第3話~アメリカ帰りの男~
オフィスからパーティー会場へ移動した後も、
施設の素晴らしさや豪勢な料理に対する感嘆の声が消えることはなかった。
このビルを管理している会社によるサービスなのか、
あるいは福利厚生の一環なのかは分からないが、
広い、キレイ、ゴージャスの三拍子が揃った環境。
高い金を払えば、それだけの対価を得ることが出来ると言うことを改めて思い知らされた。
「これだけの設備をこのビルの会社で独占しているなんて…もったいないな」
お洒落なバーカウンターからカラオケまで搭載されている会場を見ながらつぶやく。
「確かに。開放してくれれば俺たちだって利用出来るのにな。今度サークルで利用させて欲しいくらいだよ」
「ま、レンタル料次第だろうけど」
「会場料は1時間1万円だよ。安いでしょ?」
俺たちの後ろから聞こえる白幡の声。
「そりゃ安いな。俺たち大学生でも払える良心的価格だ」
「ジャパネットもドンキホーテもヤマダ電機もびっくりだな」
俺の言葉に続くように安さを売りにしている会社の名前を挙げる篠原。
「この会場は利益を目的にしていないからね。これを利用しない手はないよ」
白幡がこのビルを選んだ理由が分かった。
高いテナント料金はちょっと痛くても、
このビルの施設を多く利用すれば十二分に見返りはある。
おそらく個人的な利用や、社内での利用のみならず、
会社の事業としてこういった施設を利用することを目論んでいるのだろう。
なかなか考えたなと関心する。
「お前、もう他の人たちの相手はしなくてもいいのか?」
さきほどよりも少し酔った雰囲気の白幡を見て言う。
白のドレスに白い肌だった彼女も、今は顔が少し赤みを帯びている。
「いんやーまだもう少しね。この会場で乾杯の音頭をとらないといけないし。でも、それで私の役目は終わりかな?後は私自身も楽しませてもらうよ」
「終わったら俺たちにも付き合えよな」
「はいはーい。分かっているわよ。あなた達と一緒にいると飽きないし楽しいしね。場所を確保しておいてね」
白幡はそう言うと、
また俺たちの場から去っていき会場の奥へと移動して行った。
場所の確保を頼まれたものの、
見渡す限り、空いているテーブルなどすでになくなっている。
どうしたものかと考えていると、篠原がついてこいと俺に合図を送り、人を避けながら移動し始める。
「また会ったね」
「あ、どうもー」
篠原がたどり着いた先は、
さきほど会った神大寺のグループが集まっていたテーブル。
なるほど、ここで彼女たちと合流してしまえば、
場所も確保できるし彼女たちと混ざって楽しめる。
一石二鳥で素晴らしい方法だ。
「空いているテーブルが全然なくってさ。混ざってもいいかい?」
「どうぞー。ところで名前は?」
「俺は篠原、こいつは―」
「六角。よろしく」
今度は篠原が言う前に自分で名前を言う。
テーブルを囲んでいるのは神大寺のほかに全部で9人。
10人くらいと言っていたが、ピッタリ10人。
「随分ナナと仲がいいんだね」
神大寺が俺に言う。
俺たちと白幡のさきほどのやりとりに気づいていたのだろうか。
意外とこちらが気づいていないところで、
人から見られているものだなと反省する。
「中学からの付き合いだからね。幼馴染って奴だね」
「幼馴染って小学校からとかだけのイメージだけど」
「確かにね。中学からじゃあ幼馴染というより学友って感じかな」
白幡の友人というだけあって、しっかりしているなと関心していると、
白幡の乾杯の音頭が始まるようで、
シャンパングラスを手に取るように促される。
乾杯を終えると、
白幡はそれぞれのテーブルに最後の挨拶周りを始めている。
「本当に大した女だなあいつは」
「ああ。こんな友人を持てるなんてな。俺からしたらお前も負けちゃいないと思うぜ。デイトレードだなんだで年に数千万円稼いでいるんだろう?」
稼ぎの上ではそうは差はないのかもしれないが、
俺の稼いだ金というのは、ただ画面の数字が増えていくだけのもので、
労働によって得た対価でもなんでもない。
競馬で稼いだ、宝くじが当たった。
それらと方法は異なれど、
何か社会に貢献しているわけでも人を幸福にしているわけでもないという点においては同じだ。
白幡とは違う。
「やあやあ、お待たせ。って、いつの間にあなた達は面識が出来たわけ?」
乾杯の音頭をとってからおよそ10分後。
白幡が俺たちのテーブルに来る。
「お疲れ。ついさっきね。食べる場所がなかったから一緒にここを利用させてもらったんだ」
篠原が白幡に事の経緯をものすごく簡潔に説明する。
「双葉、こいつには気をつけたほうがいいよ。彼女もいるし、遊び人だから」
「おいおい、いくらなんでもそりゃ言いすぎだろう。下心があるわけはあるまいし…」
さきほどまでの友好的な態度は何処へやら。
いつものセクハラ行動をまだしていないだけに、
今回ばかりは危険人物扱いされている篠原に同情する。
「あんたもゴローほどじゃなくても、似たようなもんでしょ。女の敵よ敵」
篠原の次は俺かよ。
女の敵って…と思いつつも、
心当たりがありすぎて否定することも出来ない自分がいる。
「おいおい、さっきから俺を悪者あつかいするのをやめてくんないかな?気をつけたほうがいいとか、ゴローほどとか」
それからもしばらく続く篠原と白幡が口論をしている横で、
神大寺が二人を見て楽しそうに笑っている。
「なかなか面白いコントでしょ?」
少しおちゃらけた口調で言う。
「なんか、ああいうの羨ましいな」
「そうか?夫婦漫才とかではなく、あの二人は犬猿の仲なだけだと思うけど」
「私、地元が田舎だから、幼馴染みたいな人がいなくてさ。ああやって自分の事を分かってくれている人が身近にいるのっていいなって思うんだ。本当に仲が悪かったら、あんな風に言い合うことだって出来ないよ」
"自分の事を分かってくれている人"か。
俺の事を分かっている人なんて何処にもいやしない。
白幡も篠原にしたって俺の事はある程度の理解はしているだろうけれども、
全てを分かっていることなんてない。
お互いにお互いの境界線を理解し合えている気はしても、
境界線の向こう側がどうなっているかなんて俺は分からないし、
彼らが俺の内側部分まで理解していることはない。
他人の事なんて分からないものだ。
「自分の事を完全に分かってくれる人間なんてきっといない」
適当に相槌を打っておくべきだったかもしれない。
そう思いながらも、俺は自分の考えを言わずにはいれなかった。
「うん、私もそう思う。だから分かろうとして、少しずつ分かり合えて、そうやって深まっていけばいいんじゃないかな?それで全てが分からなかったとしても、10年、20年って一緒にいれば深まっていく。よくさ、夫婦で"あれ取って"っていうと"あれ"がなんなのか分かり合えていたりするよね?それと同じように阿吽の呼吸ってやつ?」
神大寺の言うとおりだと思った。
俺は始めから理解してもらおうと努力することもなく、
理解しようと思うことを怠って、
それでもいつか自分の前に分かってくれる人間が現れるんじゃないか?
と心のどこかで期待していた。
そんな小さい子供が見るようなおとぎ話を夢見て、
自分が望むばかりで何もしない。
それは俺の一番嫌うことじゃないか。
「望むばかりじゃ何も起きない。自分自身の手で起こさなければいけないな」
「えっ?」
俺の言葉の意味が彼女には良く分からなかったのだろう。
当然だ。
出会って1時間も経っていないのに、
突然突拍子もないことを言い出して理解なんて出来るわけがない。
「いや、なんだかしんみりした話になったなと思ってさ。今度、俺たちでバーベキューやる予定があるから、一緒にやらない?」
「いいね。そういうの大好き。みんなも誘っていいかい?」
「もちろん。ここに来てない友人とかも呼んでくれ。いっぱいいたほうが楽しいから」
「楽しみにしているよ」
「よう、久しぶりだな。ナナ」
俺たちが連絡先の交換をし終えて談笑をしていると、
懐かしい顔が俺たちの前に現れた。
「なんだ、来る前に連絡してくれればいいのに。1年ぶりくらい?」
「そうだな。そこの二人は吾郎と六角か」
白幡にとっては1年ぶりでも、俺たちは3年ぶりの再会だ。
昔よりも髪が長めになっているが、
何度も見てきた雰囲気に変わりはない。
「お前は六角と…篠原か。懐かしいな」
俺たちのほうを見て岸根が言う。
懐かしんではいるようだけれども、
その再会を喜んでいるように感じられない。
「どうだいアメリカの生活は?」
白幡にグラスを渡されてワインを注いでいる岸根に言う。
「ああ、まあ大体想像していた通りだ。白幡から相変わらずだと聞いたが、今はまだ大学生なのか?」
「ん?ああ、そうだけど」
「そうか。お前は白幡みたいに起業したりしているのかと思っていたけどな。意外と普通の大学生活を送っているみたいだな」
お前に普通の大学生活なんて似合わない。
岸根は俺にそう言いたいのだろう。
俺の大学生活が普通とは思えないが、
彼の言わんとしていることは理解できる。
大学を卒業して、院には進まずに就職します。
なんていうのは、確かに今までの俺自身の生き方からしたら、
「らしくない」と言われるだろう。
「で…、そちらの人たちは始めましてだよね?」
「こんばんは。始めまして」
岸根が神大寺やその友人たちと自己紹介を始める。
元々岸根は癖の強いタイプだったが、更に癖が強くなったように思う。
今、行っている自己紹介ではフレンドリーな一面を見せているものの、
どこか裏があるように見える。
見た目も雰囲気も話し方も変わりはない。
だけど感じる違和感。
少し酔って感覚が鈍っているのだろうか。
アメリカで3年も過ごしているのは伊達ではないようで、
岸根が神大寺らに流暢な英語を披露すれば、感嘆の声が上がったり、
ボストンでの生活を語れば、皆が彼の話に耳を傾ける。
この場の中心は俺でも篠原でも、白幡でもなく、
岸根が中心となっている。
篠原や白幡の様子を伺ってみるものの、
彼らは俺と違って岸根を中心とした雰囲気に居心地の悪さを感じてはいないようだった。
一呼吸置こうと考えて、
会話の合間にトイレに行こうとすると、
白幡も一緒に行くと言い出してついて来た。
この言い方からすると俺に言いたいことでもあるのだろう。
「どう?双葉は?」
少し含みを持った意地の悪い言い方で白幡が言う。
「ああ、協調性のありそうなタイプだな」
わざと彼女の意図していることと違う答えを言ってやる。
「六角、相変わらず特定の相手はいないんでしょ?」
「そう見えるかね?」
「そりゃね。昔から誰かを受け入れるようなタイプじゃなかったし」
「結構、人に慕われるし愛されるタイプだと思っているけどね」
「それは過信というものだよ。仕事上の付き合いとか、友人としてならいいんだろうけど、自身の恋人ということになれば、自分自身ばかりを頼りにしている人は受け付けないものよ」
「最後に頼りに出来るのは自分自身だよ。家族でも友人でも恋人でもない」
「そういう極論的な話じゃなくてなんだけどね。ま、六角と双葉が随分いい感じで話していたように見えたからさ。少しはその気があるのかと思ったんだけどね」
会話はそこで途切れて、性別ごとの化粧室へとそれぞれが向かう。
"いい感じで話していたように見えた"か。
神大寺がどうかは分からないけれども、
俺自身だけでなく第三者から見ても
そう感じるのだから間違いないだろう。
神大寺に対して、俺は間違いなく好印象を持っている。
それが恋なのかあるいは新たな面白い人を見つけただけの感情か。
初恋がいつかと聞かれても、答えられない。
異性に対する好意が、友情からなのか愛情からなのかも分からない。
数学も英語も法律も答えはある。
料理や論文だって、人の好みや表現は違えど作るべきものは見えるし、
人の考えだって読み切ることが出来る。
だけど、俺は自分自身のことが分かっていない。
慌てることはない。
今すぐ答えを出す必要なんてない。
時間はあるし、答えを出さなければいけないことでもない。
そう自分に言い聞かせて会場へと戻ると、
解散の時間が迫っているらしく、
少しずつ人が外へと出て行く。
人の流れに逆らうようにテーブルまで戻ると、
神大寺たちも帰り支度を始めている。
「じゃあ、私たちは今日はこれで失礼するよ」
「そうか、それじゃあまた今度。近いうちに会おう」
「うん。連絡してね」
「はいよ」
彼女らを見送った後に残ったのは昔なじみの4人。
終電までの時間はまだ少しある。
「よう、折角だし、4人で少し場所を変えて飲まないか?」
「俺は構わないけど、岸根と白幡は?」
「悪いけど、俺は明日も予定があって帰らないといけないんだ」
「そうか、久しぶりだったのに残念だな。また帰ってきたら連絡くれよな」
「ああ。お前の将来に期待しているぜ」
岸根は俺にそう言い残し、この場を去っていく。
将来の俺に期待か。
あいつの期待というのは俺が社会的に成功することなのか、
あるいは別の何かなのか。
「相変わらず良く分からない奴だったな」
俺が呟くように言うと白幡が言った。
「似ているよね岸根と六角って」
「ああ、俺もそう思う」
篠原まで言い出した。
「どのあたりが?」
「なんか常に隠し玉を持っているような言い方をするような所とか。岸根は否定していたけどね」
「なんて否定していたんだ?」
興味本位で聞く。
「岸根は世の中の底辺から天辺までを知ろうとするけれども、六角は天辺のみを追求するから俺とは違うって言っていたよ」
「そういやあいつ、中学のとき、全然頭よくなかったもんなぁ…。それが今ではあれだし俺の周りの人間はとんでもないのばっかりだな」
篠原がため息混じりに言う。
確かに岸根はそういう人間だ。
とにかくやってみる事を信条として、
あらゆることを経験してこそ分かるものがあると言っていた。
俺は今の岸根に果たして勝てるのだろうか?
そんな疑問を抱きつつ、白幡を見送り家へと帰る。
社長として成功を収めている白幡。
見知らぬ人間と一瞬に交流を作り出す篠原。
アメリカへ渡り、多くの経験を積んでいる岸根。
俺は…俺はなんだ?
株価を読みきる力か?
それとも冷静に分析出来る力か?
多くの才能に恵まれていたはずの自分が何も成し得ていない。
そんな事があってたまるものか。