何も回収しない悪役令嬢――その伏線、担当部署へお回しください
王太子が婚約破棄を宣言した瞬間、聖女の首飾りが光った。
白銀の鎖に下がった青い宝石が、目を開けていられないほどの光を放つ。
夜会のために集められていた貴族たちが、一斉に息を呑んだ。
「やはり……」
聖女コラリーが胸元を押さえ、震える声で言った。
「この首飾りは、真の王家の血を引く者に反応すると伝えられています」
広間にいた全員が、婚約を破棄されたばかりの公爵令嬢を見た。
オディール・ヴォークレールは、自分へ向けられた視線を確かめた。
「存じませんわ」
「知らないはずがないだろう!」
王太子セヴランが叫んだ。
彼は先ほどまで、オディールが聖女を虐げた罪を並べ立てていた。
もっとも、その内容は、廊下ですれ違った際に挨拶をしなかった、茶会へ招かなかった、聖女が欲しがった髪飾りを譲らなかった、というものだった。
最後の髪飾りについては、オディールの母の形見である。
聖女が欲しがったという理由だけで譲る義務はない。
そのように説明したところ、セヴランはオディールに思いやりがないと判断し、婚約破棄を宣言した。
その直後に、首飾りが光ったのである。
「その宝石は、君に反応したのだぞ!」
「でしたら、魔術研究院へお持ちくださいませ」
「なぜ君に反応したのかと聞いている!」
「宝石の反応につきまして、わたくしに回答を求められましても困りますわ」
オディールはコラリーの首元を見た。
宝石はいまだに光っている。
「返品なさってはいかがでしょう」
「王家の秘宝だぞ!」
「なおさら、わたくしへお尋ねになる案件ではございませんわね」
セヴランが何か言い返そうとした、そのときだった。
広間の扉が勢いよく開いた。
「殿下!」
王宮の侍従が、封蝋の施された手紙を掲げて駆け込んでくる。
「ヴォークレール公爵夫人の名で、国王陛下宛ての手紙が届きました!」
広間が静まり返った。
オディールの母は、20年前に亡くなっている。
「どういうことだ、オディール」
「存じませんわ」
「君の母君からの手紙だぞ!」
「母は20年前に亡くなっております」
「だからこそ、重大な秘密があるのではないか!」
「でしたら、父へお問い合わせくださいませ」
「君は開封しないのか?」
「宛名は?」
侍従は手紙を裏返した。
「国王陛下となっております」
「では、国王陛下がお読みになればよろしいでしょう」
「君の母君から届いた手紙なのだぞ!」
「宛先を無視して開封するのは、重大な秘密以前に信書開封罪ではございませんか?」
侍従が手紙をそっと背中へ隠した。
セヴランは額を押さえた。
「なぜ君は、これほど重大な出来事を他人事のように扱えるのだ」
「他人宛ての手紙ですので」
その直後、地下から重い音が響いた。
ごおおおおお、と、石造りの王宮全体が震える。
天井から細かな埃が落ち、窓硝子が鳴った。
コラリーが悲鳴を上げ、セヴランの腕へ縋りつく。
「何だ、今の音は!」
王宮騎士が駆け込んできた。
「地下礼拝堂です! 封印の間から、巨大な声が!」
「何と言っている!」
「オディール、と」
再び、全員がオディールを見る。
「聞かなかったことにいたします」
「できるか!」
「地下礼拝堂は神殿の管理下ですわ」
「封印された竜が、君の名を呼んでいるのだぞ!」
「同名の方ではございませんか?」
「オディール・ヴォークレール、とフルネームで呼んでいる!」
「竜に個人情報を教えた者をお調べくださいませ」
「そういう問題ではない!」
「では、どういう問題かを神殿でご確認ください」
再び地響きが鳴った。
『オディール・ヴォークレールよ。封印の鍵を――』
「お断りいたします」
地下からの声が止まった。
しばらくの沈黙の後、竜が困惑したように続けた。
『まだ最後まで言っておらぬ』
「結構ですわ」
『世界の命運が――』
「神殿へお申し出くださいませ」
『我は神代より汝を待ち――』
「お待たせしたままで問題ございません」
竜は黙った。
セヴランは震える指でオディールを指した。
「君は、自分が何をしているのか分かっているのか」
「婚約を破棄されたところですわね」
「竜の話だ!」
「婚約破棄の場に地下の竜を呼んだ覚えはございません」
「呼ばれているのは君だ!」
「辞退いたします」
「選ばれし者の役目を辞退できると思うのか!」
「募集要項も職務内容も報酬も提示されておりませんので」
そのとき、広間の反対側で大きなどよめきが起きた。
隣国から来賓として招かれていた皇太子が、席を立っていた。
隣国皇太子ティボーは青ざめた顔で、オディールを見つめている。
「姉上……」
オディールは一度だけ瞬きをした。
「人違いですわ」
「その目、その髪。間違いない。あなたは、20年前に我が国から失われた――」
「外交部へお問い合わせくださいませ」
「私はあなたの弟だ!」
「わたくしには兄しかおりません」
「王家の記録に、出生直後に行方不明となった皇女がいる!」
「記録管理の不備では?」
「あなたのことだ!」
「現時点では、そちらの主張にすぎませんわ」
「血を調べれば分かる!」
「採血には同意いたしません」
「なぜだ!」
「痛いからですわ」
ティボーは言葉を失った。
セヴランが、何かを確信した顔で息を呑む。
「そうか。すべてが繋がった」
「繋げないでくださいませ」
「王家の秘宝が君に反応し、死んだはずの母君から手紙が届き、竜が名を呼び、隣国の皇太子が姉と呼ぶ。君は失われた皇女であり、古代の竜を従える真の王なのだ!」
「違うと思いますわ」
「なぜそう言い切れる!」
「わたくしは先ほどから、何一つ確認しておりませんもの」
「ならば確認しろ!」
「所管外ですので、回答は差し控えさせていただきます」
そのとき、窓の外が赤く染まった。
夜空に、巨大な王家の紋章が浮かび上がっている。
広間の貴族たちが窓辺へ殺到した。
「オディール、あれを見ろ!」
「王立天文台へご連絡くださいませ」
「王家の紋章だぞ!」
「空は王家の所有物ではございませんわ」
「そういう話ではない!」
「では、どういう現象なのか、専門家へご確認くださいませ」
広間の外から、今度は書類の束を抱えた宮廷官吏が駆け込んできた。
「王太子殿下、大変です!」
「まだ何かあるのか!」
「宮廷会計から、金貨12580枚が消えております!」
広間の空気が、もう一度凍りついた。
セヴランがゆっくりとオディールを見る。
「まさか、これも……」
「会計監査院へお申し出くださいませ」
「君は公爵令嬢だろう!」
「公爵令嬢は会計監査院ではございません」
「しかし、すべてが君の周囲で起きている!」
「金貨12580枚が消えた場所は宮廷会計でしょう?」
「そうだ」
「わたくしの周囲ではございませんわね」
官吏が帳簿を開いた。
「金庫は施錠されておりました。鍵を持つ者は3名。会計長、財務官、それから王太子殿下です」
今度は全員がセヴランを見た。
「私は知らない!」
「でしたら、会計監査院へご説明くださいませ」
「なぜ君は嬉しそうなのだ!」
「婚約破棄が無事に成立しそうですので」
オディールは王太子から贈られた指輪を外した。
近くにいた侍従へ渡す。
「こちらを王太子殿下へお返しします。婚約解消の書類は、後日、公爵家から正式に提出いたします」
「待て!」
「ほかに、わたくしの署名が必要な書類はございますか?」
「今は書類の話をしている場合ではない!」
「では、失礼いたします」
「どこへ行く!」
「帰宅いたします」
「竜は!」
「神殿へ」
「首飾りは!」
「魔術研究院へ」
「失われた皇女は!」
「隣国の外交部へ」
「空の紋章は!」
「王立天文台へ」
「消えた金貨は!」
「会計監査院へ」
「世界の命運は!」
「各国首脳でご協議くださいませ」
オディールは一礼した。
「その伏線、担当部署へお回しください」
そして、本当に帰った。
半年後。
オディールは公爵領の町で、小さな酒場を開いていた。
公爵令嬢がなぜ酒場を、と周囲から聞かれたが、本人がやりたかったからである。
店名は『所管外』。
果実酒の炭酸割りが評判だった。
「お嬢様、また届いております」
元侍女のベルタが、銀色の小箱を運んでくる。
「今度は何かしら」
「鍵です。古代文字で、七つの扉を開く者へ、と」
「捨てておいて」
「先週の鍵も捨てましたが」
「同じ場所へ」
翌週には、古びた書物が届いた。
最初の頁には、オディールの名前が赤い文字で記されている。
「鍋敷きにちょうどよさそうね」
「呪われませんか?」
「熱い鍋を置けば、呪いのほうが先に参るでしょう」
また別の日には、白い髭の老人が店へやって来た。
老人は酒を一口飲み、意味深に微笑んだ。
「ついに、運命の歯車が動き始めたようじゃな」
「追加のご注文でしょうか」
「そなたは己の真の名を知らぬ」
「オディールですわ」
「それは仮の名にすぎぬ」
「では、伝票にはオディールとご記入ください」
「遥か昔、天より降りたる星の民が――」
「閉店まであと30分です」
老人は急いで煮込みと炭酸割りを追加した。
店の裏手にある井戸から声が聞こえたこともある。
『時は来た』
オディールは蓋をした。
『選ばれし者よ』
蓋の上へ石を置いた。
『七つの謎を解き、王国を救うのだ』
さらに酒樽を置いた。
声は聞こえなくなった。
それでも世界は滅びなかった。
竜の封印は神殿が修復した。
聖女の首飾りは魔術研究院が分解し、特定の血筋ではなく、近くにいる者の魔力量へ反応することが判明した。
ティボーの「姉上」発言については、王家に残る行方不明皇女の記録と、幼くして亡くなった姉の肖像画にオディールの顔が似ていたため、本人が勝手に結びつけていただけだった。
公爵夫人の手紙は、本人が20年前に書いたもので、友人の保管箱から今になって見つかり、国王へ届けられたものだった。
金貨12580枚は、セヴランがコラリーのために無断で購入した離宮と宝飾品へ使われていた。
会計監査院は全額をセヴラン個人の資産から回収した。
空に浮かんだ王家の紋章については、現在も王立天文台と魔術研究院が共同で調査している。
世界滅亡の予言には、各国が共同対策本部を設置した。
専門家たちは忙しそうだったが、オディールが呼び出されることはなかった。
ある夜、元王太子となったセヴランが酒場へ現れた。
会計上の不正が明らかとなり、継承権を失ったのである。
「炭酸割りを一杯」
「先払いです」
「私を信用していないのか」
「会計監査院の報告書を拝見しましたので」
セヴランは黙って代金を置いた。
オディールは酒と果汁を混ぜ、炭酸水を注いだ。
「君が最初から動いていれば、これほど多くの者が苦労することはなかった」
「そうでしょうか」
「竜の封印、首飾り、亡き母君からの手紙、皇女の疑惑、空の紋章、消えた金貨、滅亡の予言。君が謎を解けば、すぐに終わったはずだ」
オディールは炭酸割りを差し出した。
「皆様がご自分の仕事をなさっただけでは?」
「君には責任がなかったと言うのか」
「ございませんわ」
「世界の危機だったのだぞ」
「でしたら、世界を運営なさっている方々の仕事でしょう」
セヴランは炭酸割りを一口飲んだ。
そのとき、店内が青白い光に包まれた。
客たちが振り返る。
オディールの胸元に、見覚えのない紋章が浮かんでいた。
中心に竜。
その周囲を七つの星が囲んでいる。
セヴランが立ち上がった。
「それだ!」
「何がでしょう」
「七つの謎を束ねる紋章! 予言に記されていた最後の証だ! 君こそ、世界の――」
「閉店時間です」
「待て! その紋章が何を意味するのか、君も知りたいだろう!」
オディールは自分の胸元を見下ろした。
紋章は確かに光っている。
「いいえ」
「なぜだ!」
「所管外ですので、回答は差し控えさせていただきます」
オディールは店の灯りを落とした。
紋章は光ったままだった。
誰も意味を知らなかった。
翌日も、酒場は通常どおり営業した。
昨夜、ハイボールを飲みながら1本書いて投稿したあと、なんとなくもう1本作ってみました。
前作『断罪後の悪役令嬢は、炭酸割りで愚痴をこぼす』で、悪役令嬢が開いた店の名前は『断罪後』。
今回、オディールが開いた店の名前は『所管外』です。
伏線をたくさん置いたら、普通は回収しなければならない。
でも、それを全部「担当部署へお回しください」で返したらどうなるのだろう、と考えた結果、主人公が何もしなくても、神殿も研究院も会計監査院も、自分の仕事をすれば世界は普通に回りました。
オディールには、翌日も通常どおり営業してもらいました。
今日はこれから洗濯をしつつ、ハイボールでも飲みます。
明日は夜勤なので、早起きしなくていいのです。




