第一章 ドロップリング
藍色の空、星のない夜のこと。
大陸の端にある国、マーヴの城下町はランプを灯し、人々が道を行き交っていた。
一日の労働をおえた国民はどこで晩飯を食べようか屋台や酒屋を覗く。
城下町を見下ろすように、丘の上に城がそびえたっていた。城は静寂していた。夜風の音が響くほど。
城下町の人間は静かな城を気にしていない。芳春の夜の、いつもの光景だからだ。
門前の橋の下を川が静かに流れていた。網の袋に入った果物が水の中でごろごろ動く。
橋の上で呻き声がした。
布で口を塞がれた男はやがて絶命した。マントを羽織った人影は、死んだ男の手元を漁っていたが、やがて諦めたように男を担いだ。橋から離れるときに指輪が落ちる。
指輪は誰にも気づかれず、橋の隅へ転がっていった。
王宮は中庭を囲うようにして造られていた。中庭は薄暗くどこか寂しい。
中庭に面している廊下を小走りする一派がいる。先頭を切るのはドレスの裾をつまんだ少女だ。腰まである金色の髪を揺らし、息を切らしながら走っていた。
少女を追うように二人のメイドが続いている。
「イレネ様、お待ちください」
メイドの一人が息を切らしながら叫ぶ。イレネは走る速度を緩めないまま振り返った。
幼い顔立ちに、勝気なピンク色の瞳が印象的だ。少女はこの国の、わずか十歳の第二王女であった。
「無理よ、大臣のつまらない話のせいで予定がずれてしまったもの」
普段なら昼に講義を受け、夕食後は私室でのんびりするのがイレネの日課だ。
しかし先週から第一王子が妻の里帰りに付き添っているため、第一王子の業務が第一王女へ、第一王女の業務が第二王子へ、そして第二王子の業務が第二王女に割り振られたのだ。
講義の時間外に業務をするしかなく、このあとも寝るまで予定が詰まっていた。
「ああもう!私もフィリップ兄様みたいにあしらいができれば……」
忙しいときに限って面倒な人につかまる。大臣が第二王女から第二王子の業務を聞き出そうとしてきたが言うわけない。
そもそも、騎士団と調査団を兼任している王子からもらう仕事は重要なものを避けて割り振られているのだ。そんなこともわからない大臣を、第二王女は穏便にあしらった。
目的の建物が中庭の向こうに見えた。イレネは無言で目的地と手前の庭を眺める。
「…………」
「イレネ様?なにをお考えで?」
「幼いころに中庭を横断して怒られたわ。でもね、今ここに怒る人はいない」
ついてきて、と後ろに向かって叫び、中庭に降り立った。ドレスの裾がふわりと舞う。
メイド達は少し躊躇したあと、主に続くことにした。
中庭は暗く、足元のランプが頼りだった。涼しい水の音が聞こえたと思ったら噴水が現れる。水は藍色の空を背景に弧を描いていた。その噴水の奥から、黒い人影がみえた。
見回りの兵士かと思い一同は立ち止まる。
(見つかっちゃった。リアムとシャミーに怒られる)
イレネは自身に仕える執事と騎士を思い出した。二人がそばにいないのは入れ違いで姫をお迎えにあがっているからだ。
当の本人は迎えを待つ時間さえ惜しいと伝令を残して出てきてしまった。あとで怒られるだろうなぁと苦い顔をする。
姫の前にメイド達が立ち塞がった。
人影は、兵士の制服ではなく黒いマントを羽織っている。
「所属と名を答えよ」
メイドの声色は固かった。黒いマントは質問に答えず、ゆらりと揺れた。
「ぐっ」
「マリー!」
片方のメイドが前のめりに倒れる。黒いマント……刺客は剣を握っていた。切っ先から血が垂れ、刃が怯える少女の顔を映す。
「お逃げください!」
もう一人のメイドが姫の背を押した。次の瞬間、メイドは背を切られ倒れる。
「ララ!」
刺客が剣を振り上げる。イレネは弾かれたように走り出した。
芝生は柔らかく足がもつれそうだ。すぐに追いつかれ、肩を掴まれる。
(だれか、だれか……!)
頭に浮かんだのは、騎士服をまとう華奢な背中。
「シャミー!」
叫び声と共に空から人が降ってきた。猫のように着地したのは、騎士の装いをした少女だ。星色の短髪をなびかせて黒いマントを切る。
刺客は騎士の剣をはじいた。向かい合ったところで「中庭で襲撃だ!誰か!」と騎士が叫ぶ。すぐさま廊下から兵士たちが駆けつける音がした。刺客は身をひるがえして逃げ出す。
「追ってください!」
兵士が数人、刺客を追う。騎士は剣を収めると主の前に跪いた。
「姫、お待たせして申し訳ございません。お怪我はありませんか?」
騎士が夜空と同じ色の瞳を姫に向ける。
「私よりも、マリーとララが!」
倒れたメイド達は、すでに兵士が救護室へ運ぼうとしているところだった。
「お二人とも息はあります!」
兵士の報告にイレネは安堵の息を漏らす。
「姫、とりあえず私室へ戻りましょう」
「シャミー、腰が抜けてしまって立てないわ」
シャミーと呼ばれた騎士はイレネを抱っこした。イレネはシャミーの肩へ手をかける。
「重たくないかしら?」
「重くないです。もう少し食べてもいいくらい」
ふふ、とイレネが安心したように笑った。そんな二人に向かって伸びる手がある。
「持ちましょうか」
手を伸ばしてきた男性をシャミーは冷たい目で見上げた。
「お前……今までどこにいた」
「非戦闘員ですので物陰に隠れていました。足を引っ張りたくないですからね」
そう言って片手を胸にあてた男は執事服を身に着けていた。肩まである赤髪を後ろで縛り、灰色の瞳をしている。恐ろしく顔が整っているが、浮かべた笑みはどこか嘘っぽい。
「リアム、非戦闘員でもできることはあるわ。そもそも私をモノみたいに言わないで」
イレネの言葉に、リアムと呼ばれた執事は胸を叩いた。
「すでに城の出入り口は封鎖してあります。ネズミ一匹通しません」
いつの間にか指示を出していたらしい。
中庭を出入りする兵士が増え、騎士も出てきた。ランプがあちこちに灯される。
「任せていいか」
シャミーはイレネをリアムに渡した。そして「私も犯人を追う」と宣言して走り出した。
道行く使用人に「犯人はどこへ向かったか」と聞きながら走る。
廊下に入り、地下に降り、地上に出て、やがて人が多く集まっている部屋に辿りついた。
「ここは……」
シャミーが辿り着いたのは第三調理場だった。
第一や第二がメインの料理を作り、第三が煮込みや明日以降の下ごしらえを作るのだ。
「失礼する」
人混みをかき分けて入ると、コックの隣に三人の人物がいた。
三人の前に槍をもった兵士がいる。
「なにがあった」
「やや、シャミー嬢ではないですか。実はですね……」
城内に侵入した刺客は、追手から逃れようと第三調理場へ逃げこんだらしい。
「角を曲がるたびに黒いマントを視界に入れておりました。最後の角を曲がったとき、黒い
マントはなく代わりに二人の人物が走っておりました」
「二人の人物?」
「はい。二人は先を争うように調理場へ入りました。我々が踏み入れると、コックとメイド、 そして庭師と文官がいました」
コック曰くメイドは少し前から調理場に来ていたので、走っていたのは庭師と文官ということになる。
シャミーはメイドを一瞥して驚いた。無表情で俯く彼女は第一王女のメイドだ。
漆黒の瞳と髪をもつ彼女は東の国出身だと聞いたことがある。
(王族つきのメイドが下ごしらえ用の調理場に来るなんてありえない。だから足止めしたということか)
「黒いマントはどこに?」
「逃げている途中で窓から放り投げたようです」
兵士はシャミーにマントを見せるだけで渡さなかった。このあと現場へやってくる調査団が持っていくからだ。
三人の取り調べは調査団が行うことになり、シャミーはイレネの私室へ向かった。
歩きながら事件の瞬間を思い出す。姫を迎えにいくとき、二階の窓からみえた刃の光。あと一歩遅かったら殺されていたかもしれない。
勝手に移動したイレネが悪くても、結果的に危険な目に合わせた自分が情けない。
「失礼します」
王族の住まう区間に入り、イレネの私室へ入った。花柄のモダンでまとめた部屋のなかで泣き声がした。小さな主が、ソファに座った状態で泣いていた。
イレネの前に跪いているリアムは、こちらに背を向けているため表情がわからない。
「姫……お守りできず申し訳ございません」
シャミーの謝罪に、リアムは振り向かずに答える。
「私が厳しく叱ったのです。今回はあなたが間に合ったものの、下手したら死んでいたかも しれません」
いつも薄ら笑いを浮かべているリアムは真剣そのものの声だ。
泣き声がしゃっくりだけになるまで二人は傍にいた。リアムは立ち上がり、シャミーに視線で出るよう促す。
入れ替わるようにして、紅茶を持ったメイドが入室する。見知らぬメイドだがリアムが「顔見知りの者です」と言うからには黙って下がることにした。
「それで、犯人はどうなりましたか?」
私室近くにある控室に入ると、執事はソファに座った。
控室には質素なソファとテーブル、本が積んである仕事机がある。王族が私室でプライベートな時間を過ごしているあいだ、側近はこの部屋で待機するのだ。
リアムは襟元を緩める。口調は変わらないが雰囲気が柔らかくなった。
「兵士たちが怪しい人物を三人捕まえた。今頃調査団に引き渡しているだろう」
「調査団ですか」とリアムがうんざりした顔をする。騎士団と調査団は別の組織で、警備を行うのが騎士団であり、事件があれば動くのが調査団だ。
表向きは均衡を保っているが、実際は貴族出身が多い調査団のほうが強い。
シャミーは向かいに座り、事のあらましを説明した。
「面倒なことになりました。あなたは怪我していませんか?二階から飛び降りましたけど」
「ああ、着地が上手くいったから大丈夫だ」
シャミーの脳裏にまたフラッシュバックする。中庭で見つけた幼い主と光る刃。
窓の淵に足をかけ、飛び降りる直前。視界の端に写ったのはリアムの手だった。白くて大きな手に血管が浮き出て、手刀のような形になっていた。
昔、団長が言っていた、暗殺者の使う技に似ていたことを今になって思い出す。
(まさかな……)
リアムを見上げると、胡散臭い笑顔を向けられた。
「今夜はゆっくり寝られるよう、紅茶を入れましょうか?」
「紅茶を飲む習慣はない」
「つれないですね」
シャミーは窓の外をみた。星がみえない夜は暗かった。
マーヴという国は、右向きの魚の形をした大陸の口の部分にある。
そのため周辺国から「フィッシュ・マウス」といわれていた。
マーヴは大陸側の上と下にそれぞれの大国と隣接し、それ以外は海に面している。
口の先に群島があり、これらは「エサの島」といわれている。群島を代表するミル族の娘が第一王子の妃だった。
第一王子夫妻が群島に出かけているあいだに起こった未姫の暗殺未遂。
マーヴ城は昨夜から不安に包まれていた。
次の日。朝日が昇る時間帯にシャミーは現場を訪れていた。
メイド達の血は掃除され、静かな庭に戻っている。
なにか落ちていないか庭を往復していると複数の足音が聞こえてきた。
廊下を歩くのは、髪色も瞳もイレネによく似た女性だ。彼女より年がはるかに上で気品がある。女性は後ろに騎士を数人引き連れ、優雅に歩いていた。
「キャロル王女殿下、おはようございます」
シャミーは片膝をついて挨拶をした。第一王女はシャミーに気づくと足を止めた。
「おはよう」と赤い唇が弧を描く。
「昨夜は大変だったようね。妹の様子はどうなの?」
「取り乱しておりましたが、寝る前には落ち着きを取り戻しました」
「それは良かったわ。妹の見舞いに行きたいからついてきてくれる?」
シャミーはこのあとイレネの部屋へ行くつもりだった。断る理由がなく、集団の先頭にいる騎士と並ぶ。
キャロルの専属護衛騎士バートは、メガネの奥からシャミーを睨んだ。バートの体格は騎士にしてはがっしりしていないので鎧を着ていないと文官に間違われる。
シャミーは動きやすい騎士服を好むが、バートは厚めの鎧を身につけていた。
「おい。昨日捕えられた被疑者のなかにうちのメイドがいる。はやく釈放しろ」
「管轄が違うので私の一存ではどうにもできません。調査団に言ってください」
バートは舌打ちをした。これで国一の腕前だから見かけによらない。
会話はキャロルに聞こえているはずだが、彼女は振り向かずに歩いていた。
イレネの部屋に入ると、ちょうど朝食が下げられたところだった。シャミーは夜間担当の騎士と代わり、イレネに朝の挨拶をする。
「姫、おはようございます。調子はいかがですか?」
「おはようシャミー、もう大丈夫よ。それよりも犯人ってどうなったのかしら」
姫は元気よく腕を回して答えた。片される食器になにも残っておらず、リアムはイレネの好きなオレンジジュースをグラスに注いでいる。
「犯人はまだ拘束中です」
「そうなのね。あら?後ろにいらっしゃるのはお姉様ではありませんか!」
イレネはシャミーの後ろにいる姉に気がつき、勢いよく立ち上がった。
リアムに咳払いされ、思い出したようにカーテシーをする。キャロルは優雅に微笑んだ。
「元気そうで良かったわ。あとでパンプキンパイを運ばせましょう」
「ありがとうございます。私の好きなパイを覚えていたのですね」
嬉しそうな妹をキャロルは腕組みをしながら見下ろした。
「ところで、私のメイドを返してもらえるかしら?」
「え?」
「失礼、お話しの割り込みをします」
リアムが一歩前へ出た。
「王女殿下のメイドの身柄は調査団のものです」
「察しが悪いわね。あなたのほうから調査団に言うの。私が言っても身内贔屓にしか聞こえ ないもの」
「申し訳ございませんができません」
バートが剣に手をかけた。つられてシャミーも身構える。
キャロルはリアムを観察していたが、やがて息を吐いた。
「わかったわ、私のメイドが妹を殺すわけがないから。真犯人が判明したらすぐ返してね。ただし拷問や脅迫は駄目よ」
どうやら私は暗殺の命令を出していない、とアピールするために来たようだ。
それだけ言うとキャロルは騎士たちを連れて出て行ってしまった。
「姫、オレンジジュースをどうぞ」
あっけにとられるイレネに、リアムはグラスを握らせる。
「……私だってお姉様を疑いたくないもん」
イレネは口を尖らせたあと勢いよく飲んだ。そしてダンッと勢いよくグラスを置く。
「姫」
「決めた。あなたが犯人を探し出して」
指を指されたリアムは笑顔のまま固まった。
「シャミーを助手につけるから」
次に指を指されたのはシャミーだ。
シャミーは言葉を失い、何度か口を開閉してやっと「いけません!」と叫ぶ。
「そうですよ、人に指を向けてはいけません」といつも通りの執事を無視し、シャミーは主に詰め寄った。
「私とリアムが離れたら誰が姫をお守りするのですか!ただでさえ側近が少ないのに!」
未姫の配下はシャミーとリアムのほかにマリーとララしかいない。リアムが昨夜のうちに信用のおける使用人を連れてきたが、それでも人員が少ない。
「そのことだけど……フィリップ兄様から護衛を借りられないかしら」
「確かに彼の紹介なら身元がきちんとした人が来るかもしれません。顔が広いですので」
第二王子であるフィリップは四兄弟で唯一の父親似で豪快なイメージがある。リアムは納得した様子だが、シャミーは首を振った。
「私は残ります。執事の代わりに身の回りの世話もさせてください。姫は屈強な男性が苦手でしょう」
「増員されたメイドがいるから大丈夫よ。それよりリアム一人のほうが心配だわ。シャミー が付き添ってくれたら助かるけれど、どうかしら?」
「どういう意味ですか?」
姫はリアムを無視し、シャミーを期待のこもった目で見上げた。シャミーはその瞳に弱い。
「……かしこまりました」
「ありがとうシャミー!」
抱きつくイレネを抱き返し、シャミーはリアムを盗み見た。
彼の鉄壁スマイルは感情が読み取れない。
イレネをマナー講師のもとへ送ったあと二人は調査団へ向かった。
王宮の敷地内に建てられたゴシック調の塔が調査団の屯所だ。なんでもアスプ国に影響を受けて昨年建て直したらしい。
鉄製のアーチをくぐり、天井にある煌びやかなステンドグラスに辟易する。ここに比べれば騎士団の屯所なんて馬小屋のようなものだ。
尋問室は地下にあるためカーテンの奥にある階段を降りることにした。
シャミーはリアムの揺れる毛先を目で追った。
「本当に私たちで犯人を捕まえるのか?」
「もちろんです。腕に自信がないようですね」
「そんなことはない。物理的じゃなくて、どうやって三人の中から犯人を見つけ出すんだ」
リアムが急に止まって振り向いた。シャミーは転びそうになり、あわてて壁に手をついた。
「急に止まるな」
「私に任せてください」
リアムの目は真剣だった。シャミーがなにか言う前に彼はまた降り始める。
シャミーは首をひねりながらついていった。
地下に着くと、鉄格子がはめられた丸窓が並んでいる。シャミーが空いている部屋を覗くと真っ暗だ。この小さな部屋が尋問室らしい。壁にあるランプが唯一の光源だった。
話が通っているため、調査団の一人が待っていた。
彼の案内で光のある部屋に入るとメイドが姿勢よく座っている。
「メイドのエリンさんですね。お久しぶりです」
エリンはリアムに目を向けた。エリンという名は珍しい。
彼女の祖母は東の国出身だ。キャロルは東の国に興味があり、祖母を城に招待しているうちにエリンをメイドとして雇ったのだ。
「まさかあなたたちが尋問するとはね。イレネ様の側近はクビになったのかしら」
キャロットの陰にいる大人しいメイドという印象だったので、開口一番に皮肉を言われてシャミーは面食らう。バート同様、メイドもいい性格をしているようだ。リアムは気にせず椅子に座り、シャミーにも座るよう促した。
シャミーは断り、退路を確保するため立っていることにした。廊下にいる見張りがエリンとグルの可能性もある。
「もう何度も話したと思いますが、昨夜の行動について話してください」
「いいわ。何度も話しているうちに私のなかで整理できたから」
エリンは昨夜、私室に仕事を持ち帰ってきたキャロルのために夜食を取りにいった。
キャロルは公務が忙しく、ろくに食事がとれていない。さらに減量中のため第一調理場と第二調理場に料理の量を少なくするよう伝えていた。
エリンは主の体調を心配し、第三調理場に直接行ってあり合わせを貰おうとしたのだ。
「軽食の内容は?」
「サンドイッチよ。片手で食べられるように」
「サンドイッチの具は?」
「牛肉の煮込み。それぐらいしかパンに挟めそうなものはなかった。おかげでパンに汁が染みちゃったけど」
ふむ、とリアムは頷く。
エリンは時間になったので第三調理場へ向かった。
途中、使用人とすれ違って挨拶をしたアリバイがある。
「コックは了承し、パンを切り始めた。私はキッチンの椅子に座って待つことにした」
できあがったサンドイッチをもらおうとしたところ、文官と庭師が飛び込んできた。
エリンの言っていることが本当なら怪しいのは文官と庭師になる。
「調理場まで向かうときにすれ違った使用人を教えてください」
エリンは複数人の名前を答えた。メモをとるリアムを見て、シャミーはあとで確認するのだろうと思った。
「私は無実。仮に未姫様を狙うとしたら、足のつかない暗殺者を雇うと思うけど?」
「まだわかりませんので」
それからエリンはキャロルの心配をした。自分が捕まったことで、第一王女が企てた暗殺だと思われていないか危惧しているらしい。
「犯人ではなさそうだ」
エリンのいた部屋を出てからシャミーは言った。
リアムはそれに答えず、隣の部屋へ向かう。
次は文官だ。彼は青白い顔色で二人を出迎えた。体格は細く、長い手足を持て余している。
「所属と名前は?」
例によってリアムが座り、シャミーが後ろで待機する。
「僕は書庫管理を担当しております、ジャック・フィッシャーと申します」
文官は小声で答え、リアムとシャミーを見比べる。
「ジャックですね、よろしくお願いします。私は第二王女付きの執事でリアムと申します。彼女は護衛騎士のシャミー」
シャミーは複雑な思いだった。護衛騎士なのに護衛対象から離れるなんて。リアムについてあげて、というイレネの言葉を思い出す。
そうだ、今はリアムが護衛対象だ。シャミーは背筋を伸ばした。
ジャックもメイド同様、すらすらと話し始めた。
昨夜、彼は仕事を終えると城下町にいき、行きつけの酒屋で飲んでいた。飲み屋に通うのが彼の日課だった。常連と一緒にたくさん飲み、ほろ酔い気分で帰路につく。ジャックは城の敷地内にある独身寮に住んでいた。
城門を通りかかったとき、ある人物と出会った。
「第二王子ですか?」
ジャックが言った言葉をリアムは聞き返す。
「はい、第二王子殿下に間違いありません。殿下に酒を私室へ持ってくるよう言われました。 面識はありません。丁度通りかかったので声をかけたのでしょう」
文官は急いで近くの第三調理場へ向かうことにした。書庫管理は王族とほとんど関わりがないため話すだけでも緊張した、と彼は汗を拭いながら言う。
庭師と合流したのは道中のことだ。
「庭師とも面識はありません。ただ、途中から彼も調理場へ向かっているんだなと思いました。あの廊下の先は第三調理場しかありませんから」
後ろが騒々しいことに気づいていたが、まさか自分たちを追っているとは思わなかった。振り向く前に辿りつき、キッチンへ飛び込んだら兵士達も続いてきたので驚いたそうだ。
「酒屋は誰かと?」
「いつも一人で行きます。一人で行っても結局常連の誰かと飲むことになります。昨日も大勢で飲みましたよ」
文官が期待をこめた眼差しをむける。常連に確認してほしいと訴えているのだ。
それにしても、とシャミーは文官を観察する。細くて弱そうな彼が酒豪とは人は見た目によらない。リアムはいくつか質問をして早々に切り上げた。
最後は庭師だ。
庭師は顔の下半分が白ひげで覆われているおじいさんだ。テーブルの上で手を組み、青い目をこちらに向けている。
シャミーは何度か庭で見かけたことがあった。庭師のほうもリアムやシャミーの顔を覚えているのだろう。自己紹介を省いて昨夜の出来事を語りだした。
王宮お抱えの庭師は十人いる。そのなかで最も古くからいる彼は、いつも最後まで残って仕事をしていた。
「失礼ですが、ご家族は?」
「家内は十年前に亡くしました。子もおらず、城下町で一人暮らしをしています」
リアムは続けて質問をする。
「昨夜はなにをしていましたか?」
「ベリーを収穫していました。もちろん見回り兵士に許可を得ています」
おじいさんは年齢のわりにしっかりと受け答えができている。
「第一王子が明日の早朝……ではなく今日の早朝に帰城するようなので、朝食用にベリーを狩っていました。ベリーで作ったジャムがお好きなのです」
庭師はベリーを取り終わったあと夜のうちに煮込んでもらおうと第三調理場へ向かった。途中、後ろから大勢の兵士が走ってきたので、怖くなって調理場へ逃げ込もうとしたのだ。
「わしは走りが遅く、調理場に入るころには追いつかれました。それでも籠のなかのベリーは死守しましたがね」
おじいさんはへへへ、と笑う。
「第一王子が今日帰ってくると誰に聞きました?」
シャミーは明日帰ってくると聞いていた。リアムも同様だろう。
おじいさんの話が本当なら、第一王子は暗殺前に予定変更したこととなる。
「へぇ、わしはずっと庭にいるもので色々な人の立ち話が聞こえますゆえ。ベリーのジャムはわしのお節介です」
「失礼。あなたはどこの庭のベリーを取りましたか?」
「中庭の横の果実園です」
果実園は姫の襲われた現場に近い。
「怪しい人を見ませんでしたか?」
おじいさんは首を振った。
「昨夜は月がなくて暗かったです。手探りでベリーを取っていたから周囲までは見ていません」
「そうですか、ありがとうございます」
赤いベリーのジャムはイレネも気に入っていた。今朝の朝食メニューにもあったはずだ。ジャムのストックはあったはずなのに、なぜ庭師は夜にベリーを狩っていたのだろうか。
塔を出て、リアムはやっと口を開いた。
「シャミー、気づきましたか?」
「え?」
「三人の容疑者は全員王族と関わっています」
メイドは第一王女の軽食を取りに。
文官は第二王子の酒を取りに。
庭師は第一王子の朝食のために。
ふわりと舞った風がシャミーの前髪を揺らした。
「まさか兄弟に狙われたとでも?」
「断言できません。慎重に調べましょう」
風はだんだん強くなる。気候が暖かくなるにつれ、東から風が吹くのだ。
「目が開けられないな」
シャミーは薄目を諦め、目をつむった。風が去るのを待つ。
ふいに鼻がつままれた。
「ぶっ!」
つまめる人物は一人しかいない。怒ろうとして目を開きたくても開けない。
「口も閉じて。嫌な臭いがする」
いつもより低い声が耳元で聞こえた。
シャミーは小さく頷いた。唯一使える耳は風の音しか拾わない。
もう息が続かない、と思ったところで手を離される。
「げほっ、だからっていきなり鼻をつまむな!」
シャミーは滲んだ視界でリアムを睨んだ。リアムはというと、風上を見据えている。
「風にのって嫌な臭いがしました。……人の燃える匂いです」
「死体か?でも今回の暗殺は未遂だから死者は出ていないはずだ」
シャミーの声が聞こえないのか、リアムが突然走り出した。
「あなたはここにいてください!」
「あ、ちょっと!」シャミーもつられて走る。
(早い……!)
騎士団時代、毎日しごかれていたシャミーは足に自信があった。それなのにどんどん離されていく。見失わなかったのは広い敷地に遮るものがなかったからだ。
リアムは焼却炉の前で立ち止まった。焼却炉は城のゴミを処理している場所だ。匂いが城に届かないよう、敷地の隅にある。焼却炉は城下町のはずれにもあるのだが、王族の捨てたゴミを漁るごろつきがいるため仕方なく王宮専用として敷地内に設置された。
ざらついた扉を開けると、隙間から灰と火の粉が飛ぶ。リアムは入らず、背を向けたままシャミーに話しかけた。
「まさかついてくるとは。待つように伝えれば良かったです」
「忘れたのか?姫がいない場では私の護衛対象はお前になる」
シャミーはリアムを押しのけて入った。
大きな鉄製の箱が左右に並び、分厚い鉄の蓋が閉じている。稼働中の箱は蓋の隙間から火の粉を出していた。
シャミーが迷っているとリアムが「あれです」とひとつの箱を指さした。箱は開けっ放しで、灰が空を舞っている。恐々覗くと、死体のようなものはなかった。あるのは灰だけだ。
「ここの火は強いためなんでも燃やします。なにも残らなくても仕方ありません」
「それでも死体があれば遺品でも……」
シャミーは鉄の棒を手にとって灰をかき回した。灰を吸い込みそうになり、とっさに袖口で口元を覆う。
「ん?」
光るものを見つけ、手をつっこんだ。それは小さな指輪だった。
「指輪ですか」
シャミーから受け取った指輪の灰をリアムがはらう。指輪は黄金に輝き、シンプルな造りをしている。
「誰でも持っていそうな指輪だ。遺品に違いないから届けよう」
「どこに届けるつもりですか?」
「ご遺族に?」
「ご遺族がわかればいいのですが。指輪は私が姫に提出しておきます」
「任せた。ところでどうして死体の匂いがわかったんだ?」
シャミーは箱の前まで来ても、いまいち嫌な臭いがわからなかった。職業柄血生臭い現場に足を踏みいれたことがあるが死体の匂いは覚えていない。
「執事の研修で習いました」
「物騒な研修だな」
リアムの笑顔を見て、シャミーはそれ以上聞くのをやめる。
「死体があったのなら、誰かが殺されたということになる。姫の暗殺は囮で、裏で本命の殺人が行われたのでは?」
「いい線をいっていますね。ただ、我々の優先順位は姫です。誰が殺されていようとまずは暗殺者の特定をしなければなりません」
リアムは指輪をハンカチで包むとポケットにしまった。
「さて、このあとはどうしましょうか」
リアムとシャミーは廊下の絨毯を踏みながら小声で話す。面会が予定より早く終わったので城内に戻ってきたのだ。
「どうって?」
「第一王子が帰っているのなら彼の命令に従わなければなりません。実質、彼が王なのですから」
一年前、マーヴ国の王は王妃を亡くしてから寝たきりになってしまった。
賢王として民に慕われていたので国民は悲しみ、その悲しみに紛れるように、貴族院が第一王子であるアルファーに王同等の権限を渡したのだ。王は異論を唱えなかった。
「王様とアルファー様の仲はよろしかったのだろうか」
シャミーは先月行われた護衛騎士の任命式でアルファーに「頑張ってね」と声をかけられた程度の関わりだ。王にいたっては遠くから拝見したことしかない。
「なんとも言えませんね。政策の方針が似ていますがプライベートで会話しているところをあまり見たことがありません」
リアムは二年前にイレネの執事になったのでシャミーより内政に詳しい。
「アルファー様とライラ様の仲は良いと聞いたことがある」
王子妃であるライラは島群を代表する部族の長の娘だ。わかりやすい政略結婚である。
「仲が良く見えるのは二人がそれぞれの立場を理解しているからですよ」
シャミーとリアムが部屋に入る前にマナー講師が出てきた。彼女は優雅にお辞儀をして出ていく。ドレスの後ろについたリボンが揺れていた。
「最新のドレスはかわいいな」
彼女の後ろ姿をみながら呟くと、リアムは意外そうな顔をした。
「ドレスを着ればいいじゃないですか」
「着る予定はない。私はみるだけで十分だ」
シャミーはそう吐き捨てると「失礼します」とイレネのいる部屋へ入った。
「指輪かぁ……」
イレネは腕組みをした。
「どこにでもあるやつね。一応他の者に頼んで調べてもらうわ」
後ろに控えていたメイドのララに渡す。ララは浅い傷だったので昼から復帰していた。
マリーも近日中に復帰できる見込みだそうだ。
「姫、第一王子は昨夜のことをお耳に入れておりますか?」
「アルファー兄様に?聞いていると思うけど反応はないわ」
リアムとシャミーは顔を見合わせた。
「私の優先順位は低いもの。気にしないで」
イレネは当たり前のことのように言った。シャミーは思わず片膝をつき、イレネと視線を合わせる。
「私達が最優先するべきお方は貴方です。……必ず犯人を捕まえます。それまでお傍を離れることをお許しください」
気づいたら言葉がすらすら出ていた。今朝まで離れることに抵抗があったが、今は離れてでも不安の根を取り除きたい。
「シャミー、ありがとう。お願いね」
イレネは力なく微笑んだ。シャミーは今すぐ抱きしめたい衝動を抑え、顔を下げる。
イレネと親しくない者はわがままな末娘だと思うだろう。実際、本人の口調は強い。それでも優秀な上の兄弟と比べられるたびに陰で努力をしてきた。シャミーはイレネのことを知るたびに長くお仕えしたいと強く思っている。