それ以上先を催促するようなことはしなかった。

「で、俺って繭香と同じように、盲学校では比較的<見える>ほうに分類されるだろ?だから、同じクラスの他の子の面倒を色々見たりとか、まあいつもリーダーみたいな感じで行動してたわけ。俺が男子のリーダーで繭香が女子のリーダーみたいな感じかな。そんで、繭香としてはまわりの子が「恵太くんと繭香ちゃんはお似合いのカップル」って思ってるみたいに……それが本当に恋かどうかってのは俺にはわかんないけど、とにかく本人はなんか「そうあるべき」みたいに思いこんでたらしいんだ。でも俺、ここの専門学校に入ってから斉藤夕菜って子に告白されて、つきあうようになったんだよな。まあ、繭香はちょっと何かを勘違いしてる女だから――俺が健人とか由貴とつるんでるのを見て、早速健人と由貴に気のあるようなそぶりを見せてさ、俺のことを妬かせようとしたみたい。健人のほうはまあ、繭香みたいなタイプの子にはてんで興味なかったからいいんだけど、由貴はたぶん、これまであんまりモテたことなかったんだろうなあ。すっかり繭香のことが好きになっちゃったらしくて……俺は常々由貴に「繭香なんかやめとけ」って言ってるんだけど、恋は盲目っていうのかなんていうのか。ま、由貴は健人と同じく、恋なんかしてなくても盲目ではあるんだけどさ」

 わたしは、前にも神原嬢が恵太くんと同じ言葉を言っていたのを思いだし、思わずくすりと笑ってしまった。

 由貴くんは健人と同じく全盲で、何も森繭香の容姿が可愛いからという理由で彼女に恋をしているわけではない。ただ、彼には健人のように鋭く人を見抜く洞察力のようなものはなく、とにかく耳から入ってきた情報を純粋に信じこむといった傾向があるようなのだ。

 このあと、恵太くんが「繭香の毒牙にかかっている可哀想な由貴」という単語を口にした時には、流石にわたしも笑ってばかりはいられなくなった。

「由貴は本当はめっちゃいい奴なんだけど、俺や健人みたいに目立って面白い行動をとったりはしない奴なんだ。でも繭香は自分は最低でもそういうタイプの男子とつきあうべき……みたいに勘違いしてるから、いつまでも由貴の本当の良さには気づかないってわけ。まあ、そんなわけだから、鷲尾さんは遠慮なくうちの男子寮へ遊びに来てよ。あいつ、先週鷲尾さんが帰ってからさ~、この一週間の間俺に「自分の容姿をどう思うか」って百遍ばかりもしつこく聞くんだよ。「おまえは目は見えなくてもいい男だぜ☆」みたいに適当にかわしてるんだけど、まあ、鷲尾さんも健人のそういう気持ち、察してあげてよ」

 公園には、二台のブランコと滑り台、それに小さな砂場があった。近所の子供たちが何人かそこで走りまわり、彼らのお母さんたちがベンチに座って何かを話しこんでいる……そんな何気ないどこにでもある風景を眺めながら、わたしは突然胸が痛くなった。

 あれは健人と出会って、何度目の土曜日のことだっただろう。彼は梳かしても梳かさなくてもそう変化はない自分の髪に何度も櫛を入れており、わたしが部屋のドアをノックするなり、慌てて櫛を机の中へ隠していた。

 そしておもむろに突然、こんなことをわたしに聞いてきたのだ。

「いづみさん、俺、小さな頃近所の悪ガキにゾンビって言われたことがあるんだ。ねえ、いづみさん、俺ってそんなにゾンビに似てる?ここにボランティアで来てる井上さんも、ガリガリに痩せ細っててゾンビみたいねって前に言ってたことがあるんだ。俺、そんなにゾンビみたいかな?」

 ――その時、わたしは健人にどう答えていいかわからなかった。

 まず最初に感じたのは、ボランティアスタッフの井上さんに対する怒り。何故といって、健人は輪郭や鼻や口のほうはかなり整っているほうだといえたけれど……彼の右目は常に開きっぱなしで閉じるということがないし、左目のほうはまばたきすることは出来るらしいのだけれど、そちらも眼球が濁っていて、正直なところ少しホラーな感じだった。

 そしてわたしには、彼が好きな人(/わたし)から見て、自分はどんなふうに見えるのかとても気になると感じていることがわかっていたので、それで余計に、どう答えたらいいのかわからなかった。

「う~ん、そうね。っていうか健人、あんたゾンビがどんな生き物かって知ってるわけ?」

 わたしはそう茶化して逆に質問することで、なんとかその場を切り抜けた。

 健人は案の定というべきか、<ゾンビ>という生き物がどんなものなのか、わかってはいないようだったからだ。

「当然、俺は見たことはないけど……なんか死んだあとに生き返って、ぐちゃぐちゃになってる死体のことを言うんでしょ?」

 そうわたしに聞き返してきた健人の口許には、不思議と優しい微笑みがあった。

 彼には、耳から入ってきた言葉の情報を鵜呑みにするというより――その言葉を発した人物の声やイントネーションや雰囲気から、総合的に何かを判断するというようなところがある。

 つまり、わたしがどこか愉快そうに健人に聞き返したから、彼は「ゾンビもそんなに悪くないのかもしれない」といったような印象を持ったらしい。

「そうね。井上さんは何をどう思って健人にゾンビなんて言ったのか、わたしにはよくわからないけど……健人はたぶん、ゾンビの中ではいい男に分類されるほうなんじゃないの?」

「いづみさん。なんか俺、褒められてるんだかけなされてるんだか、よくわかんないだけど」

「あら、けなしてんのよ!」

 そう言ってあたしは、健人のことが可愛くなるあまり、彼の頭をヘッドロックして拳骨でぐりぐりしてやった。

「痛いよ、いづみさん。いって……マジでほんとに痛いって!」

 ――そんな時のことや、他にもこの公園にふたりで散歩へ来た時のことを思いだし、わたしは胸が苦しくなるものを感じていた。

 何故といってこの一週間、健人に何をどう説明すれば納得してもらえるか、時間さえあればそのことばかりわたしは考え続けていたからだ。

 恵太くんも神原さんも、森繭香のことなど気にせず、健人に会いにくればいいと言ってくれたけれど、やはりわたしにとってそれは出来ないことだった。神原さんが「そう難しく考えなくても大丈夫」と言っていたとおり……わたしは何かを小難しく考えているつもりはない。

 たとえば、気持ちに応えられないにも関わらず、健人の恋心を知っていて彼のことを自分に惹きつけておくのは残酷だとか、わたしはそうしたことはあまり考えなかった。

 わたしが考えていたのは森繭香のことで、彼女の健人に対する気持ちが<本物>だと感じたからこそ、健人とはもう会わないほうがいいだろうと思ったのだ。神原嬢のように、女子寮内のことを間接的にしか知らなかったら、森繭香のことは本当にはわからない。そして恵太くんも、幼馴染みとして彼女のことを知りつくしていると思っているからこそ――男の彼には繭香の女としての顔が、今はあまりよく見えていないのではないかという気がした。

 森繭香は視野が狭いとはいえ、眼鏡で矯正して0.2の視力があるという。ということは、間近で見れば健人の容姿のほうはある程度わかるということだった。彼女が最初にわたしと会った時に、馬鹿にしたような笑い方をしたのは……おそらくこういうことではなかっただろうかと、今のわたしには思えてならない。

『鷲尾さんはきっと、健人のことを目の見えない可哀想な男の子と思ってるんでしょうね。でもわたしは、そんな彼のことが本当に好きなんです。あなたなんかすぐ、こんなボランティアにも飽きていなくなるでしょうから、その時にこそ健人はわたしのほうを向いてくれるでしょう』

 もちろんこれは、森繭香が直接そう言ったのではなく、彼女がわたしに接していた時に感じたわたし個人の想像によるものではある。でも彼女がそう思っている、あるいはかなりそれに近い心情を健人に対して持っているというわたしの勘は、おそらく当たっているに違いなかった。

「繭香もさ、可哀想っちゃ可哀想な奴なんだよな」

 公園から若葉寮へ戻ってくるまでの間、恵太くんはふと何気なくそんな言葉を口にした。

「あいつの家、すごく頭がよくて可愛い感じの妹がいてさ。両親はふたりとも、その妹にすべてを賭けてるって感じなんだ。繭香のことは、「あんたも目に障害さえなければねえ」みたいに暗に言ってるような扱いっていうか……俺も、目がまったく見えないよりは少しは見えてるってことに感謝はしてるよ。でも、「全然目の見えない子よりは見えるおまえのほうがマシなんだからがんばれ!」みたいに言われると――ほんと、げんなりしちゃうんだよな。繭香の性格が少し屈折してるのは、確かにある部分は本人の性格の悪さに由来するんだけど……まあ、それだけじゃないから、俺もあいつのことは完全に嫌いになったりは出来ないんだ」

 わたしは暫く黙って恵太くんと並んで歩いたのち、それから彼に「恵太くんは、本当に優しいね」とぽつりと声をかけた。

 すると彼は、少し驚いたようにわたしのほうを振り返って――「なんか俺、健人が鷲尾さんに惚れこんでる気持ち、今初めてわかった気がするなあ」と、照れたように笑って言った。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ