無能聖女の幸福
「第三王子シオドア・エルズバーグと、聖女ニーナの婚約を破棄する!」
貴族たちの集う夜会で、そう宣言したのはエルズバーグ国王であった。
聖女とは、本来は土地が貧しいこの王国特有の制度である。
この王国では、代々国民から実りを祈る《大地の乙女》が選ばれる。最もこの王国の魔力と相性が良く、実りを手伝う妖精たちに愛される少女が選ばれるのだ。
この通称が聖女なのである。聖女たちは国宝である宝玉を通じて、王国中に実りを届けるのだ。
王族とは限らずとも、《大地の乙女》は大体は身分の高い男性と婚約するのが常であった。それを国王は、破棄すると宣言したのだった。
いつも通りにニーナをエスコートしていたシオドアは、父である国王の宣言を呆然と聞いた。それから怒りに顔を染めて抗議した。
「そのお話は何度も断ったではありませんか!」
第三王子からの抗議を、国王は全く意に介さなかった。
「第三王子シオドアの新たな婚約者は、ベリンダ・ステイプルズ公爵令嬢とする!」
「お待ちください!」
シオドアの制止に構わず国王に促されたベリンダが、静々とした様子で進み出た。シオドアに近づこうとするのを、シオドアはニーナを連れて遠ざかる。
傷ついたような顔をするベリンダを軽く睨んで、それよりも更に強くシオドアは父国王を睨みつけた。
「ニーナとの婚約破棄など、わたしは納得していません。何度も何度もお伝えしたはずですが、強行するなど陛下は何をお考えか!」
声高らかに非難するシオドアに、国王がくだらなげに鼻を鳴らした。
周りの貴族たちは反応を判断しかねているようであった。
聖女ニーナに与するべきか、公爵令嬢ベリンダに与するべきか、天秤にかけているのである。一部には純粋に気まずげにしている貴族たちもいた。
「ニーナはすでにほとんど魔力を失い、近々聖女を解任予定であると聞いている。聖女ではなくなれば、ニーナはただの平民の娘に過ぎない。第三王子であるシオドアと婚約している意味はない」
「それがどうしたと言うのです」
第三王子は譲らなかった。
「この八年、八年ですよ? 八年、ニーナはこの国に貢献してくれました。ニーナが魔力を失い聖女の称号を失ったとしても、ニーナがこの国のために尽くしてくれた事実は消えません。聖女としての価値を失うからと、あっさりと彼女の今までの努力を無視してうち捨てるおつもりですか」
ここではっきりと、貴族たちの反応が分かれた。心ある貴族はニーナに同情して心を痛め、利益を優先する貴族は公爵令嬢に傾いた。
「聖女ではなくなる平民女が、第三王子と婚約を続けるなどあり得ないと理解しろ!」
「陛下はニーナを平民と繰り返しますが、ニーナはわたしの妃になるために、勉強も頑張ってくれている。聖女の称号を失えばたしかに身分は平民になりますが、そこらの貴族令嬢よりもよほど教養深い少女ですよ。後ろ盾さえ得られれば、身分などどうとでもなります」
そもそも、と第三王子はベリンダを睨めつけた。
「そちらのステイプルズ公爵令嬢も、いきなり出てきてわたしの婚約者として振る舞おうとは何ごとですか。令嬢がみだりに婚約者のいる男性に近づくべきではないと、いつも声高に騒ぎ立てているのはあなた方ではありませんでしたか?」
揶揄するように論われて、ベリンダが顔を赤くした。
「口を慎め、シオドア! こちらのベリンダ嬢は次の聖女であるぞ! 魔力を注ぐべき宝玉に選ばれている、これは決定事項だ!」
聞いたこともない話に、シオドアは思わずニーナを窺った。ニーナも困惑している様子なので、自分の魔力が減退していることは知っていても、次期聖女の話は聞いていなかったのだろう。
ニーナは唇を噛んで、ふとシオドアがこちらを見ていることに気づいて、そっと微笑んだ。
「お捨ておきくださいませ、殿下」
これまでニーナは、シオドアを名前で呼んでいた。シオドアがそれを望んだからである。
だというのに今さら、立場の違いを示すように敬称で呼んで、ニーナはそっとシオドアから遠ざかろうとした。
「わたくしの魔力が失われているのは事実でございます。あちらのステイプルズ公爵令嬢様が次期聖女であるのであれば、彼女こそあなたに相応しいでしょう」
「待って、ニーナ」
それをシオドアは、ちょっと強引に手を掴んで引き留めた。それから父国王に向き直る。
「これまで《大地の乙女》の魔力が途中で失われるなどとは聞いたことがありませんが、起きた以上は受け入れるしかないのでしょう。ですがニーナに起きたことが、そちらのステイプルズ公爵令嬢にも起こらないという保証はない。万が一ですが仮にわたしとステイプルズ公爵令嬢が婚約したとして、そのあとに彼女がニーナと同じように魔力を失ったらどうするおつもりですか?」
「ベリンダ嬢は公爵令嬢だぞ、婚約破棄などするわけないだろう!」
「それでは話が通らない」
いい加減止めようとするニーナをやんわりと押さえ込んで、シオドアは続けた。
「あなたは聖女だからという理由で、元は平民であったニーナとわたしを八年前に婚約させた。いまは同じ理由でニーナとの婚約を破棄させて、ステイプルズ公爵令嬢と婚約させようとしている。だと言うのに、仮にそのあとにステイプルズ公爵令嬢が聖女ではなくなったとしても、身分を理由に婚約を続けさせようとしている。あなたの判断は一貫性がない」
非難されて、国王は怒りに顔を歪めた。
「生意気な、それほど好きな女と結婚したければ、王家から出て行くと良い!」
「はい、そうします」
あまりにもあっさりと頷かれたので、会場の空気が一瞬止まった。隣のニーナも唖然としている。
そのニーナを振り返って、シオドアはわざとらしく可愛い素振りを見せた。
「第三王子じゃなくなったわたしは嫌いかい、ニーナ?」
ニーナはしばらく呆然として、それからぶんぶんと首を振った。
「いいえ、いいえ。あなたは急に貴族社会に放り込まれて途方に暮れていたわたくしを、ずっと気遣って、寄り添い続けてくださいました。あなたとであれば、地獄までも参ります」
「じゃあ、決まりだ」
にっと笑ったシオドアに、ニーナも釣られたように微笑んだ。
笑うどころではないのは周りの貴族たちである。国王がわなわなと震えている。
「ふざけるな、シオドア!」
「ふざけてなどおりません。そもそも、先にわたしに出て行けと言ったのはあなたですよ」
「それではベリンダ嬢はどうなる!」
シオドアはしらっとした視線を向けた。
「わたしに言われても、知りません。そもそも《大地の乙女》が身分の高い男性と婚約するのは、低位貴族や平民出身であることも珍しくない《大地の乙女》を悪意ある権力から守る意味もあります。元が公爵令嬢であるのならば、ご自身が権力をお持ちなのですからステイプルズ公爵令嬢はお好きな男性と婚約されればよろしいでしょう」
すでにシオドアの声は割り切ったもので、清々しくさえあった。シオドアの中ではすでに結論が出て、終わった話なのである。
そういう空気を感じ取ったのか、国王が何ごとかを言おうとした。それよりも早く、シオドアは言いつのった。
「まさか陛下ともあろうお方が、前言を翻すなどあり得ませんよね?」
挑発するような言葉に、苦々しげな顔をした国王は結局、こう言い放ったのだった。
「――お前など王族失格だ、どこへなりと行ってしまえ!」
***
結局そのあと、シオドアは本当に正式に王位継承権を放棄して、聖女の称号を返還したニーナと一緒に王宮を出てしまった。
シオドアは近ごろの国王の強引な態度を警戒していて、もともと乳兄弟や特に親しい配下に少しずつ私財を預けていたらしい。彼らから返された私財を手に、シオドアは王宮どころか王国を出奔するつもりらしかった。
「この王国にいるままでは、仮にも王家直系の血が流れているわたしはおかしなことに担ぎ出されないとも限らないからね」
ちなみに、乳兄弟を中心に何人かの元配下たちもついてくるつもりらしかった。そのことを知って、当のシオドアが微妙な顔をした。
「さすがにもう雇ってやれないぞ」
「大丈夫です、食い扶持くらいは自分で稼ぎます」
そんなことを言っていたのだが、すぐにシオドアは彼らを雇い直すことになる。
シオドアの母方の血筋の繋がりを頼って転がり込んだ帝国で、シオドアはあっさりと高級官僚試験を首席で通過したのである。
ほんの数年でシオドアは地盤を固め、勝手に故国からついてきた元配下たちを手元に呼び戻した。そうやってシオドアは、着実に功績を上げることになる。
一方で、元聖女であるところのニーナにも変化があった。失われたと思っていた魔力が、時間経過とともに戻っていったのである。
何ごとかと思ったシオドアが魔法医術士に診せれば、魔法医術士は言いづらそうに告げた。
「おそらく、魔力減退か魔力封じか、そこらの毒を飲まされていたと思われます。時間経過で毒が抜けたのでしょう」
毒抜きを促す薬を服用したことで、ニーナの魔力は劇的に改善した。
それと同時に、帝国にも影響が出る。食料の生産量が、何もしていないのに一割ほど上がったのである。
「本当に、何もしていないのですけれど」
帝国の調査によって、原因と目された元聖女のニーナは首を傾げた。妖精に愛される人間というのは、ときどき世界に対してこういう影響を齎すのである。
元が強大な帝国の生産量の一割と言えば、王国の国民たちを全て養ってもあまりあるほどである。これによって王国は、食料事情のほとんどを帝国に頼らざるを得なくなったのだった。
その話を聞いて、ニーナは面食らった。
「王国はどうして、わざわざ帝国からそれほど多くの食べものの輸入を?」
もともと帝国の土地とは対照的に、王国の土地は魔力が少なく貧しい。けれど王国には《大地の乙女》がいるので、自分たちで自分たちを十分に養っていけるはずである。
そう問いかければ、シオドアは渋い顔をした。
「そりゃー、王国に恵みを齎す宝玉が機能しなくなったからだろうね。ニーナの次の聖女だと言っていたベリンダ・ステイプルズは、どうにも偽物だったようだよ。宝玉をすり替えて聖女判定の結果を改竄していたようだ」
「えぇー……」
つまりニーナは、自分たちの娘を聖女にしようとしたステイプルズ公爵家の悪巧みに振り回されたことになるのである。ニーナに毒を飲ませていたのも、おそらくはステイプルズ公爵家の手のものであろうと思われた。
「早く新しい《大地の乙女》が現れると良いのですけれど――」
「そうだね。一説には王国が本当に窮地に陥ったとき、国中の花の開花とともに《大地の乙女》が生まれることがあるという。もう何百年もそんなことは起きていないから、そんな奇跡が本当に起きるかは知らないけれど」
ニーナはごく素朴に、エルズバーグ王国を心配していた。けれど、聖女として自分が戻るとは言わなかった。
これはニーナの表情を見る限りは無意識で、おそらくは毒を飲まされていたことが本人にとってよほど心的外傷になっているのだと思われた。
相槌を打ったシオドアはもちろんそんなニーナに気づいていたけれど、何も言わなかった。手元では、王国から届いたニーナに戻って欲しいという嘆願書が文字通り握りつぶされていた。
シオドアは王国が憎いわけではないので、王国が素直に頭を下げるのであればニーナに話を通していた可能性もあった。
けれど王国は、嘆願書を送るよりも先に、ニーナを無理やり取り戻そうとして刺客を送り込んできているのである。
ニーナを攫おうとしたのに、妖精たちに愛されるニーナに帝国がつけた護衛たちに阻まれて失敗したから、王国は仕方なく嘆願書を送ってきたのだ。数年前の自分たちの判断が誤りであったと、認められないのである。
シオドアは王国が憎いわけではなかった。けれどそれ以上に、多少の道理であればねじ曲げてしまえるくらいに、ニーナを愛しているだけなのである。
「まぁ、王国が本当に干上がるわけじゃない。しばらくは帝国の靴を舐めるような気持ちを味わうハメになるかも知れないけれど、帝国も別に王国を締め上げるつもりはない。それこそ本当に、近々新しい《大地の乙女》が生まれる可能性もあるしね」
そう宥めてやれば、ニーナはほっとした顔をした。
シオドアは微笑みながら、暖炉に王国からの嘆願書を放り込んだ。どうでも良いメモなどを暖炉の火に放り込んでしまうのはたまにあることなので、これはニーナにとって珍しい光景ではなかった。
実のところシオドアは、帝国から伯爵位の叙爵を打診されていた。これはシオドアの功績というよりも、シオドアの現状恋人であるニーナを守るための措置であることを、シオドアはよく理解していた。
シオドアは帝国からの打診を受けるつもりでいる。ニーナを守るための手段は、多ければ多いほど良いからだ。
「ねぇ、ニーナ。ちょっと嬉しいお知らせができるかも知れないんだ」
きょとんとして、ニーナは首を傾げた。人びとからの悪意で無意識に傷ついた、けれど変わらず善良なニーナが愛おしくて、シオドアは微笑んだ。
「だから今度時間をちょうだい、大切なお話をしよう」
ニーナはすぐに頷いた。シオドアから悪い話をされるとは、微塵も疑っていないのである。
すでに用意してある指輪や予約してある花束を思い浮かべて、ちょっと渇いた喉を紅茶で潤わせて、シオドアはそっとニーナの細い指を握った。
「大好きだよ、ずっと一緒にいようね」
それはもう嬉しそうに笑って、ニーナは頬を染めたのだった。
もともと王子と聖女が婚約していて、能力を失った/能力を低く見積もられた聖女を追い出してざまぁされるバカ王子の話はよく見かけますが、観測範囲ではこのパターン見たことない気がするなーって思いついたので書きました
これたぶんなろう読者だと第三王子の行動が気に入らないひとが多い気がするのですが、わたしは愛する女のためならちょっとくらい馬鹿になる男のほうが好きなのでね、、第三王子には馬鹿になって貰います
たとえば『かえるの王さま』なら、ぱっと思いつくだけでも王子さまがカエルから人間に戻るためにはお姫さまからキスをされる/火あぶりにされる/壁に叩きつけられる、っていくつかのパターンがありますよね。皮を剥がれるってパターンもありましたっけ、なかった??
わたしはなろう小説を、こういうパターン分けを増やすような気持ちで書いているので、新しいパターンを思いつくとちょっと嬉しくなってしまいますね。パズルを解くような気持ちでいるのかも知れません
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