第二章:激戦に軋む銀甲
##第二章:激戦に軋む銀甲##
開戦から数ヶ月。戦況は当初、アルビオン王国による一方的な圧勝に思われた。
「銀閃」の異名で知られるセレスティーナの用兵は、まさに神懸かっていた。
彼女が愛馬と共に最前線を駆けるだけで、グレイシア軍の防衛線は紙細工のように崩れ去り、国境線は敵領深くへと押し込まれていった。
だが、その鮮烈すぎた勝利こそが、破滅への引き金となってしまう。
「進め! 王都を焼き払い、余の武威を大陸に知らしめよ!」
王座で気炎を吐く国王の瞳は、際限のない功名心と欲に濁りきっていた。
前線からの悲鳴のような報告など目に入っていない。
補給線は限界を超え、これ以上の進軍は自滅行為だというセレスティーナの冷徹な進言も、勝利に酔いしれる王都の喧騒にかき消された。
無理に引き延ばされた補給路は機能不全に陥り、最前線の兵士たちからは休息も糧食も奪われていく。疲弊しきった軍が、泥を噛むように足を止めたその瞬間。
潜んでいた飢えた獣たちが、一斉に牙を剥いた。
「報告! 東よりカルヴァニア連合軍接近! 数はおよそ五万!」
「西の自由都市同盟も離反! 我が国に対し、正式に宣戦を布告しました!」
司令部の天幕に飛び込んできたのは、断末魔のような報せだった。
アルビオンの急激な膨張を恐れた周辺諸国が、水面下で「セレスティーナ包囲網」を完成させていたのだ。地図上の駒は、瞬く間に敵の色へと塗り替えられていく。
戦線は数倍に広がり、逃げ場を失ったアルビオン軍は、巨大な死地へと追い詰められた。
「総員、怯むな! 私がここにいる! 私と共に、この地獄を食い止めるのだ!」
セレスティーナの声が、ひび割れた喉から荒々しく響く。
かつて陽光を弾いて輝いていた白銀の甲冑は、いまや返り血と泥にまみれ、鈍い鉄の色に変色していた。乱戦の中で兜を失い、プラチナブロンドの髪は汗と砂埃で重く固まり、白い頬に無惨に張り付いている。
端整な顔立ちは極限までやつれ、冷徹な瞳の下には、不眠不休の代償である深い隈が刻まれていた。食事など、泥水をすすり、鞍の上で数分の意識を失うだけの地獄には存在しない。
密閉された装甲の下、薄いアンダースーツに包まれた肉体は、自身の汗と熱気で蒸れ、濃厚な女の香りを放っていた。
激しい騎乗で内腿の皮は剥け、布地と触れ合うたびに焼けるような激痛が走る。身体に合わせて打たれたはずの胸甲さえも、張り詰めた胸を容赦なく圧迫し、呼吸のたびに肋骨を軋ませていた。
それらすべての不快感と痛覚を、彼女は鋼の精神力だけでねじ伏せ、剣を振るい続ける。
だが、個人の武勇で覆すには、押し寄せる悪意はあまりに巨大だった。
彼女が東を支えれば、西が崩壊する。西へ走れば、中央が食い破られる。
敵将たちはもはや、正面から「銀閃」と刃を交える愚は犯さない。
手負いの獣をいたぶる狩人のように、彼女がいない場所だけを執拗に蹂躙し、その心と兵力を確実に削り取っていく。
「将軍……もう、限界です……っ!」
部下の絶望を聞くたび、セレスティーナの顔が苦痛に歪む。
かつて勝利をもたらした戦場の華は、いまや瓦解する王国をたった一人で背負う、悲痛な生贄でしかなかった。
そして、致命的な瞬間が訪れる。防衛ラインが完全に寸断されたのだ。
地平線を埋め尽くす敵軍。彼らの眼差しに、もはや騎士道などという慈悲はない。
あるのは、高潔な英雄を屈服させ、その肢体を弄びたいという、ドロドロとした暗い欲望だけだった。
「銀閃を殺すな! 生け捕りにしろ! 傷一つ付けるな!」
その号令が、戦場の空気を変質させた。
突き刺さる無数の視線は、もはや彼女を恐るべき将軍としては見ていない。
鎧を剥ぎ取り、そのプライドを徹底的に蹂躙するための、極上の「獲物」として値踏みしていた。
「ああ……アレクシス……」
燃え上がる砦を背に、セレスティーナは王都の方角――愛する息子がいる空を見つめ、絶望的な吐息を漏らした。
敗北は確定した。
残されているのは、名誉ある撤退ではない。
ただ、愛する息子のもとへ生きて帰り着くためだけの、泥沼の逃走劇だった。




