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何も回収しない悪役令嬢――その伏線、担当部署へお回しください

作者: 月白ふゆ
掲載日:2026/07/26

 王太子が婚約破棄を宣言した瞬間、聖女の首飾りが光った。


 白銀の鎖に下がった青い宝石が、目を開けていられないほどの光を放つ。


 夜会のために集められていた貴族たちが、一斉に息を呑んだ。


「やはり……」


 聖女コラリーが胸元を押さえ、震える声で言った。


「この首飾りは、真の王家の血を引く者に反応すると伝えられています」


 広間にいた全員が、婚約を破棄されたばかりの公爵令嬢を見た。


 オディール・ヴォークレールは、自分へ向けられた視線を確かめた。


「存じませんわ」


「知らないはずがないだろう!」


 王太子セヴランが叫んだ。


 彼は先ほどまで、オディールが聖女を虐げた罪を並べ立てていた。


 もっとも、その内容は、廊下ですれ違った際に挨拶をしなかった、茶会へ招かなかった、聖女が欲しがった髪飾りを譲らなかった、というものだった。


 最後の髪飾りについては、オディールの母の形見である。

 聖女が欲しがったという理由だけで譲る義務はない。


 そのように説明したところ、セヴランはオディールに思いやりがないと判断し、婚約破棄を宣言した。


 その直後に、首飾りが光ったのである。


「その宝石は、君に反応したのだぞ!」


「でしたら、魔術研究院へお持ちくださいませ」


「なぜ君に反応したのかと聞いている!」


「宝石の反応につきまして、わたくしに回答を求められましても困りますわ」


 オディールはコラリーの首元を見た。

 宝石はいまだに光っている。


「返品なさってはいかがでしょう」


「王家の秘宝だぞ!」


「なおさら、わたくしへお尋ねになる案件ではございませんわね」


 セヴランが何か言い返そうとした、そのときだった。


 広間の扉が勢いよく開いた。


「殿下!」


 王宮の侍従が、封蝋の施された手紙を掲げて駆け込んでくる。


「ヴォークレール公爵夫人の名で、国王陛下宛ての手紙が届きました!」


 広間が静まり返った。


 オディールの母は、20年前に亡くなっている。


「どういうことだ、オディール」


「存じませんわ」


「君の母君からの手紙だぞ!」


「母は20年前に亡くなっております」


「だからこそ、重大な秘密があるのではないか!」


「でしたら、父へお問い合わせくださいませ」


「君は開封しないのか?」


「宛名は?」


 侍従は手紙を裏返した。


「国王陛下となっております」


「では、国王陛下がお読みになればよろしいでしょう」


「君の母君から届いた手紙なのだぞ!」


「宛先を無視して開封するのは、重大な秘密以前に信書開封罪ではございませんか?」


 侍従が手紙をそっと背中へ隠した。


 セヴランは額を押さえた。


「なぜ君は、これほど重大な出来事を他人事のように扱えるのだ」


「他人宛ての手紙ですので」


 その直後、地下から重い音が響いた。


 ごおおおおお、と、石造りの王宮全体が震える。

 天井から細かな埃が落ち、窓硝子が鳴った。


 コラリーが悲鳴を上げ、セヴランの腕へ縋りつく。


「何だ、今の音は!」


 王宮騎士が駆け込んできた。


「地下礼拝堂です! 封印の間から、巨大な声が!」


「何と言っている!」


「オディール、と」


 再び、全員がオディールを見る。


「聞かなかったことにいたします」


「できるか!」


「地下礼拝堂は神殿の管理下ですわ」


「封印された竜が、君の名を呼んでいるのだぞ!」


「同名の方ではございませんか?」


「オディール・ヴォークレール、とフルネームで呼んでいる!」


「竜に個人情報を教えた者をお調べくださいませ」


「そういう問題ではない!」


「では、どういう問題かを神殿でご確認ください」


 再び地響きが鳴った。


『オディール・ヴォークレールよ。封印の鍵を――』


「お断りいたします」


 地下からの声が止まった。


 しばらくの沈黙の後、竜が困惑したように続けた。


『まだ最後まで言っておらぬ』


「結構ですわ」


『世界の命運が――』


「神殿へお申し出くださいませ」


『我は神代より汝を待ち――』


「お待たせしたままで問題ございません」


 竜は黙った。


 セヴランは震える指でオディールを指した。


「君は、自分が何をしているのか分かっているのか」


「婚約を破棄されたところですわね」


「竜の話だ!」


「婚約破棄の場に地下の竜を呼んだ覚えはございません」


「呼ばれているのは君だ!」


「辞退いたします」


「選ばれし者の役目を辞退できると思うのか!」


「募集要項も職務内容も報酬も提示されておりませんので」


 そのとき、広間の反対側で大きなどよめきが起きた。


 隣国から来賓として招かれていた皇太子が、席を立っていた。

 隣国皇太子ティボーは青ざめた顔で、オディールを見つめている。


「姉上……」


 オディールは一度だけ瞬きをした。


「人違いですわ」


「その目、その髪。間違いない。あなたは、20年前に我が国から失われた――」


「外交部へお問い合わせくださいませ」


「私はあなたの弟だ!」


「わたくしには兄しかおりません」


「王家の記録に、出生直後に行方不明となった皇女がいる!」


「記録管理の不備では?」


「あなたのことだ!」


「現時点では、そちらの主張にすぎませんわ」


「血を調べれば分かる!」


「採血には同意いたしません」


「なぜだ!」


「痛いからですわ」


 ティボーは言葉を失った。


 セヴランが、何かを確信した顔で息を呑む。


「そうか。すべてが繋がった」


「繋げないでくださいませ」


「王家の秘宝が君に反応し、死んだはずの母君から手紙が届き、竜が名を呼び、隣国の皇太子が姉と呼ぶ。君は失われた皇女であり、古代の竜を従える真の王なのだ!」


「違うと思いますわ」


「なぜそう言い切れる!」


「わたくしは先ほどから、何一つ確認しておりませんもの」


「ならば確認しろ!」


「所管外ですので、回答は差し控えさせていただきます」


 そのとき、窓の外が赤く染まった。


 夜空に、巨大な王家の紋章が浮かび上がっている。

 広間の貴族たちが窓辺へ殺到した。


「オディール、あれを見ろ!」


「王立天文台へご連絡くださいませ」


「王家の紋章だぞ!」


「空は王家の所有物ではございませんわ」


「そういう話ではない!」


「では、どういう現象なのか、専門家へご確認くださいませ」


 広間の外から、今度は書類の束を抱えた宮廷官吏が駆け込んできた。


「王太子殿下、大変です!」


「まだ何かあるのか!」


「宮廷会計から、金貨12580枚が消えております!」


 広間の空気が、もう一度凍りついた。


 セヴランがゆっくりとオディールを見る。


「まさか、これも……」


「会計監査院へお申し出くださいませ」


「君は公爵令嬢だろう!」


「公爵令嬢は会計監査院ではございません」


「しかし、すべてが君の周囲で起きている!」


「金貨12580枚が消えた場所は宮廷会計でしょう?」


「そうだ」


「わたくしの周囲ではございませんわね」


 官吏が帳簿を開いた。


「金庫は施錠されておりました。鍵を持つ者は3名。会計長、財務官、それから王太子殿下です」


 今度は全員がセヴランを見た。


「私は知らない!」


「でしたら、会計監査院へご説明くださいませ」


「なぜ君は嬉しそうなのだ!」


「婚約破棄が無事に成立しそうですので」


 オディールは王太子から贈られた指輪を外した。


 近くにいた侍従へ渡す。


「こちらを王太子殿下へお返しします。婚約解消の書類は、後日、公爵家から正式に提出いたします」


「待て!」


「ほかに、わたくしの署名が必要な書類はございますか?」


「今は書類の話をしている場合ではない!」


「では、失礼いたします」


「どこへ行く!」


「帰宅いたします」


「竜は!」


「神殿へ」


「首飾りは!」


「魔術研究院へ」


「失われた皇女は!」


「隣国の外交部へ」


「空の紋章は!」


「王立天文台へ」


「消えた金貨は!」


「会計監査院へ」


「世界の命運は!」


「各国首脳でご協議くださいませ」


 オディールは一礼した。


「その伏線、担当部署へお回しください」


 そして、本当に帰った。




 半年後。


 オディールは公爵領の町で、小さな酒場を開いていた。


 公爵令嬢がなぜ酒場を、と周囲から聞かれたが、本人がやりたかったからである。


 店名は『所管外』。


 果実酒の炭酸割りが評判だった。


「お嬢様、また届いております」


 元侍女のベルタが、銀色の小箱を運んでくる。


「今度は何かしら」


「鍵です。古代文字で、七つの扉を開く者へ、と」


「捨てておいて」


「先週の鍵も捨てましたが」


「同じ場所へ」


 翌週には、古びた書物が届いた。

 最初の頁には、オディールの名前が赤い文字で記されている。


「鍋敷きにちょうどよさそうね」


「呪われませんか?」


「熱い鍋を置けば、呪いのほうが先に参るでしょう」


 また別の日には、白い髭の老人が店へやって来た。

 老人は酒を一口飲み、意味深に微笑んだ。


「ついに、運命の歯車が動き始めたようじゃな」


「追加のご注文でしょうか」


「そなたは己の真の名を知らぬ」


「オディールですわ」


「それは仮の名にすぎぬ」


「では、伝票にはオディールとご記入ください」


「遥か昔、天より降りたる星の民が――」


「閉店まであと30分です」


 老人は急いで煮込みと炭酸割りを追加した。


 店の裏手にある井戸から声が聞こえたこともある。


『時は来た』


 オディールは蓋をした。


『選ばれし者よ』


 蓋の上へ石を置いた。


『七つの謎を解き、王国を救うのだ』


 さらに酒樽を置いた。


 声は聞こえなくなった。


 それでも世界は滅びなかった。


 竜の封印は神殿が修復した。


 聖女の首飾りは魔術研究院が分解し、特定の血筋ではなく、近くにいる者の魔力量へ反応することが判明した。


 ティボーの「姉上」発言については、王家に残る行方不明皇女の記録と、幼くして亡くなった姉の肖像画にオディールの顔が似ていたため、本人が勝手に結びつけていただけだった。


 公爵夫人の手紙は、本人が20年前に書いたもので、友人の保管箱から今になって見つかり、国王へ届けられたものだった。


 金貨12580枚は、セヴランがコラリーのために無断で購入した離宮と宝飾品へ使われていた。


 会計監査院は全額をセヴラン個人の資産から回収した。


 空に浮かんだ王家の紋章については、現在も王立天文台と魔術研究院が共同で調査している。


 世界滅亡の予言には、各国が共同対策本部を設置した。


 専門家たちは忙しそうだったが、オディールが呼び出されることはなかった。


 ある夜、元王太子となったセヴランが酒場へ現れた。


 会計上の不正が明らかとなり、継承権を失ったのである。


「炭酸割りを一杯」


「先払いです」


「私を信用していないのか」


「会計監査院の報告書を拝見しましたので」


 セヴランは黙って代金を置いた。


 オディールは酒と果汁を混ぜ、炭酸水を注いだ。


「君が最初から動いていれば、これほど多くの者が苦労することはなかった」


「そうでしょうか」


「竜の封印、首飾り、亡き母君からの手紙、皇女の疑惑、空の紋章、消えた金貨、滅亡の予言。君が謎を解けば、すぐに終わったはずだ」


 オディールは炭酸割りを差し出した。


「皆様がご自分の仕事をなさっただけでは?」


「君には責任がなかったと言うのか」


「ございませんわ」


「世界の危機だったのだぞ」


「でしたら、世界を運営なさっている方々の仕事でしょう」


 セヴランは炭酸割りを一口飲んだ。


 そのとき、店内が青白い光に包まれた。


 客たちが振り返る。


 オディールの胸元に、見覚えのない紋章が浮かんでいた。


 中心に竜。

 その周囲を七つの星が囲んでいる。


 セヴランが立ち上がった。


「それだ!」


「何がでしょう」


「七つの謎を束ねる紋章! 予言に記されていた最後の証だ! 君こそ、世界の――」


「閉店時間です」


「待て! その紋章が何を意味するのか、君も知りたいだろう!」


 オディールは自分の胸元を見下ろした。


 紋章は確かに光っている。


「いいえ」


「なぜだ!」


「所管外ですので、回答は差し控えさせていただきます」


 オディールは店の灯りを落とした。


 紋章は光ったままだった。


 誰も意味を知らなかった。


 翌日も、酒場は通常どおり営業した。

昨夜、ハイボールを飲みながら1本書いて投稿したあと、なんとなくもう1本作ってみました。


 前作『断罪後の悪役令嬢は、炭酸割りで愚痴をこぼす』で、悪役令嬢が開いた店の名前は『断罪後』。


 今回、オディールが開いた店の名前は『所管外』です。


 伏線をたくさん置いたら、普通は回収しなければならない。


 でも、それを全部「担当部署へお回しください」で返したらどうなるのだろう、と考えた結果、主人公が何もしなくても、神殿も研究院も会計監査院も、自分の仕事をすれば世界は普通に回りました。


 オディールには、翌日も通常どおり営業してもらいました。


 今日はこれから洗濯をしつつ、ハイボールでも飲みます。


 明日は夜勤なので、早起きしなくていいのです。

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― 新着の感想 ―
オディールが複数の長編RPGの主人公すぎて最高でした!
周りを甘やかさず適宜仕事を振る主人公。結果それぞれ解決され、なにも事件が起こらないならそれはそれで素晴らしい! 皇太子の執務を丸投げされる婚約者や王妃の公務を丸投げされる王太子妃など、部下の苦労を思い…
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