文福茶釜
時太郎は、藻掻くようにして小屋の羽目板の隙間に目を押し当てた。隙間から微かに外の景色が目に入る。見張りの狸の尻が目に入った。角度が悪く、戸の前にいるであろう相手は見えない。
「見張りは酒に混ぜた眠り薬で朝まで目が覚めません。今のうちなら、わたくしがお二人をお逃がし申し上げます」
千代吉と名乗った相手の言葉は、せかせかと焦っている。
「お早く! 見つかる前に……」
時太郎は羽目板に顔を押し付け答えた。
「判った、頼む!」
かたん、と戸の閂を外す音がして、からりと引き戸が開けられた。
そこに立っていた狸の姿に、時太郎とお花は吃驚した。
鉄の茶釜に手足と顔、尻尾が生えている。茶釜の横腹には「文」と「福」という文字が浮き彫りになっている。
「あんたが、千代吉さん?」
お花の問い掛けに茶釜狸は頷いた。
「はい、わたくしが、千代吉と申します」
驚く時太郎とお花に千代吉は言葉を重ねた。
「わたくし、文福茶釜狸なのです」
文福茶釜狸の千代吉は小屋の中に入ると、小刀を使って時太郎とお花の縄目をぶちぶちと切っていった。
きつく縛られていたので、二人は血行を取り戻すため、暫く手足を擦る。その間にも千代吉は背後を振り返り、苛々と足踏みをしている。誰かに見咎められないかと気が気でないようだ。
「それでは、まいりましょう」
外へ出ようとする千代吉を、時太郎が呼び止めた。
「待て、どうしておれたちを助けてくれるんだ?」
「わたくし、母の計画には反対なのです。このままでは狸穴と狸御殿に戦いが起きることになります。それを防がなくてはなりませぬ!」
お花が口を開いた。
「その計画って、なに?」
千代吉は唾を飲み込み、答えた。
「人間界への征服計画でございます」